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「嬉しそうに言うのはいかがなものでしょうね」



 新関数の採用で、転移陣の所要時間は大幅に短縮されました。

 南方へは片道一日もかからないというのだから、便利になったものです。


 出がけに連絡を入れただけで、ほぼ電撃訪問となったフォーリの王城。

 隠し切れない混乱の中で、フィフィナ姫は可憐な笑顔で私を出迎えましたが――人払いをすませて二人きりになるや否や、肩を掴んで詰問に入りました。


「……いきなり訪ねてくるなんて、一体何の嫌がらせなの!?」

「心外です。わたしたちおともだちじゃないですか」

「いつ誰が誰と友達になったの!」

「まあまあ。血縁のよしみというものですよ。お元気そうでなによりです」


 色々あってやつれているかもしれないと思っていたのですが、これだけ猫をかぶりつつ怒ることができるなら大丈夫でしょう。つい軽口を叩いてしまう程度には安心しました。

 姫君は細い指で眉間を押さえ、ソファに沈むようにしてため息を吐きました。


「……わたしの立場も考えて欲しいわ。お兄様がまた神経を尖らせるじゃない」

「あれ、継承争い中でしたっけ」

「わたしには継承権も、そのつもりもないわ。だから妙な疑いを持たせたくないのよ。わかったらお兄様に挨拶くらいしていって」


 なるほど、突然会いに来ただけでなく人払いつきとなれば、疑心暗鬼の材料は満載です。

 後のフォローを約束して、本題を切り出しました。


「ところであなた、どこぞの王子に余計なことを言ってませんか?」

「ギルバート王子に? 余計なことって何よ」

「余計なことは余計なことです」

「あなたが彼を好」

「きじゃないです確実に。誤解といったら誤解ですからそれ以上は不要です」

「……あなたも強情ね」


 思案げに唇に触れたフィフィナ姫は、ふと美しい微笑をたたえて小首を傾げました。


「ああ、そうだわ。追いかけないのとは訊いたかしら」

「煽ってるじゃないですか!」

「動揺してくれて嬉しいわ。あなたがどうこうという話は言っていないわよ。……だけどあの分なら、そのうち本当に神殿まで押しかけるでしょうね。覚悟しておくといいわ」

「……そのうちどころか、もう来てます」

「え?」


 フィフィナ姫は空色の目を瞠り、ついで思案げに口元を押さえました。

 まだここまでは話が届いていませんか。まあ楽しい話でもないので、あまり広まっていても面白くはありません。

 私は深々と息を吐きました。


「既に押しかけてきています。あそこまで馬鹿だとは思いませんでした」

「……あなた、本気であの人を馬鹿だと思ってるの?」


 しまった。相手は恋する乙女でした。

 まずかったかなと思って姫君を見ると、予想外にも怒った様子はありません。彼女は伏目がちに、柳眉を寄せて考え込んでいました。


「何か、あるのではないかしら。今追いかけても無理だろうって、そう言っていたのよ。ふっ切れたみたいに。だから、わたしは……」


 はたと気が付いたように、姫君は決まり悪げな色をのぞかせて私を見ました。

 そういえば、私は彼女の恋敵だったのです。心中穏やかではないでしょうが、だからってなぜにギルバート王子を煽りますか。理解できません。

 視線を逸らせ、フィフィナ姫は愁うようなため息をこぼします。

 とても美しいその横顔には、どこか、穏やかな諦観が漂っていました。


「……あなたは国のためだろうと言ったけれど、わたしは、あの人が欲しかったの。ずっとあの人のものになりたかったのよ。どうしたら叶うか懸命になって、一番良い方法を選んだつもりだったけど……きっと、間違えてしまったんだわ」

「……あの人に見る目がないだけだと思いますけど」

「違うわ。だって、わたしだってどこかで思っていたんだもの。わたしが一番あの人の王妃にふさわしいって、だからわたしを選んで欲しいって。周囲も口を揃えて同じことを言ったわ。……そんな風に上から押しつけられたら、あの人は嫌がるだけだっていうのにね」


 少女のような苦笑を見せ、姫君は肩をすくめます。

 抱きしめたくなるくらい、透明で、綺麗な笑顔でした。


「でも、もういいの。伝えたかったことは、全部受け取ってくれたから。あとは、恋敵が嫌な顔をするのを楽しむだけね」

「いやいやいや待ってください、諦めないでください。困ります。主に私が」

「ええ、大いに困ってくださる? 星下(せいか)

