96 天界最終兵器
金色の炎が、小さくなる。
命を燃料に燃え盛っていたその炎が、次第に見えなくなっていく。
「……ウケる」
オファニムは一人、そう呟いた。命の炎が消えかかっているのを知覚して、セラフィムが負けたのを悟ったのである。
熾天使セラフィムは天界で最も強き存在だ。彼が負けたということは、即ち天使の敗北を意味する
そして、天使の敗北は――座天使オファニムの、最初で最後の戦いを開始する合図でもあった。
「やっと、みんなと一緒に……」
車いすに座る彼女は、くすんだ金色の髪をかきあげて天を見上げる。
その先に居るはずの神に向けて、彼女は小さく祈った。
「神よ……どうか、天使の全てが幸福を享受できますように」
そうして彼女は、ゆっくりと体に力を入れて――車いすから、立ち上がった。
天界最終兵器と言われた彼女が、セラフィムの敗北を機に動き出したのである。
狙いは、もちろん加賀見太陽だ。
ひたひた、という足音を耳にして加賀見太陽は顔を上げた。いったいどこに潜んでいたのか。すぐそこから、くすんだ金髪の天使がゆっくりと歩いてくるのを視認する。
「――っ」
瞬間、彼は目を見開いた。魔族化したせいなのか、今の太陽は直観が鋭くなっている。こちらに迫るその天使から何か嫌な予感がしたのだ。
「……セラフィムさん、二回も負けたとか。ウケる」
その天使は地面に横たわるセラフィムを横目にして、クスリと笑った。その冷たい笑みに、太陽は拳を構えてしまう。
なんだこいつはと、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
「ああ……あなたが、出てきてしまいましたか。と、いうことは、天使もこれで終わりというわけですね」
「ま、そうなんじゃん?」
「そうですか。ようやく、終わりが来たのですか……悪くない最後です。オファニムよ、どうか、我々に最後の光を灯してください」
「言われなくても。っていうか、それがあーしの役目だし」
倒れながらも祈りを捧げるセラフィムから、オファニムは目を離してひたひたと歩く。
加賀見太陽へと、真っすぐに……揺るぎない足取りで。
「始めまして、化物さん。あーしは座天使オファニム……これから終わりをもたらす、最後の天使」
「……は? 言ってる意味が分かんねぇよ。ってか、これ以上近づくな。殴るぞ」
「殴ってもいいけど? あーしが、自分の足でこの地に立った。もう、それだけで終わりは始まっている。誰にも、あーしは止められない」
会話が、会話になっていなかった。太陽にまったく理解させるつもりもないのだろう。オファニムは自分勝手にぶつぶつと呟いている。
「あーしらは、今まで立派に生きてきた。あんたっていう、化物を前にしても逃げずに、身命を賭して教えを守り続けた。だから、あーしらはもう……終わっていい。この、辛くて苦しくて、悲しい『生』の世界から、旅立つ時が来た」
目は、光に満ち溢れている。そこに絶望はない。あるのは、眩いばかりの未来だけ。
「あーしらは、やっと幸せになれる」
オファニムは微笑む。微塵の悔いもないと、そう言わんばかりに――大きく手を広げて。
「これで、ようやく終わり」
太陽の反応はもう見ていない。オファニムは、ただただ自らの役割を全うしたのだった。
「【終焉の世界】」
聖法を、解放する。
オファニムの【終焉の世界】は、たった一度しか使用することのできない聖法である。発動したら最後、もう二度とこの聖法は使えない。
否、正確には使えないというよりも、使えなくなると言った方が適切か。
何故なら、この聖法の発動を最後に、オファニムが死ぬからである。
「嗚呼……この時が、いよいよ来たのですね!」
オファニムが聖法を発動させて、虫の息のセラフィムが歓喜の声をあげる。発光し始めたオファニムの姿に、感動の涙を流しているようだった。
彼は、この時を喜んでいる。
オファニムによってもたらされる終焉は、他の天使にも適用されるからだ。セラフィムや、まだ天界に存在している天使たちも巻き込んで、全てが死に旅立っていく。
