二十四話 人族の少女
ソロ神官六巻の作業がひと段落して、それ以外のアレコレもひと段落したので更新です。
「あ、あなたたち、だれ? こんなところでなにしてるの……?」
突如として三人の前に現れた少女は、見るからに困惑を隠せないでいた。
それもそのはずだ。この森は魔界に程近い場所にあり、生息している魔物も強力かつ狂暴な種類が多い。とても人が住めるような場所ではないのだ。そんな場所に三人も人がいて、しかも青空教室じみたことをしているとなれば、驚くなと言う方が難しいだろう。
加えて、少女を驚かせたのは――バラクエルの存在だった。少女は自分を見つめるバラクエルの姿をその目に移すと、顔色を青くし、「ヒィ」と喉奥から絞り出したような悲鳴を上げた。
「ま、魔族!? い、いやぁあああああああああああああああああああああ!!?」
褐色の肌に、一対の角。そしてその身から溢れ出る隠し切れない魔の気配。それらは、バラクエルが魔族であることを余すところなく少女に伝えていた。
瞳に怯えを浮かべ、ありったけの声で叫ぶ少女。とっさに逃げようと足を動かすが、恐怖で竦んでしまい上手くいかず、その場で転んでしまった。
無理もない。人族にとって魔族は不俱戴天の敵であると同時に、殺戮と破壊の権化なのだから。どんな辺境の村であろうとも、魔族の恐ろしさは伝えられており、村の大人たちは子供に言い聞かせるのだ。魔族に出会ったらすぐに逃げろ。さもなくば命はないぞ……と。そんな存在がいきなり目の前に現れて冷静でいれるほど、少女の心は強くない。
どしゃっ、と地面に崩れ落ちた少女は、それでもバラクエルから距離を取ろうと、ずりずりと少しづつ後退っていく。
少女の表情にはありったけの恐怖が浮かんでおり、身体は壊れかけの魔道具のように震えている。
「いやぁ! いやぁ! こないで、こないでぇええええええええええええッ!!」
最後の抵抗だと言わんばかりに、喉が張り裂けそうなほど大きな声でバラクエルを拒絶する少女。ボロボロと両の眼から涙を流す姿はまさしく必死だった。この状態で、バラクエルが魔王であることを伝えでもしたら、少女はあっさりと意識を失い、そのまま魂が体から抜け出てしまうかもしれない。
そう思わせるほど驚愕と恐怖と絶望の交じった反応を見せた少女に、バラクエルはというと……。
「なぁ、お前ら。アレだよアレ。アレが人族の子供が魔族を前にした時の正しい反応だよ。何もかもに絶望して、ただ泣き叫んで命乞いをするのが普通なんだよ。お前らの場合は驚きはしたが怖がりもしない。涙なんてこれぽっちも流さなかったもんなぁ。一瞬、『あれ? 魔族って人界でも普通に受け入れられる存在だったっけ?』とか勘違いしそうになったが……うん、安心した。安心したぞ。おかしいのはわたしではなくお前らだったんだな」
うんうんと頷き、噛み締めるようにそう言った。
魔族として、魔王として、求めていた反応をしてくれた少女に、バラクエルは非常にご満悦だった。むやみやたらと恐怖をばら撒きたいとは思っていないが、欠片も慄かれないのはそれはそれで……と、複雑な心境だったらしい。
そして、主から面と向かって『おかしい』と言われた双子は、湿度の高い瞳でバラクエルを見る。そこに渦巻くのは分かりやすいまでの不満。
「「その安心のされ方は非常に納得が行かないのですが、魔王様?」」
「ひぅ!!?」
声を揃えて主に文句を言った双子。その声でようやく彼らの存在に気付いたのか、少女は恐る恐る双子へと視線を向けた。
「……あ、あれ? ひと……ぞく……?」
そして、バラクエルを見た時と同じくらい……あるいは、それ以上に大きく目を見開いて、呆けたように呟いた。
くどい様だが、人族と魔族は互いに不俱戴天の存在だ。ばったり出会ってしまえば、後は戦闘か殺戮のどちらかが起こるのみ。融和や友好といった言葉からは程遠い関係なのだ。
なので、アディアとアリア……魔族と一緒に――それも親しげな感じで――いる人族(と姿形が変わらない魔族)という存在は、少女の埒外にあるものだった。
魔族との突発的エンカウントに加え、理解不能な存在との邂逅は、少女の年相応に脆い精神は限界を迎える。
まぁ、要するに――。
「………………………………きゅぅ」
ブクブクと泡を吹きながら、少女の意識は闇の中へと沈んでいくのだった。
気絶した少女に胡乱な視線を送っていた双子は、バラクエルの方を見て口を開く。
「……で、どうしましょうか、魔王様?」
「命令をいただければ、即座に殺しますが?」
「まてまてまて、落ち着け。そうすぐに殺そうとするんじゃない。なんでお前らはこう血の気が多いんだ……」
バラクエルが「GO」と言えば、即座に少女を血祭に上げるだろうと容易に想像できるほど殺意に溢れたアディアとアリア。
『人族、殺すべし』と全身で示す二人を落ち着かせようとする魔王に、双子は毅然とした態度で言い放つ。
「いえ、ここは殺しておくべきかと愚行します。魔王様のお姿を見られた以上、生かしておくという選択肢は百害あって一利なし。それに、森の中で子供が一人死のうが、魔物の仕業と思われて終わることでしょうし、問題はありません」
「それに、逃がした場合、確実に面倒なことになるはずですわ。口止めなど無意味でしょうし、討伐隊が組まれることはまず間違いないでしょう。そうなってしまえば、ここから撤退しなければなりません。それはつまり……」
「「人族相手に、魔王様が逃げの手を打たなければならないということに他ならない」」
「それを看過することは、私の配下としての矜持が許しません」
「この場でワタシたちの育成を行うとおっしゃった魔王様の決定を、人族の餓鬼風情に覆させるなど、もってのほかですわ」
つらつらと言い募ったアディアとアリアは、最後ににっこりと笑みを浮かべて締めくくる。
……その手に殺意の塊のような、魔力の光を滾らせながら。
「「というわけで、是非とも殺して埋めましょう、魔王様」」
「だから物騒過ぎるんだよお前らは!? ほら、その【魔弾】と【魔砲】をしまえ!」
「「えー」」
「えー、じゃない!」
ぷんすかと怒る魔王の言葉に、不承不承といった様子で集めていた魔力を霧散させる。
そして、双子の前に仁王立ちすると、腕を組んで二人を睥睨した。
「お前たち、ちょっとそこに座れ?」
「「……はい」」
しゅん、として魔王の前に座るアディアとアリア。可視化できそうなほど滾りに滾っていた殺意はもはやどこかに吹き飛んでしまっている。
そして始まる――お説教。
「いいか? お前たちがわたしのことを思ってくれているのはいいんだがな、それにしたってお前たちは少しばかり凶暴すぎるというか、血の気が多いんだよ。さっきの模擬戦でもなぁ…………」
がみがみ、くどくど、がみがみ、くどくど。
バラクエルの『ありがたいお言葉』は双子の精神をチクチクと苛み、二人の表情はどんどんしゅんとしたものになっていく。
結局、魔王様のお説教は少女が目を覚ますまで続いたのだった。




