望月の世界19
サヨ達は更夜達の世界、拠点に戻った。
白い花畑を通りすぎて瓦屋根の家に入る。
「……ありゃ?誰もいないー?」
「……ごほっ……逢夜お兄様が……俺と交代して……アヤとかいう娘と現世に向かった……ごふっ……」
サヨの問いに狼夜が気持ち悪そうに答えた。なんとか答えられるまで回復したようだ。
「だいじょーぶ……じゃないか……」
サヨは狼夜を支えた。
「……サヨ……」
「……なーに?」
「オマエ……優しいやつなんだな……」
狼夜はしおらしくサヨにもたれる。
いつものサヨなら「彼氏いるんですけどー!」と突き放しそうなものだがサヨは狼夜をそっと抱いてあげた。
冗談かそうでないかくらいサヨにもわかる。
彼は四歳で死んだ。
愛されることなく……。
泣きながら暴行を受け入れて……。
助けを求めながら死んだ。
魂年齢を上げたとはいえ、気質は四歳なのだろう。
甘えたい部分があったのかもしれない。
「……」
狼夜は静かに目を閉じてサヨの胸に耳を当てサヨの鼓動を聞いている。
「落ち着く?」
「……ああ……お姉様にそっくりだ……」
「猫夜?」
「……ああ」
狼夜の吐き気がなくなり、落ち着いた表情に戻った。
「……もう大丈夫だ。すまねぇ。俺、なにやってんだろ……」
狼夜は自らサヨを離すと恥ずかしさなのか頬を赤く染めた。
「いいじゃん。四歳なんだから」
サヨがいたずらに微笑むと狼夜はさらに赤くなった。
「俺はな!十八だ!!お前より年上だぜ!」
「はーいはい」
サヨは噛みつく狼夜をてきとうに流し奥の部屋に向かった。
畳の一室に入ると千夜が布団を敷いていた。
「狼夜。傷をもう一度見てやろう。それから休むといい」
「……はい」
狼夜は少し震えながら布団に横になった。
「あのさー、千夜、千夜は固すぎる!威圧的なのかなー。狼夜がビビってるよ」
「……そうか?そうなのかな……」
千夜は真面目に考えている。
「お姉様、大丈夫です。そのままで……」
「そ、そうか?」
千夜が戸惑いながら声を上げた。
「無茶しちゃってー、このー!」
サヨは狼夜の頭を突っつきながら微笑んだ。
「うるせー!!生意気なんだよ!!小娘が!」
「はあ?さっき甘えてきたくせに?」
狼夜とサヨが出会った時同様、再びいがみ合いを始めた。
「ああ、うるさい……」
凍夜の呪縛から離れ、元に戻った三人は元気を取り戻していた。
※※
サヨ達が来る少し前の事。
アヤは更夜の世界内の瓦屋屋根の家の一室の端で震えていた。
……あの人達はああ言っていたけど、私は気づいているのよ。
アヤは寝ている狼夜を見据えながら考える。
……さっき、飄々と入ってきて憐夜を拐ったのは猫夜という女。
あの子は誰になっているかわからない上に「この世界に入れる」じゃないの。
「……こんな怖いことってあるかしら……」
「……心配ねーよ。俺は狼夜だ」
「あ、あら……起きていたの?」
「ああ……」
狼夜は静かに目を開けた。
「現世にはお姉様は行けない。もちろん、霊だから高天原とかにもいけない。だから世界から出れば追ってこれないはずだ。それまでの辛抱だな」
「そう……」
狼夜とアヤは再び黙り込んだ。
サヨがいないとやたらと静かだ。
その時、逢夜が戻ってきた。
「ひっ!」
アヤは突然に現れた逢夜に肩を震わせた。
「あ?ああ、俺だ」
「誰よ!!」
「逢夜だぜ……」
「本物?」
「そうだ。お姉様から話は聞いた」
逢夜は頷くとアヤを落ち着かせた。
「あ、あら……そう」
「狼夜は俺のやってることをやってくれ。更夜達を裏で守れ。『K』の世界を外から見守るんだ。怪我をしているから無理はすんじゃねーぞ」
「は、はい……」
逢夜の言葉に狼夜は静かに頷いた。
「じゃあアヤ、時間がねーから行くぞ!」
「そ、そんな……強引に……」
逢夜はアヤの手を引くと狼夜を一瞥し、歩き出した。
アヤはグイグイ引っ張ってくる逢夜を不思議そうに見つめた。
……この人、確かに荒い人だったけどこんなに荒かったかしら……。
……手首が……痛い……。
半ば連れ去られるようにアヤは家の外に出された。
「じゃあ、目覚めるか……。弐の世界の管理者権限システムにアクセス……『離脱』」
「え……??」
アヤは何が起きているかわからず目を丸くした。
まごついている間に身体は透けていき、気がつくとデータの塊となって消えていた。
「……はっ!!」
アヤは飛び起きた。
地面がふかふかしている。
「な、なに……ってこれ、私のベッドじゃないの!?」
アヤはかわいらしい薄いピンクのベッドを見つめた。
どうやら自分はここで寝ていたらしい。
「……寝ていた?」
アヤはしばらく首を傾げていたがやがて飛び起きた。
「寝てないわよ!確かに弐に入るときは魂になった方が楽だから寝たけど!!逢夜さんは!?」
アヤは辺りを見回す。
どこからどう見ても自分の部屋だ。時計好きなアヤならではの時計コレクションがある。
アヤは部屋の外へ飛び出した。
