壊された世界2
千夜は鈴を抱えながら高速でどこかの世界に落ちていった。
世界に入ると重力がかかり、飛んでいた者は落ち始める。
「……更夜はいるか?」
千夜は落ちながら辺りを見回した。ここは凍夜に犯された、赤い空に黒い砂漠の世界だった。
千夜は鈴を抱えつつ、音もなく砂漠に着地する。
「お姉様……と鈴!」
ふと男の声が聞こえた。千夜は更夜だとすぐに気がついた。
「ああ、更夜、鈴を捕まえたが少々厄介なことになってな……」
「はい……とりあえずご無事で良かったです。ここには実りの神と海神がおります」
更夜は鈴を気にしている感じだったが、気を失っている鈴に対して騒ぎ立てるのもおかしいので黙っていることにしたようだ。
とりあえず、更夜は千夜を促しつつ砂漠の山を登った。登った山の反対側に降りると、座り込んでいるメグと困惑しているミノさんがいた。
「姉が来た。少々厄介な事になったようだ……」
「厄介?」
更夜の言葉にミノさんは眉を寄せる。
「ああ、鈴を捕まえたが、なぜかトケイが突然に現れて、鈴を狙ってくるのだ。今は狼夜がなんとか抑えている」
千夜は手短に話した。
「アイツがこんな近くにまた出てくるとは……」
ミノさんは頭を抱えつつ、震えた。
「また……とは?」
千夜はいままでトケイがここにいたことは知らない。
「ええ、先程まで彼はここにいたのです。まあ、話すと少々長くなるのですが……」
更夜は要点だけ軽く伝えた。
「なるほど……複雑だな。サヨの中でエネルギーとして溶けていたものを形にしただと。聞いたことがないな。それでそれをトケイが元に戻しに来たと」
千夜は眉を寄せたが一応納得したようだった。
「はい。それよりも、狼夜にトケイを任せるのは心配です。加勢に行った方がよろしいでしょうか?」
更夜は赤い空を睨む。千夜は今にも飛び出しそうな更夜を抑え、
「……いや、まだ動かなくてよい」
と言った。
「何かお考えが……?」
「狼夜はお前が考えているよりも遥かに強い。どこで稽古をつけたかわからぬが、あのトケイを受け流す技を持っていた。そういえば、タケミカヅチから刀神を渡されるほどの使い手。呪縛のない状態なら、おそらく一番強い。追加で彼は呪縛のかかった状態でお父様に攻撃をしている。精神力ともにダントツで強い」
「……そうでしたか。では、メグが落ち着いたらお姉様の術を先に解きましょう」
更夜が提案するが、千夜は首を傾げた。
「待て、アヤがいなければ……」
千夜が言いかけた時、
「問題ない……」
と、メグが答えた。
「平気なのか?」
「もう、大丈夫。落ち着くまで待ってくれてありがとう。千夜さん、実はアヤは関係がない。猫夜を騙すためにああ言ったにすぎない」
メグは呼吸を落ち着けると再び、言う。
「今から千夜さんの中に入る。千夜さんは鈴を守っていてほしい」
「ああ、そうか。私自身は中には入れんからな」
千夜は気を失っている鈴を背中に回し、いつでも逃げられる体勢をとった。
「ミノさん、更夜、行くよ」
メグの掛け声に二人は深く頷いた。
「弐の世界の管理者権限システムにアクセス……『介入』」
三人は千夜の中に入り込んで行った。
※※
暗闇。
メグ達が立っていたのは毎回見る、あの屋敷の前だ。ただ、今回は闇夜。月がない真っ暗な夜だった。山の中なので、得たいの知れない獣の声がする。
「うまく入れたみたいだな」
更夜はメグに確認を取った。
「うん。千夜の過去のよう」
「で、どうすんだよ」
ミノさんは不安げな顔をメグに向ける。
「千夜に接触する。手順は変わらない」
「そうか」
ミノさんの声を最後に三人は黙って千夜が来るのを待った。しかし、いくら待っても千夜は現れない。
「……お姉様は屋敷の中にいる」
「え?」
ふと小さくつぶやいた更夜にメグとミノさんは同時に声をあげた。
「わかる。姉の気配は忍として未熟だ。まだ、子供だろうからな」
「……では、屋敷に入るしかなさそう。一回目は接触できずに失敗する可能性が出てきた……」
メグの言葉を更夜は首を振って否定した。
「いや、この時の姉は弱い。今も気配がおかしいくらいにぶれている。俺も含めて当時の兄弟達は皆、泣いて助けを呼んでも誰も来なかった。皆、助けを叫んでいたのだ……。……いくぞ」
更夜はメグ達に目配せをすると素早く飛び出していった。
「お、追いかけるか?」
「うん」
ミノさんの問いに小さく頷いたメグは更夜の背中を見つつ、追いかけた。ミノさんも後に続く。
裏口の扉を静かに開け、暗い廊下に入り込む三人。障子扉の部屋の内の一部屋のみ蝋燭の灯りがともっていた。
「……メグ、キツネ耳、影を映すな。見つかるぞ」
更夜の鋭い声音にミノさんの肩が跳ねた。ミノさんの影の一部が障子扉に映る前に引っ込む。
廊下は恐ろしいくらいに静かだった。
「あなた達、やっと来たわね」
ふと、後ろから消えてしまいそうな女性の声が聞こえた。
ミノさんの肩が再び跳ね、声にならない悲鳴がミノさんの心で反響した。
「お母様」
更夜は吊り上げていた眉を戻し、佇む女を見据えた。
女は最初に会った時よりも若く見えた。
「千夜は……泣き叫び助けを求める。この時の私は弱くてヤツに文句の一つも言えなかった。怖かった。だから耳をふさいで震えたまま、涙を流して怯えていただけ」
女は歯を食いしばり、蝋燭が揺れる障子扉の奥を睨み付けた。
「……私達がお姉様を助けますので、お母様はお気を確かに」
更夜に言われ、女は目に涙を浮かべながら安堵したように頷いた。
こちらの世界の女はまだ、若い娘のようだった。もしかするとサヨと変わらない年齢なのかもしれない。
「……せつないな」
ミノさんは小さくつぶやく。
死後の世界とはいえ、過去を見ているとはいえ、この女にはこれから不幸しか降りかからない。
誰からも守ってもらえることもなく、ただ涙と血を流すだけ。
元々が捨て子だというのだから、さらに救いようのない人生だ。
自分の血を分けた子供が幸せになることを許されず、暴力により狂い、兄弟同士で傷つけ合い、殺しにまで発展する。
どんな気持ちだったのだろう。
考えるだけで苦しくなる。
「……この障子扉の先に千夜と凍夜がいるということでいい?」
メグが女に感情なく尋ねた。
メグも負に染まらないように必死だったのだ。
「ええ」
女は短く言うと更夜に抱きついた。女は震えていた。
更夜は静かに母を抱きしめ、頭を撫でてやる。
「大丈夫です。もう、大丈夫」
「……私は……はじめから……怖がりなの」
「大丈夫。私達がいます」
更夜は母に声をかけ続ける。あの時の自分が母を安心させられる人間だったらどれだけ良かったかと思いながら。
「……凍夜が……なんか話してる」
メグのささやきで一同は再び顔を引き締めた。




