第310話 「幻の」という枕詞
話が終わった俺と南雲さんは、屋敷の玄関から外に出た。
そこには、不安そうな表情で待つ、如月と八雲の姿があった。
「あっ、拓也さん、お話終わったんですね……大きな声が聞こえたので、ちょっと心配しましたが」
如月が、気難しそうな顔をしている南雲をチラリと見てそう言った。
「……いや、ちょっと意外な話をされたから驚いただけだよ」
俺は笑顔でそう返したのだが、
「如月……前田殿は、睦月に出会ったそうだ」
「えっ、睦月兄さんに……じゃあ、その話も?」
「ああ、全部話した」
「そうですか……えっと、それじゃあ……あの、兄は無事でしたか?」
「ああ、仲間と一緒に、元気そうにしていたよ」
俺がそう伝えると、彼女は一瞬笑顔を浮かべたが、すぐにまた怯えたような表情になった。
「……その、拓也さんは、南雲様の話を聞いて、どう思いましたか?」
如月は、恐る恐る、といった感じで俺の表情をのぞき込んだ。
「どうって言われても……まあ、何百人も居る山賊団と戦うなんて、ちょっと無茶しすぎなんじゃないかなとは思ったけど」
「……えっと、それだけ、ですか? 」
「それだけ、と言うと?」
「その……兄のこと、どうにかしようとは思わなかったですか?」
「どうにか、とは?」
「あの、その……盗賊の一味と考えているとか……兄は、そうじゃないんですっ!」
結構、真剣な表情でそんなふうに訴えてきた。
「……なるほど、それで俺には、君の兄さんのことを何にも話さなかったのか。さっきから言っているように、俺は役人じゃないし、君の兄さんのことを山賊だなんて思ってもいない。そんな風な疑いをかけるつもりもない。そもそも、俺の仕事ではないしね」
俺が笑ってそう言うと、彼女はようやく満面の笑みを浮かべた。
「でしたら、良かったです! ずっと兄のこと、気になっていたので……」
少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「まあ、そういうことだ。それから、数多く刀剣を作成している理由も説明した。だが、他の者達には秘密にしておいてくれ」
俺と同じく、作業小屋の中を覗いてしまった如月にも、そう言って念を押した。
「はい、決して他言はしません……それで、もう拓也さんにはご用件はありませんか?」
「うむ、そうだな……今日は顔見せ程度で良いだろう。今は売れるほど程度の良い刀剣は手元にない。後日また商談とすればいい」
「……それでは、取引して頂けるのですね!?」
南雲さんから出た意外な言葉に、俺の声は弾んだ。
「まあ、いいだろう。一蓮托生だ。もしこれで藩から『刀剣を造りすぎだ』と言われたならば、おまえにそそのかされたことにすればいい」
「ま、またまた……ご冗談がお好きで……」
俺はそう取り繕ったのだが、南雲さんの目が一切笑っていなかったことが気がかりだった。
その後、俺は南雲さん、八雲師弟と別れ、また如月に村内を案内してもらった。
俺としては、もう見たいところ、行きたいところには行っていたので、あとは彼女におまかせ状態だった。
この村で一番大きな、由緒正しい神社では、年配の神主さんと、年頃の可愛いい巫女さん二人を紹介してもらった。
歳は、二人とも如月と同じぐらい。
彼女たちも、俺が気に入れば「しきたり」の対象になるという……そんな「よりどりみどり」みたいなのでいいのだろうか。
一応、本人達の希望も聞くらしいのだが、二人とも顔を赤らめて照れていたので、如月と違って「夜伽」の意味は知っているのだろう。
時刻はもう、昼を過ぎているようだった。
俺と如月は、高台となっているところに登り、木陰に腰を下ろして休憩することにした。
眼下には、白い花を咲かせた蕎麦畑が一面に広がっている。
俺は腹が減っていたのだが、どうやらこの村には「昼飯」という概念はないらしく、その代わりに何かの焼き菓子のような物を食べた。
蕎麦の香りが口の中に広がり、わずかに甘みもあって、おいしい。
砂糖なんかないはずなので、この甘みは何なのか聞いてみると、蜂蜜なのだという。
そば粉をこねて、それに蜂蜜を加えて焼き菓子にしたのだろう。
俺がこの素朴な味わいのお菓子を絶賛すると、
「そう言って頂けるととても嬉しいです。あまり量は作れない物なので、ほんの少ししか食べて頂けないのですが……」
と、申し訳なさそうに言ってきた。
どうやら、俺のために特別に持ってきてくれた物のようだった。
目の前に広がる、美しくものどかな光景。
年頃の美少女と肩を並べるようにして腰を下ろし、一緒に焼き菓子を食べている。
そして彼女は、俺が望めば、一晩の妻として相手をしてくれるのだという。
桃源郷、という言葉が、俺の頭をよぎった。
以前、阿東藩の前田邸が花で彩られたときも、同じようなことを思った。
しかし、そう簡単に来られず、村全体が閉鎖された空間であるという意味においては、こちらの方が本来の意味に近いのかもしれないと考えた。
そう、「幻の」という枕詞が似合うほどに――。