「あ!……アヤちゃん。今、おやつでお茶菓子を出そうと思ったんだけど……」
廊下に出ると女が立っていた。
健の妻である。
健同様に年齢がわからない。
同い年だとかいう話を聞いたが実際にはなんなのかわからないのだ。何て言っても『Kの妻』であり、『Kの母』なのだから。
おそらく常識はない。
アヤは現在、この謎の家族である小川家に居候中である。
「かおりさん……ごめんなさい。今から出ます!」
「今から!?ね、ねぇ……けんちゃんとあやちゃんがなんか全然起きないんだけど……何か問題起きてる?」
問題とはおそらく「K」関係、弐の関係だろう。妻である彼女も無関係なわけがない。
「わからないですけど、『Kの競技大会』に出るような事を……」
「ああ、そう。じゃあ大丈夫ね。アヤちゃん、もう夕方だけど……」
「ちょっと色々あって……どうなるかわかりませんが帰ってきますから」
「神様も大変ねー」
妻のかおりさんは微笑んでアヤを外に出してくれた。
「なるべく早く帰りますから」
アヤは申し訳なさそうに頭を下げると足早に玄関から出ていった。
アヤが居候している小川家は核家族で現在マンション住まいだ。
オートロックマンションの三階に住んでいる。エレベーターを降りてエントランスからマンション外に出てからアヤはどうするか考えて立ち止まった。
……そういえば……逢夜さん……どこに行ったの?
暗くなりつつある住宅街を不安げに見回すアヤ。
街灯がポチポチとつき始めている。
それを眺めながらアヤは突然に恐怖し震えた。
逢夜さんが一緒に来ていない……。
……じゃあ……あれは……
……さっきの『あの人』は誰だ……。
「ど、どうしよう……」
アヤは残してしまった狼夜を心配した。
……早く……早く戻らないと……
天記神の図書館に行かないと……。
天記神の図書館には人間の図書館から行ける。しかし、神々のような電子データを持っていないと図書館に併設されている霊的空間内には入れない。霊的空間内から天記神の図書館に行けるのだ。
天記神の図書館は厳密には弐の世界ではない。そこから道をわざと外すとどっかの弐の世界には着けるが迷い、出られなくなる。
だがアヤには『弐の世界の時神の記録』という自分で書いた自作小説のような本がある。
これを使うと弐の世界の時神の世界へ導かれるのだ。
想像物となり繋がりが生まれるからだと言われているが実はよくわかっていない。
アヤは霊的空間を通って弐にもう一度入る計画を立てたが、もう一度考え直した。
……もしかして……あの逢夜さんは望月猫夜とかいう人……。
だったら……私だけを現世に連れてきた理由は何?
……私は逢夜さんと現世から月に行って月神を説得するために動く予定だったはず。
あそこで猫夜が現れたってことは……そもそも逢夜さんはあの世界に帰ってきていないことになる……。
「……猫夜は何が目的……?私を現世に連れていったら来れるはずの逢夜さんが現世に来てない事を不思議に思うはず。でも私には何もできないから私だけを現世に連れていくのはメリットにはならない。むしろ、私に気がつかれるならデメリットじゃないの……」
アヤは街灯が全てつくまで考えていた。
しばらく頭を捻っていると、ふとあることを思い出した。
「……逢夜さんは現世での縁結びの夫婦神。だから彼は魂だけでもこちらに来れる。彼の奥さんにコンタクトを取ろう。そうすれば逢夜さんの居場所がわかるかもしれないわ」
アヤは急いで近くにある厄除け兼縁結びの神社に走った。
少し離れてはいるがアヤが通っている学校の近くにひっそりとある。アヤは大通りから商店街に入り、真っ直ぐ行った所にある学校を右に曲がった。ここから先は少し山道になる。
暗くなる時間帯から女子高生が山に入るのは誰かから止められそうだが夕飯時だからか人がほとんど歩いていない。
……はあはあ……
アヤは息を上げながら舗装された山道を歩く。
少し進むと砂利道に入り、鳥居が見えた。小さい社には光がともっている。
この光は神のようなデータを持つものでないと見えない。
これは神々が住んでいるという印の霊的空間なのだ。
……いる。
アヤは鳥居をくぐり砂利道を進み、社の扉を叩いた。
トントン……。
待つ暇もなく引き戸が開いた。
「……来ると思ったわ……遅かったね」
「……違う!」
咄嗟にアヤは怯えながら叫ぶと足を後ろに進めた。
出てきたのは「銀髪の少女」だった。
厄除けの神であり縁結びの夫婦神である「稲城ルル」と名乗っていた少女は紺色に近い黒い髪だったはずだ。
あまり関わったことはないがアヤと同じ年齢の神であり、人間に見える神だったのでアヤはチェックだけはしていた。
よく学校に入り込んでいるのを見かけたからだ。
「あら、ここの神とお知り合いだったのね。そのままでも行けるかと思ったけど外れたわね……」
銀髪の少女は飄々と言葉を紡ぐ。
「あなた……まさか……でも……なんで?」
アヤは混乱しながら尋ねた。
彼女はおそらく望月猫夜だ。
だが、なぜ現世にいる?
