二十七話 『勇者』との邂逅
ユウリの言葉に、バラクエルは紫紺の瞳を大きく見開く。
「ほう? ほうほうほう。なるほどなるほど。言われてみれば確かに。妙な魔力をしているな。貴様が魔族を滅ぼすために異界より呼ばれたとかいう『勇者』か」
「……そう」
「はっ、くははははっ! いやはや、まさか噂の『勇者』とこんなところで出会うとはな。まったく、運命というモノは気まぐれすぎる」
肩を震わせ破顔し、心底おかしいというようにバラクエルは笑う。
あまりに無防備。警戒など一切ない。そんなバラクエルを前にして、しかしユウリは一切の警戒を解かなかった。
否、解けなかった、と言うべきか。
けらけらと無垢な童女のように、お腹を抱えて笑うバラクエルの態度は、敵を前にしているようにはとても見えない。
ただ、それを油断と捉えて彼女に向かっていけばどうなるか――ユウリは、自身に宿る『能力』で、それをはっきりと感じ取っていた。
――――死ぬ。何もできずに殺される。
ふるり、と無意識に体が震え、冷や汗が背中を流れる。
同時に、『どうしてこんなことに……』という諦観めいた思考が脳裏を過った。
魔導書の背表紙を強く握りながら、ユウリはごくり、と唾を飲み込んだ。
「それで? その勇者とやらがこんな場所に何の用だ? 森の中で楽しくピクニック、というわけでもあるまい?」
「……魔族である貴女を討伐しに来た、と言ったら?」
「はっはっは、面白い冗談だな。ゴブリンが空を飛ぶような話だ」
『ゴブリンが空を飛ぶ』、はどうあがいても不可能なことを指す故事である。
異世界出身のユウリにはいまいち通じていないが、小馬鹿にされたことは分かったのか、むっとした表情を浮かべ、手にした魔導書を構えた。
勝てないかもしれない。否、その可能性の方がずっと高い。
しかし、相手が逃がしてくれるとも思えない。ここから生きて帰るには、結局は戦うしかないのだ。
戦いに来たわけじゃないのに……と、ユウリはもう一度遠い目をしそうになるが、それを押さえて気力を奮い立たせる。
「……試してみないと、分からない」
「ほう?」
「「…………」」
ユウリが戦意を見せたことに、バラクエルは興味深そうにつぶやき、アディアとアリアはにわかに殺気立った。
純粋すぎる『殺す』という感情の発露は、その場にいた人族全てに向けられている。
「「魔王様、どういたしましょうか?」」
「ん? そうだなぁ。戦うか逃げるか、はたまた……」
と、手を顎に当てて考え出したバラクエルに、双子はふるふると顔を横に振る。
「いえ、そうではなく。どうやって殺しましょうかという相談ですわ」
「斬殺殴殺絞殺刺殺毒殺焼殺溺死生き埋め……出来ることなら、最大限に苦しむ殺し方をしたいですね」
「あっ、殺すのは決定事項なのな」
「「勿論です」」
まったくもっていつも通りな双子に、魔王様は呆れたように溜息を吐いた。苦笑を浮かべ、肩を竦めて、やれやれまったく困った奴らだ、と。
しかし、殺意を向けられているユウリたちはそうはいかない。全員が警戒を跳ね上げ、アディアとアリアを睨みつける。
三人の視線を受けた二人は、ぞっとするほど冷たい表情を浮かべる。
「……なんです、その目は? というか、見ないでいただけますか? 人族の汚らわしい視線で魔王様に頂いたこの身を穢したくはないのですが」
「……気持ち悪いですわね。魔王様に敵意を向けたというだけでも万死に値すると言いますのに……これ以上罪を重ねるのですか。本当に愚かですわ」
「正直、触れるのすら嫌なのですが……まぁいいです。さっさと殺してしまいましょう。ねぇ、アリア」
「ええ、お兄様。残らず血祭に上げて差し上げますわ。それでは――」
アディアとアリアが手を掲げ、魔力を練り上げる。吹き上がる漆黒は掲げられた掌に圧縮され、手のひら大の球体となった。
そこに込められた魔力を見て、ユウリやミラを庇った二人の襲撃者が目を見開く。
「……! 障壁を……!」
「あの魔力量……! まずいッ」
「コウキ様! 危ない!」
それぞれが対処に動こうとする姿に、双子は酷薄な笑みと見下すような視線で。
「「死ね、塵虫」」
嘲り笑うような声音で告げるとともに、漆黒の【魔弾】が放たれた。
散弾のように飛び出した一発一発が岩を砕き鉄さえ貫通する魔力の弾丸は、周囲の木々を破壊しながら人族の三人に迫る。
ユウリは魔力障壁を展開し、残る二人は手にした武器を振るいそれを撃ち落とすことで防御する。数十発の魔力弾は彼らに傷一つ付けることなく終わった。
しかし、それも想定内と言わんばかりにアディアは魔法陣を構築した。
