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旧作(2016〜2024完結)「TOKIの神秘録」望月と闇の物語  作者: ごぼうかえる
オムニバス5「春に散る花」(更夜の過去)
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春に散る花 六話

 はるの妊娠はすぐにわかった。なんだか気分が悪そうな日が続いたからだ。

 悪阻(つわり)であることは俺にもわかった。俺ははるを凍夜から離し、長期の仕事をやることにした。あの屋敷にいなければ、凍夜にバレない。

 危険な仕事だった故、あまり気にかけてやれなかったが、村人に溶け込み、はるを助けてもらっていた。敵国の村人と仲良くし、情報を盗み、武家として城に入り、城主を暗殺する。

 これが俺の仕事だ。

 村では子を身ごもった女を連れた男が疑われることは少ない。

 武家屋敷は遠いため、俺は変装して二月ほどいなくなった。

 仕事は失敗していなかった。

 やがて悪阻(つわり)の時期が過ぎ、安定したはるに沢山の野菜を食べさせた。

 生まれてくる子ははるに似てかわいいに違いない。

 はるもよく笑ってくれるようになった。

 幸せだった。

 もうここで暮らしたい。

 そう思った。

 やがてはるは、かわいい女の子を産んだ。

 小さな手が俺の手を握る。

 俺は赤子を抱き上げると、この村に伝わる子守歌を歌ってやるのだ。だいたいが泣き止まず、はるに苦笑いされるのだが。

 赤子は静夜と名付けた。

 静かな夜になってほしい。

 戦や忍で溢れない夜がほしい。

 その願いで決めた。

 はるは幸せそうだった。

 俺達はようやく家族になれた。

 盗んだ情報は俺を監視している忍に口頭(無声)で伝え、その忍が凍夜に報告するという方法をとった。

 俺はいつも大きな情報を盗むため、凍夜も誰も口出ししてこなかった。

 幸せな日々は五年ほど続いた。

 娘はすくすく育ち、はるに似てかわいい顔で笑う少女になった。

 「おとうさまー!」

 静夜は俺にいつも拾ってきたものを見せる。ドングリ、葉っぱ、虫……気になるものを見せてくるのだ。

 「静夜、更夜様が困っているでしょう?」

 はるは俺の顔を見て、楽しそうに笑う。俺は二人をそっと抱き寄せて幸せを噛みしめた。

 守る命が二人になった。

 凍夜の元へは帰らずとも、別によい。

 そんなことを思い始めていた。

 しばらくして、俺は家族のために、城主を暗殺した。

 この件で俺は鈴という少女と関係を持つのだが、また、別に話すことにしよう。

 そのすぐ後に、凍夜からの呼び出しを食らった。

 ここの城主を暗殺した直後だ。

 俺ひとりで行くつもりだったが、敵国に娘と嫁を置いておけなかった。

 「はる……戻らねば」

 「……ええ」

 俺がそう言うと、はるは俺の手を握り、「ついていきます」と笑顔と覚悟を向けた。

 そこで俺は誤解していたことに気づく。

 はるは……初めから強い女だった。弱いのは俺の方だ。

 俺は腹をくくり、はると幼い娘を連れ、屋敷へ戻った。

 女二人を連れていたため、半年ほどかかってしまった。

 ある晴れた春のこと。

 桜が満開で喜ばしいはずだが、俺達の気分は悪かった。

 屋敷へ入り、久々に凍夜と対面した。凍夜はほとんど変わっていなかった。だが、威圧や実力はもう俺の方が上だった。

 「久しぶりだな」

 「はい」

 「ほぅ、そいつがガキか」

 横にいた静夜は身体を震わせながら頭を下げていた。

 すまぬ、もう少しだからな。

 俺は心で静夜にそう言った。

 「はい。望月静夜……でございます」

 俺はそう紹介した。この子は俺の血が入っている。

 もう望月だ。

 そう思ったが、凍夜は嘲笑した。

 「はっ。望月? そいつはお前が犯して壊した下女のガキだろう。笑わせる。母が下女なら子も下女に決まっている」

 凍夜の言葉に俺は、幻想を抱いていたことに気がついた。

 はるは正式な許嫁ではないのだ。

 家長の凍夜が許していない。

 「お……おとうさま……おかあさまを犯して壊したとは……?」

 静夜が俺にそう言った。

 俺の身体に冷たいものが這った。

 まずい。

 「お父様」は凍夜様だけだ。

 凍夜望月の祖、凍夜のことを子孫は「お父様」と呼ぶ決まりだ。

 俺をお父様などと呼んでは……。

 空気がはりつめた。

 「ほぅ。なるほどな」

 凍夜は狂気に満ちた笑みを浮かべ、俺を見る。

 「お父様、静夜は……」

 「黙れ。更夜。下女がなめた口をきいたな。ガキ、お前に名前などいらんのだ。お前は、更夜が(もてあそ)んだ下女とのガキだ。そこの下女に術のかかりを試したりなど、楽しそうだったぞ」