「疑問いっぱいかな?私は元々神だもの。信じてくれる村の人はいなくなっちゃったけれど神格はまだあるのよ。現世の神だもの。こちらには出てこれるわ。出てきても私の神社はないから意味はないんだけど」
「……『K』じゃないの?」
「『K』のデータもあるわ。狼夜が言ってなかったかしら?ああ、あなたは確か更夜お兄様と鈴ちゃんと竜夜お兄様達と遊んでらしたのよね?天守閣のパークで。ふふ……じゃあ、知らないわね」
「……どうしてそれを!」
アヤは目の前の少女からじりじりと離れていく。
「どうしてって……『見てた』からよ」
少女、望月猫夜はアヤに近づいていく。
「こ、こないで!ルルは?留女厄神はどこよ!」
アヤはほとんど叫びに近い叫びを上げた。
「あらら、酷い怯え方……拷問なんてしてないのに」
「答えなさいよ……」
「んー?」
猫夜の言葉の続きにアヤは体がガクガクと震えた。
唇の動きがやたらとゆっくりに見えた。
─いま、ごうもんちゅう─
猫夜はそう言っていた……。
「……君もお父様に逆らっているのよね?このまま現世にいてくれないかしら?ルルはビジネスのために仕方なかったとして、できればお父様に捕まってほしくないのよ。お父様に逆らうとね……」
「……いや……」
「鞭で叩かれてね、血がおもしろいほど出るのよ……」
「……い、いや……来ないで!」
「一生ものの傷はいかが?沢山つけてもらえるわよ。焼いた鉄で……」
「ひっ……」
「どう?逃げたくなったでしょう?関わらなきゃ見逃してあげるわ」
アヤは徐々に猫夜と離れ、やがて走り出していた。
猫夜の言葉にアヤは恐怖してしまった。
身の安全を一番に考えて逃げてしまった。
……あの威圧は……何?
私……なんで逃げてるの?
……怖い……
アヤは震えながら目に涙を浮かべた。
山を降りて商店街に入った所で男が自分の名前を呼んでいることに気がついた。
アヤはほぼ意識なく歩いていたので男の声に気がついてなかった。
「……?」
わずかに顔を上げる。
狐耳の生えた金髪の青年が心配そうにこちらを見ていた。
赤いちゃんちゃんこに白い袴。
間違いなく神である。
「……ミノ……」
アヤは彼を「ミノ」と呼んだ。
彼は商店街の先のスーパーの裏手にある神社に住む穀物神で実りの神様だ。
名を日穀信智之神という。
アヤとは顔見知りで友達のようなものであった。
「おーい!アヤー!どうしたんだよ?そんな悲しい顔して……いじめられたのか?」
「……うう」
ミノさんの優しい言葉にアヤは色々込み上げてきて我慢がきかなくなりミノさんに抱きついた。
「お!?お?」
ミノさんはわけがわからず動揺し、人に見えない神であるのに物陰に隠れた。
アヤは静かにミノさんの赤いちゃんちゃんこを握りしめていた。
「……おい……どうしたんだ……」
「……ミノ……私、私ね……まんまと騙された後に……皆を裏切っちゃったの……怖かったのよ……」
アヤからきれぎれに言葉が発せられる。
ミノさんからすると突然でよくわからなかったが落ち着くまでアヤの頭を撫でてあげていた。
なにがあったかは聞かなかった。
しばらくして落ち着いてきたアヤはミノさんから顔を離した。
「……ごめんなさい。突然……」
アヤは恥ずかしくなったのか顔を赤く染めていた。
「いや、それはいいが……」
ミノさんはアヤを無理に離そうとはしなかった。
「……」
「あ、なんか困りごとなら手伝うぜ?」
ミノさんは元々温和な神だ。
故に争い事を好まない。
アヤは尋ねられて迷った。
アヤ自身もよくわからず、困惑している状態だ。
「……えっと……」
「……いいや」
「え……」
ミノさんはアヤに優しい笑みを向けた。
「ついてけばわかるだろ?邪魔しねぇからさ」
「……ミノ……」
ひとりで不安だったアヤはミノさんの柔らかい笑みに再び涙をこぼした。




