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第五話 異種族遭遇

 獅子之宮学園が敷地ごと未知の土地へ移動させられてから約一日が経過した。

 地球には存在しないはずの異形の化け物――“蜥蜴犬”の襲撃もあり、学園中の人間が想像はしていたが認めたくなかった事態を受け入れざるを得なくなった。


 ――本当に“異世界”に来てしまったんだということを。


 蜥蜴犬襲来の後、生徒会は直ちに各委員会と各部活の長、そして東雲漣耶(しののめ れんや)たち十勇士を集めて緊急会議を行った。

 議題は『これからについて』。

 もはやこの状況は自分たちの理解を超えている。

 自分たちが今居る場所が地球じゃない可能性がある以上、救助は期待出来そうもない。

 ならば、自分たちの身は自分たちで守らなければならない。

 獅子之宮学園の生徒は皆一様に自主性が高い。それは理事長が意図してそういう生徒を集めたからなのだが、この状況下でもそれはプラスに働いていた。緊急会議には教職員も何人かいたが、大人が口を挟むまでもなく、どんどんと話が進んで各自の役割分担が次々と決められていった。

 最優先事項は“安全の確保”と“生活基盤の確立”だ。

 少なくとも先の蜥蜴犬のような人間に牙を剥く害獣が存在することは分かっている。他にもそういった何かが森に潜んでいる可能性がある以上、学園敷地内にそれらが侵入してくることは避けたい。

 そこで、正門以外の門の封鎖が決定された。

 獅子之宮学園には、生徒が登校してくる正門の他に、教職員の駐車場に繋がっている裏門と、グラウンドの端に非難用の非常口がある。

 その後者二つの門を、空き教室に置いてある机や椅子、廃材などでバリケードを作るように封鎖したのだ。

 学園の敷地を囲む塀は、高さ二.五メートルの鉄筋コンクリート造りなので、木をつたいでもしなければ侵入は不可能だ。もとはただの金網フェンスだったが、理事長の改革の折に造りかえられたらしい。その理由は不明だが……。


 次に、学園外への見張りだ。

 武道系部活所属、且つそれなりの実力者四人が交代で正門の見張りを行う。

 そして屋上から望遠鏡や双眼鏡を使った全方向への見張りは、クラス単位のローテーションで行うこととなった。

 獅子之宮学園の敷地は広い。少ないの見張りでは全体を見渡せないうえ、警備に穴を開ける可能性も高い。

 だったら、クラス単位でのレクリエーションにしてしまえ。というのが生徒会長である北条紫夜(ほうじょう しや)の提案だ。

 実際、一クラスの人数ならば監視として全方向をカバーすることも容易だし、面識のある級友と共に作業することで退屈を感じることもなく、逆に見知らぬ土地に皆少なからず興奮して、こぞって周囲を注視していた。

 それが功を成したのか、昨日の夕刻、歩いて行ける程度の場所に木々に隠れるようにして存在する小川――“水源”を発見するに至った。


 そして本日、件の小川へ選ばれた生徒たちが水の確保に向かう事となっている。

 水運搬部隊の内訳は、まず運搬要員に運動系部活所属の力自慢の生徒が二十人、上下水施設の知識を持つ建設委員が二人、釣り部が一人。

 護衛として武道十勇士四人と、剣道部や薙刀部などの武器を扱う武道系部活所属生徒十人。

 運搬要員が少なくては運べる水量も少なくなるし、逆に多くても害獣などの脅威から守りにくくなる。かといって個々の戦闘力が高い十勇士を多く投入すると、今度は学園の守りに不安が残る。十勇士や武道系部活所属生徒たちの意見を取り入れた結果、この人数で行くことになった。


「――しかし、生徒たちだけで大丈夫でしょうか?」


 職員室。

 今回の出来事に巻き込まれた十三名の教職員と、二名の事務員は基本的に此処に集まっていた。


「あ~、ん~……大丈夫なんじゃないですかねぇ。生徒会役員なんかは下手な大人よりしっかりしてますし」


 今、学園に居る教職員のほとんどは何処にでも居る普通の教師だ。特殊技能などは持ち合わせておらず、国語、数学、英語など基礎教養科目を教えることしか出来ないと本人たち自身も思っている。

