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ダンサー

作者: 白海

夏のホラー2020 参加作品/テーマ「駅」

「なぁ、あれなんだろう」

「えっ」

 顔を上げれば、確かに不思議な光景が我々の視線の先にあった。


 随分と長い髪を、振り乱して踊る女。


【ダンサー】


 はっきりと見えたわけではない。カーテン越しに、シルエットが見えただけだ。ホームから見えるビジネスホテルの一室ということもあってか、俺も言われるまで気が付かなかったし、電車を待つ他の乗客も気付いた様子はない。そんなことを考えているうちに女のシルエットは見えなくなって、どの部屋だったかもわからなくなっていた。

「なんだったんだろうな」

「踊ってたんじゃないか?」

「あんなホテルで?」

「じゃあ他に何があるんだよ」

 やって来た電車に乗ってしばらくしたら、女のことなんて忘れてしまっていた。再び思い出したのは、また同じ駅の、同じホームでのことだった。



「あ、また」

 考える前に、先日のビジネスホテルのあの部屋を見ていた。やっぱり、踊っている女にしか見えない。それにしてもまた同じ部屋とは、わざわざ指定しているんだろうか。他の部屋と違うところが何かあるのだろうか。

「あの部屋で踊らないといけない理由でもあるのかな」

「家でやればいいのにな」

 電車の窓から眺めるホテルは、もうただのビジネスホテルに見えた。わざわざあのホテルに泊まる理由、何があるだろうか。飯がうまいとか、部屋が綺麗だとか?そんなことだけで部屋まで指定して?

 減速した電車の窓からは、さっきの駅と同じようなホテル、それから派手に輝くカラオケボックスの看板も見える。そうだ、ダンスならカラオケボックスの方が都合がいいんじゃないか。ビジネスホテルであんなに激しく踊っていたら、隣室や下の階から苦情でも来そうなものなのに。

 一体なぜ、彼女はあの部屋で踊るんだろう。

 その翌日から俺は、ホームに立つたびに例のホテルを見ていた。だいたいの部屋の場所はわかる気がしていたので、特にそのあたりを。俺がホームにいる時間に彼女が踊っていなければ見えるはずもないけれど、過去二回とも同じような時間に見えていたのだから、もう一度くらい見られる可能性があるんじゃないだろうか。

 とはいえ目を離さないようにと気を付けていたのはほんの数日の話で、いつしか忘れることの方が多くなっていた。それもそのはず、特に代わり映えのないホテルをただぼんやり眺めるほど、つまらないことはなかったからだ。けれどいつしか俺は、電車に乗る前にあのホテルを見るくせがついていたらしい。



 そのせいだろうか、今度は俺が先に見つけた。

「あっ」

 うっかり大きな声を出してしまい、周囲の人の視線が刺さる。咳払いをしたけれど誤魔化せるはずもなく、そんな俺の様子を笑われてしまった。

「笑うんじゃない! おい、また出たぞ」

「ああ、出たな」

 やっぱり彼女は激しく踊る。長い髪を振り乱し、手足を大きく動かして。きっとあれだけ踊っているのなら、音楽だって相当な音量だろう。隣から苦情は来ないんだろうか。

「イヤホンで聞いているんじゃないか?」

「ああ、そういう可能性もあるのか。でもあれだけドタバタしていたら、苦情のひとつも来そうなもんだがな」

 しかもやっぱり、前回と同じ部屋のように見えた。今度はちゃんと場所を確認したから、次は本当に同じ場所かどうかの確認ができる。

 同じ場所かどうか確認して、そうしたら次は。



「何か、法則性があるのかな」

「法則性?」

「あの女がこの時間にあの部屋で踊ることに、何か決まりがあるのかなと思ってさ」

 どうにも彼女の事が頭から離れなかった俺は、前回彼女を見かけた日をメモしておいた。次に見た時にまたメモしておこうと思っていたけれど、ある日ふと思い出した。一番最初に見た日は思い出せないけれど、二回目に見た日はわかるんじゃないだろうかということを。あの日はたまたま新しい家電を買った日で、保証書の日付が残っているはずだ。

 その日、家に帰ってから俺は、二つの日付を並べてみた。日付を見るまでは、毎週同じ曜日に泊まっているんじゃないかと考えていた。その日が休みの日で、休みのたびに泊まっているだとか、月に一度その曜日にやって来てダンスの練習をして、例えばダンスの大会に出ているだとか。けれどその考えは、二つの日付を並べてすぐに消え去った。

