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第七話 大蛇討伐

「なるほど。話には聞いておったが間近で見ると正に化け物じゃな」


 獅子之宮学園の制服に身を包んだ奏島梓(かなでしま あずさ)は、愛弓『天之雲裂弓(アメノクモサキユミ)(※梓命名)』を携え、グラウンドの朝礼台の上に陣取り、傍にはぎっしりと矢の詰まった筒を五つ配置していた。

 視線の先にはグラウンドに全容を現にした巨大な大蛇。全長は軽く百メートルを越えている。


「……ッ!!」


 ジャア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"!!


 彼の化物大蛇はバグン、バッグンと巨大な顎を噛み締めながら目前を駆ける漣耶を矢継ぎ早に追い立てる。

 対して、槍を携えた漣耶は後ろ向きに駆けながら、自身に近付いて来る大蛇の鼻先を穂先で突いて迎撃、一定の距離間を保っていた。


 さながら人参を目の前に吊下げられた馬の如く。

 一度でも足を滑らせたら即一飲みとなるだろう。


 ――されど、漣耶が大蛇の気を引いているからこそ、他の十勇士たちが仕掛けることが容易になるのだ。


「ふぅ……」


 呼吸を整え、足踏みから胴造り、弓構えの動作を淀みなく速やかに終えた梓は、既に指に挟んでいた三矢の内の一つを携えて打ち起し、引分け、会、と弓道の作法を無視して速度優先に構えた。


「…………」


 彼女が『()る』のは数秒先の未来。

 放った矢が標的に当たる空間を予測して、その場所に向けて射る。

 動かない的なら百発百中は当たり前。動き回る的にこそ彼女の真価は発揮される。


「――フッ! ……ッ! ……ハッ!」


 “離れ”。

 一矢放ったと思いきや間髪入れず二矢三矢と続け様に射る。

 三発とも射法はバラバラ。だが、綺麗に等間隔で山形(やまなり)に飛ぶ三本の矢は吸い込まれるようにして大蛇の頭部へ向かう。

 地面を削る巨大な蛇行で漣耶を追う大蛇の額の中心に一本目の矢が当たる。

 されど気にも留めず動き続ける怪物だが、一本目が命中した全く同じ場所へ二矢目、三矢目も連続して当たった。


 ジア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


 しかし、頭蓋骨で頑丈とはいえ、やはり一矢としてその額を貫くことは叶わなかった。


「ぬう、会中三連矢でも全く刺さらんとは。戦用には程遠い競技用とはいえ、それなりに鋭い鏃なのじゃがな……」


 比較的柔らかそうな腹ならば刺さるかもしれないが、その場合一体何本の矢を突き刺せば仕留めることが出来るのだろうか。

 軽く眉をひそませる梓は筒から更に三矢を抜くと再び弓に番えた。


 ――涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ。


 一ミリもズレることなく幾度となく同じ箇所に当てれば、いつかはその堅牢を射貫くはず。

 大蛇と他の十勇士たちの動きを俯瞰して見ることで全体の動きの遷移を予測し、味方の邪魔とならぬように、味方の援護となるように、梓は再度矢を放った。




   ◆◇◆◇◆




「オラ! こっちも忘れてんじゃねえよッ!!」

「ヒャッハー!! あの時の分までイテもうたるわッ!!」


 意識が漣耶に向かった大蛇の両側面から空手着姿の玄十郎、制服に薙刀を持つ朱鷺が駆け寄る。

 玄十郎は勿論、身長百七十という長身の朱鷺もパワー重視の戦いを主とするが、如何せん相手は電車並みの巨躯を持つ大蛇だ。生半可な攻撃は蚊に刺された程度も通じないだろう。

 玄十朗と朱鷺は互いにトップスピードで駆け、そのまま大蛇に渾身の一撃を放った。


「ダラァァアアッ!!!」


 玄十朗の全力の助走の勢いを乗せた渾身の正拳突き。

 全身筋肉の塊である玄十朗の体重百二十キロを十二分に乗せた打突は、されど大蛇の横腹を若干凹ませる程度しか効果はなかった。


(……ぐぅ、まるででっけぇタイヤを殴ってるみてぇだ……!)


 逆に攻撃した側の玄十朗は、全力で打った腕から背中にかけてピシリッとした痛みを感じた。

 このレベル以上の打突じゃなければ大蛇にダメージは与えられないだろうが、このレベルの打突を繰り返していたら、先に玄十朗の体が壊れてしまうだろう。


「うおりゃぁあッ!!!」


 助走の勢いそのままに、大蛇の一歩手前で急回転した朱鷺は、加速の乗った薙刀をゴルフスウィングの軌道で思い切り叩きこんだ。


(――ハッ! なんや、堅過ぎて手応え分からへん……!?)


 正に鱗の鎧に包まれた肉壁。

 玄十朗同様、朱鷺も大したダメージは大蛇に与えることは出来なかった。


「――それがっ、どうしたよォ!! うぉらあああああああ!!」


 しかし玄十朗は気にせず目の前の大蛇の体を滅多打ちした。


「あああああ――――グハッ!? がああああ!!」

「ぅおっと!?」


 突如、大蛇がその身を揺らす。

 前進するために身をくねらせた、ただそれだけの挙動。

 だが、まるでトラックと激突したかのような衝撃に玄十朗の巨体は軽々と吹き飛ばされた。

 辛うじて防御はしたが、直前の乱打のせいで避けることは出来なかったのだ。


「がふッ……!」


 受身を取ることで地面に落ちたダメージを最小限には出来たが、それでも骨まで痺れるほどの衝撃が玄十朗の体を走った。


(ぐっ……身動(みじろ)ぎしただけでこれかよ……!)