「くっ……そんなこと言うと、次の〈星〉にあなたの娘を指名しますよ!」


 くやしまぎれに言い返すと、彼女があっけに取られた顔で私を見ました。

 その美貌が、一息に怒気で染まります。


「馬鹿言わないで! あげないわよ、自分でちゃんと産みなさい!」

「夫の筆頭候補が大コケした直後なんですよ。もう政治取引優先で選ぶので、ろくな相手になりそうにないんですよね。というわけで頑張って有能な美人を生産してください。ばっちりこちらで教育しますからどうぞご心配なく。神殿の教師陣は優秀です」

「あげないって言ってるでしょう!?」




 出立の時間ぎりぎりまでそんな不毛な言い争いを繰り広げ、私はあわただしく転移陣から神殿へ戻りました。


 ……あれ、どうでもいいような話で喧々諤々やってしまったせいで何か忘れているような。何でしたっけ。

 長い廊下を歩きながら考え込んでいた私は、ようやくそれを拾い上げて諸手を打ちました。


 そう、ギルバート王子の件ですね。なんだかあの人のことは存在を意識から抹消したいと言う無意識が働いているせいか、どうも思考が鈍くなってしまっているような気がします。むしろ迂回して退避していると言った方が正しいかもしれません。

 まあとりあえず、それはどうでもいいです。少なくとも私の仕事に関わってくるようなことではないでしょうし、取沙汰するような重要な話だとも思えません。

 この件が終わってまだ神殿にいたら、ちょっと真剣に考えますけど。追い出す方を。


 転移の所要時間は正確に予測することができないため、転移場には備え付けの控え室があります。

 のんびり本を読んでいた部下の神官が、私の到着に気づいて腰を上げました。


「お帰りなさいませ星下(せいか)。お顔を見るに楽しかった感じですか。ですね。眉間に皺ないですし」


 訥々と無表情に自己完結するので、笑ってしまいました。

 つくづく私の部下は変わり種が多いですね。実に多様性に富んでいます。


「ええ。いい気分転換になりました」

「そうですか。なによりです」

「打てば響く反応をしてくれるから、楽しいんですよね。普段が完璧なだけ崩れたところが面白いというか……あれ、どうしました?」

「同属嫌悪の対義語を考えたり考えなかったりしてます。さておきご機嫌の麗しいところで、星下。ギルバート王子に会ってさしあげませんか」

「はい?」


 虚を突かれて振り返れば、彼女は飄々と首をすくめてみせました。


「何だか色んな人に聞かれてるんですよねえ。女官とか衛士とか神官とか。なんで会ってあげないのという同情がかなりの割合です。いかがでしょ、一度くらい会ってさしあげては」

「お断りです。話は終わっていますから」

「えー」


 ヒナのような不平を聞き流した私は、ふと、緩やかに足を止めました。

 回廊の向こうには整えられた庭があります。北棟沿いに整然と並んだ木の上に、当のヒナの姿を見つけたのです。

 サキが見ればまた血圧を上げそうですね。ですが、問題はそこではなく――頭上のヒナを見上げる、見覚えのない男の姿でした。

 声までは聞こえませんが、何かを熱心に話しかけているようです。


「……うわあ、ヒナ? あれは密会ですか。密会ですね。どうしましょう星下(せいか)

「嬉しそうに言うのはいかがなものでしょうね」

「何をおっしゃいます。ほら、こんなにも無表情」


 その通りではあるのですが、どうにも(ひょう)げた印象です。まったく。


 さておき、これは今に始まったことではありません。ヒナが私の庇護下にあるということは、神殿内で公然の秘密となっているのです。

 今ひとつ判断基準のはっきりしない子なので、取り入ろうとする、あるいは利用しようとする人間は後を絶ちません。サキがやたらとあの子を排除したがるのも、同じ理由ですね。不確定要素を取り除いておきたいという気持ちは理解できます。


「それはともかく。どういたしましょうか星下」

「あの男性の身元は抑えておいてください。とりあえずは、それだけでいいです」

「はい、委細承知いたしました」


 軽妙なトーンで部下が答え、話はそれで終わりになりました。

 なにしろ、面倒な相手と行き会ったので。


 従者を従えたマヒト卿は笑みを浮かべ、何の迷いもなく歩み寄ってきました。


「やあ、アヤリ姫。偶然とはいえ、会えて嬉しいよ」

「それはどうも」


 適当に応じながら、私は彼の従者に目をやりました。

 常に影のように付き従っている、壮年の男性です。少々痩せぎすですが、これといった特徴がありません。

 ――第二神官長が手駒を潜らせているとすれば、この辺りでしょう。


「何かご用ですか? 先日の話なら、蒸し返しても結論は変わりませんが」

「いや。……あの男の事だ」


 吐き捨てるような口調です。

 私は呆れ混じりにそれを咎めました。


「どなたの事でしょう。ラクイラの王子なら、その呼び方はいささか問題がありますよ」

「……あいつは、一体何なんだ?」

「見ての通り、ただの馬鹿です」

「ずいぶん辛辣だ。君らしくもない。……だから気になるのさ」


 思わず眉間を押さえてしまいます。

 どうして誰も彼も、そんなにあの王子を気にかけるのでしょう。


「……それが私の個人的興味を疑ってのものなら、気にしても意味はないと思いますが。あれでもラクイラの第一位王位継承権者です」

「彼が王位を捨てたとしてもかい?」

「馬鹿馬鹿しすぎて考えたくもないことですが、もしそうなったら軽蔑しますね。さらに付け加えるなら、彼のような何の利益もない相手を選ぶことはありません。これで満足ですか? では失礼」


