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「程度が限度を超えてます!」

今回はギルバートサイドの三人称です。







 神殿の敷地内は広く、衛士の訓練場もその塀の中にあった。衛府は神殿のみならず神都の安全を守る存在だ。当然、日々の訓練も熱のあるものだったが、この日はさらに妙な盛り上がりを見せていた。

 一瞬で懐に踏み込んだギルバートの剣が鋭い突きを繰り出す。

 喉を狙ったそれを紙一重で避け、少壮の衛士――第二神官長の縁戚であるダイカは、密かに冷や汗をかきながら距離を取った。

 単なる手合わせにはそぐわない攻撃だ。


「おいおい……今何か殺気を感じたぞ」

「込めたからな」

「込めたのか!」


 畏まらない対等な物言いは、ギルバートに請われてのものだ。「隊長だらしねぇ」「やっちまえ!」だのと好き勝手に囃したてる周囲に睨みをきかせ、彼は困惑ぎみに問いかけた。


「待て待て、俺に何の恨みがあるんだ。身に覚えがないんだが」

「見合いに行ったんだろう?」


 ――それ以上は聞くまでもない。

 彼が大叔父に命じられて《星》の元に赴いたのは、つい先日のことだ。

 顔色をなくしたダイカに、ギルバートは木刀を構えたまま言った。


「不公平だな。俺が書いた拝謁請願の枚数を考えると、八つ当たりのひとつもしたくなる」


 口調は平然としているが、構えに隙はない。

 獅子王の息子たる眼光に剣呑な色を見て、ダイカはあわてた声を上げた。


「いや待て、誤解だ! すぐに断ったし大体あれは本家に強要されて――」

「そうですよー王子ー、隊長には最愛の恋人がいるんですって」

「そうそう。にっこり笑顔でプロポーズを聞き流す十年来の恋人が」

「お前らちょっと黙ってろ!」


 隊長が部下を怒鳴りつけたとき、それ以上の癇癪が訓練場の空気を震わせた。


「なんじゃ、ギー! いつまでこんなところで遊んどるつもりか!」


 渡り廊下から身を乗り出しているのは、図書府の老司書長だ。

 構えをといた王子に、彼は湯気を立てんばかりの勢いで急き立てた。


「おぬしが貴書を見たいと言うから猊下に許可をいただいたんじゃぞ。とっとと来んか!」

「今行く」

「走って来るんじゃ! いいな!」


 肩をすくめて借り物の木刀を返すと、ダイカが苦笑を向けた。


「……図書館の化石爺さんがここまで出てくるとはな。どうやって懐柔したんだ?」

「何もしてない。怒鳴られてるくらいだ」

「どう見ても気に入られてる。早く行ったほうがいい」


 ギルバートは布を受け取り、またいつでも来いという声に送られて訓練場を後にした。

 特に時間を約束していたわけではないが、相手は痺れを切らしているらしい。

 リドを連れて足早に図書館へ向かう途中、出会った女官がにこにこと声をかけてきた。


「あら、ギルバート王子、ちょうどいいところに。厨房からおすそわけですわ」


 包みの中身は南方風の焼菓子だった。全て半分に割られているのは毒見のためだろう。

 礼を言って女官と別れたギルバートが、一つつまみながら包みをリドに差し出す。胃の弱い従者は行儀の悪さをたしなめる気力もなく、ぐったりと答えた。


「……僕、殿下のことを甘く見ていた気がします……」

「なんだ突然」

「国元ならわかるんですよ、でもまさか神殿でまでこんなに引っ張りだこになるなんて……もしかして誘蛾灯みたいに何か妙なものでも放出してるんじゃ」

「単に物珍しいだけだろう」

「程度が限度を超えてます!」


 リドの悲鳴を聞き流し、ギルバートは焼き菓子をもう一つ頬張った。大麦が多いのか、さくさくして香ばしい。


「まあ好都合だな。目立つ方がいい」

「そ……それはそうなんですが……でも、もし 星下(せいか)のお怒りに触れたら、別の意味で命の危険が……!」

「そっちは大丈夫だろう。昨日あわてて止めに来てたからな」

「って、あれそっち関係だったんですか!?」


 幼い少女が引き起こした騒動を思い出し、リドが顔色を変えた。被害が出たのは部屋の調度品だけだったが、実に楽しげに襲撃してきた幼子の姿は印象が強いにもほどがある。

 あのとき割って入ったのは、神殿にきて早々に会った《星》の侍従だった。単なる手違いだろう。

 ――少なくとも、今のところは。


 神殿内にはいくつかの図書館がある。招かれたのはその内のもっとも大きなものの、さらに特別な場所だった。

 図書館に足を踏み入れたとたん、静まり返った館内に怒声がとどろいた。


「遅い、遅いぞ! 待ちくたびれたわ!」

「すまん。これでも急いだんだが」

「その手の菓子はなんじゃ!」


 菓子を手に現れたギルバートに老司書長はひとしきり癇癪を起こし、のらくらと応じるギルバートに根負けして菓子を数個受け取ると、ぶつくさ言いながら重い扉の鍵を開けた。