簡単に言えば、オファニムの聖法とは――種族を巻き込んだ盛大な自爆技なのだ。
天使の終焉をもたらす、という役目を担ったオファニムらしい技ともいえる。
「冗談じゃねぇぞ」
徐々に輝きを増していくオファニムを前に、太陽は危険を察知した。牙を剥いて唸り、目を大きく見開いている。
(何もしなければ、ヤバいっ)
そう直観して、焦っていたのだ。拳を握り、オファニムを殴り飛ばしたい欲求に駆られるが……それで終わるわけがないと、彼は動けずにいる。
殴ったところで無駄だ。オファニムの体内から膨れ上がる聖法が、早めに爆発するだけだろう。結局、彼女を止める手段はないのだと、太陽は直感していた。
「ぬっ!? これは某には手に負えんな! さらばだ太陽殿!」
盲目のヘズもまた、オファニムの異常性に感づいたのだろう。おもむろに跳ね起きた彼は、即座に持っていた魔法晶を砕いた。魔法の込められる魔法アイテムは、王女様に持たされていたものである。中には転移魔法が込められていた。
「楽しいひと時であった!」
最後にそう言って、転移するヘズ。思ったより元気だったので、太陽は安堵やら呆れやらで、思わず肩をすくめてしまった。
「あの人は、本当に相変わらず……アホだな」
ともあれ、危険であることに変わりはない。
「リリン、ゼータ……お前らも、転移して帰れ」
後方に控えている二人にそう呼びかける。彼女たちの安全を優先しての発言だったのだが。
「なによ、あれくらいも防げないの? 神様殺すって言ったじゃない。あんたなら、大丈夫よ」
「……ゼータは、ご主人様を信じておりますので」
二人とも、太陽を心から信頼しているようだった。逃げる必要もないだろう、という態度に太陽は苦笑する。
「そこまで言われたら、期待に応えないわけにはいかないか」
拳を緩めて、己の手のひらを見つめる太陽。体の中に燻る魔力を知覚して、ゆっくりと息を吐き出した。
想起するは、エルフとの戦い。
空間魔法によって周囲を隔離して、太陽の爆発を防いでいたシルトとかいう奴のこと。
あれと同じように、オファニムの爆発も防ぐことができるはず。
そうすれば、リリンとゼータを守ることができる――と、太陽は思っていた。
「お前らの最後、邪魔させてもらうぞ?」
発光するオファニムに歩み寄り、触れることのできる距離まで近づいたところで、太陽は魔力を練り上げる。
発動するべきは、この場と周囲を隔絶する密閉型の魔法。
「【闇の漆黒球】」
発動と同時、オファニムと太陽の周囲を闇が覆った。球状に膨らんだ闇は、中と外を隔絶する。この闇の空間で、オファニムの自爆を防ごうとしていたのだ。
「ウケる……あんたは、巻き込まれるのに」
「俺が死ぬわけないだろ。まだ童貞だからな、彼女が出来るまで死なない」
本人的にはカッコつけている気分のようだが、まったくカッコ良くない一言にオファニムは表情を消す。
「キモイ」
「そ、それは酷くないですかねぇ」
「ウザい。童貞のまま、死んで」
はっきりとそう言ってから、オファニムは聖法を解放するのであった。
「さあ、終焉の時――!!」
刹那、オファニムから光があふれ出す。眩い光は、爆発するかの如く発光して――太陽の作り出した闇の空間内で、爆発した。
言葉では表現できないような、凄まじい爆発が空間を襲う。太陽の超極大爆発魔法よりも一段上の爆発であった。
人間であった頃の太陽なら、耐え切れなかったであろう衝撃が彼を襲う。
だが、今の太陽は……魔族化して、遥かに頑強となっていた。
「――っ!!」
歯を食いしばって、爆発を受け止めた太陽。鱗がはがれ、翼がもげ、尻尾がちぎれ、角が折れて、だが命は消えることなく。
「…………ふぅ」
オファニムの自爆を、受け止めてしまうのだった。
結局、黒の空間は壊れることなく、爆発を防いでしまう。
オファニム以外、誰も死ぬことのない『終焉』であった。
「――嘘、でしょう」
予想外で、規格外の太陽に、セラフィムは目を剥いて驚愕を浮かべる。
加賀見太陽の強さは、天使の終わりすら許さない、無慈悲なものであった――




