第百五十二話 壮大な計画
その日の午後、大分日が傾きかけた頃。
『前田美海店』は昼の混雑がすぎ、かなり席が空いてきた。
東元殿、ちょっと遅いかな……と、俺がそう考えていたとき。
「あ、いらっしゃいませっ!」
と、涼の明るい挨拶が聞こえ、その方向を見ると……半裃と呼ばれる正装を身に纏った侍が三人、店の中に入ってきた。
昼間にこれほどの仰々しい方々が訪れてきたことはかつて無く、そのために従業員、及びまだ残っていたお客達は、全員ぎょっとしていた。
『前田女子寮』の二期生達は、その中の一人が、例の毎日やってきては涼を口説いていた青年だと気づいて、唖然とした表情になっていた。
「安親様、本日はどうなさったのですか、そのような正装で来られるなんて」
涼も冷静を装ってはいるが、ちょっと驚いているようだった。
「いや、この者達にもこの店の美味い料理を是非食べてもらいたいと思ってな。こんな格好なのは視察の帰りだからだ、気にしないでくれ。それよりも、料理を注文して構わないか?」
「はい、もちろん!」
と、彼女はお品書き、小筆と紙を持って注文を取りに行った。
座敷に上がったお付きの二人は、近づいた涼に一礼した。
ということは……彼等も、涼姫の正体を知っているのだろう。
ちなみに、東元安親殿が二十歳そこそこなのに対して、お付きの二人は三十歳ぐらい。
顔だけ見ると二人の方が明らかに年上なのだが、正装の東元殿はオーラというか、風格というか、若いのにそういうものを纏っており、やはり身分の高い人は違うものだな、と思い知らされた。
そして彼ら三人が注文したのは、鍋料理と卵を使った料理だった。
まず、だし巻き玉子を見て、お付きの二人は驚きの声を上げた。
この時代、玉子は高価な食材だった。
にもかかわらず、一般庶民を対象としたこの店で、これだけの量を提供し、しかもお品書きをみると、わずか二十文でしかなかったのだ。
「前田殿、この玉子はどうやって手に入れておられるのか」
東元殿が尋ねてくる。
「これは、町の外れに養鶏場……つまり鶏を飼う施設を作っていまして、そこから毎朝産みたての卵を取ってくるようにしています」
「ふむ……それで、その鶏たちの世話は誰がしているのか」
「はい、それは近所の農家の方にお願いしています」
俺がそう答えると、彼は満足そうにうなずいた。
そして彼等は、だし巻き玉子を口にする。
ふわふわの食感で、噛んだ瞬間にほとばしる甘辛い出汁。
大根おろしを乗せ、醤油をほんの一、二滴垂らすと、さらに味に奥行きが生まれる。
こんな美味い物は食べたことがない、酒が欲しくなりますな、と笑顔を浮かべる侍達。
うん、気に入ってくれているみたいだ。あと、酒も飲めばいいのに、なぜか遠慮しているようだ。まだ昼間だからか。
次に鍋料理。
涼が三人前の大鍋を持って行き、蓋を開けた瞬間、
「おおっ!」
と、驚嘆の声があがった。
「これほど具材がたっぷり入った鍋は初めてだ……うん? この黒いものは……」
「ああ、それは椎茸です」
「なっ……椎茸が、こんなにっ!?」
お付きの二人は仰天していた。
この時代、椎茸は、現代で言うところの松茸以上に貴重なきのこだったのだ。
「前田殿、この椎茸はどうやって入手されたのか」
また東元殿の質問だ。
「これは、『薬太寺』で委託栽培してもらっているものです」
「なんと、お寺で……」
それだけで霊験あらたかなものに思えてしまうから不思議だ。
「この、しゃきしゃきと歯ごたえのある菜っ葉は、一体何であろうか」
東元殿の好奇心は留まることを知らない。
「ああ、それは『白菜』というものです。甘みもあって、鍋物にぴったりですよ」
俺もこの時代に来るまで知らなかったのだが、白菜は実は、日本で本格的に普及したのは二十世紀に入ってからなのだ。
「……ふむ、確かに美味い……それで、これは……」
「はい、これも阿東藩内の農家の方にお願いして、栽培してもらっています。他にも、これは『もやし』という食材で、これは……」
どういうわけか、東元殿は食材を詳しく知りたがっていたので、次々と紹介していった。
さらに、当初は仙界から持ち込んだ食材だったが、最近ではこの阿東藩内で栽培した物を使用している、と説明した。
「ふむ……やはり貴殿はとんでもない人物だ……」
俺の説明を一通り聞き終わった東元殿は、真剣な、それでいて満足したような表情に変わっていた。
「拓也殿……この店で出す料理、おそらく『仙界』では一般的に食べられているのだろうが……この阿東藩において、全ての品が客に受け入れられたのであろうか」
「いえ……中には、大多数のお客様の口に合わなかった物や、食べてさえもらえなかった物もあります」
「なるほど、ということはつまり、貴殿はまずこの店で、『仙界の食材』、『仙界の料理』が受け入れられるかどうかを試してみたわけだな。そして評価の高かった食材のみ試験的に栽培し、うまく育ったならばその種を、育て方を説明して農民に渡した。貴殿のことだ、その農民達の元に足繁く通い、共に世話をしたことだろう。そうやって、新しい農作物の普及を進めた……そうではないだろうか」
――この時、俺は東元殿が、本当にとんでもない『切れ者』であると直感した。
全てとは言わないが、『前田美海店』で出す料理には、確かにそう言う側面があったのだ。
俺は、涼と顔を見合わせて、彼の鋭さに感嘆した。
「……俺としたことが、とんだ失態を演じていた……何日もこの店を訪れていたのに、ただ『美味い物を食わせてくれる店』、『珍しい食材を食わせてくれる店』、そして『お涼をはじめとする、美しい女子達の集まる店』ぐらいにしか思っていなかった……しかしその背景には、仙人である前田拓也殿、その藩全体を思う壮大な計画が隠されていたのだ」
……ちょっとオーバーだけど、まあ、褒められるのは悪い気分ではない。
涼も、満面の笑顔になって話し始める。
「その通りです……そして、それだけではありません。私や従業員の娘達が安心して住める『前田女子寮』、町人の方々の健康を考えて創業された『前田妙薬店』、男女別に入る事ができる『前田湯屋』……すべて拓也様本人の私利私欲ではなく、ただ地域の方々がより良い暮らしを続けられるよう、拓也様が苦心して、本当に一生懸命に作り上げてこられた施設なのです」
「……ふむ、まさにその通りだ。そして安全対策が万全に取られた採掘場、新たな藩の専売産業となり得る、養蚕施設の拡充……なるほど、確かに今後の藩の命運を握るといっても過言ではない大仙人……それが前田拓也殿であったか……しかも、皆に慕われる人柄、さらに労働者を思いやる優しさと、自らに対する厳しさも併せ持つ……それでいて、一度親しくなった者は、とことん守ろうとする人格者……姫……いや、お涼が惹かれるのも当然、ということか。まさに次期阿東藩主としてふさわしい人物、俺など、最初から敵うはずも無かったか……」
……えっと……俺、そんなに大したことはしてないし、大それた人物でもないけど……。
それに、次期藩主は現藩主の息子さんになるはずだし。
とはいえ、ここに来てようやく、東元殿は涼姫をあきらめたようだ。
「……折り入って、仙人・前田拓也殿にお願いしたいことがあるが、よろしいか?」
――東元殿の話は、むしろここからが本題だった――。