 ぐわんぐわんとする頭を振りながら立ち上がる玄十朗。

 一方、朱鷺は間一髪、石突で大蛇の体を押すことで距離を取り、無傷で避けることが出来た。


(ほー。こりゃ一瞬の油断が命取りになるなぁ)


 象と鼠の如く、圧倒的体格差を持つ化物が相手という現実が想像よりも厳しいことを、玄十朗と朱鷺は身に染みて感じた。



『――クハッ』



 だが、二人のその表情には、まるで獲物を見付けた猛禽の如き歓喜が浮かんでいた。




   ◆◇◆◇◆




 鎌首をもたげた大蛇の頭部を追うようにして、フェンシングの刺突剣(フルーレ)を持った金髪の貴公子、十勇士・フォルティス・三島(みしま)・ローデンヴァルトは駆けていた。


 先刻の初遭遇の際の己の不手際、仲間一人を囮にしてしまったという自身の信念とする“義”に背く行為。

 その罪悪感を、無力感を、遣る瀬無さを。


 ――ぶつける時を今か今かと待っていたのだ。


「今までの借り……我が無力を返上し、此処で返そう。――いざ参る!」


 漣耶を喰らうため、頭上から袈裟に(アギト)を振り下ろす大蛇。

 その勢いを逆に利用し、大蛇の左側から駆け寄ったフォルティスはタイミングを合わせて“突進攻撃(フレッシュ)”。

 人間の大人でも一度に三、四人は軽く丸飲み出来るだろうアギトに自分から向かっているというのに、彼は目も背けずに突き進んだ。


「スティング!」


 大蛇の左頬にフルーレを突き出したフォルティスは、剣の先端が当たった瞬間に感じた手応えに――――すぐさま手を引いた。


(やはり、堅い……! この剣ではこれ以上耐えられない!)


 フルーレは良く(しな)る大きな針のような剣だ。

 突きに特化した剣と呼ばれてはいるが、どちらかと言うと“削る”といった攻撃を得意としている。

 肉を刺し、(しな)らせ、曲がった反動で弾いて肉を削る。


 しかし、人間相手ならば問題無いが、この大蛇ではそもそも肉に到達する前に皮で刃が止まってしまう。

 無理矢理に膂力で突き刺せば、容易くその細い刀身は折れてしまうだろう。


 身を翻したフォルティスは即座に戦法を変え、未だ身近に居る大蛇へ攻撃を再開した。


「――レン・アングレフ!!」


 タタタタタッ、と連続刺突。

 一瞬の内に全く同じ箇所へ、複数回と突きを繰り出す。

 次第に突きを強くすることで微かな点ほどの傷跡を深く大きく広げてゆく。


(これなら剣の耐久力は問題無いが……)


 ジア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


 ――やはり堅い。


 剣の耐久度を意識して手加減しているせいで、如何せん攻撃力不足は否めない。

 その上でこの激しく動き回る大蛇の巨体、一度攻撃した箇所を追うだけでも一苦労だ。


「フォルティス君!? う、上ぇ!!」

「なっ!?」


 十勇士・垣峰真湖(かきみね まこ)の声でフォルティスはハッと顔を上げた。

 頭部の一部分――刺突攻撃を繰り返している箇所――に注視していたために、大蛇の長い体の一部が波打って頭上から自身に向かっていることに気付かなかったのだ。


「くっ……!」


 即座にその場を飛び退くフォルティス。

 直後、超重量の巨体が彼の居た場所を圧し潰した。


(無念だが、この化物相手では、自分では役不足か……ならば)


 鬱憤を大蛇にぶつける、という個人的な目的は達成できそうにないが、大蛇を倒すという最終的な目標は果たさなければならない。


 フォルティスは駆けた。

 人間相手ならば自分一人でどうとでも対処は出来るだろうが、この怪物は個人の手に負える相手では無い。

 しかし、漣耶はこの大蛇を“倒せる”と考えて学園に連れてきたはず。ならば何かしらの考えがあるのだろう。

 だが現在、漣耶は大蛇の眼前で気を引くのに手一杯で、何か行動を起こせる余裕は無さそうだ。


(ならば……自分がその役を引き継ぐ!)


 そうすれば漣耶は手透きとなり、反撃の一手を打ってくれるだろう。

 フォルティスは大蛇の頭部へと回り込み、漣耶と入れ替わるタイミングを計った。




   ◆◇◆◇◆




「参ったな」

「う、うん。こ、困ったね」

「にゃー」


 圧巻とも言える大蛇の巨体がうねり、瀑布が如く眼前の地に叩き付けられる。

 回避行動を取った十勇士の三人は偶然にも近くに集う形となった。


「小山の如き巨体、且つ蛇の縄状骨格。動きの流れを繰る合気術にとってこれほど相性の悪い敵もない」


 十勇士・加羅谷輝莉(からや かがり)は抑揚なく呟いた。

 相手の力を利用して投げる、または押さえるのが合気術というものだ。

 例え相手が二メートルを超える巨体であろうと、人間が相手ならば、せめて四足歩行の哺乳類ならば、輝莉は投げ飛ばせる自身が有る。


 ――何故なら、それらの相手は“立っている”からだ。


 本人には無自覚だが、“起立”とは全身の筋肉と骨格の絶妙なバランスで成り立っている。

 そのバランスさえ崩せば簡単に倒せる。

 されど、大蛇は常時地に這っている状態。しかも輝莉の細腕では一切体勢を変えられようもないほどの重量を誇る。


 ――虫が手足に衝突した程度で人間の走りが止められないように。


 人間の女性としても小柄な輝莉が何をしようが、この電車並みの巨躯を持つ大蛇の動きは繰ることが出来ない。


「そ、それはこっちも一緒。こんなちっぽけな警棒じゃ、か、掠り傷すら負わせることも出来ないよ」


 スポーツチャンバラと護身術を扱う真湖には他の武器組ほどの攻撃力は無い。

 前者は相手の身に一度当てれば勝ち。後者は間接技で押さえ付ける。

 真湖は闘いの強者ではなく、巧者なのだ。


「にゃはは。オレっちたちが使ってるのは武“道”だからそいつぁ仕方無いにゃー」


 剣道着姿で両手に竹刀を持ち、場違いな笑顔を浮かべているのは十勇士・弥鞍隼人(みくら はやと)だ。

 ヘラヘラと笑う彼も鉄心入りの重い素振り用竹刀で事に当たったが、特に成果は得られなかった。


「す、スポーツじゃ勝てない相手って、こ、ことだよね」

「にゃー。“試合”に勝つ目的で鍛えたオレっちたちじゃ、人間じゃない規格外の化物相手なんてどーしよーもにゃいにゃー」


 おちゃらけた言い方だが、隼人の言葉は事実だった。

 生徒から畏敬される十勇士たちも所詮一人の人間。

 彼等には、この大蛇を倒す(すべ)が思い当たらない。


「――ならば、武“術”使いならば何とかなると……?」


 輝莉は十勇士の内二人――“本物の武術”を学ぶ者を指して言った。

 トントンと竹刀で肩を叩きながら隼人がそれに応える。


「そもそも大蛇(こいつ)は東雲ちんが連れて来たんだにゃー。……だったら?」

「だ、だったら……ボクたちは東雲くんのサポートに、ま、回ろう……!」

「それしか無い、か」


 三人は互いに視線を交わして頷くと、再び大蛇の周囲へと散った。




   ◆◇◆◇◆




 黒を基調とした(こしら)えの刀を腰に佩いた天童宗壱(てんどう そういち)は、動き回りながら目前で漣耶を追う巨大な大蛇を観察していた。


「うーん。取り敢えず、一度当ててみようかな」


 まるで散歩にでも行くような気軽さで、特に気負いも無く大蛇に歩を進める宗壱。

 刀に手を添えて軽く前傾姿勢のまま大蛇の胴体へ駆け寄っていく。


(畳や巻藁を斬ったことはあるけど、生き物を斬るは初めてだな……)