 そのまま通り過ぎようとしましたが、急に視界が反転しました。

 目の前にマヒトの顔が迫ります。腕を回して、ほとんど抱き竦めるように壁に押しつけられ、天を仰ぎたい気分になりました。


「マヒト卿……」

「話はまだ終わってないよ」


 ささやくような声が至近距離から降ってきました。

 まるきり迫られている構図です。

 とりあえずそこの部下は「わお」とか無感動に言っていないで止めに入るべきです。後で説教です。


「君は、自覚がないのかい? 自分がどんな目をしているのか」

「殺気なら込めた覚えはありますが。邪推で目が曇っているんじゃないですか」


 マヒト卿の顔立ちは秀麗なものですが、距離が近すぎて張り倒したくなります。

 根掘り葉掘り続けられるのは不愉快だったので、話の矛先を変えました。


「私からもひとつ質問があります。あなた、皇配になったらどうしたいんですか?」

「……どういう意味だい?」

「そのままです。なって終わりではありませんから。これから数十年、どんな立ち位置で何をしたいか、具体的な考えがあれば教えてください」

「それは……」


 困惑を映す碧眼に、首を傾げてみせました。

 歴史的に様々な利用をされてきたため、皇配には定められた役目というものがありません。たとえば私の父は皇配となる前もなった後も変わらず一司書として神殿図書館に勤めていますし、キリルアル公のように軟禁状態で生涯を過ごした人物もいます。

 しばらく待ってみましたが、答えが返る様子はありません。

 うまく宿題を受け取っていただけたようで、なによりです。


「では、次は答えが出たら来てください。参考にします」


 マヒト卿の腕を押しのけ、私は彼の従者に目を向けました。

 微動だにしない男は、わずかに目礼を返します。


「あなたも苦労しますね。胃痛がひどいようなら転職先を紹介しますよ?」

「お心のみ頂戴いたします。私はシュクリ家に恩義がございますので、生涯この身を捧げると決めております」

「素晴らしい忠節ですね。何よりです」


 熱のない忠誠です。まあ、そういう人もいるでしょうが――彼は果たして、そんな種類の人間なのでしょうか。

 私は冷ややかに肩をすくめ、回廊を後にしました。


 冷たい廊下に硬質な足音が響きます。

 神殿の中央館に入った頃、部下が不思議そうに訊ねてきました。


「あの従者がどうかなさいましたか星下(せいか)。ただの八つ当たりじゃあないですよね。冷静ですし」

「やたらと恩を強調する人間は信用しないことにしているんです。すでにシュクリ家に入りこんでいるわけですから、簡単にぼろを出すとは思いませんが……彼の方を優先的に調べてください」

「はい、了解いたしました。あとあそこまできっぱり言っちゃうと、かえってギルバート殿下のこと意識してるっぽいですよ星下」


 いきなり蒸し返された話題を、私は青筋を立てそうになりながら黙殺しました。

 眉間の皺を指先で伸ばしつつ執務室に戻ると、少し遅れて、サキが戻ってきました。


「アヤリ様。第六神官長リョウイツ卿より、例の件について賛同をご確約いただきました」


 私は思わず、右拳を握り締めました。


「……よくやってくれました!」


 手放しの賞賛に、サキは頬を染めて誇らしげに微笑みました。

 期待以上の成果です。政争ではそのほとんどにおいて中立を保ってきた第六神官長の支持。これで、情勢は大きくこちらに傾きました。

 確実に第二神官長を追い落とすためには、監査室が汚職を訴追する前に彼が権勢を失っていることが必要です。つまり、順序が逆になるのです。

 〈神后〉と違い、〈星〉に神官長の罷免権はありません。あくまで位階は同格なのです。訴追を待たず解任の決議を可決するには、第二神官長派を切り崩すだけではなく、他派の票をも得なければなりません。

 カードが出揃ってきました。

 胸を高鳴らせる高揚感に、私は会心の笑みを浮かべます。


「レキ、監査院を動かしてください。サキは第二神官長派の動きに注意を。特に衛府と運輸局を押さえておいてください。様子の変転があればすぐに報告を。――彼にはそろそろ、つけを清算していただきます」

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