156.君の名は④死ねない理由
在学当時、寄宿学校の女生徒の間で流行っていた小説やお芝居には、必ずと言っていいほど、騎士や王子といった役柄の登場人物が存在していた。
お芝居では、たいがい二枚目の人気役者が演じている、女性主人公の窮地を救ったり、恋に落ちたり、時には駆け落ちしたりする男性主人公のことである。
架空の国の騎士様と、朴訥な村娘。名のある騎士様と、敵国のお姫様。どこかの国の王子様と、王城勤めのメイドなど、身分の差や立場を超えた禁断の恋など、恋愛を扱った物語が人気だった。
物語の中では主人公の青年が、軽率に“この剣に誓って必ず”とか“命に代えても”と言う。
意中の女性と引き離される局面で、大仰に再開の約束を交わし、心変わりなど決してしないと誓うのだ。
どうやら、この約束のシーンが話の肝らしいのだけれど、わたしには長らく理解できなかった。
物語ではなく、そういう恋物語を好んで嗜む女生徒たちのことが。
平民の女の子たちは、単純に騎士様に憧れているだけだから、まだいい。貴族社会の実情など、何も知らないのだから仕方がない。
わたしが理解できなかったのは、簡単に騎士や兵士に命を賭せと命じるような物語を、肯定して褒めそやす貴族令嬢たちだった。
(だって、悲恋ものでは任務に赴いた騎士様は、死んでしまったりするのよ?)
女性主人公が軽率に誓いを受け入れるものだから、女性との約束を果たそうとして無茶をした男性主人公は、戦いに敗れて死んでしまう──または、死にそうな目に遭うことが多い。
今は戦と言えば、国境辺りの小競り合いくらいしかなく、戦線は正規兵とその指揮官である貴族階級の騎士たちによって、維持されている。平民が徴兵されるような事態には、まだなっていない。
だから、平民の女の子たちが危機感なく物語に感情移入するのは仕方がないのだ。
けれど、貴族の義務を知る令嬢が、軽々しく騎士を死地に送るような物語を礼賛するのはどうなのだろう。
(自分の兄弟や幼馴染、婚約者が物語と同じような経緯で旅立つことになったら……とは考えないのかしら?)
想像できたら、無邪気に喜んではいられないと思う。
物語に出てくる魔物退治や仮想敵国との戦いは、荒唐無稽な作り話ではない。
魔物もドラゴンも実在すれば、隣国からの侵略の脅威も、実際に起こり得る可能性がある出来事なのだ。
男性主人公から無条件に愛され、敬われ、永遠の愛を誓われる女性主人公──そこだけに目を奪われ、無邪気に喜んでいる令嬢たちは、貴族としての自覚が足りないとしか、わたしには思えなかった。
*
何が言いたいかというと、これでわたしは死ねなくなったということだ。
負けられなくなった。
つい先日までは、もしもイーリースお継母様に負けて死ぬことがあっても、レッドが一緒なら怖くはないと──そう思っていた。
イーリースお継母様とシャーリーンの悪行を暴き、お兄様がヴェルメイリオ家を継ぐまでは死ねない。
フィレーナお母様の仇を取るまでは、諦めない。
わたしの従者を傷つけた報いは、受けてもらわないとならない。
そう信じてやってきたけれど、正直、勝算なんてなかった。
全く歯が立たずに犬死にすることを、微塵も考えなかったわけではない。
わたしが死ぬときは、リオンとクロスが納得できるような、本当の不慮の事故でない限り、イーリースお継母様に負けたときだ。
お継母様は、わたしを捕らえて断罪するために、当然ながら、もっともらしい冤罪を用意しているだろう。
負ければリオンに迷惑がかかる。
リオンの身元がバレるようなことがあれば、アイスバーグ家再興の夢は潰えるだろう。リオンの家族にまで迷惑がかかるかもしれない。
一緒に旅をして、わたしに魔法を教えたことが知られれば、クロスも一蓮托生になる。
レッドは、再び劣悪な環境の契約奴隷に逆戻りだ。大きな前科が付けば、奴隷商会でも持て余される。格下げされ、買い上げ奴隷として売り飛ばされてしまうかもしれない。
だから負けられない、死ねない。
リオンと一緒なら、もっと冒険者として旅をしてみたい。
クロスには、もっと魔法を教わりたい。
レッドを遺して死ぬのは、主人としてあまりに無責任でもある。
死ねない理由があるのは、幸せなことだ。
迷惑をかけないため、という消極的な理由でも、その理由がある限り、わたしは存在することを許される。
病からわたしを救ってくださったお祖母様と、フィレーナお母様の手前、今まで必死に生きてきた。
継母と義理の妹に虐げられ、実の父にはそっぽを向かれ、実家のメイドにさえ軽んじられた。
寄宿学校では不自由を強いられ、平民以下の生活に甘んじ、常に空腹を抱えながら、こうまでして生きる意味があるのかと自問自答したことは数え切れない。
わたしにとって生きることは、ある意味、義務であり呪いでもあった。
誰にも必要とされず、存在することを喜ばれもしない。
魔力属性がないと信じていたころは、四精霊にさえ愛されていないから、恩寵たる魔法を与えられなかったのだと、半ば自分自身にさえ呆れていた。
そんな自分に生きる意味があるのかと、心の底では疑っていた。
けれど理由があれば、誰に愛されなくても生きていられる。
誰にも認めてもらえなくても、生きていてもいいんだって自分に言ってあげられる。
リオンはわたしの身元保証をしてくれただけじゃない。わたしに希望をくれたのだ。
剣に誓ってもいい、と思える程度の価値がわたしにあるなら、理由がなくても生きていられる。存在する意味があるのだと信じられる。
リオンが誓って証明してくれたことは、わたしにとってはそういう意味だ。
決して、物語の騎士の誓いのように、軽いものではなかった。
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