 実物の巨大怪獣が目の前に居るというのに、宗壱は何処か他人事のように自然体だった。


(この大きさは厄介だけど、大きい分、皮膚の状態がはっきり見える)


 大蛇の表面は鱗状の皮膚に覆われている。

 全てが巨大な分、鱗で皮膚が厚い部分、鱗と鱗の隙間になっている部分がくっきりと確認出来た。


 当然、狙うは鱗の隙間だ。

 駆ける宗壱は眼が鋭く細めた。


 ――天道阿想(てんどうあそう)流居合術 初伝(しょでん) 呼風(よびかぜ)


 刀を一息で抜くという動作は、ただそれだけで技術を要する。

 勿論、物を斬るのにもそれ以上の技術が必要だ。

 そのうえ更に、抜いた刃をそのまま斬撃として機能させるのは、慣れている者でさえ難しいとされる。


 更に更に言えば、走りながらの居合い、などという行為は本来なら中伝級の技。


「――――(セン)ッ!!」


 されど宗壱は、その妙技を難無く放った。

 逆袈裟の軌道で、大蛇の鱗の隙間を鞘から高速で抜き出た白刃が刹那に閃を描く。

 そして振り抜いた状態での残心。大蛇の体表に確かな切傷を残した。


「……っ!?」


 残心もそこそこに宗壱はその場を急ぎ離れる。

 動き回る巨大な生物の傍というのは近くに居るだけで命がいくつあっても足りない。


(ふーむ。意外と普通に斬れたけど、やっぱり浅いなー)


 一番深くても十数センチ程度だろうか。それでも大蛇の巨体からすれば微々たるものだ。肉を斬るには至っていない。

 本気で事に当たればもっと深くまで斬ることは可能だが、胴体の両断はまず無理。


 ――しかし、現十勇士の中では彼と漣耶以外に此処まで大蛇に傷を付けられる者も居ないだろう。


「東雲の考えはなんとなく解るけど。今のところは静観してようかな」


 勿論、大蛇への攻撃は適度に行う。だが本格的に倒しに掛かるのはもう少し先。

 漣耶の考え――大蛇を倒す案――が形になり、その中で自分の力が最大限の効果を発揮し、更に最大限の功績を獲れる瞬間がきっと有る。


(それまでは、余計な怪我なんてしないようにするか)


 傍から見れば巨大な怪物に立ち向かう勇敢な青年剣士。

 しかし実際は適度に手を抜き、宗壱はその機会をじっと窺っていた。




   ◆◇◆◇◆




「――漣耶殿!!」


 第一多目的グラウンド左端のサッカーゴール付近、大蛇の頭部に付かず離れず戦う漣耶に駆け付けたフォルティスが声をかけた。


「自分が場所を変わります! 少し休んで下さい!!」


 彼は大蛇の体躯を駆け登り、その鼻面を蹴りとばして漣耶の隣に着地する。


「貴殿にはこの大蛇を倒す考えがあるのでしょう? ならば此処は任せて欲しい……!」


 大蛇を前に、漣耶を背にするように一歩踏む込むフォルティス。

 漣耶は大蛇から視線を離さずに頷いた。


「…………わかった。頼む」


 言った直後、同時に大蛇へと突き進む二人。

 大蛇の大口手前で二手に分かれ、漣耶はそのまま尾の方へ走り抜け、フォルティスは大蛇の瞼付近をフルーレで掠めるようにして削る。大蛇の片目の視界一杯がフォルティスで埋まる位置だ。


 ジア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


 唸りを上げて身をよじる大蛇。その超重量の巨体で地面が抉れ土片が飛び、グラウンドの表面は既に凸凹となっている。


「ヤァーッ!!」


 自身の身長を越えた宏闊(こうかつ)で立体的な激しい動きに置いて行かれないように、フォルティスは喰らい付くように大蛇に向かって跳躍した。


 大蛇の注意を引く方法は至って単純。

 その視界に、人間の赤子ほどもある巨大な金色の瞳に、何よりも大きく映っていればいい。


(くッ、言葉にすれば簡単だが……!)


 大蛇の気を引くということは、常にその電車並みの巨大な体躯や顎が自分に向かって襲い掛かって来るということだ。

 無機物では無い、この巨大で確かな“生物の眼”で睨まれると、身が竦むような悪寒が走る。


「つぅ……!」


 ――そして何より、高い。


 フェンシングは試合場の形状からして直線軌道、前後運動が殆ど。

 されどこの大蛇の大きさ、更に鎌首をもたげればその高さは十メートル近くにも達する。他の武術にも言えることだが、飛び跳ねる技なんていうものは一部を除いて滅多に無い。

 故に天井を見上げるような大蛇に対して、その視線に割り込むというのは至難を極める。


(それでもっ!)


 フォルティスは跳んだ。

 勢いをつけて大蛇の首を駆け上り、その視界へと躍り出た。

 しかし。


「なっ!?」


 その瞬間、鎌首を上げていた大蛇が更に首を後方へ引いた。

 着地しようとしていた蛇の顔が遠のき、フォルティスは空中で無防備となる。


「しまっ――」


 開かれた(あぎと)がフォルティスへと襲い迫って来た。

 その時。



「ポポポポポポポポポォ――――ウ!!!!」



 謎の叫びと共に黒い塊が頭上から落下し、大蛇の顔を圧しつぶして強制的に口を閉じさせた。

 結果、大蛇に喰われること無くフォルティスは自由落下で地面に着地することが出来た。


「ファン殿!!」

「…………ポゥ」


 黒い塊――ではなくそれは二メートルを超える長身痩躯の黒人だった。

 ムエタイ部所属の十勇士最後の一人、二年の“ファン・ジオ・ヤーオ”。

 黒色の半袖半ズボンと動き易い格好をしてはいるが、彼の半袖の背中にはアニメ調のメイド服を着た女の子と『メイドさん萌えっ』という言葉が大きくプリントしてある。

 それだけで見る者が見れば彼の人となりはすぐに理解できるだろう。


「かたじけない。助かりました」

「ポポッポゥ」


 気にするな、と無表情に親指を上げるファン。

 それに苦笑するフォルティスはすぐに顔を引き締め、大蛇へと鋭い視線を向けた。


「どうやら自分にこの役はやはり荷が勝ち過ぎているようです。力を、貸してくれませんか……!」

「ポーポポ、ポーポポゥ!」


 フッ、そのためにきたんだぜ、とでも言うようにファンはどんと胸を叩く。


 ジャア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!


