第百三十八話 (番外編)吉原潜入(前編)
俺は江戸時代に於いては商人としてある程度成功し、それなりの稼ぎも出せるようになってきている。
しかし現代に於いてはただの高校生、アルバイト程度ならばともかく、本格的に金儲けなんかできない。
しかし、俺には叔父に紹介してもらった、頼りになる人物がいる。
帝都大学 歴史文化学科 客員教授、羽沢一輝氏だ。
彼は歴史、特に江戸時代の研究家であると同時に、資産家でもある。
博物館と喫茶店を兼ねた巨大な施設を建設するなど、マニアック度は半端ではない。
羽沢氏は俺がタイムトラベル能力を持っていると知っており、江戸時代から現代に持ち込んだ、小判や珍しい逸品を高値で買い取ってくれる。
そんな羽沢氏に、ある土曜日の昼前、彼が経営する喫茶店『たいむすりっぷ』に呼び出された。
事前に聞いていた大筋の話としては、
「とある江戸の文化を調査してきて欲しい」
ということだったので、その時点では特に難しいこともないだろうと考え、それでお礼が二十万円ももらえるということだったので喜んでいたぐらいなのだが……。
開口一番、彼はなぜかこう切り出した。
「拓也君……君はもう、十八歳になったんだったね」
「はい、つい先日の誕生日で十八になりました」
「それはよかった、おめでとう。だったらもう、解禁だね」
「えっと……ありがとうございます……解禁って、なんのことですか?」
「ああ。実は調べてきてもらいたいっていうのは、江戸の吉原のことなんだ」
「……へっ?」
「君は、江戸にも自由に行く事が出来るんだよね? だったら、吉原に潜入して詳しいレポートを作成して欲しいんだ」
もちろん、ここで言う『江戸時代の吉原』が何を意味するのか、当然俺は知っていた。
当時、日本最大の遊郭街であった吉原。そこに潜入すると言うことは、つまり……そういうちょっといかがわしい遊びをすることになってしまう。
「……無理です」
「いや、そんな事はない。ちょっと最初は勇気がいるかもしれないが、当時の江戸である程度お金を持っている商人ならば、必ず吉原で遊んだことがあるはずなんだ」
そんなことはないだろうと思ったが、まあ、確かにどんな江戸時代を特集した雑誌を見ても、吉原遊郭の事は必ずといっていいほど取り上げられている。
夜中は大変な賑わいであったというし、ここの遊女達から髪型や服装など、当時の流行が生まれることもあったらしい。
江戸に興味を持って研究を続けている学者からすれば、これは外せないテーマなんだと、羽沢氏から何度も説得された。
「……それほどおっしゃるのなら、分かりました、歓楽街を歩いたり、建物の前まで行って、観察するぐらいのことは出来ると思いますが……」
俺は遠慮がちに話したのだが……。
「おお、引き受けてもらえるか。いやー、ありがたい。まずはそれで十分だ。後は客引きの方の指示通りにすれば中に入れるはずだから」
「いえ、入りませんので……」
と否定しておいた。
とりあえずそれだけでも、十万円は払えるからということだったので、まあそれなら、つまり店の前まで行くだけならば問題ないだろうと思い、了承した。
羽沢氏から急かされていたこともあり、その日の夕方に江戸に時空間移動した俺は、地図を片手に相当歩き、辺りが大分暗くなって、ようやく吉原の歓楽街に辿り着いた。
……そこは、阿東藩とはまるで別世界だった。
当然ほとんどが男性客なのだが、見栄からなのか、相当着飾っている。
その人数のすさまじいこと。
怪しく揺らめく提灯の明かり、興奮を隠そうともしない団体客、その彼等を呼び止める、調子のいい客引き。
あちこちの建物から、女性の怪しい誘いの声も聞こえてくる。
歩くだけで圧倒される『いかがわしい活気』に満ちた街。
きょろきょろと辺りを見渡しながら慣れない足取りで歩く俺は、一目で『初心者』と分かったことだろう。