 彼等が生徒会より依頼された仕事は、主に生徒たちのメンタルケア。

 あの地震があった日に残っていた半数以上の教師はクラス担任を務めていた。そのために残業をして巻き込まれてしまったわけなのだが、担任を務めるだけあって生徒との関わりは多少なりともある。大人としての包容力を期待していると、暗に言われたのだ。


「十勇士の子たちも大人顔負けの実力者と聞いてます。なにより、私らが付いていっても逆に足手まといになりそうですし……」

「うーむ、確かに」


 だがしかし、大人で、且つ教師とはいえども、彼等もまた人間であることに違いは無い。この状況にかなりの不安とストレスを感じている者は多い。

 更に言えば、大人でありながら子供達の言いなりとなっている現状に不満を持つ者も居る。自分に皆を引っ張ってゆく力は無いと知りつつも、目下の者に指示されるというのは如何ともしがたい感情を生んでしまうものだ。


「まぁまぁ、とりあえず今は彼等に任せてみましょう。何かあったら我々がフォローするということで」


 ――しかし、その不満を口に出すことは“今は”誰も出来ない。


 良い意味でも、悪い意味でも彼等は大人。

 だからこそ、最低限の損得勘定が出来てしまう。ここで権力を持つ生徒たちに反感を買えば、この理解不能の事態でどうなるかは分からない。彼らに従事していれば最低限の安全と生活が確保できる。


 今は、今は、今は。


 それゆえに誰も、子供が権力を持っているこの状況に、大人が言いなりになるしかない現状に、不満を抱きつつも口には出さない。出せない。


「……あぅあぅ」


 その様子を内側から見ていた歳は若いが二年三組の担任にして二年生の学年主任を務める真柴朱子(ましば あかね)

 良く言えば優しく真面目、悪く言えば気の弱い彼女は、この状況で生徒たちのことを本気で心配している数少ない一人だった。

 立場的には現在教職員の中で一番発言力のある彼女だが、面従腹背の雰囲気を纏っている教師たちを前にしては、気弱な性格のせいで委縮してしまう。


(わたし、学年主任なのに、先生方をまとめられないなんて……)


 これから教職員や事務員は学園内を回って生徒たち様子を見にゆく。

 今はなんとか彼等も不満を理性で押さえている状態だが、それも時間が経つにつれ限界に近付く。どう転ぶかは誰にもわからない。

 そうなった時に、大人の悪意が子供たちに浴びせられた場合のことを考えると、朱子は胃痛がしてくる。


(……どうにか、しないと……!)


 朱子は決意を固めた。今、大人陣を諭し、纏めるのは自分しかいないのだと。


「――真柴先生、聞いてますか?」

「ふぇぁい!? ななな、なんでしょうか」

「いえ……真柴先生に校舎回りのスケジュールを生徒会に提出していただこうかと。教師の代表として」

「あ、あぁ、はい。わ、わかりました……」


 他の教師たちに顎で使われる――というほど酷いわけではないが、頼まれれば断れない性格が災いして色々と頼みごとをされる歳若い学年主任。

 彼女の決意が結果を出すのは、まだまだ先のようだった。




   ◆◇◆◇◆




 ずんずんと、獅子之宮学園の制服を纏った生徒の一団が樹林の道を歩いてゆく。

 三十七人からなる水運搬部隊だ。

 先頭を往くは二人の女性十勇士。

 ――薙刀部三年、蘇芳朱鷺(すおう とき)

 ――スポーツチャンバラ部三年、垣峰真湖(かきみね まこ)

 己の得物である稽古用の木刃の薙刀を肩に担ぎ、短いポニーテールを揺らし、八重歯がのぞく不敵な笑みを浮かべ、されどギロリと周囲を見渡しながら歩く朱鷺に余裕は感じれど隙は見えない。