 肌にビリビリとくる咆哮が彼等に浴びせられた。

 自分の顔を足蹴にされて怒り心頭といった様子の大蛇だ。


「フゥー…………行きます!!」

「ポポーゥ!!」


 二人は同時に地を蹴った。

 打ち合わせなんて何もしていない。

 けれど、示し合わせたかのように両サイドから大蛇の双眸へと向かって行った。




   ◆◇◆◇◆




 フォルティスとファンの健闘で漣耶との交代は上手くいき、大蛇の標的は彼等に移った。

 大蛇の頭部から漣耶が離れたことに気付いた他の十勇士たちが彼に駆け寄る。


「東雲!」

「し、東雲君っ!」

「にゃにゃーっ」

「……加羅谷、垣峰、弥鞍」


 三人が話し出す前に、漣耶は急くようにして口を開く。


「知恵を借りたい」


『!?』


 普段なら決して聞かないような漣耶の台詞に皆少し驚いた。

 直ぐに真面目な顔に戻った輝莉が問う。


「知恵、とは?」

「……あの大蛇の頭部を、一つ所に留めたい。出来れば十秒ほど」


 それさえ出来ればあの怪物を倒せると、漣耶はそう言っている。

 最後まで聞かずとも三人は理解した。

 だが――


「む、難しいよね。それ……」

「にゃー。力自慢の轟ちんと蘇芳っちでも押さえられにゃいだろうにゃー」

「十勇士全員で押さえ付けたとしても無理だ。絶望的に体格が違う」


 自分たちに考えつく方法は揃って全滅。

 相手は全長百メートルを超える、太さも電車並みの超超巨大大蛇だ。

 身長二メートル足らずの人間数人ではどう頑張っても押さえ付けておくなんてことは物理的に無理に等しい。

 しかし、他の十勇士たちが何とか時間を稼いでくれている内に何かしら案を出さなくてはいけない。


「……ん? いや、待て」


 ふと、輝莉が声を漏らす。


「十勇士全員では、無理……? だったら、他の者たちの手も借りれば……!」


 名案を思いついたというような輝莉に、真湖が慌てた様子で返す。


「え、ええ!? ボ、十勇士(ボクたち)以外の生徒の力を借りるの? あ、危ないよ!? ボクたちでさえ気を抜けばすぐにたたっ、食べられちゃいそうになるのに……!」

「さ、流石に私だって無策で大勢で押さえ付けようなんて思ってはいない!」

「……というと?」

「私たちは今まで、なまじ武力(ちから)であったせいで何でも一人で解決してきた。故に今回も、自分なら、他の十勇士たちならどう対処出来るか、ということでしか考えていない」

「言われてみればそうにゃー」

「……悪く言えば、考えが固執しているということか」

「そうだ」

「つ、つまりは、ボクたち以外の人の意見を、き、聴こうってことだよね?」


 真湖の言葉に輝莉が頷く。


「だったら生徒会長のしやしや先輩辺りかにゃー? 頭切れるだろうしにゃー」

「そうだな、では私が伝令となろう。この中では私が一番大蛇に対して無力だからな」


 輝莉の提案に三人共頷く。

 少し自嘲気味な台詞だったが、フォローは逆効果だと誰も何も言わなかった。




   ◆◇◆◇◆




「す、すごい……本当にあんな怪物蛇と戦ってる……」

「うん……」


 第二校舎四階の窓から眼下のグラウンドを見ていた生徒会の一年生コンビ、庶務・長谷川幸(はせがわ さち)と会計・錦織千早(にしきおり ちはや)は思わず声を漏らした。


 彼女等からすれば、遠目から見ても巨大過ぎるあの大蛇に戦いを挑んで、今の今まで誰ひとり怪我らしい怪我もなく渡り合っているというだけで、我が校の十勇士たちの超常さに感嘆すら覚えてしまう。


「――だが、あのままでは……」


 しかし副会長・近江籐次朗(おうみ とうじろう)は中指で眼鏡のアーチを上げながら厳しい顔をする。


「ええ。どうにも決定力が不足してるわね」


 大蛇と戦う十勇士たちが抱える問題は、生徒会長・北條紫夜(ほうじょう しや)も気付いていた。

 されど、彼等で駄目だとしたら規格外なあの化物への対処は自分では逃げの一手しか思いつかない。

 いくら獅子之宮学園が特殊な学校とはいえ、それでも一高校に過ぎないのだ。

 武道十勇士という例外的な生徒たちが居なければ、今頃自分たちはただ逃げ惑うしか出来なかったはずだ。


「東雲くん……本当に大蛇(アレ)を倒す考えがあるの……?」


 紫夜が顔をひそめて呟いたその時。


「し、失礼します! あの、生徒会長! 十勇士・加羅谷さんからの伝言です!」

『っ!?』


 運動部所属の女子生徒がノックもせずに要件と共に入って来た。


「輝莉さんから……?」


 現在戦闘真っ只中の十勇士からのまさかに伝令に、冷静沈着な会長副会長の二人も驚いた。


「話して下さい」


 紫夜の促しに、女子生徒は輝莉からの伝言を一言一句違わずに伝えた。

 その言葉を聞いた生徒会役員のメンバーが再び険しい顔つきになる。


「……あの、おっきな蛇の頭を十秒以上、一ヵ所に押さえ付けておく、ですか」

「確かにそれは十勇士だけでは物理的に不可能ですね」

「だからと言って、人手があれば可能という訳でもないわね」

「いくら人数が居たって、あの巨大な凶悪な口を目の前にしたら、普通の人なら身が竦んで動けなくなっちゃうと思うんですけど……」

「んー、ロープで縛る、とか? 綱引きに使うロープなら……」

「蛇にロープを巻き付けられたとして、それを繋いでおく場所が必要です。あの大蛇の力がどれほどかは解りませんが、半端な場所じゃ数秒だって留めておくことは無理でしょう」

