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「あなたはどちらを敵に回したいですか?」




 さて出張です。ただし、隠密に。


 南方東部の商業国家、ヒュースリア。交易で栄えた国ながら、来るもの拒まずで変化しながら発展してきたラクイラとは異なり、独自の分化を衣装や建築に色濃く残している国です。

 その中心街にある礼拝堂で、私は件の商会の重役を迎えました。

 神殿の管轄下にあるこの施設は、密会には最適です。

 私は無感動に笑みを浮かべ、彼に目の前の席を勧めました。


「ご挨拶は結構ですよ。多忙のところをありがとうございます。どうぞ、掛けてください」


 血の気の引いた顔で、彼はぎこちなく唾を飲みこみました。レキに促され、人形のように私の前に座ります。

 私は微笑んで彼を見据えたまま、次の言葉を発しません。

 痛いほどの沈黙が、礼拝堂を支配しました。彼にとってはまさしく針のむしろでしょう。

 彼が気力を降り絞って口を開こうとした、そのタイミングで、私は笑顔のまま声を放ちました。


「私がなぜここにいるか、おわかりですね?」

「……そ……それは……」


 じっとりと脂汗をにじませ、彼はかすれた声でうめきました。

 大口の取引を得ようと商会が何をしたのか、彼は認識しているはずです。心当たりは十分すぎるほどにあるでしょう。

 けれど、同時に分からないとも思っているはずです。それもそのはず、普段であれば〈星〉が自ら贈収賄の摘発に動くことなどないのですから。

 彼の常識は正しい。けれど、誤りでもあります。


「私は私腹を肥やすと言う行為が好きではありません。利益を提供するのなら、国に対してしていただきたかったですね。……残念ながら、あなた方は努力にもかかわらず利益を得ることができませんでしたが……第二神官長の振る舞いは、少々、目に余ります。そろそろ膿を出すべきでしょう。あなた方には不運なことですが、犠牲になっていただくつもりでいます」


 蒼白な顔で言葉を飲む男性に、私は笑顔を向けました。

 彼は震える手を握りしめ、青ざめたまま、それでも顔を上げました。


「……なぜ、私に、それをおっしゃるのでしょう?」


 求めていた反応に、私は笑みを深めました。

 そう。目の前にいるこの人は、商会の重役ではありますが、責任者でもなければ首謀者でもありません。ただ、現社長の血縁であり、現在は冷遇されていると言う「強み」があります。


「理解の早さは美徳ですね。道はもう一つあります」


 一度目を伏せて、私は彼に、逃げ道を提供しました。


「選ばせて差し上げます。……私と第二神官長、あなたはどちらを敵に回したいですか?」

「な……!」

「あなたは今回、第二神官長との取引に直接関与してはいないはずです。身内の過ちを正すのは、身内であるほうが望ましいでしょう。同時に、経営陣を大幅に入れかえることで、その姿勢を示すこともできます」


 彼が目を見張るのを確かめ、私は静かに微笑みました。

 商会にとっては未曾有の危機でしょうが――彼にとっては、目ざわりな叔父を蹴落として、商会を牛耳る絶好の機会でもある。

 その野心こそを、私は求めているのです。


「ヒュースリア当局との調整はこちらが執り行いましょう。無論、当局からはペナルティが課されるでしょうが、向こう数年の支援は保障します。その間に商会を掌握し、立て直すことができるかどうか――それは、あなた次第です」


 怯えから野心に移り変わっていく目の色。

 強い意思を取り戻した彼に、私は勝利を確信して続けました。


「三日さしあげます。その間に関係者を説得し、確固たる証拠を渡してください。私の名にかけて、前言を翻すことはしませんよ」








 ――ようやく捕まえたヒナに、そんな工作のくだりを言い聞かせ、私は締めくくりに入りました。


「……ということですから、ヒナ。今のところあなたに動いてもらう予定はありません。大人しくしておくこと。いいですね?」


 ヒナは執務机へ腹這いに乗り上げたまま、これでもかというほどに頬を膨らました。

 そのまま両足をばたばたさせる様は、まるで陸に揚げられた魚です。

 はらはらと見守る女官たちなど見向きもせず、稀代の凶手は駄々をこねました。


「なんでぇ? ヒナそいつころしてくるよ、そしたらはやいのにー」

「あなたが転がり込んできたときにも言いましたよね。私は基本的に暗殺は使いません。かえって面倒になります」

「せーかぁ」

「駄目です。心配しなくても、ヒナはちゃんと役に立ってますよ」


 これは慰めではなく事実です。暗殺者の技能は諜報にも応用が利く場合が多く、飛び抜けた才覚を持つヒナは時折面白いものを拾ってきました。

 ――情報の取捨は全くできないので玉石混合ですが。得意満面に神后猊下の夫自慢を聞かされた時には、さすがに頭を抱えました。身内のそんな話は求めてません。できれば聞きたくないです。

 いじましい視線を無視して仕事を続けていると、ヒナはいじけた顔になって執務机を飛び降りました。


 出ていくのかと思いきや、応接用のソファの隅っこに居座って、あからさまな態度で背を向けて膝を抱えます。

 構ってといわんばかりの態度です。


 目配せをすると衛士が苦笑を返し、小さな頭をぺしりと叩いて菓子を与えました。

 反撃で臑を蹴られてうずくまる衛士を視界の端に、書類をめくっていると、レキが淡々と言いました。


「あれでも星下を心配しているのです。ご帰国を知るのが遅くなったことで、拗ねているのでしょう」


 恐ろしい早さで飛んできたクッションを片手で受け止め、彼は自然な動きで小脇に抱えながら報告を続けました。

 その姿だけ見ると笑いそうになります。


「ラクイラは調査を快諾しました。侯爵令嬢の処遇についても、回答がきております」

「またずいぶんと早い……ああ、やはり爵位は剥奪ですか。なおさら早いですね」

「危機対応力はさすがということでしょう。機があれば神殿に引き抜きたい人材です」


 今度は金属製のレターナイフが飛んできました。

 レキがクッションで危なげなく叩き落とし、ようやく振り返ると、幼い暗殺者の丸い背中に声をかけました。


「ふらふら出歩いて、どこにいるかわからない君が悪い。予定は変わるものだ。これに懲りたら、子供は日が沈む前に家に帰るんだね」

「うるさぁい!」


 飛びかかろうとしたヒナをあわてて衛士が引き留めます。

 小さな踵が衛士の顎を蹴り上げたとき、サキが執務室に戻ってきました。


「アヤリ様、そろそろお時間ですわ」

「わかりました。……ああヒナ、その焼菓子はラクイラのお土産ですよ。美味しかったのでどうぞ」


 膨れっ面のヒナに声をかけ、執務室を出ました。


 多数派工作はサキに任せているとはいえ、要所を絞っての直接交渉は必要です。要職にある何人かと話を詰め、条件を確認して合わせていった後は、リシェール自治監督庁の編成会議が待っていました。

 そちらにはレキを伴って参加し、己が監督官に推薦したはずのナガレ卿との攻防の末、どうにかこちらの手駒を一人入れることを承認してもらいました。

 ……彼には貸しを作ったつもりだったのですが。なかなか図太い神経です。まあうまく立ち回れずに失脚しかけた人物なので、これくらい図々しいほうがこの先は安心できるでしょう。


 第二神官長の推薦物件との見合いが行われたのは、そんな多忙の合間でした。

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