「同じ日だ……」

 前回彼女を見た日付と、その前に彼女を見た日付は、曜日と月は違えど全く同じ日だった。そうなると、あの部屋を選んでいるのも何か理由があるんじゃないだろうか。

 これがビジネスホテルでなく観光地のホテルだったら部屋についてのこだわりがあるとも考えられる。もしくは、ビジネスホテルでも最上階であるとか、角の部屋であるとか。けれど実際に彼女が泊まっているのは最上階でもなければ角部屋でもない。実際に行ってみたらわかるのかもしれないけれど、用もないのに客室のある階までは行けないだろう。

 それなら、用を作ればいいんじゃないか。



「それで、来月はホテルに泊まるのか?」

「ああ。本当に今日また彼女が泊まっているのか確認して、ついでに部屋も本当に合ってるか確認してからと思ってな」

 わざわざそんなことをして何になると言われるかと思ったが、そんなことは言われなかった。むしろ「どうなったかまた教えてくれよ」と言われた。泊まるとしても一ヶ月先の話なのに、随分と気の早いことだ。

「そういえば、もし今日彼女が見えなかったらどうするんだ?」

「どうするって?ホテルにはまだ予約してないから……」

「そうじゃなくてさ、もし今日彼女がいなかったら、来月までまた毎日ホテル眺めて待つのかなって」

 待つというほど待った記憶はない。ただ、電車に乗る前の確認が習慣になっているのは事実だし、それをわざわざ変える必要はないだろうとも思う。

 この日はホームに立ってからずっと、彼女の姿が見えなかった。立った場所のせいか、時間のせいか。いつも見つかるときは探すまでもなく見つかっていたから、こんなに見えないということは……俺の予想は違っていたんだろうか。データとしても二回分しかないのだから、外れている可能性だって十分ある。そうわかっていても、残念な気持ちが大きかった。

「やっぱり、違ったのかなぁ」

「いいじゃないか。今日いたっていなくたって、来月まで何もしないことには変わらないだろう」

「そうだけどさぁ」

 今日確認して、来月こそいよいよと思っていたのに。そんな風に落胆して気付いた。俺は泊まるだけで何ができるわけでもないくせに、泊まればきっと謎が解けると信じていたのだ。いつの間にか謎解きに挑む気分になっていた自分に、ふと違和感を覚える。俺は、こんな風に好奇心を持って自分から何かするような人間だっただろうか。

 少し俯いたまま、やって来た電車に乗ろうとした。その瞬間、「おい!」と言われて、俺を含め数人が顔を上げた。そして俺は、ようやく彼女の人影をあの窓に認めることができた。

「来月、泊まれるな」

 俺より嬉しそうな声が、耳元で響いた。





 当日は休みを取った。いつもホームに立つ時間に、ホテルの部屋にいる為にだった。

「わざわざ休みを取るのか」と呆れられたけれど、何時に事が起こるかわからない以上、早めにチェックインしておきたかった。俺の部屋は、彼女の隣であろう部屋だ。通路を挟んで反対側の部屋にされたくはないと、わざわざ駅が見える方の部屋を指定した。

「じゃあな。健闘を祈るよ」

 その言葉を貰った時は、チェックインしてすぐにでも彼女の部屋の様子を窺おうと思っていた。けれど、廊下でただうろうろしているというのもあまりに不審だろう。とりあえずいつもの時間くらいまでは待ってみようと、テレビをつけてみた。落ち着かない気持ちのままにチャンネルを何度か変えて、そのうち夕方のニュース番組が始まった。

 最近起こった強盗事件、山で遭難していた人が無事に発見された報告、数ヶ月前の犯人がわからないままの殺人事件。なんとなく部屋を歩き回り、分厚いカーテンを閉める。大きな規模の汚職事件の続報、それから地域の学校や会社を紹介しはじめた頃に、ようやくいつもホームから部屋を見上げる時間がやってきた。

 部屋の中と、廊下。どちらの方が音が聞こえるだろうか。ドア越しに聞くよりも、隣の部屋から聞こえてくる声の方がよく聞こえる気はするけれど、それは彼女の隣の部屋である必要がある。一部屋でも挟んでしまえば意味が無くなってしまうだろう。ずっと悩んではいたけれど、いざ時間になるとなかなか決断ができなかった。