「だよねー」


 生徒会役員たちはすぐさまブレインストーミングを始めた。

 何はともあれ、荒唐無稽でも思いついた案を言い合い、否定し合い、それを繋げて最善案を出そうとしているのだ。


「――――!!」

「――――!?」


 その少し離れた場所では、件のエルフの少女と少年が何語かも分からない言語を叫びながら、窓から眼下のグラウンドを観戦していた。

 表情の必死さと手振りを見るに、どうやら応援しているようにも見える。


「……やっぱり、なにか重いモノで押さえる、しかないでしょうか?」

「それしかないでしょうね。それでもまだ問題は山積みだけど」

「その“重いモノ”の選定。それをグラウンドまで運搬する方法。更には、あの大蛇を押さえ付けられるほどの重いモノでどうやって実際に大蛇を押さえるか、ですね」

「うーん、クレーンでもあればその重いモノを大蛇の頭の上に落とせるんですけどねー」

「むしろそれであの蛇死ぬと思うけど。クレーンは流石の我が校でもないですね」

「何より、あのグラウンドまでその重いモノを持って行かなければなりません。クレーン無しでそれが可能なモノを選ばなくては」

「台車で運べるモノってことですか?」

「いえ、それでは多分、あの大蛇に対して小さ過ぎると思います」

「だったらいっそ、グラウンドに近い場所で何かないでしょうか? あ、サッカーゴールとか!」

「さっき、そのサッカーゴールを余裕で薙ぎ倒してましたよ」

「ぁぅー」

「でもその考えは悪くないわ。用具倉庫とかに何か無かったかしら……」

「――あっ!!」


 突然、書記・佐々木ほのかが思いだしたように大きく声を上げた。


「どうかしたの、ほのか?」

「あ、アレならどうでしょう!? ほらっ、前生徒会長がノリで買って、でも実用性がほっとんど無くて旧倉庫に仕舞いっ放しになっているアレです!!」

『アレ?』


 一年生コンビが首を傾げる。

 されど、前年度の生徒会を経験している二人は、ほのかの言うアレに思い当たったようだ。


「なるほど。アレか」

「確かに、アレなら人数さえ居れば大蛇の所まで持って行くことも可能ね」


 紫夜と籐次朗が顔を見合わせて頷く。


「問題は、アレの重量で大蛇を押さえ付けることが可能かということと、実際に押さえ付ける方法ね」

「重さに関してはあの大蛇を見た限りギリギリ、という所でしょうか」

「押さえ付ける方法もやりようによってはイケる……と思うわ」


 言いながら、紫夜は直ぐに手書きで指示書を作成した。

 一刻を争う事態だが、それでも何かの手違いがあったら目も当てられない。


「……うん。じゃあ、これを現場指揮の空手部主将さんに渡して下さい」


 最後にもう一度全体に目を通してから、紫夜は運動部の女子生徒に指示書を渡した。


「はい、解りました」


 そう言って女子生徒が教室を出て行く。


『??』


 そして一年生コンビは未だ疑問符を浮かべたままだった。




   ◆◇◆◇◆




 第一グラウンド中央、大蛇の頭部付近。

 漣耶を始めとする十勇士七人がその場に集まっていた。


「あ~ったく! 堅いんやっちゅーねん! いい加減逝てまえっちゅーねんっ!!」

「朱鷺殿、もう少し女性らしい言葉遣いをなさっては」

「うっさいわ!!」

「はふー。ぜ、全然(こた)えてる気配ないね……」

「蛇は変温動物だろう。もうかなりの時間動いていると思うが……私たちとじゃれている程度じゃ体温なんて上がらないとでもいうのか……!」

「にゃーにゃー。体にも何本も矢が刺さってるけど全然気にしてないにゃー。……にしても、あずにゃんも頑張ってるのにあそこにひとりぼっちでちょっと可哀相にゃねー」

「あ。こ、こっちジッと見てる、ね……」

「実際さびしーんやろ。けっこう、構ってちゃんやからなー」

「ポポゥポポゥポポ~ゥ!」

「……気を抜くな。また来るぞ」


 ファンと漣耶の呼び掛けで十勇士たちが一斉に八方に散る。


 ジャア"ア"ァァア"ァウッッ!!


 直後、その場を大蛇の顎が押し潰した。

 更にそのまま急旋回して左方に逃げたファン、朱鷺、フォルティスを追う大蛇。


「フォル! ――“牙”や!!」

「ッ!? 了解(ヤー)!!」


 大口を開けた大蛇が差し迫る中、朱鷺の叫びにフォルティスが応える。

 大蛇と擦れ違うようにして朱鷺は剥き出しにされたその太い牙に、思い切り上段からの袈裟斬りを放った。


「うぉりゃぁあああ!!」


 ――バギャッ……!!


 しかし折れたのは朱鷺の持つ木刃の薙刀の方だった。

 大蛇の牙は大きめのヒビが走った程度。


「フレァァァッシュッッッ!!」


 されど、朱鷺の背後からフォルティスがそのヒビに向けて追撃を放った。

 フォルティスの得意技、渾身の高速突進攻撃。


 ――ガッ!!


 牙に走るヒビの中心へとフルーレが勢い良く刺さる。

 今度は刀身は撓らない。刀身に対して真っ直ぐに力を入れているためだ。

 だがこれ以上は持たない。剣が折れてしまう。


(構う……ものかぁぁぁぁぁッ!!)


 しかしフォルテシスは、逆に一層力を籠めた。


 ――バギンッッ……!!


