神々の世界3
ナオとヒメが家を出ていくのを見送ってアヤは再び自分の部屋に帰った。うとうととしているミノさんをベッドの横に敷いたお客様用布団に寝かせ、アヤはベッドの方に入った。
「……」
アヤは目を閉じるがなかなか寝られなかった。
……いけないわね……。やっぱり月に行くことを優先するべきかしら……。彼らの邪魔をしないように忠告をしにいくべきか。
望月猫夜はなかなか手強い相手であり、それを操る凍夜は最大級の厄神と融合しているようなもの。
どうあがいても勝てないような気がする。
だから、やっぱりこのまま月神の元へは行かない方がいいのかもしれない。凍夜に接触してもらい、なんとかしてもらう方がいいのではないか。
「……どうしよう。ワダツミに会いに行く事に決めたけれど……私が動けば私の上にいる冷林が動くはず……」
アヤはどうすれば良いか決められずにいた。このままワダツミに会いに行けばアヤが動いている事に周りの神も気がつく。
全く関係のないナオやヒメですら凍夜の存在に気がついていた。
周りの神に気がつかれれば更夜達との約束を破った事になる。高天原四代勢力が凍夜を許しておくわけがない。
……でももうすでに高天原西の剣王は動いていてあのちー坊とかいう刀神が刺客として送られている。
「壱の世界を生きるちー坊とやらは狼夜さんが持つ事で弐の世界を渡れるようになる。狼夜さんはちー坊を持つ事で高天原に出現できる……。今刀神は凍夜が持っているから凍夜は高天原に出てこれる……」
アヤはさらに情報の整理を行う。
……凍夜が高天原に出て来てくれれば高天原の神々が凍夜を捉えるはず。
「いや……」
アヤは天井を睨んだ。
……そんな簡単じゃないわ。凍夜にはオオマガツミ神がいる……。
「しかも……弐の世界に逃げられる……。だからやっぱり……『K』に……」
「おい、さっきからぶつくさ何言ってんだ?」
ミノさんが布団に入ったままアヤを見上げた。
「ミノ……起こしちゃった?」
「そりゃあな……夜はまだ長いぜ……動くか?」
ミノさんの言葉にアヤは首を振った。
「いいえ。やっぱりワダツミに会いに行くわ……」
「無理すんなよ。おたくはお人好しだからな。どうせ、関係ないこと引き受けちまってんだろ?」
「……あなただって関係ないことに巻き込まれてるじゃないの」
アヤの返しにミノさんは笑った。
「そのとおりだな。なあ、そっち行っていいか?」
「……いやよ。何するつもり?」
「……別になんもしねーけど、そっちのがふかふかな感じだから……」
「あなた、正気なの?男の隣で寝れないわ……私」
「そうかい」
「……」
アヤは体中から冷汗が吹き出した。
「あなた……『誰』よ!!」
「……気がついちゃった?」
アヤの叫びを嘲笑するかのようにミノさんは『望月猫夜』に変わった。
「……またあなた……ミノは?」
アヤは冷静に猫夜を睨み付け尋ねる。
「口開けて寝てるわね。そこで」
猫夜はベッドの下を指差した。
ふとイビキとともにいつものミノさんが情けない顔をベッドの下から出してきた。
「……なんでベッドの下にいるのよ……。あなた、動かしたの?」
「いや、彼の寝相の問題じゃない?それより、私が雰囲気を出さなきゃ気づかなかったでしょ?あなたは所詮そんなものなのよ。私達に関わるのはやめてくれないかしら?」
「……」
アヤは黙り込んだ。手を引くのが正しい気もする。アヤには関係ないのだから。
「……いや……」
アヤはサヨを思い出す。彼女を弐に入れたのは自分だ。
「やっぱり退けないわ」
猫夜はアヤの言葉を聞いて残念そうに下を向いた。
「あっそ……。あんた、死ぬわよ」
「……」
「お父様があなたも標的にした。……ちなみに言っておくけど、逢夜お兄様の大事な女と更夜お兄様の大事な女は『こちら側』にいる。あなたもそうなる。恐車の術は神にもかかるわ。オオマガツミがいるから」
猫夜はアヤに動くなと忠告をしにきたのだ。いったい、どこからアヤの動きを見ていたのか。
アヤの頬を汗がつたう。
「メグに会いに行くの?メグは『K』でもあるわよ。メグも巻き込むつもりかしら?」
「巻き込むって……」
