「何であなたがここにいるんですか!」
第二神官長の大甥は、こちらが指定した時間ちょうどに現れました。
予想外だったのは、彼がその顔にこの上ない渋面を張り付けていたことです。
ちょっとびっくりです。実直だと評されたとおり、感情を繕うことをしない人のようですね。軍人らしい硬質な空気をまといながら、不本意だと体全体で主張しています。
仏頂面で席に着いたダイカ卿は、開口一番に言いました。
「お目通りを得て光栄ですが、このお話は星下からお断りいただきたく存じます」
「……それはまた。一応理由を聞きましょうか?」
「私には十年来の付き合いの恋人がいます。彼女以外を妻とする気はありません。……それをあの狒々爺、どうせ求婚を断られ続けているだろうなどと言いやがって……!」
本音が思い切り漏れ出ています。
怒りのあまり声を震わせるダイカ卿に、私は呆れ顔を返しました。
私の前だということをすっかり忘れているような気がします。一応、第二神官長の家系は現状政敵となっているのですが。
それはお気の毒にとおざなりな相槌を打つと、彼ははっとしたように咳払いをしました。
「……し、失礼。あまりにも理不尽な目に遭っている気がしまして……」
「十年も求婚を断られているんですか。根気のある話ですね」
「断られているのは七年です!」
「大差ない気がするんですが……そんなに毎度、どうやって断られるんです?」
「にっこり笑顔で聞き流――いや、そろそろご勘弁いただけませんか、星下……!」
ダイカ卿は低く呻いてうなだれました。
膝の上に置かれた拳が屈辱に震えています。これはつついたら相当面白いことになるでしょう。
どうやら第二神官長との関係は良いものではないようですが、果たしてどこまでが真実なのやら。
嘘が下手そうには見える、いかめしい顔つきに目を眇め、私は口元に笑みを佩きました。
「おおよその事情はわかりました。断りますから安心してください」
「……ありがとうございます」
「ああ、少し聞きたいことがあるのでそのままに。お茶でもいかがですか?」
ほっとした様子のダイカ卿に釘をさし、私はサキへ目線を投げました。
サキが心得たように会釈し、手際よくお茶の準備を整えます。
優雅に差し出された紅茶は、紅味の強い色と独特の香りを持つものです。笑顔で勧めると、ダイカ卿は興味深げな顔でカップを持ち上げました。
「変わった香りですね」
「南方のものです。……私がラクイラでいただいたものですよ。イコウ卿も、よくご存知かと思いますが」
「恐縮です」
言葉の端々ににじむ含みに、彼は怪訝そうな顔を見せましたが、ためらう素振りはありません。あっさりとお茶を口に含みました。
……あれ、これは本格的に外れでしょうか。
「いかがですか?」
「……案外、味は普通ですね」
的外れな返答に、思わず失笑してしまいました。
額を支えて笑い出した私に、ダイカ卿はあわててカップを置きます。
「申し訳ありません、こういったものにはとんと疎く……! なにか失礼を」
「ああ、いえ。面白い返答だったので、つい。こちらこそ失礼しました」
彼は神官にならなくて正解でしょう。どうにも朴訥が過ぎます。これであの第二神官長の近縁だというのだから、一体何を取り違えて生まれてきたのか。心底不思議です。
大きく息を吐ききると、私は無感動な笑顔を浮かべて、ダイカ卿を見据えました。
「さて、ここからが本題です。……このお茶に毒が入っていたと言ったら、どうしますか?」
彼はわずかに目を瞠り、予想外な事に顔をしかめてみせました。
「ご冗談を。理由がないでしょう」
「どうでしょう。人が人を害する理由など、些細なことが多いものですよ。私も先日、毒を盛られたところです」
ダイカ卿が顔色を変えます。
ただ、それは追求を恐れる類いのものではなく、驚きと怒りに染まったものでした。
衛府は神殿の警備を担う部署です。そこの大尉であるダイカ卿としては聞き逃せない話だったのでしょう。――これはどうも、外れの公算が高まってきましたね。
「神殿内でのことでしょうか」
「いいえ。ただ、犯人は神殿の者でしょう。……私は目下のところ、あなたの大叔父殿を疑っています」