 彼の剣は当然の如く半ばから折れた。

 されど、大蛇の牙のうち、最も大きい牙の一本も盛大に破砕させることに成功した。


 ジア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


 大蛇が悲鳴にも似た雄叫びを上げる。

 流石の大蛇も牙を砕かれた痛みに激しく転げ回った。


「へん! ザマーミサラセどんなもんや!」

「……ですが、武器を失くしてしまいました。一度予備を取りに行かなくては」


 初めてダメージらしいダメージを与えたことに喜ぶ朱鷺だが、フォルティスは冷静だった。


「ちっ、めんどいなぁ……。おーい! うちら替えの得物もってくるよって、一度抜けるで!!」


 朱鷺の言葉に、大蛇と対峙していた何人かが手を上げて応えた。


「早く行ってきましょう!」

「ったくぅ、休憩も無しかい……!」


 文句を言いつつも共に走り出す二人。

 校舎まで戻る必要は無い。グラウンドに隣接する場所で各武道系部活が待機しているはずだ。自分たちの所属する部活の場所に行けば予備の武器が置いてある。


「おーい! おぬしら~! 敵を目の前にして逃げるとは何事かぁ~!!」


 二人の向かう先、朝礼台の上に仁王立ちしている梓が声を上げた。

 近付きながら朱鷺たちはそれに返す。


「あほか! 換えの得物とり行くだけやっちゅの!!」

「ふん、そんなの見ておったから知ってるのじゃ」

「このアマ……!」

「御苦労様です、梓殿」


 ただ構って欲しかっただけの梓はようやく会話が出来て一息つけたのか、すぐに真顔に戻って二人に問う。


「――で、実際倒せそうなのか?」

「んー。難しいんとちゃうか?」

「東雲殿の話では、大蛇の頭部を十秒ほど地に留めておくことが出来ればなんとかなる、ということでしたが」

「んなっ!? そ、そんなこと出来るのか!? あんな大きい大蛇(オロチ)に!?」

「それを困ってるゆーとるやろ」


 朱鷺が驚く梓につっ込みを入れた。

 そう。実際その手段が浮かばずに困っている。

 今は皆で時間を稼いではいるが、そもそも時間が経って窮地に落とされるは十勇士の方だ。体力が減れば、その分注意力も減って危険は増す。


 むむむぅ、と梓が顔をしかめた。

 その時――。


「……お、おーい、蘇芳……!」

『?』


 離れた場所から朱鷺を呼ぶ声。

 それに振り返った三人は、一瞬絶句した。


『……な!?』


 “ソレ”は――大きかった。

 “ソレ”は――重厚だった。

 “ソレ”は――十人の体格が良い生徒たちが必死に引っ張ってようやく動かせているようだった。


「こ、これを使って、あの蛇の動きを止められないかって、生徒会長が……」


 近付いてきた空手着を来た生徒が、既に息も絶え絶えの様子で三人に言う。

 朱鷺はソレを間近で見て手を打った。


「なる。“コンダラ”かいっ!!」


 コンダラ――正式名は“グランドローラー”、または“手動式整地ローラー”。

 ドラム缶型のコンクリートのローラーに鉄パイプの柄を付けて押し引きが出来るようにし、土の地面を均すための道具だ。

 しかし、今、朱鷺たちの目の前にあるモノは、通常のコンダラとは一線を画く。


 まず大きさ。直径だけで大人の身長ほどもある巨大な円柱。

 更に重量。通常のコンダラが約五百キロに対して、この特大コンダラはなんと“五トン”。十倍だ。

 当然、一人では全く動かせないため、かなり広めに作られたハンドルバーに屈強な生徒十人掛かりで引いている。


 この特大コンダラは、ノリの良さで知られる前生徒会長(♂)が運動部の強化のためという名目で予算から出して特注で作らせたのだが、あまりの重量で地面に沈んでしまって、とても本来の目的である地面を均すということが出来そうになかったため、今まで旧倉庫に放置されていた。


「い、いけるか……?」


 空手着の生徒が恐る恐る訊く。

 朱鷺は普段とは想像もつかない真面目な顔をして数秒黙し、口を開いた。


「…………イケる」

「ほ、本当か!?」

「せやけど、それにはあんたらの協力も必要や」

『え"……』


 それを聞いた生徒たちの顔が凍りつく。

 朱鷺は八重歯をきらりと出しながら続けて言った。


「全校生徒のために、いっちょ(おとこ)を見せたれや、ジブンら……!」




   ◆◇◆◇◆




『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 広い広い第一グラウンドに十数人の野太い怒号が響いた。


「……?」


 大蛇と対峙していた十勇士の全員が声の方を見る。


 ドドドドドドドドドドドドドドドドド……!!


 それは特大コンダラを押して此方に怒涛の如く走り込んで来る集団だった。

 その中には朱鷺やフォルティスも混じっている。


「…………あれは……!」

「そうか! 垣峰先輩! 東雲!」

「う、うん!」


 一瞬で彼等の思惑に気付いた十勇士たち。即座に行動を起こした。

 漣耶とファンは一度大蛇の傍を離れる。逆に輝莉と真湖は大蛇の鼻先へ駆けた。文字通り目の前にぶら下げた餌役を買って出るためだ。


 ジャァア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


「ほら! こっちだ!」

「あっ、あわわっ!」


 手を伸ばせば触れられる程に距離を詰め、口が開くと同時に微かに距離を取る。

 互いに場所を交代しながら大蛇の気を一心に引いて、あの特大コンダラへと大蛇を導いて行く。


「――こっち来るで! 一旦離れるんや!!」


 朱鷺の言葉にコンダラを押していた全員が転がるようにしてその場を離れる。

 とは言っても離れ過ぎてても意味は無い。ほんの数メートル退避しただけだ。


「此処が踏ん張り所や! 気張りやジブンら!!」

『ぉ、応……!!』


 強張る生徒たちが精一杯の返事をする。

 もう既に巨大大蛇は目の前だ。


「……やあっ!!」


 身軽な真湖は大蛇の顔を踏みつけて跳躍した。

 そして身を翻しての着地、屈んだ反動でそのまま走り出す。


(くぅ……あ、足に力が……!)


 休憩らしい休憩もなく三十分近くも動きっ放しで体力も限界に近い。流石の真湖も既に足にきていた。


 ――ガクッ。


「ッ! だめっ――」


 コンダラまでもう十メートルもない。

 そんな場所で、疲労からか真湖の足から力が抜けた。

 背後には既に大口を開けて準備万端の大蛇。


 自力での回避は間に合わない――――。


「――御免ッ!!」

「えっ……?」


 真湖の手首に掴まれるような感触があった。

 次の瞬間、体全体から力が抜けるような錯覚が走り、視界が回転した。


 ――ガキンッ!!


 直後、大蛇の顎が豪快に閉じられる。

 しかし、真湖の居る場所は大蛇の口内ではなく、――――空中だった。


「ほええええええっ!?」


 間一髪、機転を利かせた輝莉が真湖を上空へ投げたのだ。


「垣峰先輩!!」


 盛大に放物線を描いて飛んでいく真湖に輝莉が声を掛ける。

 大蛇の視線は尚も真湖に向けられていたからだ。


「――ッ!」


 輝莉の声で気を持ち直した真湖は空中で姿勢を制御、丁度落下地点にあった特大コンダラの真上に着地した。


「ととっ」


 ジャァア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


 鎌首を持ち上げて真湖を睨む大蛇。

 此処からが真湖の忍耐が試される場面だった。


「あわ、あわわ……」


 直ぐに逃げてはいけない。ギリギリまで引き付けなければならない。

 大蛇が動いた。徐々に迫りながらその口を広げて襲いかかって来る。

 頭上から覆いかぶさるようにして真湖を一飲みにせんとする大蛇。

 真湖の視界が大蛇の口内で埋まる。


「――今っ!!」


 ヘッドスライディングの要領で真湖は真横に跳んだ。


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオ……!!!!