「あなたみたいに渦中に勝手に引きずられていくわよ。だから何にもしない方がいいわ」
「……」
アヤに迷いが生まれた。
巻き込まれるなどの言葉を発せられたらどうすればいいかわからなくなってくる。
「アヤ」
ふとベッド下の隙間から低い声が聞こえた。
「……」
「アヤ!」
アヤが呆けていると鋭い声が飛んできた。
「……っ!み、ミノ……」
「なにボーっとしてんだよ。言い返せよ。そいつだろ?望月猫夜とかいう女は」
ベッド下からミノさんが欠伸をしながら這い出てきた。
「言い返せって言ったって……正論……」
「正論じゃねーよ。そいつ、泣いてるぞ」
「……泣いてなんか……」
アヤは猫夜を見たが猫夜は余裕の笑みを向けていた。
ミノさんは猫夜をまっすぐ見据えて言った。
「おたく、俺を誰だと思ってんだよ。元人間の魂の状態くらい見えるし、読めるぞ。おたくは神にもなっていたようだがな」
「え……」
アヤはミノさんの真剣な表情を見つめながら戸惑った。猫夜は黙っている。
「俺は生粋の神だ。人間に寄り添う穀物の神。だから見える。理由はわからないがそいつは『少女』のままの心で泣いているんだ。……理由は……そうだな。さっきの話でなんとなくわかるか」
ミノさんの言葉に猫夜の眉が動いた。
「アヤの代わりに会話してやるよ。俺に勝てるならな」
「……」
猫夜はあきらかに動揺しはじめた。
「かわいそうな女だ。父親から暴行を受けているんだろう?顔はどうした?殴られたか?」
ミノさんの声音に猫夜は咄嗟に左の頬を隠した。
よく見ると髪に隠れ、わずかだかアザになっていた。
「……と、とにかく……これ以上関わるとオオマガツミが現世にも現れることになるわよ。凍夜様はいまや神。オオマガツミと完全に融合できたら現世にも現れるはず……手を引きなさい!いますぐに」
猫夜は捨て台詞のように吐くと弐の世界を開いて逃げていった。
「……逃げた……ミノ……ありがとう」
「……ああ」
アヤにミノさんは静かに返した。
彼らしからぬ雰囲気にアヤは恐る恐るミノさんに話しかける。
「ね、ねぇ……」
「……」
ミノさんはアヤに背を向けると窓から覗く月を見上げた。
「……泣いてる……の?」
アヤは気がついた。月の光に照らされたミノさんの頬に涙がひとすじ落ちていた。
「……いや、あれだ……悲しいな。あいつの心は深くて暗くて……道がない。久しぶりだな……。こんな魂。昔はよくあったんだ。親から食事を与えられなかった子供が泣きながら俺の神社に願いに来るんだ。純粋に……助けてくれと。俺がなんとかしようと動く頃には子供は死んでいる……」
「……」
ミノさんの話を聞きながらアヤは目を伏せた。
「あいつも同じだよ。助けを求めてる。親父に……時代に逆らえないんだ」
時代に逆らえない……。
人間はいつだって意味不明な縛りを強要したりする。
結果、明日死ぬかもしれない思いを抱えている野性動物よりも逃げ場がなく、命は簡単に消えてしまう。
それは子供や女性やお年寄り、病人といった物理的な力では敵わない者達から始まる。
時代の犠牲者の墓場はそういう者達で積み重なっており、その上に平和があるのだ。
「昔は年寄りもけっこう来た。家族に役立たずだと捨てられて泣きながらさ迷っている年寄りが。心は変わらないが若者と同じには動けない。だから捨てられる。そういう時代があった。日本には命が軽かった時代が確かにあったんだ」
「……ミノ……あなたは本当に人間の心に触れられる神なのね」
「……そうだな。わかりすぎて辛い。俺はただ、アマテラス様のように……輝照姫大神サキのように人の心を照らす神だ。だから負の感情は苦しいんだ」
ミノさんはため息をつくとアヤを見た。
「……あなた、優しいものね」
アヤはミノさんを見て微笑んだ。
「そっ、そんな顔でこっち見んなよ!!そ、そうだ!思い出した!サキだ!サキに一度話を通したらどうだ?おたくの友達だろ?……ったくすげぇ神と友達でいやがって……」
「なんでサキなのよ?彼女は関係ないわ」
アヤは訝しげにミノさんを仰いだ。
「保険だ。保険。あの神は四代勢力プラス月とまともに交渉のできる神だ。なんていっても太陽神のトップ!アマテラス様に太陽を任されている神だ。それにおたくに対してはけっこう本気で動いてくれるんじゃね?友達だし。そしたらさ、メグとかいうやつにも会いやすくなるんじゃね?」