 一方、腰のホルダーに小太刀代わりの警棒を差した真湖は、身長が高いわりに何処か小動物めいた様子で少し挙動不審にキョロキョロと周囲を警戒していた。

 彼女等二人の後に水運搬要員二十人が、一人ずつ一輪車にポリタンクを乗せて運び、二列を成している。

 その右横に護衛役の剣道部五人。左横に薙刀部五人。

 最後尾に男性十勇士が二人。

 十勇士最強と名高い、されど十人中唯一公式大会での実績のない異例の十勇士、二年の東雲漣耶(しののめ れんや)

 そして、金糸の髪を靡かせて爽やかに、且つ軍隊の行進の如く規律正しい姿勢で愚直なまでに前方を見据えるのは、フェンシング部二年のフォルティス・三島・ローデンヴァルト。

 貴公子の如き出で立ちと、時代劇や武士道が大の好みということから、“武士なる王子様”と一部女子から囁かれているとかいないとか。


「漣耶殿」

「……どうした?」


 隣を歩く漣耶にフォルティスが声を掛けた。


「その手に持つ槍……真剣ですか?」


 フォルティスの視線の先、漣耶の左手には、蜥蜴犬を撃退した箒の柄の棒ではなく、“素槍”と呼ばれる長さ二メートル程のシンプルなデザインの槍――間違う事無き武器が握られていた。

 穂先の刃渡りは三、四十センチはあろうか。手入れが行き届いているのだろうその銀色の刃はキラリと鋭く陽光を反射している。


 ――模造刀ではない。明らかに本物の刃だ。


「……そうだ。これは刃を潰していない本物の槍だ」

「学園に、あったのですか?」

「……いや。これは俺が実家から学園に持ってきていた物だ」

「貴殿の御実家が道場をしているという話は聞いたことがありましたが……」

「……稽古の為に、許可を得て置かせて頂いていた」

「稽古?」


 東雲漣耶の実家、正確には彼の祖父が戦国時代より続く古流槍術の道場をしている。

 漣耶は幼き頃より厳しく鍛えられ、今の力を身に付けた。

 槍の稽古は家の道場でも出来るのだが、流石に身長、実力共に成長した漣耶では手狭に感じていた。

 そこで学園と話をして、他言しないという条件で学園内で槍術の稽古が出来るようにしてもらった。

 稽古を行うのに十分過ぎるほどの広い敷地のうえ、更に試し突き用の人型まで貸し出してくれたのだ。

 漣耶は祖父から譲り受けた槍を学園で保管するようになった。実際に人型を突けるのは学園だけだし、銃刀法違反にもなる槍を稽古の度に持ち出して行き来するのは避けたかったのだ。


「なるほど。だから地震があったあの日も、その槍を学園で保管していたということですね」


 こくり、と小さく頷いてから、漣耶はフォルティスの腰に下げられた得物を見た。


「……そう言うそちらは、競技用の刺突剣(フルーレ)か」

はい(ヤー)。本当なら、このような実戦が想定される状況下ならばフルーレよりも細剣(レイピア)の方が良いのですが、流石に――というか普通学園には置いてないですからね……」