 直後、大蛇が特大コンダラに上から瀑布の如く覆い被さり、それに思い切り咬み付いた。


「いまやぁぁ!! 全員根性見せぇぇぇぇ!!!!」


『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 同時、付近に退避していた朱鷺とフォルティス、更に十人の屈強な生徒たちが、待っていたとばかりに雄叫びを上げながらコンダラのハンドルバーへと駆けた。


『んぐぅ……ぃよいしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』


 そして大蛇が咬み付いたままのコンダラを一斉に力の限り押す。

 五トンもあるコンダラがのそり、ごろりと転がり、大蛇の下顎をその大重量で押し潰した。


 ジャァア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!


「うわああああああ!!」

「こえええええええ!!」

「おかああああちゃあああああん!!!」


 激痛に咆哮する大蛇が激しく動く。

 いかな巨大大蛇でもそのコンダラの重量ゆえ持ち上げることは出来ないようだが、胴体を激しく動かし、頭部を振り回すように引き摺ってコンダラを離そうとしている。

 とても一つ所に留めることが出来ているようには見えないが、体力的にみても此処が最初で最後のチャンスだ。


「踏ん張れ! 絶対に離すんじゃない!!」

「そうや! 気張れ! 男やろ!!」

「うううううううう!!」

「牙!? 牙近っ!?」

「ファイトォォォォォォォ!!」

「ひゃっぱぁぁぁぁぁぁつ!!」


 朱鷺とフォルティスが檄を飛ばすが、初めて触れられるほどこの巨大大蛇に近付いた生徒たちは腰が抜けそうなほど顔を青くしていた。

 とてもじゃないが、普段通りの実力さえ出せそうにも無い。


「オラァァアア! 主将、なに面白い顔してんだよッ!!」


 その時、罵倒と共に後ろから誰よりも太い二つの腕がハンドルバーを押さえた。


『――轟!』


 数人の声が重なる。

 剛腕の主は、十勇士一の怪力を誇る巨漢、轟玄十朗だった。


「うがああああああああああああああああああああ!!!!」


 一人で三人分の膂力を持つ源十郎の登場。

 しかし、この巨大大蛇の前ではそれでも焼け石に水程度にしか意味は無い。


「ぐぬぬぅぅ……!」

「うああああ!! もう駄目だあああ!!」

「おおおおお!! くっそォ……!」


 一瞬だけ持ち直した彼等だが、変わらず自分たちを引き摺る大蛇を前に再び恐怖が蘇り、体が強張ってくる。


(まずい!? 既に彼等の精神力が持たない……!)


 同じくハンドルバーを力一杯握るフォルティスは、運動部の男子たちが限界だということに気付いた。

 だがそれでも、今此処で離れてしまったら先程までの努力が無に帰す。

 せめて何か彼等を励ます言葉を掛けなければ、と考えたその時。



『――ヘーイ! ヘイメーン!! ボーイズアンドガールズ!!』


「!?」



 校舎の方のスピーカーから聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。

 放送部所属、マイクを持つとハイテンション、二年の大野匡(おおの まさし)の声だ。


『今回は特別放送だゼ! 戦うことは出来ないオレたちだけど、今必死に頑張ってくれていい奴等に、せめて声援だけでも届けたいと皆が集まってくれたんだイエェェェェェ!!』


『十勇士! 頑張れ!!』

『お願い、勝ってぇ!!』

『王子ぃぃ! 負けないで――ッ!!』

『漣耶さん、頑張って……!!』

『梓姫ぇぇ!! 好きだー!! ブヘハッ!?』

『コラ、朱鷺ィィ!! イテかませぇぇぇ!!』

『真湖ちゃん、無理しないでー!!』

『ぶっとばせー!! 轟ぃぃ!!』


 次々とスピーカーから流れる生徒たちの声援。

 視線だけ校舎に向けると、第一グラウンドに面する第二校舎の二階三階の窓際が一般生徒たちで埋め尽くされ、此方に向かって力の限り応援を叫んでいた。


『主将ォォォ!! 負けるな! 不屈の魂だああああ!!』

『ワンダーフォーゲル部で磨いたその腕力を見せてやれ!!』

『ハット! ハット! ハットォ!! 獅子高最強ラインマンの実力はそんなもんじゃないはずだ!!』


 声援の中には十勇士たちに向けたものだけではなく、特大コンダラを運ぶメンバーに選ばれた生徒たちにも多くの声援が掛けられた。


『……!』


 それを聞いた瞬間、彼等の瞳に再び光が戻り、ハンドルバーを握る手に力が沸いてきた。

 青臭いと感じつつも、あの声援で自分たちが守るべきモノを再認識したのだ。


「おっしゃ!! 皆にフヌケたところ見せるんやないで!? 気張りやジブンらああああ!!」


『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 特大コンダラ、プラス十三人分の体重で大蛇の頭部を押さえようとする十勇士三人と生徒たち。


(東雲、これが限界や……あとはそっちでなんとかせんかい……!)


 朱鷺は必死に歯を食いしばりながら、あの無表情な同士に願った。




   ◆◇◆◇◆




「矢も尽きるか。……そろそろ、終焉といくのじゃ」


 大蛇の下顎が特大コンダラの下敷きとなったのは、遠目に梓も見えていた。

 今まで梓は大蛇の額を中心に、その体へ幾度となく矢を放った。

 強靭な鱗に跳ね返されたりもしたが、中にはその皮膚に刺さる矢もあった。

 だが、その殆どがまるで効いていないのは解っていた。

 そして逆に、効果のありそうな場所も解ってはいたが、今まではあえてスルーしていた。


「されど、もうその必要もあるまい。――撃ち抜いてくれようぞ」


 冷たく言い放ち、その狙いを定めたのは、大蛇の“眼”だった。

 眼球はほぼ全ての生物の急所だ。それを今まで狙わなかったのには訳がある。

 確かに眼球を攻撃すればダメージを与えることも、失明させることも出来るだろう。

 しかし、それだけで大蛇が倒せるわけでもない。逆に失明してしまったら大蛇の狙いが分からなくなってしまう。大蛇の行動を阻害することは不可能なのだ。眼の見えない大蛇が校舎の方へ向かって行きでもしたら止める術は無い。


 それ故に、今まで眼球には手を出さなかった。


「奥義――“天地合一矢(てんちごういっし)”!!」


 梓は叫びながら遥か上空に向けて矢を放つ。

 そして、一拍間を開けてから大蛇の頭部に向けて普通に矢を射った。


(……御膳立てはした。後は、我が番いを信じるのみ)


 朝礼台の上で、弓使いの十勇士はひとり事の顛末を見届けた。




   ◆◇◆◇◆




 大蛇から数十メートルほど離れた漣耶。

 振り返って仲間の動きを見る。


(……フォルティス、蘇芳、轟、皆。感謝する……!)