「この時間になっても音がしないなら……廊下に、出てみるべきだろうか」

 迷っているうちに電車が発車する時間になっていた。何か聞こえるとしたらもう聞こえているはず。やっぱり、一部屋あけて部屋を取られてしまったんだろう。そう判断した俺は、なるべく静かに廊下に出て、ゆっくりとした足取りでエレベータへと向かう。隣の部屋、やっぱり何も音はしない。そしていよいよ、本命の部屋。廊下に貼ってある非常時の脱出経路図を見ているふりをしながら、さりげなく足を止めた。さぁ、何か聞こえるだろうか。


 がた、がたん。


 聞こえるとしたら、音楽か足音だろう。そう思っていた俺の耳に飛び込んできたのは、明らかに何かが固いものにぶつかる音だった。それなりに派手な音がした。思わず、大丈夫かと声を掛けそうになったくらいの勢いで。

 そうだ、そう言えばいいじゃないか。

 俺はその足でフロントに向かい、部屋の前で大きな物音を聞いた、中で誰か倒れているんじゃないかと捲し立てた。中で何かあったらどうするんだと言えば、きっと電話するなり、様子を窺いにいくだろうとふんでのことだった。せめて、中にどんな人がいるのかだけでもわかれば。そう思ったのに、フロントの従業員は顔を真っ青にして黙り込んでしまった。

「どうしたんですか、早く電話してみてくださいよ、中で万が一のことがあったら」

「お客様、大変申し上げにくいのですが、そのお部屋は本日使用しているお客様がおりませんので」

「そんなはずないだろう!俺は絶対に、あの部屋で音を聞いたんだ」

「そうおっしゃられましても……」

 明らかに様子のおかしい従業員に、物は試しと長い髪の女の話をした。俺はさっきだって見たんだ、腰まであるような長い髪の女がいただろうと。きっとその人に違いないと。そう言うとますますフロントの人間の顔は強張って、最終的には「申し訳ございません。本当に、どなたもおりませんので」と繰り返すばかりになってしまった。



 俺は、部屋に戻って一人後悔していた。もっとうまくやる方法があったんじゃないだろうか。あの音について大袈裟に言いはしたものの、今考えれば本当に何か事故でもあったんじゃないかとどんどん不安になってくる。

 俺は、その後何度も例の部屋の前を通った。もしかしたらフロントの人間が来るかもしれない。何か事情を知っている人が来るかもしれない。そう思ったのに、結局は何ひとつ明らかにされることなく朝を迎えてしまった。





「……ってわけで、大失敗だったよ。例の部屋の隣は取れなかったし、何か音は聞こえたはずなのに宿泊者はいないと言われるし、彼女の姿は見ることができなかったし、もちろんダンスの謎も解けなかった」

「そうか、まぁしょうがないな」

「ああ、しょうがない」

 あの夜に何度も何度も自分に言い聞かせた、しょうがないという言葉。きっとこれがドラマか映画なら、ダンサー志望の女性と一晩の恋に落ちるなんて結末もあったかもしれないのに。そう言ってやると「そうだったらよかったのにな」と笑う。相変わらず、ホテルを眺める癖はそのままだ。顔を上げて、やっぱりいないと確かめて、それから電車に乗る。一人電車に揺られながら、いつものように彼女のことに思いを馳せる。

 そういえば、あの日からもう一つ習慣になったことがあった。

 あの日見ていたニュース番組を見ること。帰ってテレビをつけてチャンネルを合わせて流しておくだけで、彼女のことを忘れずにいられる気がしたからだった。





 今日も、アナウンサーが淡々とニュースを読み上げる。


『さて、およそ半年前に起こった××ホテルでの男性客殺人事件ですが、犯人が逮捕されたとの情報が──』


 そういえば、なぜあんなに分厚いカーテン越しに、踊る彼女の姿が見えたんだろう。



『──犯人は従業員の女であり、その長い髪が現場に残っていたことが手掛かりになったと──』



 そういえば、踊っていたにしてはあまりに激しく……そう、踊っているというより、暴れて、何かから逃げようとしているような。

 ああ、この発見を、あいつに教えて



 ……あいつ?



『──動機を詳しく追及していく見込みです。続いてはこのコーナー』



 いつも一人乗り込む電車。ホームにいるときだって、電車の中だって、行きも帰りも俺はいつも一人で通勤している。そのはずなのに。



 

 俺は、誰と話していたんだろう。

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