 「……!」

 静夜は怯えた表情で俺とはるを見る。はるは目を閉じていた。

 「望月だと思ったか。お前は親父に乱暴されて産まされた下女とのガキだぞ。つまり下女だ。下女が望月に泥を塗るか。お仕置きだな」

 俺は着物を握りしめ、目を見開いた。

 静夜が……。

 守らねば……。

 「せっ……せいやは……」

 おかしい。

 俺の口が突然動かなくなった。

 身体も動かせない。

 「お前は俺に指図するか? 更夜」

 凍夜の目を見、俺は金縛りにあった。

 「恐車の術」だ……。

 また……逆らえない。

 俺の実力ならば、あいつを殺せる……。

 殺せるはずっ……!

 「……更夜様、いままでありがとうございました。……はるは幸せでした。私の時のように……娘を……静夜を守ってくださいまし」

 俺が動けないことを知ったはるが、涙声でそう言った。

 ……ダメだ……。

 はる……。

 待ってくれ!

 「は……る!」

 「私が代わりに罰を受けましょう。下女の娘を助けてくださいまし」

 はるは死ぬつもりだ。

 はる……やめてくれ……。

 「まあ、よい。お前の娘は俺の下女だ。お前は死ね。演技をして俺を騙した罪もついでに償わさせてやる」

 凍夜ははるが演技をしていたことを知っていた。敵国の情報を仕入れるまで俺達はずっと、泳がされていただけだったのだ。

挿絵(By みてみん)

 はるは……俺達の目の前で残虐な拷問の末に死んだ。

 凍夜ははるを庭に放ると、何事もなかったかのように仕事に出掛けた。桜の花が開け放たれた障子扉から風に舞って散っていった。

 「おかっ……おがあさま!」

 静夜の絶叫が屋敷に響く。

 苦しみながら殺された母親を、吐きながらも見させられた五歳の少女。震えながら、怯えながら、瞬きせずに髪をかきむしる。

 わけがわからないだろう。

 はるがこのような殺され方をした理由もわからないだろう。

 俺は教えていない故に。

 静夜は涙を浮かべ、発狂し、失禁し、やがて気を失った。

 俺は静夜を丁寧に拭いてやり、部屋の隅に寝かせた。

 そして俺はぬくもりのなくなったはるを埋葬する。

 俺はなにもできなかった。

 守るはずの嫁が暴行されるのをただ、見ていた。

 はるの血を丁寧に拭き取り、はるを抱え、風がよく吹く丘に埋めた。憐夜の時もそうだった。

 あいつに逆らえなかった。

 あいつが憎い。

 殺してやりたい。

 俺は歯を食い縛り、屋敷に戻った。

 次の仕事まで待機だそうだ。

 しばらく、ここで過ごさねばならない。

 はる……。

 はる……。

 生物を殺すのは簡単だ。

 だが、戻らないのだ。

 俺は静かに涙を流した。泣いているところを誰にも見られたくなかったのだ。

 男が泣くのは情けない。

 そういう時代だ。

 こんなに張り裂けそうな気持ちであるのに、大声で泣けないのだ。叫べないのだ。

 はる……。

 俺は何度もはるを呼ぶ。

 はるはもう答えない。

 殺されるところを見させられた。致命傷はあの残虐な試し斬りだ。

 斬られる寸前に、はるは俺を優しい目で見ていた。

 愛おしいその顔はわずかに微笑んで、

 「あなたは生きて」

 と、声を発せずにそう言った。

 また……吐き気がする。

 はるはもう戻らない。

 もう、ここから先に、はるはいない。

 何度でも言う。

 殺すのは簡単だ。

 だが、戻せない。

 戻せないんだ。

 あの笑顔、優しい声音、柔らかい肌もっ……

 もう……

 「戻せないっ! 戻ってこない!」

 歯を食い縛ってこの気持ちに耐える。

 はるはもういない。


 ……もう、悲しむな。

 泣くのは終わりだ。

 静夜を守らねば。

 静夜が幸せになれる道を探さねば……。


 俺はそれを心で反芻し、唇を噛みしめて涙を止めた。

 

 

 

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