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「……いまいましいことにそのようです」




「ギルバート王子! 容態は……」


 扉を開けるなり、私は硬直しました。

 毒を盛られたという当人が、ペンを手にきょとんとした顔でこちらを見返したからです。

 すっかり固まってしまった私に不穏を感じたか、彼の従者がおろおろと声をかけてきました。


「あ、ええと、例の件をお聞きになったんですか? 確かに一服盛られましたけど……」

「……無事だというのは見て分かりました」

「いや、ソースが変色していたのですぐにわかったんです! しかもそれが下剤で! 毒見もしていますし、ちゃんとご報告したつもりなんですが……!」


 私に会うための罠ではないと言いたいのでしょう。

 彼の必死さにそう理解して、ようやく、そんな可能性もあったことに気づきました。


 私は片手に顔を埋めて、長い息を吐き出します。

 ……なんだかどっと疲れが出ました。

 気をきかせてか、従者が女官を促して部屋を出て行きます。

 私は無言のまま彼の対面に腰を降ろし、膝に肘をついて、両手で額を支えました。


 感情がぐちゃぐちゃになっていて、言葉を口にするのをためらいます。

 うっかりすると、なにか妙なことを口走ってしまいそうで。


 恐れと焦燥、安堵。そこに不思議なくらい苛立ちが混ざらなかったのは、私がこの可能性を知っていて見過ごしたからです。

 否応なしに思い知ります。

 どんなに怒っていても、口でどんなことを言っていても――私は、彼が死ぬことを望んではいないのだと。


「すまん。心配をかけたか」

「……いまいましいことにそのようです」

「会うのは久しぶりだな。ちょうど拝謁願を書いていたんだが」

「しつこいですよ」

「根気勝負だな。ちょうど十通目だ」


 感情が波立ちます。なんだかとても泣きたいような気分になって、どうにか感情を押さえようとしました。


「ラクイラへ、帰ってください」


 平坦な声は、少しだけ掠れてしまいました。

 唇を一度結んで、私は続きを吐き出します。


「ここは……あなたがいる場所じゃない」


 一呼吸だけの空白。

 返ってきた声は、ひどく静かなものでした。


「だが、お前の生きている場所だ」


 思わず、顔を上げました。

 目に入ったのはしまったとばかり口元を押さえているギーで、私は目を瞬きます。


「……すまん。間違えた、言い直す」

「は?」

「貴方の生きている場所だ。だから知りたい」


 うわあ、違和感。

 違和感を覚えた自分にも違和感です。これはガルグリッド卿にさんざん言い含められてきましたね。褒めるところだと思うのですが、どうにも据わりが悪いです。

 おかげで、少し酔いが醒めました。


「知ってどうするって言うんです。わかっていますか? あなたが一番大事にしなければならないものは、あなたの国です」

「当然」

「ならば結構。ついでに現状では、それをないがしろにしていることも認識してください」


 言い置いて、私は腰を上げました。


 危なかった。かなり危なかったです。あやうく猊下にとって面白いことになるところでした。

 それはごめんこうむりたいです。賭け金も入れていることですし、もろもろを勘案しても、私は折れるつもりなんて全くありません。


「事情の聴き取りについては明日にでも人を寄越します。下剤とはいえ毒は毒ですからね。犯人は厳正に処罰しますよ。ではよい夜を」

「おい。ちょっと待て」


 踵を返して扉に向かうと、ノブを掴んだところで後ろからその手を押さえられました。

 密着した体勢に、私は顔をしかめて怒鳴り声を堪えます。


「……離してください。人を呼びますよ」

「それは困る」

「困ると理解できただけ上等ですね。では離れてください」

「嫌だ。少しは話を聞け」


 いらっときました。

 ああそうです、これが正常な状態です。思い出しました。私はこの人にものすごく腹を立てていたのでした。

 この人も大概しつこいです。思わせぶりな言動は一切していなかったはずなのに、どうしてこんなに揺るがないんでしょう。腹立たしい。

 ゆっくりと息を吐き切ると、私は遠慮なく彼の足を踵で踏みつけました。

 短く声をくぐもらせ、ギルバート王子が手を離します。