 フォルティスが扱う武術は部活からも分かる通りフェンシングだ。

 基本、刺突が主な攻撃方法なのでフルーレでも問題は無いが、その分、防御と耐久面に不安がある。

 レイピアは、フルーレのような細身の剣特有の刀身の“しなり”は弱いが、その分刀身がやや厚く耐久力もある。

ポイント制の競技ではなく、相手に傷を負わせることを前提とした実戦では、武器の損耗も当然激しくなるので、どちらかというと耐久度の高い武器の方が良いのだ。


「――しかし、無いモノねだりをしている余裕もない」

「ヤー。弘法は筆を選ばず。フルーレしかないのならば、それに合った戦いをすればいいだけのことです。自分には――十勇士ならば、それが出来る」


 会話はすれど二人の少年は互いに視線を交わすこともせず、周囲を警戒しながら淡々と歩いていた。




   ◆◇◆◇◆




 少し時間を遡り、水運搬部隊が出発した直後。

 獅子之宮学園の昇降口には選ばれなかった何人かの十勇士と、見送りの生徒たちが居た。


「ぬう、納得がいかん。なぜ我が番いは水運びの護衛なのに、我は留守番なのか……!」

「仕方ない。遠距離狙撃の出来るお前は防衛の要だ。弓使いのお前が学園を離れる訳にはいかないだろう」

「あとは、樹海に何が居るか分からないって理由で武器使いが優先して選ばれたしね。特に長物。皮膚の表面に毒がある化け物なんて出たら、素手で戦う奴には辛いだろうし」

「漣耶っちが護衛役、あずにゃんがお留守番なのはそういうわけにゃー」


 十勇士、奏島梓(かなでしま あずさ)加羅谷輝莉(からや かがり)天童宗壱(てんどう そういち)弥鞍隼人(みくら はやと)の四人は、水運搬部隊の見送りに来ていた。

 空手部の轟玄十朗ともう一人はこの場には居ない。同じ十勇士でもつるむのを好む者とそうでない者も居るのだろう。


「あずにゃんと呼ぶな! たわけものが!」

「にゃーにゃー」

「ふふっ。…………でも、きっとこの樹海にはまだ俺たちの知らない多くの危険があると思う。もしかしたら、行かなくて良かったのかもしれないよ」


 口元で笑みを浮かべつつ、しかし笑っていない瞳で宗壱は言う。


「確かにな。お前たちもあの蜥蜴犬の死骸を見ただろう?」


 輝莉の言葉に、あのとき直には蜥蜴犬と対峙しなかった三人が頷く。


「遠目からもあの異形は見えたが、近くで見ると――より不細工だったな」

「問題なのはそこじゃない!」


 何処かズレた発言をする梓に普段冷静沈着な輝莉がつっ込んだ。


「――鋭い牙や爪、そして防御に優れた鱗の皮膚、大型狩猟犬並みの体躯。どちらかというと恐竜時代の生物っぽかったけど、だとしたら蜥蜴犬(アレ)がこの森の生態系の頂点というわけではない可能性が高い」

「そうだ。つまりは、もっと巨大で強力な化け物も居るかもしれない、ということだ」


 宗壱の考察に、輝莉が結論を言う。

 一般生徒にとっては十二分に脅威となり得る蜥蜴犬すら、ただの先兵かもしれない。

 それを上回る脅威が存在する可能性を、二人は説いていた。


「にゃんと。漣耶ちんやフォルちんたち大ピ~ンチにゃー」

「ふんっ。我が番いは今回、愛槍“天沼矛(あめのぬほこ)”を携えている。どんな化生が出ようと相手になるものか」

「え。そんな中二病的な名前だっけ、あの槍?」

「ちゅちゅちゅ中二病というでないわ!」

「いや、銘はまだないと言っていたな」

「にゃー」


 しかし彼等の会話は、樹海へと入っていった漣耶たちを心配をしている風には、とてもじゃないが見えなかった。

 それは信頼ゆえか、もしくは……。




   ◆◇◆◇◆




「ほー、こない綺麗な川ぁ初めて見るわ」


 学園の正門を出て、約十分弱の場所にその小川は在った。

 川幅は約十五メートル、水深は五十センチから深くても一メートル程。

 水面は透き通り、川底まで容易に見渡せるほど澄んでいた。


「川魚も居るな。釣り部さん、あの魚って食えるのか?」


 川には少なくない数の魚が数種類泳いでいるのが確認できた。

 運搬要員の運動部生徒が、三十センチほどの魚を指差して釣り部の生徒に質問する。


「…………」

「どうした?」

「あんな魚……というか、この川に居るほとんどが初めて見る魚、です。あれはヤマメに似ていると思うんですがヒレの形が違いますし、どの魚も似てる魚は知っていますが、微妙に……違う」

