86.かみ合わない二人③
「狡いわ。そんなふうに言われたら、何も反論できないじゃない」
全部、自分が悪かったと言って謝るのは簡単だ。
けれどそれは、話し合って解決するという努力を放棄するのと同じことだ。
鑑定後のやり取りで、クロスにはわたしを責める意図がなかったことはわかっている。
(本当の悪意っていうのは、あんなものじゃない)
イーリースお継母様や、シャーリーン、メイドたちや寄宿学校の級友たち――彼・彼女らのやり方とは比べものにならない。
クロスは事実を述べただけで、わたしは自分自身の愚かさが悔しくて涙しただけだ。
わたしはクロスに、鑑定の件でわたしがクロスのことを嫌いになったと誤解されたくはなかった。提案とやらを聞いている場合ではない。
これから先、しばらく一緒に旅をするのなら、気まずい空気は早めに払拭しておきたい。
(――というのは立て前で)
本当は、また、前みたいに魔法の話を聞きたかった。
魔法学概論の続きを話してほしかった。
古代魔法語で書かれた魔法陣について、意見を聞かれてみたかった。
「言ったでしょう。わたしは今さら、他人の言葉くらいで傷ついたりしない。そんなもの、実際に刺されたり殴られたりすることに比べれば、些細なものよ。それにわたしは、役に立たない甘言よりは、毒のある本音ほうが価値があると思うわ」
これを機に捲し立てると、クロスがきょとんとした顔をしていた。今までの真面目な顔はどこへやら、だ。
「そういうもの……なのか?」
「珍妙な生き物を見るような態度はやめてもらえるかしら?」
そっちのほうが、無知蒙昧という事実を指摘するより失礼だわ、とわたしは怒ってみせた。
「それならいいが……」
「そうよ。だからクロスが謝るようなことは何もないの。だから、謝罪は受け取れないの! わたしが泣いていたのは、あまりにも悔しかったからよ」
自分の愚かさ加減と、それが原因で起きた今までの全ての出来事が。
「本当にもう、恥ずかしいことを言わせないでよ」
「すまない……」
“もう誰も信じない”なんて心の中では豪語していながら、最初の段階でつまづいている。鑑定結果――すなわち権威を疑うことを考えもしなかったわたしの負けなのだ。
クロスは、事実を言っただけだから、何も悪くない。
事実を認められない人間にろくな者はいないし、本音を口にすることができない人間にも、ろくな者がいない。
前者は単に器が小さいというだけのことだけれど、後者には偽善者という性質が悪い者が含まれる。
必要悪という言葉がある以上、全ての偽善が悪とは言えない。けれど、面と向かって悪口を言われ石を投げ付けられるより、後から陰口を叩かれるほうが堪えるのだ。
(だから今さら、他人の言葉くらいでは傷つかない。――箱入りのお嬢様ではないのだから)
亜人種の容姿をしていると、人間という生き物の生態がよくわかるようになる。
町に出れば、稀に亜人種を差別しない人間と出会うこともある。
どうしても困ったときには、国が運営している救護院に助けを求めることもできる。炊き出しを恵んでもらうことや、一晩の寝床を借りることもできるのだ。
(でも所詮、慈善事業は事業だから)
純然たる厚意で運営されているわけではない。国家予算と、投資家による寄付という名の資金洗浄の温床でもある。
(つまり、仕事として仕方なく運営に携わっている人間もいるわけで)
救護院の親切な人間の中には、弱者を救済することに全く興味のない人間が、一定の割合で混じっている。
そういう人間がしたいことは、弱者の救済ではなく、ただの自己満足だ。
「かわいそうね」「大変だったわね」「困ったことがあったら相談に乗るよ」「なんでも話してね」など耳に心地の良いことを言いながら、後で蔑みの言葉をばら撒くのだ。
どんなに「内緒よ」「ここだけの話」と前置きしても、それがその場限りの話で終わることはない。
(人間は、悪戯好きの妖精以上に噂話が大好きだもの)
ただし、精霊や妖精などの人外は嘘を吐かない。
隠し事はするし、本音は言わないし、悪戯もするけれど、利害のために他者を騙すことはしない。悪戯を仕掛けて騙すとしても、嘘を吐かずに巧妙にやると伝えられている。
(まあ……会ったことはないから、本当のところはわからないけれど)
さすがに、わたしの右目でも妖精は見えない。
自己満足の偽善者に頭を下げて食事を恵んでもらうのは、屋敷の使用人に頭を下げて残り物を恵んでもらうのと変わらない屈辱だ。
それくらいなら、役立たずと罵倒されながら冒険者パーティーで荷物持ちでもするほうが、よっぽどマシだ。
(わたしが、治癒魔法しか使えない役立たずだったのは事実だから……)
面と向かって事実と本音をぶつけてくる人間は、後から陰口を叩く人間よりも、危険が少ない。
それが、町に出ることでわたしが学んだ現実だった。
少なくとも、歯に衣着せぬ物言いをする人間が相手なら、空気を読んだり顔色を窺ったりする必要がない。
それはとても、心地が良いこと。
毒舌だろうと本音を語る人のほうが信用できる。
信頼はしないけれど、旅の間、信用するには十分だった。
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