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72 熾天使セラフィム襲来

 太陽がゼータと感動の再会を果たしていたその場面を、彼女はしっかりと目撃していた。


「あの人間は何してんのよ……」


 館のバルコニーから、リリンは眼下でくっつきあう二人を眺めている。別に見ようと思ってみたわけではなかった。ただ、寝苦しかったので夜風を浴びようと外に出たら、偶然見えてしまっただけである。


「なんで、よりにもよってあんな奴が召喚されたんだか」


 彼女はうんざりと息をつく。夜目の鋭いサキュバスは、夜であろうとも太陽のだらしない表情がしっかりと視認できていた。


「顔すら、見たくなかったのに」


 ぎゅっと胸元で手を握る彼女の瞳は、微かに揺れている。唇も固く結ばれていた。


「魔王様を……お父様を殺した奴になんて、絶対に会いたくなかった」


 そう。彼女の父親は、先代の魔王様。

 リリンは、太陽に殺された元魔王様の娘だったのだ。


 まあ、魔王の子供といってもリリンは二十五番目の子供である。上に十三人の兄と十一人の姉がいる末娘だ。権力は一切ないし、これからも持つ予定はない。


 魔王様は代々性欲旺盛であらせられるので、こうして子供がたくさんいるのは魔界ではあまり珍しくなかった。加えて、魔王の継承は血に因らないので、子供とはいっても得られる恩恵はほとんど皆無。魔王の子供だが、リリンはあくまで普通の魔族なのである。


 だから生贄にも選ばれたし、誰からも特別視されたことはなかった。それどころか、先代の魔王を誑かしたサキュバスの子供ということで蔑視されていたほどである。


 兄や姉もリリンには冷たかった。というか血縁と思われていなかったようにも感じるので、リリンは兄や姉とはあまり関わらないようにしていた。むしろ先代魔王様一族とは距離を置いていたほどである。


 だが、一人だけ例外がいた。

 それは、末娘ということで過剰なほどに可愛がってくれたお父様……つまり、先代の魔王様である。


 先代の魔王様はリリンを父として愛してくれた。たまにしか会えなかったが、リリンもまた先代魔王様である父が大好きだった。


 だから、先代の魔王様を殺した太陽と、出会いたくなんてなかったのだ。


「お父様は、自分を殺した者を恨むなって言ってたけど」


 代々、魔王の死は早い。弱肉強食の魔族は血気盛んな者も多く、魔王となれば勝負を挑まれるのは日常茶飯事。死は免れないからこそ、普段からこんなことを言っていたらしい。


 魔族にとって死は栄誉でもあるのだ。別に悲しむ必要はないと、先代の魔王様はリリンに言い聞かせていたのだろう。


「でも、無理よ。あたし、あいつのことどうやっても好きになれそうにない」


 生贄になって、死にそうになっていたところを助けてくれたが。

 それでもリリンは、太陽を好きになれそうになかった。父の言いつけをどうにか守ろうと頑張っているが、恨みもあるせいか態度が中途半端になってしまっている。


「……でも、ここに来られたことだけは、良かった」


 状況はあまり気分の良いものではないが、ともあれリリンはこの先代魔王の別荘に来られて喜んでいる。ここは先代魔王とリリンの密会場所、兼先代魔王様の夜伽場だったのだ。ここで先代魔王様はよく夜を楽しんでいて、その後でリリンと遊んでくれていたのである。


「……これから、どうなるんだろ。っていうかあたし、どうしてあんな奴を召喚できたんだろ」


 月光を浴びながら、リリンは大きく肩を落とす。

 これからどうなるのか。そもそもどうして太陽を召喚してしまったのか。何も分からないままに、彼女は思い悩んでしまっていたのだ。


「魔王様……これから、どうすればいいですか?」


 今は亡き、先代の魔王様への問いかけは虚空に消える。


「…………はぁ」


 誰からも返事はなく。

 ため息とともにリリンが再び天を見上ると――そこには『何か』がいた。


 三対六枚の翼、頭の上には光るリング、淡く発光するその姿は陽炎のように揺れているためその顔を視認することはできない。だが、普通の存在ではない威圧感は嫌というほど感じた。