あっさり客引きに引っかかり、一軒の遊郭の前に半ば強引に引っ張って行かれた。
「さあ、若旦那。見ておくんなせえ、べっぴん揃いでしょう? どの娘にしやすか?」
二十歳ぐらいの客引きは、もみ手で俺の回答を待っている。
当然、最終的には断るつもりなのだが、羽沢氏との約束の手前、一応彼女たちの様子は見てみた。
木製の格子の向こうに座敷があり、十名ほどの女性が座っている。
全員、派手に着飾り、白く化粧をし、豪華なかんざしを挿している。
皆、通りの男性に甘えたような声をかけていたが、俺の姿を見た彼女たちは一斉にこちらを向いて、にっこりと微笑んだ。
「あら、凛々しい若旦那……ねえ、私を選んで……」
「ほんと、初々しい……ご奉仕いたしますよ……」
声をかけられ、思わずどぎまぎしてしまう。
事前に読んだ資料では、最初会話ができるようになるまでにいくつかステップを踏むような事が書かれていたのだが、いきなりそれが覆された。
どうも店によりそのあたりのルールは異なるようで……後で知った話だが、この店はそれほど格式が高くない、『小見世』と呼ばれる遊郭だった。
と、その座敷の端に、まだ若い娘を見かけた。
ちょっと疲れているような表情で下を向いていたが、顔を上げた拍子に俺と目が合うと、一瞬の躊躇の後、彼女もニコッと、笑顔を俺に向けてくれた。
小顔で、目がぱっちりとしていて、ちょっとえくぼができているのが印象的だ。
可愛い娘だな……ユキや、ハルと同じぐらいの歳に見えるな……。
と、その瞬間、ぞくんと、鳥肌が立つような衝撃を受けた。
ユキもハルも……優も凜もナツも、元々は身売りされそうになっていた所を、俺が衝動的に仮押さえした娘達だ。
その後、苦労の末に全員正式に買い取る事ができたが……もし失敗していたならば、目の前の娘のように、ここで客を待つ身になっていたかもしれないのだ。
そう思い至った瞬間、俺は、何か自分が恐ろしい場所にいるような気がしてきた。
今、この若くかわいい女の子を、見つけてしまった。
こんな可憐な少女が、この遊郭で毎夜、見ず知らずの男性客に身を捧げている……。
そう考えただけで、いたたまれない気持ちになる。
約一年半前、あの川原で、まさに身売りされようとした五人の少女達を見て、その事実が受け入れられず、俺は全員面倒見ますと叫んでしまった。
そして今、またそんな感情が、この少女に対して湧き上がってきてしまっている。
けれど……現実問題として、この娘を買い取るなんて無理だ。
いや、お金を積めば不可能ではないのかもしれない……けれど、それはあのとき以上に高額になるはずだし、それに……おなじ座敷にいる他の娘達はどうなのか。
全員買い取る?
それこそあり得ない事だし、それを言うならこの吉原中の遊女が同じ立場だ。
俺は……俺のしてきたことは、一体……。
「兄ちゃん、どうするんだ? ずっと見てるその娘、選ぶのか? そうじゃないなら、俺に譲ってくれねえか?」
後からダミ声で急かされ、その方を見ると……頬に大きな傷跡のある、いかにもガラの悪そうな三十歳ぐらいのおじさんが、怖い目で見ていた。
あのかわいい女の子が、こんなおっさんと一夜を共にする……。
「あ、俺、あの子にしますっ!」
と思わず叫んでしまった。
心配そうに成り行きを見ていた呼び込みは、ぱっと笑顔になり、
「それでは一名様、ご案内ぃー!」
と上機嫌で俺を店の中に招待する。
さっきのガラの悪そうな男は、
「ちっ……」
と不満を漏らしながら帰って行った。
もう一度だけ、あの少女の方を見ると、ほっとした様子で、さっきより幾分明るい笑顔で俺の方を見てくれていた。
部屋に案内される間、鼓動がバクバクと高鳴っているのが分かる。
成り行きとはいえ、とんでもないことになってしまった――。
次回に続きますm(_ _)m。