ここまでの流れで、さすがに予測はついていたのでしょう。
今度は驚きを見せず、ダイカ卿は膝の上で拳を握りました。
「それは……確かなのですか」
「確証は得ていませんがね。信じられませんか?」
「ありえません」
きっぱりとした返答に、私は首を傾げました。
「大叔父は確かに悪辣な人間ですが、それ以上に権威志向の強い人間です。星下を直接害するようなことは考えにくい。もっと回りくどい手をいくらでも考えつくはずです」
……ふむ。一理ありますね。
第二神官長ほど怪しい人間がいないのは確かなのですが、血縁であるダイカ卿のほうが、彼の人となりは理解しているでしょう。彼が権威主義者であることは事実ですから、主観だと切り捨てられない程度には理屈が通ります。
ダイカ卿は両手を組み合わせたまま、厳しい表情で続けました。
「ただ、星下がそうお考えになるからには十分な根拠があるはずです。万一大叔父がそんな暴挙に出たのであれば、衛府の士として断罪しないわけにはいきません。もしご許可頂けるようなら、私の方でも内密に調査を行います」
予想外の提案です。
いえ、正確には、そうなるとしたらもっと違う形で滑り込もうとしてくるだろうと思っていたのですが。
二重スパイの可能性を考慮しながら、私はひとつうなずきました。
「そうですね……お願いしましょうか。どうせ嫌疑をかけていることはばれていますからね。あなたに不利益の及ばない程度でいいですよ」
「ご配慮、感謝いたします」
ダイカ卿は軍人らしく、規律をもって頭を下げました。
その後もいくつか話を詰め、訪れた時とは打って変わった冷静な様子でダイカ卿は部屋を後にしました。
サキが淹れなおしてくれたお茶で喉を潤し、私は紅い水面を見つめます。
どうも第二神官長の考えが読めなくなってきました。
疑いをかけられている事は認識しているでしょう。その上で無関係と思われる血縁を私と引き合わせるとなれば、考えられるのは自分の潔白を証明させようとしていることです。
ダイカ卿はああ言いましたが、私の中で第二神官長はほぼ黒です。ただ、彼が周辺を嗅ぎ回られても困らないと考えているのも確か。
誰を殺して何を消そうが、痕跡を完全に隠すことは不可能です。敵はそこらの神官ではなく、〈星〉であるこの私なのですから。こちらの情報収集力を侮っているわけではないでしょう。
おまけに事実如何に関わらず、こちらは彼を追い込みに入っているのです。
ラクイラの内務卿からは、調査依頼について快諾を貰っています。そのうち裏付けとなるか、別の切り口となる情報が届くことでしょうが、果たしてどう転ぶのやら。
「……なかなか面白い人でしたね。二人はどう見ますか?」
控える侍従に訊ねると、サキが憮然と答えました。
「所詮身内の目ですわ。信頼を置くには足りませんし、イコウ卿への切り札には成り得ませんわね」
「僕は逆に、ダイカ卿の見立てに同意します」
淡々としたレキの発言に、サキは柳眉をつり上げました。
「星下に毒を盛るなどというのはよほどのことです。あの計算高い男がそれほどの危険を侵してまでそんな手段を選ぶかという点には、確かに疑問が残ります」
「うまくやるつもりだったのではなくて?」
「リスクが高すぎる。ギアノ交易がいくら利益になると言っても、一族の命運を賭けるほどの規模とは思えないね。短絡的だ」
「なっ」
どうしてこう、レキはサキ相手だと喧嘩腰の言い方になるのでしょう。
私は苦笑して腰を上げました。
「まあ、使えるものは使いますよ。ちょっと気分転換に散策をしてきます。レキ、付き合ってもらえますか?」
散策の随伴にレキを選んだのは、単に彼が無口だからです。
おまけに気配が薄いので、連れていてもあまり気になりません。考え事にはもってこいの随伴者です。
散歩は半ば二人の言い争いを止める口実だったのですが、斜陽の差し込む廊下をぶらぶらと歩いて庭に出ると、空を染める一面の赤に肩の力が抜けました。
太陽は半分ほど沈んだ頃でしょう。明日もいい天気になりそうです。
空を仰ぐと、丸い雲が夕日に炙られて、黄金色に輝いていました。美しいその色が、感傷を誘います。
まだ半月も経っていないのですが、なんだかラクイラにいたことは、遠い昔のようにも思えました。