 大蛇の頭部を押さえ付けた仲間たちを見て、直ぐに漣耶は駆けだした。

元来た道を最速で駆け戻る。


「……ファン! 上げてくれ!」


 大蛇から十数メートル地点に立っていたファンに呼び掛ける。

 ファンは無言で手を組むと、力を溜めるように膝を曲げて東雲を待つ。


「――――ハッ!!」

「ポォォォッ、ポォ――――ゥ!!!」


 組まれた手の上に漣耶の足が乗せられた瞬間、ファンは渾身の力で彼を跳ね投げた。


「……っ!」


 十メートル以上の高さにまで飛ばされた漣耶。

 着地目標地点は大蛇の頭部。

 しかし、上空からその場所を見るに、朱鷺たちが必死で押さえてはいるが右へ左へと大蛇も強引に地面を摺りながら彼女たちを振り回している。


 このままでは、着地地点がズレる可能性が高い。


「……ふぅー」


 されど、槍使いの十勇士は自身を落ち着かせるように空中で深呼吸した。

 その表情に不安の影は一切無い。

 なぜなら――。


(…………天童)


 遥か後方で、一人行動を起こそうとしている仲間の姿が見えたからだ。




   ◆◇◆◇◆




「まったく、詰めが甘いよ」


 宗壱は駆けていた。

 彼の目標は漣耶の真逆、大蛇の尾先だ。

 誰にも何も訊いてはいないが、朱鷺たちがあの特大コンダラを持ち出してきた時点で、宗壱はこの状況を予想していた。あのコンダラだけでは、大蛇の動きを完全に止めることが出来ないということも。


(それとも、俺が動くことまで計算に入っていたのか……?)


 自分の意思か、動かされたのか。

 あの東雲漣耶ならばどちらだとしても有り得る。


「――ま、だとしても、此処は乗るけどね……!」


 にぃ、と笑みを浮かべた宗壱は加速した。

 駆けた状態で刀に手を添え、そのまま重心を落とす。

 そして大蛇の尾部一歩手前で左足を軸に胴を捻りながらくるりと一回転、(つか)を握る引き絞った右手を思い切り下段から真上へと一直線に放った。


 ――天道阿想(てんどうあそう)流 秘奥(ひおう) 裂駆(さきがけ)


 刃物で物を切る場合、普通は刃が喰い込んだ位置までしか切ることは出来ない。

 だがこの奥義は、斬撃の勢いを乗せることで切り口が裂けるように広がってゆく。

 無論、斬撃の速度や腕の動かし方、切る対象の状態など更に細かい条件が幾つも積み重なって起こる現象だが。

 巧く放てば、漫画やアニメのように刃渡りよりも厚い物を一刀の下に両断出来る。


「――断ッ!!」


 紫電一閃。

 振り切った刀身が頭上へ直角に位置するような残心。

 直後、スパッ、と目の前の大蛇の尾部に縦一文字の巨大な斬傷が走った。 その斬傷が急速に上下へと広がっていく。

 斬傷が一回転したと同時、尾先から約十メートル程までが切り落とされた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッッッ!!!


 尾を切り落とされた大蛇が、あまりの激痛に一瞬硬直する。


 更にその瞬間、梓の放った二本の矢が、上空から、正面から、双方同時に大蛇の双眸へと突き刺さった。

 尾を断たれた激痛、両目を潰された激痛に身を硬直し、その上視覚を封じられた大蛇。


「…………!!」


 その上空からは、狙い澄ましたかのように槍を構えた十勇士最強が迫っていた。




   ◆◇◆◇◆




 踏み込み突き、という技がある。

 半身立ちで槍を両手に構えた状態から、一歩強く踏み込みながら槍を突く技だ。

 この技は、踏み込み時の重心移動をそのまま突きの威力へと変換させる。


 漣耶が大蛇へと放とうとしているのは、この技を更に昇華させたものだ。


「……っ」


 ファンに放られた体は既に落下へと入っている。

 空中で体勢を直し、漣耶は両手に槍を持ったまま万歳のようにそれを上げた。

 十メートル以上の上空から自由落下。重力加速度によってその速さは増していく。


 ――大蛇が体を硬直させた。


 信じた通りの結果。

 自分の仲間は期待通りにやってくれた。

 後は――――


(……俺が、決めるだけだ……!)


 十分な速度で落ちてきた漣耶は大蛇の鼻の上にまず左足を着地させた。

 瞬時、槍を握る上げていた両腕を思い切り振り下ろす。

 同時、腰を高速で捻り、振り下ろした両腕の勢いを前方へと流す。

 刹那、落下時の重力加速の乗った右足で踏み込みながら着地、勢いの乗った槍を更に加速させる。


 ――東雲流槍術 奥義 威火槌(イカヅチ) 


()ァァァァァァァァ!!!」


 落下の位置が高ければ高いほど威力を増す瞬速の槍突きが、大蛇の額に突き刺さった。


 ――ドパァァァァァァァァン……ッッッ!!!


 直後、あまりの突きの威力に大蛇の上頭部が破裂した。

 水毬がハジけるように、大量の赤黒い血と脳漿を派手に撒き散らす。

 そして――。


 大蛇の全身が、力無く、項垂れた。


『………………………』


 訪れる静寂。


 夢か現かの困惑による沈黙。


 その数十秒後、目の前の出来事を頭が認識出来た時、学園中がワッと歓声に包まれた。


 五十八分もの激闘の末、十勇士が――否、“獅子之宮学園”が勝利したのだ。

※登場人物 ファン・ジオ・ヤーオの項目を更新しました。


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