60.昼食と猫①
いただいたパンが予想以上に美味しかったので、不本意ながら、つい全部食べてしまった。
言われた通り無言で、真剣に。
(レッド、ごめんね。先にいただくわ)
眠っているレッドを放っておいて、すぐ横で彼の好物でもある屋台サンドを頬張った。
(これ絶対、後で怒るわよね)
近くの床に、器具一式を用意してリオンさんがコーヒーを沸かそうとしている。
(床でやるの?)
と、目を剥いてしまったのは内緒だ。
まあ、この部屋には適当なテーブルがないから仕方がない。
二人とも、すでに床に座り込んでいる。
「床を焦がすなよ」
「わかってるって。でも、焦げてもクロスが魔法でなんとかしてくれるんだろ?」
「人を便利屋のように言うな」
金属製のティーポットのような容器に、水とコーヒーの粉らしきものを入れ、火にかける。
(火……!?)
食い入るように見ていたわたしに気づいて、二人とも色々と解説してくれた。
「これはクロスが改良した、携帯用の焚き火台だよ」
焚き火はわかるが、焚き火台というのは見たことがなかった。
「本来は、薪の代わりに獣脂を固めた燃料を使って、一人分くらいの小さい火を熾すものだ。野営のときや一人旅なんかのとき、簡易的に使われる」
「大所帯の移動だと、食事は炊き出しの配給状態になるから、それ以外の時間にちょっと飲み物を沸かしたいときには便利なんだ」
「それの熱源をオレが全部、魔力に書き換えた」
「固形燃料がなくても、ファイアーボール一個分程度の魔力でポットの湯が沸くんだ」
嬉しそうなリオンさん。
「火属性魔法なの?」
「いや、これは魔道具だろうな。適当に改造したから正確な分類は知らん」
何でもないことのようにクロスが言った。
「で、ポットに砕いたコーヒー豆と水を入れて、火にかける。中に茶漉し的な部位があって、できたコーヒー液と豆が混ざらないようにできているんだ。俺もこれ、長期遠征の奴に教えてもらってさ」
「旅慣れた連中はよく使っている道具らしいが、ドワーフの直営店にでも行かないと売っていないから、普通は知らないだろうな。――アリアも、見るのは初めてか?」
わたしは大きくうなずいた。
「焚き火台も見るのは初めてだわ」
「外で焚き火ができるなら、必要ないものだしね。数人のパーティーなら、わざわざ持ち歩く奴はいないだろうし。俺のは完全に趣味だから」
茶葉も高価だけれど、コーヒー豆も高価だ。
容易く庶民の口に入るものではない。
王都では、富裕層が立ち寄るカフェで供されていた。お店の前を通ると、とてもいい香りがしていたのを覚えている。
リオンさんがコーヒー豆を入れている缶を開けて見せてくれた。
粉ではなかった。
「これを一回分クロスに渡すと、魔法で粉状に粉砕してくれる。マジックバッグの中は時間が止まるから、気にする必要もないんだけど、気分の問題かな。挽きたてのほうが美味しいんだ」
「ご相伴に預からせてもらっているからな、そこは妥協してやる」
都合良く、豆を挽くための道具扱いされても妥協しているあたり、クロスもコーヒーが好きなのだろう。
「豆のままではコーヒー液が抽出できないんだよ。アリアちゃん、知ってた?」
(うん。知ってた……)
飲んだことはないけれど、使用人が話しているのを聞いたことがある。
専用の器具で豆を挽くのは、結構な力仕事らしい。
(お父様がお客様と飲んでいたものだわ)
客間の棚には、豆挽きとガラス製の抽出器具がお酒と一緒に飾ってあった。
「すごい、本物の豆なのね……」
町でコーヒーと称して売っていたものには、原料が豆ではないものもあった。
「アリアちゃんも詳しそうだね」
「話に聞いたことがあるだけよ。町で売っていたのは、焦げた木の根だったわ」
「たぶんそれは代用コーヒー……っていうか薬草の一種だね。似たような味がするから、そっちのほうが多く出回ってる」
「本物は帝国からの輸入品だけだ」
話している間にらポットから香ばしい香りが立ち昇ってきた。
「そろそろいいかな」
リオンさんが魔力の供給を止めて、ポットを焚き火台の五徳から下ろした。
「アリアは触るなよ。火傷するぞ」
「俺のグローブは耐熱魔法がかかってるから」
カップは昨夜の銀製のものではなく、また別の金属製のマグカップだった。
リオンさんのバッグの中には、食材と調理器具、調味料や食器、市販の飲み物などが大量に入っていそうだった。
何度見ても、高価な魔法鞄なのは間違いない。
出てくる物は食材や調理器具など、生活感にあふれた物ばかりだけれど、どれも庶民のそれとは違う。
王都のカフェに出入りするのは裕福な商人や、下級の貴族くらいのものだ。冒険者なら、ギルドランクA以上で貴族からの覚えめでたい者だけだろう。
冒険者が、冒険に出るためにコーヒー豆を買いだめするなんて話は聞いたこともない。
「アリアちゃん、苦かったら無理しないでミルクで薄めるといいよ。この村、特に名産品はなさそうだけど、牛のミルクは絶品だったから」
さすが田舎! と、妙な誉め方をしていた。
やはりリオンさんは、王都出身の身分ある人なのだろう。
「猫くん、起きそう?」
ミルク粥でも作ってやろうかと思って、ロールドオーツとミルクを買ってきたんだけど、とリオンさんは言った。
(レッドのために……?)
この人は、どうして獣人のレッドにも分け隔てなく優しくしてくれるのだろう。
(どうして、そんなに親切なの……?)
クロスにはまだ、魔力や古代魔法語に興味を持ったからという理由がある。
でも、彼は……?
(――いいえ。理由は重要ではないわ)
わたしは立ち上がって、礼を執った。
どうせ、平民ではないことは見抜かれているのだし、正式な作法で礼を執ったところで、悪いことにはならないだろう。
わたしは、リオンさんの身分がどの程度のものか知らない。けれど、平民の冒険者に身を窶しているわたしに比べれば、子爵家や男爵家の末弟であったとしても、礼を尽くすことは不自然ではないだろう。
「我が従者に過分な待遇をいただき、感謝いたします」
突然立ち上がって、丁寧なカーテシーを決めたわたしに、リオンさんは驚いていた。
「いいって、そんなことしなくても!」
「いいえ。ご厚情をいただいても、今のわたくしには何もお返しすることができません。これは気持ちばかりにございます」
「やめてよ。俺、そういう堅苦しいのが嫌で冒険者になったのに……」
困らせてしまった、と困惑するわたし。
同じく困惑した様子のリオンさん。なんとなく出自がバレていることは感じていても、正式な作法で礼を述べられるとは思ってもいなかったのだろう。苦し紛れの矛先が、相棒に向かった。
「クロス、お前アリアちゃんに何か余計なこと言ったのかよ」
「言ったも何も、旅先でコーヒーを嗜む冒険者がいるか。自分で箱入りだと宣伝しているようなものだろう」
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