 神殿の建築は尖塔と丸天井が特徴だ。神殿図書館の特別書庫は地下にありながら採光を凝らしたつくりになっており、白と青を基調にした文様が日の光に映えた。

 物珍しげに天井を見上げるギルバートに、司書長がふと、思い出したように言った。


「そういえば、おぬし、星下(せいか)を怒らせたらしいの」


 軽く目を瞠り、ギルバートは首裏を掻いた。


「初めて指摘されたぞ。てっきり緘口令でも敷かれているのかと思った」

「徹底して『なかったこと』にされとるからのう。こりゃ嫌われたぞ、おぬし」


 渋面になったギルバートに、老司書長はにやにやと人の悪い笑みを見せた。


「……失敗した。普通にしようとしたんだが」

「そりゃ日ごろの行いじゃろ」

「僕も同感です……あんな言い方をなさるからですよ。恐ろしくて死ぬかと思いました」


 自分の従者までしみじみと同調するので、ギルバートは憮然とした。実際に初っ端から予定外の行動に出てしまったので、反論の余地がない。

 アヤリが腕を掴まれたのを見て、思わず動いてしまったのだ。そして案の定逆鱗に触れた。ただでさえ怒らせる要素が山ほどあっただけに、もはや印象は地の底だろう。

 ――怒らせるだろうとは、実のところ思っていた。

 予想はしていたのだ。それでも、目の当たりにすると厳しいものがある。


「さっさと言い訳のひとつもしてくりゃよかろ。痴話喧嘩は男が折れんと終わらんわ」

「話すどころか顔も合わせてない」

「……相手が悪かったのう」


 黙りこんだギルバートに老司書長は首をすくめ、書棚から一冊の本を探してきた。


「それだけ意識しとるんじゃ。そう気を落とすな。そら、これならおぬしでも読めよう」


 ぞんざいな口調と裏腹の丁寧な手つきで、老司書長は一冊の本を長机のビロードへ乗せた。装丁からしていかにも古い。素手で触ろうとしたギルバートに雷のような怒鳴り声が落ちたとき、若い司書があわてた様子で扉口に現れた。

 老司書長の怒声がそちらへ向かう。


「なんじゃ、おぬしが入っていい場所ではないぞ!」

「も、申し訳ありません。あの……」


 言いよどむ司書の後ろから、一人の女が姿を見せた。

 リドがひくりと息を呑む。

 〈星〉の侍従は、華やかな美貌に剣呑な笑みを履いて、ラクイラの王子を睥睨した。


「恥知らずの顔を見に来ましてよ?」


 この上ない直截的な皮肉に、リドが青ざめた顔をひきつらせる。

 ギルバートは彼女の殺気を受け、憮然と唇を結んだ。


「はっきり言ってくれたな」

「あら、自覚はありますのね。驚きましたわ。では今すぐにでも帰国なさってはいかが? かなうなら力ずくで叩き出したいところですけれど……どうやって猊下に取り入ったのか、ぜひお教えいただきたいわ」

「取り入った覚えはないし、あいつの邪魔をしに来たわけでもない」


 ためらいのない言葉に、サキがわずかに眉を寄せた。

 抜き身の刃のような視線を、ギルバートは退かずに見返す。


「……あなたが居座ることが、星下の利益になるとでも?」

「そのためにここにいる」


 肌を刺すような沈黙の中で睨み合う。

 空気が摩擦で熱を持ちそうなほどの強さに、リドが胃を押さえて唾を飲んだ。

 目を外したのは、サキが先だった。

 優美に神官衣の裾を翻して半身を返す。ちらりと衛士を見やり、冷徹な声で彼女は言い残した。


「……広言も大概にすることね。よく覚えておおきなさい。わたくしはあの方の敵を排除するのに、何の躊躇もなくてよ」


 静かに閉じられた扉を眺め、老司書長がゆるゆると息を吐いた。


「……肝が太いのう。気をつけい、あやつは星下を妄信しておるからの。下手をすると本気で消されかねんわ」

「もうとっても殺気立ってましたよ……! だから申し上げたじゃないですか殿下、まずいですって! やっぱりちゃんと釈明したほうが――」

「いい。一応信じただろう」

「そうなんですか!? 今のどの辺りが……」

「勘」

「勘ですか!」


 説明が面倒になって目を伏せ、ぐしゃりと髪を掻き上げた。

 いちいち口にすることを考えなければならないのは面倒で厄介だ。どう考えても向いていない。だが向いていなくても、しなければならないのだ。

 いい機会ですから習得なさってくださいと言ってのけたガルグリッドの無表情を思い出し、ギルバートは苦虫を噛み潰したような気分で天井を仰いだ。

 精緻でありながら大胆な広がりをもつ文様は、どこか迷路めいたものにも見える。

 

 白と青、静謐と深謀。その中で〈星〉は冷然とひとり立つ。

 誰の助けも求めていないような背中が、ひどく遠いものに思えた。

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