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74.牢屋の少年

 ルーナさんやシーナちゃん軍団と話し、覚悟を決めたのがよかったのだろうか。


 ――停滞していた夢は、その夜から少しずつ進んでいった。



 ◇



『魔獣……ではなさそうだな。今までに見たことのない動物だ』


 檻の中で、()は小さく首を傾げる。

 暗くてよくは見えないが、整った顔立ちの少年だった。どうやら怖くはないらしい、と見て取って、私はひょいと鉄格子の間をすり抜ける。


『ぽえぇ〜?』


『……何か、食べるか。こんな場所だが、幸い食事は悪くない。……俺だけはまだ生かしておくつもりなのだろう』


 後半の呟きは、どうやら独り言のようだった。

 目を丸くする私を軽く笑うと、彼は平らな石の上に置かれていた盆を取った。木の実を寄せ集めて焼いた、素朴な焼き菓子を私に渡してくれる。


(え、え? 大事な食料でしょうに、もらっちゃって大丈夫なの……?)


 焼き菓子を両手に抱え、おずおずと彼を見上げた。


『構わない。食わずに自死するつもりはないが、俺はどの道――……っ!』


『ぱ、ぱぇっ!?』


 突然、少年が苦しげに咳き込み始める。

 けほけほ、と乾いた咳はしばらく続き、牢屋の中で不気味に反響する。私はぞっと総毛立ち、お菓子を放り出して彼に駆け寄った。


『けほ……っ、けほっ』


『ぱ、ぅ。ぱうぅっ?』


『ふ……っ。なんで、お前の方が泣きそうな声を出す……?』


 体を折って苦しみながらも、彼はこらえきれないように笑い出す。そっと手を伸ばして私を撫でて、驚いたみたいに目を瞬かせた。


『……すごい。お前、毛玉。ちょっと他にない触り心地だぞ。もっと撫でさせろ』


『ぱ、ぱうぅ〜?』


 褒められて、てれてれと身をよじる。

 気を良くした私は、彼の膝に座り込んだ。早速彼が嬉しげに手を伸ばす。


 咳も止まり、しばらくは静かな時間が流れた。


『……おい、毛玉。お前はどうして、俺がこんなところに囚われているのだと思う?』


 ややあって、彼がぽつりと尋ねる。

 うとうとしかけていた私は、きょとんとして彼を見上げた。


『ぷぅ?』


『ふっ、こんな毛玉に理解できるはずがないか。……そうだな、ならば構わないだろう』


 おい毛玉、と茶目っ気たっぷりに呼びかける。


『これから話すのは、全て俺の独り言だ。聞きたければ耳を傾けろ。眠いのなら寝ていればいい』


 けほ、とまた小さく咳をして、彼は盆に置かれた水差しの水を口に含んだ。じっと沈黙し、ややあって落ち着いた声で語り出す。


『……俺は、俺の一族は、森の民と呼ばれていた。今はもう皆殺されて、俺が唯一の森の民になってしまったが――』



 ◇



「ぱ、うぅっ」


「シーナ。大丈夫か?」


 眉根を寄せたヴィクターが、心配そうに私を覗き込む。

 かすみがかった目をこすり、私はぼんやりと彼を見上げた。あれ、ヴィクター? 彼は――あの牢屋の少年は、どうなったの……?


 夢と現実の境界が曖昧だった。

 ふるふる首を振るだけの私を、ヴィクターはそっと抱き上げた。胸に抱き締め、なだめるように優しく撫でてくれる。


「また、苦しそうにうなされていた。……月の女神め、二度目はないと忠告したものを……!」


「ぽ、ぽえっ!?」


 剣呑なうなり声に、一気に覚醒した。

 ヴィクターの胸をバンバン叩き、「ぽえっ、ぽえっ!」と必死で訴えかける。


(違う違う! もう大丈夫なんだってば〜!)


 参ったな、早く夢の続きを見なくちゃいけないのに。

 私がうなされたらヴィクターが心配してしまう……、でも別で寝たら、またヴィクターが寂しがっちゃうだろうし。


「ぽぇ〜……」


 難しい顔で腕組みしていたら、ヴィクターがちょっとだけ笑ってくれた。私の額をぐりぐりと指で押し、「一応、元気そうではあるな」と目を細める。


「何か、必要なことをしているのか? 月の女神の指示で」


「ぱえっ!」


「お前の身に危険はないんだな?」


「ぱえぱえっ!」


 勢い込んで肯定すれば、ヴィクターはじっと考え込んだ。

 ややあって、仕方なさそうにため息をつく。


「……ならば、もう少しだけ静観していよう。その代わり辛くなったらすぐに言え。食事もちゃんと取るんだ」


「ぱえ〜!」


 もちろんもちろん、と頷いて、ぎゅっとヴィクターにしがみつく。背中を撫でる大きな手の温かさに、あっという間に意識が溶けていった。



 ◇



 ぴちょん、と水滴の落ちる音がする。

 私は少年の膝の上、伸び上がるようにして彼を見上げていた。


『――それで俺たち森の民は、王子ヴァレリーに力を貸すことにしたのさ。母は最後まで反対していたが……俺が、説得した。俺は生まれつき心臓が弱くて、きっと大人になるまで生きられない。ならばせめて、死ぬ前に何かを成し遂げたかった。森の外を、見てみたかったんだ……』


 どこか遠くを見るように目をすがめ、彼は淡々と言葉を重ねる。


 王子ヴァレリーの指揮の下、森の民は魔法を使って兵と戦い、暴虐の王と王妃を捕らえた。

 王と王妃、そして一部の家来はすでに処刑され、ヴァレリーが新たな王となったのだという。


『ヴァレリーは、涙ながらに俺たちに感謝してくれた。だけど、俺は何もしていないんだ。戦ったのは族長たちであって、魔素を宿しながらも魔法の使えない俺は――っ』


 けほ、とまた何度も咳き込んだ。

 うずくまる彼に、おろおろしてすがりつく。


『……ただその場に、いただけだ。それでも、俺は、満足だった。嬉しそうなヴァレリーを見て、俺も、嬉しかった。友達だと、思っていたから……』


『ぱ、ぇ……?』


 きゅうと耳を垂らす私を見て、彼は頬をゆるめた。知っているか?と、わざとみたいに明るい声を出す。


『魔法は魔力があれば使えるが、魔力の源は魔素なんだ。魔素は目に見えず、感じ取ることも難しい。ちなみに俺は全然駄目だった。己の体にあるからこそ、近すぎて逆にわからないのかもしれない……』


 私は目をこすり、笑う少年をじっと見つめた。

 その体を包み込むように、とてつもなく赤い炎が揺れていた。ヴィクターの魔素の炎とは、比べ物にならないほど大きい。


『……魔法は、想像力が大事らしい。母たちがそう言っていた。風で切り裂くイメージ、地を穿つイメージ……。俺も、幾度となく訓練したのだが――……っ!?』


 不意に言葉を止めると、彼はひゅっと息を呑んだ。


 弾かれたように立ち上がり、鉄格子の隙間に耳をつける。

 小刻みに体を震わせると、すぐに奥へと取って返した。私を抱き上げ、早口でささやきかける。


『奴が……ヴァレリーが、来る。毛玉、お前は俺の後ろに隠れていろ。息をひそめ、決して声は上げるなよ――』

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