「おや、この程度は防ぎますか。では、続いて――【刃風烈波】」
その言葉と共にアディアの掌の先に構築された魔法陣から全てを断ち切る風が無数に飛び出し、不規則な軌道を描いて襲撃者たちに殺到する。
襲撃者たちは纏った魔力の密度を上げ、先ほどよりも早いスピードで武器を振るい風の刃を相殺していく。
確かな剣術理論の元に振るわれる太刀筋は流麗で、的確にアディアの魔法を撃ち落としていく。
「うぉおおおおおおおおおお!!」
「はぁああああああああああ!!」
裂帛の気合と共に、最後の風が散らされる。
風刃の弾幕を全て叩き切った襲撃者たちは、「どうだ」と言わんばかりの笑みをアディアに向けた。
軽く挑発を受けたアディアは、しかし一切動じた様子もなく、淡々と口を開いた。
「アリア」
「はい、お兄様」
鈴を鳴らしたようなアリアの声。それは襲撃者たちの頭上より降り注いだ。
襲撃者たちは驚き目を見開き上を見て――すでに展開され、多量の魔力を孕んだ魔法陣に、顔を引き攣らせた。
そう、アディアの攻撃はあくまで布石。本命は、これより放たれる殺意の奔流だ。
いつの間にか襲撃者たちの頭上に躍り出ていたアリアは、魔法陣を輝かせながら高らかに告げる。
「――――【闇夜圧墜】」
魔法陣から放たれるは、質量を持った闇を叩きつける上級魔法。それを見たユウリは目は見開き、そして苦い表情を浮かべた。
「……闇属性。やっぱり、あの子たちが……」
小さくつぶやくユウリ。それを見ていたバラクエルは「ふぅん?」と口の端を吊り上げた。
アリアの放った【闇夜圧墜】はその性質上、魔弾や風刃のように剣で弾くような防御は不可能。魔力障壁で受け止めようとも、生半可な硬度ではあっさりと砕かれてしまうだろう。
故に、襲撃者たちが取れる手段は一つ。回避のみ。
地面に倒れたミラを一人が抱き上げ、そのまま森の中へ一足飛びに駆けていく。
直後、彼らがいた場所に闇が落ち、破砕音と共に大きなクレーターを作り出した。
ふわり、とメイド服の裾を翻しながらアディアの隣に着地したアリアは襲撃者たちが逃げていった方に視線をやりつつ、困ったように頬に手を当てた。
「あらあら、逃がしてしまいましたわ。逃げ足だけは達者なのね。野兎みたい」
「くひひっ、では地の果てまで追いかけてソテーにしてしまいましょうか」
「それは良いですわね、ふふっ」
顔を見合わせ、にこりと咲き誇る花のように可憐な笑みを見せる双子。話している内容から全力で目を逸らせば、とても絵になる光景だった。
が、外から見ればそこに蔓延る狂気は隠せない。二人の会話を聞いてしまったユウリは思いっきり顔を引き攣らせている。
そんな二人に、肩越しに振り返ったバラクエルが呆れたように声を掛けた。
「おーい、ちょっと猟奇的が過ぎるぞお前ら。もうちょと穏便にな?」
「「はっ、申し訳ございません、魔王様。それで、逃げた者共はどういたしましょうか? 追って縊り殺しますか?」」
「うん、穏便どこ行った??? ……まぁいい、遊んできていいぞ。殺すことも許可する」
「「はっ、了解しました」」
丁寧に一礼し、アディアとアリアは森の中に消えた襲撃者たちを追うべく駆け出した。
あっという間に森の中に消えていった双子の背を見送ったバラクエルは、「さて」と呟きユウリに向き直った。
紫紺の瞳を細め、獲物を弄ぶ猫のような笑みを浮かべる。たったそれだけで彼女の纏う気配が重みを帯び、『魔王』の名に相応しいモノとなった。
「向こうは向こうで楽しんでいてもらうとして、だ。こちらはこちらで話をしようか。ええ?」
「……話、って?」
バラクエルが対話を選んだことに内心で胸をなでおろしながら、ユウリが聞き返す。
緊迫した様子のユウリとは対照的に、余裕綽々と言った様子で嗤うバラクエルは、落ち着けと言うように手のひらをユウリに向ける。
「まぁ、そう慌てるな。まだわたしは名乗ってすらおらんのだ。話す前に、自己紹介くらいはしても構わんだろう?」
「…………」
「沈黙は肯定と取ろう。わたしはバラクエル・リリン・イブリース。『九曜の大魔女』の異名を持つ魔界随一の魔導士にして、今代の『魔王』だ」
「……ッ!?!? ま、『魔王』……!?」
驚愕のあまり口を大きく開けて絶句するユウリに、バラクエルは悪戯っぽい微笑を向けると、コツコツと歩み寄っていく。
思わずざりっと地面を靴底でこすりながら後退したユウリの至近距離に立ち、その肩をぽんっと叩いたバラクエルは、彼女の耳元で囁くように告げる。
「さぁ、話をしようか……『勇者』?」
「…………う、うん」
その言葉に、ユウリは頷くことしか出来なかった。