「……え?」


 ぽかんと口を開くと同時、その『何か』もまたリリンの存在を知覚したようで。


「おやおや、私は何と幸運なのでしょうか! よもや探そうとしていた貴方がこんなにも簡単に見つかるなんて、嗚呼……流石私! すごいですね!!」


 その『何か』は何やら一人で勝手に喚き散らしていた。リリンは戸惑い、どんな反応をしていいか分からなくなってしまう。


「あ、あんたは、誰?」


 ようやく絞り出したその問いかけに、『何か』は芝居がかった口調で言葉を放つのであった。


「私は神に選ばれし【天軍九隊】が一人、熾天使セラフィムの名を襲名せし者……どうぞよろしくお願いします。そしてさようなら、小さき魔族よ」


 その『何か』が深く一礼した後、リリンの視界は真っ白に染まった。


「【聖炎(ホーリー・フレア)】」


 発光――否、セラファムが放ったのは眩いほどに純白の炎。三対六枚の羽根の一枚から放射された白き炎が、魔界の夜を明るく照らしたのだ。


「…………!」


 その炎から、リリンは死の恐怖を感じた。熱いわけではないのだが、本能的にこの炎は危ないと直観したのだ。

 このままでは死ぬ。そう判断した瞬間にリリンは叫んでいた。


「あたしを守って!」


 無意識の命令は、彼女が召喚した使い魔に届く。

 刹那、館の外にいたはずの加賀見太陽は、いつの間にかリリンの眼前に召喚されていた。


「な、っ……【闇の波動ダークネス・ウェイブ】!」


 太陽はいきなり召喚されて、目の前に広がる白い炎――聖炎に驚いていたようだが、即座に魔法を撃ち返した。反射的な行為だろうが、発射された闇属性の波動によって聖炎は打ち消される。


「ほほう! これはこれは、貴方も一緒に居てくれるとは! なんたる僥倖、なんたる幸運! やはり普段から小まめに祈っている私の敬虔なる信仰心のおかげなのでしょう!! 流石私です……使徒の鑑だ!」


「うっわ。なんかいきなり自画自賛とかキモイなこいつ。っていうか、なんだよこれ……俺は今ゼータと愛を育んでたんだけど? 邪魔すんなよ」


 中指を突き立てる太陽は少し機嫌を悪くしたようである。

 一方で、リリンはまたしても危機から助けられて複雑な気持ちを抱いてきた。


(本当は、こんな奴に頼りたくなんてないのに……)


 俯き、拳をぎゅっと握る。されどもその感情は覆い隠し、リリンは不穏な気持ちを隠して顔を上げた。


「ねえ、あんたってあたしの召喚獣なんでしょ? だったら、あいつからあたしを守って」


 毅然としてそう言い放つ。もし反論されたらどうしようなどと頭の中ではびくびくしていたが、太陽の表情が険しくなることはなく。


「……不思議と、お前の命令には背く気がしないんだよな。なんでなのか……まあ、守るから安心しろ」


 軽い態度ではあるが、守ることを確約してくれた。その従順な態度にリリンの戸惑いは大きくなる。


「本当に、意味分かんない」


 小さな呟きは、太陽には届くことなく消えていった。


「ま、どうせさっきの天使と一緒くらいの強さだろ。さっさとぶっ倒して、ゼータとイチャイチャさせてもらおうか」


 拳を構える太陽。昼間も彼は天使を圧倒してみせた。今回も大丈夫だろうと、リリンは思ったわけだが。


「神よ、我が祈りを叶え給え。この者達に、死の祝福を」


 ぞわりと、悪い予感がした。

 冷や汗を流して、リリンは目を大きくする。


 セラフィムの後方――天から降り注ぐ幾つもの光を見て、リリンはまたしても叫んでいた。


「館を守って!!」


「【闇の霧ダークネス・ミスト】」


 瞬間、太陽は指示通り館ごと覆う防御の魔法を展開。漆黒の霧が広がると同時、降り注いだ光がゾロアスターに直撃して――




「神の御許へ」




 ――ゾロアスターに居た魔族は、リリンを除いて消滅した。







 一瞬の出来事に、リリンは何も言えない。

 他方、加賀見太陽ですら驚愕の表情を浮かべ、唸るように言葉を放つことしかできないようだった。


「さっきの奴とは、違う……」


 祭壇に降り立ったあの天使とは格が違う。

 そう実感した太陽に、天に舞うセラフィムは陶酔したような笑みを浮かべるのみ。


「嗚呼……また、私は善行を重ねてしまいました! 流石私です! 熾天使セラフィムを襲名した、祈りある使徒こそ私です! 私の祈りは止まりません……すべての生命に死を! それこそが、神の望みです!!」


 死を至上とするセラフィムの言葉は、あまりにも歪んでいる。


(何なのよっ。加賀見太陽だけでも意味わかんないのに、本当に意味わかんない……魔王様、あたしはどうしたらいいの? お父様、教えてよっ)


 その狂気に、リリンは震えることしかできなかった――

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