あちらはどうなっているでしょう。
フィフィナ姫は今回の件でラクイラ国内に後ろ盾を失ってしまったでしょうから、さすがに手の打ちようがなさそうです。変なところで頑なな人でしたし、潔く身を引いてしまいそうな気がします。
実行犯となった令嬢は、適当な理由を公表して家の爵位を剥奪した旨、ガルグリッド卿から報告がきています。
死罪ではありませんが、彼女にとってはそれと変わらないことかもしれません。爵位を失うということは、領地を失うということです。生まれも育ちも貴族であった人間が平民として生きていけるのかといえば、それは大きな困難が伴うでしょう。開き直って豪商にでも嫁いでいてくれればいいのですが。
――あとは。
飲み込んだ名前に、私は苦い思いで息を吐きました。
夕暮れの空は相変わらず寂寥の滲む赤に染まっています。
いっそ雨でも降っていれば良かったのにと八つ当たりめいた思いを抱いたとき、レキが低く囁きました。
「……星下」
顔を向ければ、美しく整えられた植樹の向こうから、結婚相手の筆頭候補がやってくるところでした。
苛立ちもあらわなその顔を見た瞬間、第二神官長の狙いを理解します。――どうやらこれを挑発する意図もあったようですね。
マヒト卿は整った顔に苛立ちを乗せ、レキを押しのけるようにして私の前に立ちました。
「これはマヒト卿。どうされました?」
「聞いたよ。第二神官長の親族と会ったって? どういうことだい」
「どうもこうも、聞いてのとおりです。申し訳ないのですが、候補はあなただけではないので」
私の返答に、彼は苦々しい顔でかぶりを振りました。
「信じられない……まさか、あんな、ただの衛府の下っ端を選ぶつもりか?」
「いえ、彼は想い合う相手がいるようですからね。こちらからお断りします。……それにしても、もう少し泰然と構えていられないものですか? 軽挙は侮りを生みますよ」
忠告混じりの皮肉に、マヒト卿が秀麗な顔を引きつらせます。
「……君が他の男と会っていると聞けば、不愉快なのは仕方ないだろう?」
「それを私にぶつけられても。恋人ごっこにお付き合いはできかねます」
「ごっこ扱いはひどいな。僕は本気だ。君がつれないだけの話だよ」
「私にとって、結婚は仕事です。甘ったるさを求めるつもりはありませんし、仕事相手に無駄な時間は使いたくありません。あなたが与えることのできる利益を誰よりも優れているとお思いなら、それで十分では?」
彼が筆頭候補であることは現在も揺るぎない事実です。理由は彼自身ではなく、彼の父親である総神官長にあるのですが。
総神官長は有能ですが、婿養子の成り上がりと陰口を叩かれる立場でもあります。おまけに後継者と目される息子があまりに無能なので、その権勢が揺らいでいるところ。息子を皇配として隔離するという方策は〈神后〉としても有効な手段の一つです。それだけの価値が現在の総神官長にはありますし、大きな貸しを作る事で力関係も安定します。
彼が立場を確固たるものにすれば、少なくとも向こう十年は安定した中央政治を行うことができるでしょう。
マヒト卿が皇配の筆頭候補であるのは、そんな理由なのです。生まれる後継まで無能では困りますが、まあ何人かいれば一人くらい私似の子供も生まれるでしょう。彼も見た目は端麗なので、その容姿だけ受け継がれたら完璧です。
ですがやはり、それはなかなかのリスクを伴う選択です。万一無能しか生まれなかったら、本気で目も当てられません。
――あ、そのときはフィフィナ姫のお子さんを〈星〉に指名しましょうか。
案外いい考えかもしれません。彼女に似た聡明な美人が生まれることを期待したいところです。実際やったら、かなり怒られるでしょうが。
いい加減な算段をつらつら考えていると、マヒト卿は苛立ったように目を眇めました。
「……だとしたら、他を検討する必要などないだろう。僕を選べば全て解決する。そうじゃないか?」
「こちらにも色々と考えがあるんですよ。大人しく待っていてください。結果はじきにお伝えします」
肩をすくめて彼の横を通り過ぎたとき、左腕を掴まれました。
不意を突かれました。――いやちょっと、加減してないでしょう、結構本気で痛いですよ!