「だから……巻き込んじゃうじゃないの……」
アヤがため息混じりに頭を抱えた。
「……こりゃあ、巻き込まなきゃ無理だぜ……。大丈夫そうなやつを巻き込まなきゃおたくがやりたいことはできない」
「……」
ミノさんの意見も正しいと思ったがアヤはなるべく巻き込みたくなかった。
「アヤ……サキを頼ろうぜ……。ワダツミだってどこにいるかおたくはわかるのか?日本の近海を潜って探すのか?」
「……無理だわね……。私ひとりじゃ無理だわ……。私は更夜さん達を裏切ることになる……そして無力……。私に力があれば……。私は結局、誰かに頼らなければ何もできないのね」
アヤは悔しくなって涙を拭った。
「……おたくはそっち方面の神じゃない。おたくは……見守る神だ。人間達が指定した時間というものを見守る神。分野外なんだよ。おたくはまだ神になって日が浅い。だからわからないかもしれない。……だから……俺が今忠告する。直接人間に関与できる神の仲間を増やせ。おたくが何かを変えることは不可能だ」
ミノさんの鋭い視線にアヤは目をそらした。
「アヤ……現実を見ろ。おたくは人間じゃない。神だ。神には役割がある。おたくは見守るっていう本来の仕事をしてりゃあいいんだ。どうしてもいざこざに手を出したいってんならそれに影響を及ぼせる神を連れて来い。おたくは……お前はそれでやっと同じ土俵に立てるんだ。忘れんな」
「そんな言い方……役立たずみたいじゃない」
アヤはショックを受けたのか顔を両手で覆った。
泣いているようだ。
「……今回の件は役立たずだな。分野外だ。わかれよ。それが神だ。割りきれ。解決できる神に情報を渡し、見守れ。おたくはそれがわかってねぇ」
「……私は見ているなんてできないわ。あの話を聞いたでしょう?あんな世界が日本にあるのかと疑ったわ。でもね、あった。あのサイコパスにすでに傷つけられた人を見た!」
アヤはミノさんの襟首を掴み、睨み付ける。目の端には涙が溜まっていた。
「……だから……」
ミノさんはアヤの手を払うとアヤを壁に押し付けた。
「うぐっ……」
アヤは低く呻く。すごい力で腕を捕まれピクリとも体を動かせない。
「俺が少し力を入れたらこうだ……。動けやしないだろ?あの凍夜とかいうやつはここから平然と『お前』を殴るぞ。あの猫夜のように心を見失うまで……。『お前』は何もできない。何も変わらない。気がつけ」
「……怖い……」
アヤはミノさんの忠告に震える声でつぶやいた。
「怖いよ……ミノ……」
「……あ……」
ミノさんは慌てて力を緩めた。アヤが本気で怯えていたからだ。
「そんなことわかってるわよ……。知ってるわよ……」
「あ、アヤ……俺はただわかってほしくて……これはデータがそうだから仕方ないんだ……ぜ……」
ミノさんは口下手で難しいことが嫌いである。知ってほしいことが直球すぎた。
……やべぇ!やべぇ!やり過ぎた……。
アヤ……ごめーん……。
慌てているミノさんにアヤは言い放つ。
「でも!そんなあなた見たくなかったわよ!!」
ミノさんはアヤから一発もらう覚悟で目を閉じたがアヤは手すらも上げなかった。
「……あ、アヤ……?」
「サヨも向こうで戦ってる。あの凍夜に喧嘩を売ってる……私と同じくらいの年の子があのサイコパスに喧嘩を売ってる。だから……私も戦う」
アヤはミノさんをまっすぐ見つめた。
「だから!わかってねーじゃねーかよ!!俺が言ったことわかるか??」
「わかったわよ」
「へ?」
ミノさんの間抜け顔を見据えながらアヤは言う。
「私の神脈を使うわ。私はこれでもね、いままで色んな神の手助けをしてきたの。だから負けないわよ」
「……ははは」
アヤの言葉にミノさんは苦笑いを浮かべた。
……乱暴にしなくてもアヤはわかったか……。俺より全然頭いいもんな……。あんな酷いことしなきゃ良かったぜ……。
アヤがミノさんの一押しで変わったのか、はじめから意見を変えていたのかはわからない。
とにかくアヤは猫夜から言われて動揺するような心は捨てた。