 押しのけるようにして振り返り、私は鉄壁の笑顔で告げました。


「死なないうちに帰国なさい。これは忠告です」







 ラクイラの王子に毒が盛られた。

 私が告げた言葉に、執務室に呼ばれた部下の視線は、他でもないサキに集まりました。


「……念のため申し上げますけれど。わたくしではありませんわよ?」

「ええ、それはもちろん。食事に混ぜたら変色して判明したらしいですからね。かなり間の抜けた話です」


 さて、このお間抜けぶりは、誰かを思い起こさせるものがあります。

 にっこりと笑みを浮かべた私に、彼らは推測を同じくしたようでした。


「目下ギルバート王子にこれほど安直な攻撃を行う人物は、私の予想では一人くらいしか思い当たりませんね。いかがです?」

「まさか……あの無能……!」


 サキが怒りで蒼白になりながら吐き捨てました。

 もちろん、その怒りはギルバート王子に毒を盛ったことに向けられたものではないでしょう。

 次期皇配の筆頭候補である、総神官長の子息。その無駄に秀麗な容姿を思い浮かべ、私は冷ややかに笑みを深めました。


「……ライクラの件も同一犯だとお考えですのね」

「仮に彼が首謀者であれば、目的は私をラクイラから引き離すことですからね。結果は上々。味をしめて同じ手を使ったのだとすれば、いかにもあの人らしい話です」


 そして、かなり無謀な計画です。

 その無謀を行えるだけの準備を、彼だけで整えられたはずがありません。


「おそらく第二神官長も何らかの形で関与しているはずです。マヒト卿自身は気づいていないでしょうが――」


 そのとき、扉が忙しなく鳴りました。

 呼び出しに不在であったレキが、険しい表情で現れます。

 彼が告げたのは、この上ない凶報でした。


「星下。……第六神官長リョウイツ卿が、軍の査問に掛けられる見通しです」

「な……!」


 予想外の事態に、私は声を失いました。

 軍の査問は裁判に等しいもの。つまりこれは、皇国の中枢を担う有力者が吊し上げに遭うということです。

 脳裏で瞬く間に様々な情報が結びついていきます。

 細々しい妨害と時間稼ぎ。

 総神官長令息の利用。

 第二神官長派の対応の鈍さ――それらはすべて、これを待っていたのです。


 血が冷えるような息苦しさを覚え、唇に親指を押し当てました。


「嫌疑は何です?」

「エレンピア戦役における無認可術式の使用です。人体を媒介にした大規模転移で、被術者の三割が死亡しました。戦死と報告されていた為、虚偽報告でも問責の可能性があります」


 無感動に並べられた情報は、偽造ではなく事実でしょう。

 エレンピア戦役は西部紛争で最大の被害を出した戦闘です。三十年ほど前、猊下が即位なさる前。建国期を除けば最も皇国が不安定になった時期です。

 しかしそれでも、内容が悪すぎます。査問にかけられれば、第六神官長の失脚は免れ得ません。


「……第二神官長がこの査問に関与した可能性は?」

「何らかの利益供与が約束されているのは確かです。……おそらく、権限譲渡の関係かと」


 大甥が衛士であることからもわかるように、第二神官長は衛府へ強い影響力を持っています。軍との取引があったとすれば腑に落ちる。――それにしても、失態です。

 衛府と軍部はその役割の近さから当然のように犬猿の仲です。第二神官長が軍の方を動かしたことは、まさに想定外でした。だからこそ、動きを察知できなかったのです。完全に裏を掻かれました。

 私は苛立ちを押さえるため、意識してゆっくりと息を吐きました。


「……やられましたね……甘く見ていました。目的は保身じゃない。総神官長の椅子です」


 静まり返った執務室を、驚愕が支配した。


「まさか……! あの腹黒丸リスが、まだ諦めていなかったと……」

「諦めていないどころか年単位で準備を整えてきたようですね。現に、マヒト卿の従者は現総神官長の就任後にシュクリ家に入り込んでいます。そうですね?」


 調査に当たった神官が苦い顔で肯きます。それを知った時点で、もっと深い目論見があることに気づくべきでした。

 先の総神官長が席を辞した際、候補となったのは現総神官長と第二神官長の二人でした。年若く神后の信任篤い神官が総神官長となった時点で、高齢である第二神官長がその椅子に座る可能性はほぼなくなっていました。