ですが、それを顔に出すのは、ものすごく癪です。
何だってレキは静観しているのでしょう。顔をしかめて口を開いたとき、唐突に、マヒト卿の手が離れました。
「気安く触るな」
無遠慮な声。
マヒト卿の手を捻り上げた人の姿を、私は唖然として見上げます。
生まれてこのかた受けたことがないであろう扱いに、マヒト卿がうろたえて怒鳴りました。
「な……なにをするんだ! 僕が誰だかわかっているのか!?」
「知らん。誰だ」
――ちょっと。
ちょっと待ってください。ありえないんですが。国賓級の人間の訪問を私が把握していないなんて、あってはならない事態なのですが。
何で、この人が、ここに。
「……何であなたがここにいるんですか!」
マヒト卿が、ぎょっとしたように私を見ます。
思わず声を上げた私に、ラクイラの王子は殴りたくなるほどしれっとした顔で答えました。
「何って。会いに来た」
抜け抜けと言い放たれた言葉に、瞬間、声を失いました。
あまりにも平然とした態度が、神経を逆撫でます。
怒鳴りたい気持ちを押さえ、私は彼を睨みました。
「……諦めろと言ったはずですが?」
「忘れろとは聞いた気がする。嫌だと言ったが」
瞬間、殺意を覚えました。
こういうものかと実感してしまうほどにはっきりと、それは殺意と呼ばれるものでした。生まれて初めての感情です。これまでどんな政敵にも抱いたことはなかった強さに、危うく我を忘れそうになったほどです。
表情を消して沈黙した私に何を感じ取ったのか、マヒト卿がたじろいで後退ります。
私は、抑揚のない声で侍従を呼びました。
「……レキ」
「かしこまりました」
それまで控えていたレキが、すっと私の前に出ます。
立ち去ろうとした私をギルバート王子が呼び止めましたが、話を聞く気などありません。
半身残して、私は射抜くような視線を返しました。
「ギルバート王子。神殿は各々の立入許可区域を厳格に定めています。改めて説明させますので、滞在中は遵守なさるよう。ここはあなたの国ではありません。下手に動けば母国に害を及ぼすことを、よく覚えておくべきでしょう」
斬りつけるような敵意に王子が言葉を飲みます。
踵を返した私は、怒りの赴くまま猊下の執務室に足を向けました。
腹立たしいのか悲しいのか分かりません。あの人がここまで馬鹿だとは思いませんでした。
あの夜の勢いだけなら許容できました。感情に流されてこぼれ出た言葉だけなら、思いそのものを否定しようとは思いませんでした。
けれど、それとこれとは話が違います。
こんな真似をするとは思いにも寄りませんでした。何も考えていないのだとしたら最低です。
一体何をしたくて追いかけてきたのか。私に王妃になれとでも? それとも自分が国を捨てると? どちらもありえない話です。
あの人は、自分の国を何だと思っているんでしょう。王となる存在として彼を買っていただけに、裏切られたような感情を抱きました。
衛士が私に気づき、慇懃に礼をして迎えます。
すぐに猊下に取り次がれ、私は執務室へ招かれました。
猊下はペンを手にしたまま艶やかな髪を払い、眉を上げて私をご覧になります。
「どうした。先触れをよこさぬとは珍しい」
「ご説明いただけますか、猊下。どのようなご貴慮です?」
冷えすぎて凍らんばかりの声でお訊ねしたところ、猊下は肘をついて、嫣然と微笑まれました。
「さて、何の話だ?」
「ギルバート王子の訪問を私に伏せさせましたね。なぜそんな無意味で傍迷惑なことをなさるのか納得の行くようご説明ください、この場で今すぐ!」
「ふむ。何か知っているか、シン?」
「いいえ、預かり知らぬことでございます」
白々とした猊下と侍従のやり取りに、また頭に血が上りそうになりました。
他にいるはずがないのです。猊下を措いては、それができる人間など誰もいません。
苛立ちに目を眇める私に、猊下はくつくつと笑い声をこぼされました。
「そなたらしくもない。何をそう怒ることがある? その気がなければそう言ってやればよかろう」