「……ふむ。此処でも異世界説を強くする材料が見つかっちまったってことか?」


 既知の魚が居れば食糧事情の改善に繋がると思って釣り部から川魚に詳しい生徒を連れてきたのだが、実際には未知の魚しか居なかった。

 つまり、食べられるかどうかは一種類ずつ実際に試食してみるしかないということになる。


「…………この様子なら、大丈夫か」

「ん~? どないしたん、東雲」


 小川を一通り見回した漣耶がひとつ呟いた。

 隣に来た朱鷺がその言葉の意図を質問する。


「……あのような化け物が存在する森だ。(わに)のような危険な水棲生物も居るかもしれない、と思ってな」


『っ!?』


 漣耶の言葉を聞いた全員が川辺から一歩後退し、慌てて川の中を見渡した。


「……いや、一通り確認したが、そういった生物は確認出来なかった。それに、このように水の中が見えるほど透明に澄んだ川では、それらは身を隠せる場所もない。従って、この川――少なくともこの場所には危険は無いと判断した」

「な、なんだよ、おどかすなよぉ」


 あからさまにホッとした生徒たちが胸を撫で下ろす。


「で、でも、川は安全かもだけど、森は未だに危険がいっぱいだから、その、油断はしないほうが、い、良いと思うよ」


 気を抜いている生徒たちに、真湖が弱々しく喝を入れた。


「マコっちゃんの言う通りや! 皆、気ぃ張りや!」

「各自、水の確保を開始してくれ!」

「……建設委員、此処から学園まで水路を引く場合、技術的、人員的、工数的な算出は可能か?」

「うーん、そうですねぇ」


 十勇士、朱鷺と真湖は護衛役の武道系部活所属生徒を指揮して周囲の警戒、フォルティスは水運搬要員たちの指揮して水の汲み込み、そして漣耶は建設委員と水路構築の相談。各自の分担作業を開始した。




   ◆◇◆◇◆




 第三校舎の屋上。

 時計の指す時刻は真夜中だが、太陽は真上を少し過ぎた辺りだ。

 未だ時間のズレに慣れない者も多いが、基本的に太陽の位置に従って行動しようということになった。

 つまり、陽が昇ったら朝食、太陽が真上に来たら昼食、日が沈んだら夕食、ということだ。


 本日の昼食後の屋上からの見張りローテーションの順番は二年四組。

変わり者揃いで有名な四組は、騒ぎながらもしっかりと見張りの仕事をこなして――


「くっ……まずい! 吾輩(わがはい)の、吾輩の右手がぁぁぁ!!」


 こなして――――


「お、落ち着け! 落ち着くんだ、江口(えぐち)ィィ!!」

「もうダメなんだ……! 吾輩耐えられないんだ! 頼む! やらせてくれェ!」

「バカ! 変態! こんなとこで何を始める気よ!!」

「ああ!? このうつけの雌豚め! 何をだと? もちろん、ナニをだよ!」

「うつけはお前だ!」

「もう耐えられんのだ! 既に二十七時間もしていないのだぞ!? 我慢の限界なのだ! 堪忍袋……否! 金○袋のアレがあふれ、あふ、あふっあふっ、アフフフ、アフゥゥゥゥゥ!!」