 例外を起こすにはいくつかの条件が必要です。

 一つは総神官長が失脚すること。

 さらに、その場合神后に指名される可能性の高い、第六神官長リョウイツが忌避される、または指名を辞退する状況であること。

 そして、残る神官長の支持を得ること。

 第二神官長がそれらを力ずくで実現しようとしている理由は、私が第二神官長を引き落としにかかったためでしょう。


 守るのではなく、攻めに出たということです。

 第六神官長の軍法違反、総神官長子息の次期神后への傷害に比べれば、第二神官長の容疑はたかだか収賄。おそらく秘密裏のうちに不問となる。

 理屈の上ではそうでしょうが、大胆どころの騒ぎではありません。暴挙です。


「レキ。猶予は何日です?」

「長くとも三日ほどかと」

「全面的に抵抗します。今リョウイツ卿を失うわけにはいきません。レキを中心に、事件関係者の確保を。当時の正確な状況を把握してください。サキは査問内容を再検討。緊急避難でも戦時特例でも管轄移送でも何でも構いません。なんとしても査問を回避させます」


 この状況を打開するには、裏口でも邪道でも何らかの抜け道を作り出すしかありません。

 侍従二人にそれぞれ対策チームを組ませ、思いつく限りの指示を飛ばしました。


「査問委員会の抱き込みも一応試みてください。リョウイツ卿とは一度直接話しておきたいですね……こちらから内密に出向きましょう。おそらく軍の監視がついていますから」

「すぐに手筈を整えます。マヒト卿の件はいかがなさいますか?」

「皇配に指名します」


 短い返答に、慌ただしくなっていたはずの空気が凍りつきました。


「……え? あの、今なんと」

「マヒト=シュクリを皇配に定めます」


 サキが大きく目を瞠りました。

 レキを始めとする他の神官も、半ば愕然とこちらを見ています。


「嫌です!」


 真っ先に我に返ったサキが、真っ赤になって叫びました。

 思わず吹き出してしまいました。緊迫した空気はどこへ行ったのでしょう、ちょっとツボに入ってしまって、苦しいくらいなんですが。


「……は、反対を通り越して、嫌ときましたか……」

「星下に毒を盛るような阿呆ですのよ!? 冗談ではありませんわ! 皆、何を黙っているんですの! 嫌でしょう!? 嫌なら挙手!」

「えーと……サキ、とりあえず落ち着いてー」

「そりゃ嬉しくはないけどな。星下にもお考えがあってのことで……」

「ああもうっ! アヤリ様の夫があれでいいとでも!?」


 レキが眉間に深いシワを寄せ、ため息を吐きました。


「……少し黙ってくれないか。話が混乱する」

「なんですって!?」


 必死になってくれるサキには申し訳ないのですが、確かに話が進みません。

 私は苦笑して頷きました。


「優先順位の問題ですよ。総神官長もまた、今失うわけにはいかない人物です。これが一番手っ取り早い方法です」

「ですけれど! 他にも方法が……!」

「これ以上時間も人も割けません。聞き分けてください、サキ」


 きっぱりとした命令に、サキは顔を歪めながらも口をつぐみました。


「もともと第一候補でしたし、ある意味予定通りです。そう悲観的になることはないですよ。幸い、後継にはあてがありますしね」


 冗談めかして肩を竦めると、レキがほんのわずか顔をしかめました。表現方法が違うだけで、やはり彼も諸手を上げて賛成してはいないようです。

 猊下に上奏して罷免を求める方法もありますが、猊下と私では手法が異なります。総神官長は守られるでしょうが、第二神官長の失脚もまた機を失うでしょう。それは私の本意でありません。

 近々のうちに第二神官長をその座から蹴落とすためには、これしかない。

 今が手札を切るときです。


「まあ、せいぜい上手く飼い殺しますよ。図に乗って厄介事になるようなら、そのときはヒナに頼みましょうか」


 ソファに腹這いになって話を聞き流していたヒナが、ぱっと顔を上げました。


「せーか、いいの?」

「ええ。ただし、私が行けと言うまでは動かないように。いいですね」


 ヒナは両肘をついて顎を支え、なんだとばかり、眠たげな顔で肯きました。

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