「断りましたよ、これ以上ないほどはっきりと! なのに追いかけてくるって一体どういう神経なんですか!」
「それはそれは。肝の太い小僧だな」
猊下は愉快げに黒曜石の目を細められましたが、私にとっては一片たりとも面白い話ではありません。
怒りにまかせてその美貌を睨むと、猊下は嫣然と仰いました。
「ラクイラより頼まれてな。しばらくは滞在を許すことにした」
「な……」
「縁談を断ったのであれば、それでよかろう? 無理に顔を合わせろとは言わぬ。放っておけ」
ある意味での譲歩に、私は思い切り憮然とした顔を返しました。
まだ何か企んでおられる気がします。単に面白いからなどという理由で、この方がこんな厄介ごとを招き入れるはずがありません。
猊下が噛んでおられるとなれば、私が勝手に彼を追い出すことはできないのです。この様子では翻意を期待することもできないでしょう。余計に腹立たしさが増します。
ギルバート王子一人でここまでうまく周辺を整えられるはずはありません。まさかとは思いますが、ガルグリッド卿が手を貸したか……いえ、ありえませんね。王妃辺りでしょうか。いずれにせよ余計な真似をしてくれたものです。
考えるにつけ腹立たしい。ただでさえ忙しいのに、なぜこんなことでイライラしないといけないんですか。
煮えたぎるような内心を押し抱き、私は猊下に一礼しました。
「……承知しました。それでは」
私が辞した執務室の中で、猊下が声を転がしてお笑いになっていることを薄々察しつつ、私は水面下の怒りに周囲を怯えさせながら廊下を歩いていきました。
「あれをあそこまで怒らせるとは。なかなか得がたい才能だな」
そんな猊下のご感想など、幸いなことに知る由もなかったのです。
目に見えるような怒りを漂わせて立ち去った主人に、レキは無表情の下で感嘆した。
話には聞いていたが、これは同僚の苛立ちも理解できる。神殿にはいない種類の人間だ。名高い獅子王がどんな教育方針で息子を育ててきたのか、いささか興味を引かれた。
同僚の激発を予測しながら目をやると、ラクイラの王子は所在無げに首裏を掻いていた。
「怒らせたな。失敗したか」
「これ以上ないほどお怒りでしたよ……! お願いですから勝手にうろうろしないでください、殿下!」
駆け寄ってきた従者が蒼白になって言い募る。
それを適当に受け流すギルバートに、レキはマヒトに先じて声を掛けた。
「星下のご命令ですので、改めて神殿内をご案内いたします。どうぞこちらへ」
この状況は厄介だ。
どんな感情にせよ主人がこの王子を意識しているのは明らかで、それはマヒトを刺激する可能性が高い。何かしでかされる前に引き離す必要があるだろう。
だが、彼を連れ出すよりもマヒトが自失から戻る方が早かった。
「……なるほど。君が、例の身の程知らずか」
あからさまな皮肉が、ラクイラの王子を引き止める。
明らかな挑発に、王子が足を止めてマヒトと対峙した。
「礼儀知らずよりは幾分ましだな」
「……殿下は礼節ももうちょっとわきまえられた方が……僕は胃が痛いです」
「何か言ったか?」
「言ってません!」
頭を掴まれて従者が悲鳴を上げる。
いいタイミングで口を挟んでくれた。レキは内心で感謝しながら、彼らの間に割って入った。
「お二方とも、星下の耳がここにいることをお忘れでは? 無用心な発言はお控えください。外交問題に発展するには、いささか理由が瑣末かと」
遠慮会釈のない言葉に、従者がぎょっとした顔を見せた。
レキは平然と彼らを見やる。
実際のところ、これは些事だ。それぞれ野望と感情とで動機は違えど、女を取り合うための鞘当てなのだから。
「では、ギルバート殿下。こちらも多忙です。手早く済ませますので、ご理解のほどを」
無感動にまとめて片側を連れ出す。
不承不承ついてくるギルバートに、マヒトが剣呑な目を向けた。
そこに不穏な色を見咎め、レキは舌打ちを堪えた。
サキのこともある。これは本格的に、王子の身辺警護に気を配る必要がありそうだった。