 こなして…………いないかもしれない。


「くそう……! こんなときに加羅谷がいれば止めてくれるのに!」


 十勇士の一人、合気道部の加羅谷輝莉(からや かがり)は四組の生徒だ。

 彼女自身が多少世間ズレしているので周りから見れば変わり者だが、真面目で誠実なので多くの級友から信頼されている。

 奇行が過ぎた生徒を窘めるのも彼女の役割として確立していた。


「フンッ、あのクーロリ(※クールロリータ)ですら今の吾輩は止められん! むしろ吾輩の右手が加速する! シュシュッ! シュシュシュッ!!」

「この変態!」

「ふはははははヒィ――ッ! その言葉は吾輩たちの業界では褒め言葉だ!」

「誰か……誰かこのバカを止めてくれ……!」


 江口英雄(えぐち ひでお)。自他共に認めるエロの求道者。付いたあだ名が“エロヒーロー”。

 女子からの批難を物ともしない性格のフルオープンな助平だ。


「ネットが使えないィィ、ケータイも使えないィィ、エッティなサイトが見れない動画も落とせないィィィィ!! なんということだ、頭が狂いそうだ……!」

「心配すんな。既に狂ってる」

「うんうん」


 江口英雄は紛れも無い変態だ。しかしだからといって別にクラスメイトから嫌われているわけではない。

 むしろ、愛すべきバカとして扱われている。

 彼がバカをするのは日常だ。――だから、彼がバカをやっている今もまた日常。

 そうとることもできる。

 日常を強く感じてさえいえば、心乱すこともない。

 四組の生徒たちは、無意識に彼に感謝をしていた。……たぶん。


「――え? あ、え……?」

「ん~~? どした~」


 基本的に騒ぐのがデフォルトな四組にも、真面目な生徒はちらほらと存在する。

 騒ぎ立てる級友に耳を傾けつつもバードウォッチング部とワンダーフォーゲル部から借りた双眼鏡を手に、日本の都会育ちには珍しい樹海を眺めていた生徒がなにやら困惑した声を漏らした。


「いや…………あ、あれ……」


 双眼鏡を受け取った生徒が、指の差された方向を見る。


「ん~~? ん~~~…………んんッ!? な、なんだありゃあ!?」


 その叫び声で、四組の生徒全員がその異変に気付いた。

 肉眼で、双眼鏡で、各自“ソレ”を確認した生徒たちが相談する。


「…………とりま、生徒会に報告だろ」

「うん」

「そうね」

「あ、じゃあオレ行ってくるわ」


 そう言って、フットワークの軽い男子生徒が一人屋上を後にした。


「あとは?」

「んー、監視?」

屋上(ここ)から見えなくなったらアウトだな」

「よくよく見ると微妙に動いてるっぽいしな」

「江口はどう思う?」


 勇気ある一人の男子生徒がエロヒーローに訊ねた。

 双眼鏡で静かに“ソレ”を見ていた彼は――


「フム。黒さといい太さといい長さといい…………なんと立派なイチモツか。――決めたぞ。アレのコードネームは“フトマラ”だ……!」


『だらっしゃ――――ッ!!』

「うぼらげはッ!?」


 両サイドから女性生徒二人の息の合った右ストレートが、江口の両頬を抉った。

 世にも気色悪い顔をしながら奇声を上げてヒーローは吹き飛ぶ。


(((……思ってても口に出すなよ……)))


 その一連を見た男子一同が同じことを思った。


「お、おい皆! “アレ”が動いたぞ!」


 クラスメイトのやり取りを総スルーしてマイペースに監視を続けていた生徒が声を上げた。


「何、マジか!?」

「つか、え、速くね!? あんな図体なのに動き速いって!」

「っておいおい。あっちの方角って確か水運搬部隊が向かった小川があるんじゃなかったっけ?」

「げ……」


「まったく、ダメだろう……。あれほどの太さ長さを持ちながら“はやい”なんて。フフ」


『お前はもう黙ってろ!!!』


 ヒーローはクラスメイトによって成敗(フルボッコ)された。

 彼等が次に生徒会へ報告に行ったのはもうしばらく後だった。




   ◆◇◆◇◆




『――ッ!』


 樹海に流れる小川からポリタンクに水を詰める作業が一段落して、水運搬部隊は一旦小休止を取っていた。


「ど、どうかしたのか?」


 休憩中、突如同時に同じ方向へバッと振り返った十勇士の四人。

 彼等の行動に疑問を浮かべた剣道部の生徒が訊ねる。


「…………来る」


『?』


 独り言のように呟く漣耶に周囲の生徒たちが首を傾げる。

 しかし、他の十勇士たちは彼の言葉を理解しているようだった。


「何かが来ますね」

「なんや、うなじ辺りがピリピリしとるわ」

「こ、これ、なに……?」


 フォルティス、朱鷺、真湖の三人も漣耶と同じ方向――木々の立ち並ぶ密林の暗闇に緊張感を含んだ視線を向けている。

 その雰囲気に、その場に居る誰もが息を呑んだ。


 彼等、獅子之宮学園の生徒にとって、武道十勇士は身近にいる特別な存在だ。

 普段から彼等の非凡さは目で見ているし、武道系部活所属者には身を持って体験をしている者も居る。


 ――自分とは、自分たちとは根本的な何かが違う。


 それは膂力だったり、精神力だったり、持久力だったり、敏捷力だったり、理解力であったり、反応速度であったり。

 彼等は認めている。自分では絶対に十勇士に勝つことが出来ないと。


「…………っ」


 しかし、そんな彼等が今“緊張”をしている。

 道中で話題になった蜥蜴犬の時でさえ、余裕を見せて一様に『問題無い』と言っていたあの十勇士たちが、だ。

 そのことで、運搬部隊の生徒たちは頭ではなく体で理解した。


 ――それほどの“何か”が起こっているのだという事を。


「……全員、駆け足で移動する準備を」

「積んだ水は今は置いておきましょう」

「せやな。みんな、合図したら全速力で学園まで、やで?」

「う、うん」


 少し離れた場所を一様に睨む十勇士たちの後ろで、運搬要員の生徒たちが静かに水の入ったポリタンクをその場に置き、剣道部と薙刀部の生徒たちは己の得物を持つ手に力を入れた。


『…………?』


 直後、微かに何かが耳に届いた。

 パキパキと枝を折るような音だ。それは次第に大きくなってゆく。


 ――何かが近付いて来る!


 そう感じた瞬間、視線の先の密林から人影が二つ飛び出した。

 小川を勢い良くひゅんと飛び越えて反対側の木の枝へと飛び移る。


『?』


 あれは誰なんだ、と誰もが疑問符を浮かべると同時、人影が出てきた場所の密林が――――爆発した。


『ッ!!?』


 吹き飛ぶ木々の中から現れたのは、黒くて大きくて長い何かだった。

“ソレ”は小川を飛び越えた二つの人影を追うように密林をなぎ倒して突き進んで行った。


「な……っ!」

「へ、蛇なのか!?」

「いや、デカすぎるだろ……」


“それ”は一言で言えば――大蛇だった。

 しかしその大きさが半端じゃない。電車とほぼ同じくらいの体躯だ。

 人ひとりどころか、三、四人程度なら一度に丸飲みに出来るほどの口を持つ巨躯。

 もはやあの蜥蜴犬ですら比較対象としては小さすぎる。


「……学園へ戻る。全員、脇目も振らず全力で……走れ!!」


『う、うわあっ!!』


 普段、例え戦闘時にすら声を荒げることをしない漣耶が叫んだ。

 余程の緊急事態だと全員が認識し、一目散に学園の方角へと走り出す。

 十勇士の四人は誰が言うまでも無く殿(しんがり)に着いた。


「――ったく、なんなんやねん! あのデカブツは!?」

「あれほど巨大な生物が存在するとは……!」

「ど、どうしよう、あんな大きな体に効く武器なんてないよ……っ」


 黒い大蛇の鱗がどれほどの強度かは分からないが、蜥蜴犬の鱗より脆いだろうという楽観視は誰も出来なかった。

 彼らの持つ武器は木刃の薙刀、警棒、フルーレ、素槍。

 傍から見れば、鎧を着込んだ成人男性の腕と、爪楊枝くらいの差があった。

 あの巨体を見た後では、それほどまでに自分たちの得物は頼りなく見えてくる。


「……取り敢えず、学園の中にまで逃げれば――」


 走りながらも後方を気にする漣耶たち。

 幸いあの黒い大蛇が向かったのは学園とは反対側だ。

 仮に学園の敷地内に入って来たとしても、あの巨体ならば校舎の中までは追って来られないだろう。


「ハァ、ハァ。――しかし、アレに追いかけられていた人影は一体……?」


 漣耶の少し前を走るフォルティスが後ろを警戒しつつ疑問を口にする。


「が、学園生……ってわけじゃなさそうだったよね?」


 警棒を抜いて走る真湖がそれに応える。


「ほな、原住民っちゅう奴か!?」


 初めて見かけた現地の人間。この場所――樹海のことを知っているかもしれない人が居た。そのことに喜びつつも、その人物があの怪物大蛇に追われていたことを思い出して苦虫を噛み潰した表情をする朱鷺。


「……! 油断するな! 来るぞ……!!」


 最後尾を走る漣耶が叫んだ。

 直後、生い茂る木々の間から二つの人影――――金髪の少女と少年が飛び込んできた!


『!?』


 漣耶とその少女は互いに鉢合わせの形となった。

 跳躍の着地地点に漣耶が丁度走り込んできたことで驚く少女が体勢を崩す。


「――――!?」

「……ふっ!」


 間一髪。漣耶は槍を頭上に投げ、両手で少女を受け止める。

 勢いのせいで衝撃は多少あったが、その少女は軽かった。


「!? !? !?」


 少女は驚いた表情に疑問符を浮かべている。

 彼女の顔立ちは漣耶たちと同年代のように見えたが、透き通るような白い肌と長く伸びた金色に輝くストレートヘア、細い体に薄緑色の素朴な、しかし露出の高い服装をしているため若干大人びて見える。

 だが、漣耶が注目した彼女のもっとも気になるところは――――


「漣耶殿!!」

「――ッ!?」


 フォルティスの叫ぶ声で一瞬思考に耽っていた漣耶は我に返った。

 同時、腕の中の彼女が来た方角から木々を薙ぎ倒す轟音と共に件の黒い大蛇が現れる!


「アホ! なに呆けとんねん!!」

「れ、漣耶くん!」


 少し離れた場所から朱鷺と真湖が叫ぶ。

 無言で大蛇がうねりながら鎌首をもたげた。余裕で十メートルは超える高さに陽が陰り、漣耶の周囲が暗くなる。

 がっ、ぱぁッ、とその巨大な(アギト)を開いた大蛇はもたげた首を漣耶と少女の方へ倒して行き――


「――!!」


 漣耶は落ちてきた槍を掴むと金髪の少女を抱き抱えて真横へ跳んだ。


 ドゴォォォォォォォォッッッ!!!


 直後、漣耶たちの居た場所に大口開けた大蛇が落ちてきた。

 まるで大地を丸飲みしようとするかのような形で停止する大蛇。

 腕ほどもある大きな無数の牙が大地に突き刺さっている。


「――――」


 刹那の時間、漣耶は思考する。

 自分の状態……無傷。身体能力も槍にも異常無し。金髪の少女を腕に抱いている。

 金髪の少女……驚愕の表情で大蛇に視線が釘付けとなっている。体の所々に擦り傷があり血が滲んでいるものもあるが、今のところ大きな怪我は見受けられない。

 十勇士の三人……漣耶や大蛇と少し離れた場所に居る。フォルティスが一番漣耶たちに近い。

 金髪の少女と共に大蛇から逃げていた少年……漣耶と他の十勇士との丁度間くらいの位置で泣きそうな顔で金髪の少女に視線を向けている。少女と同じく金髪だが、こちらは若干幼い。中学生くらいだろうか。彼も体中ボロボロだ。血を流した右足首を押さえている。

 水運搬部隊……殿の此方と五十メートルは離れている。学園まで走れば五分とかからない距離だ。

 大蛇への対応……現時点では未確定。電車並みの巨躯を持つこの大蛇が、ただ蛇を巨大化させただけなのだとしたら勝ち目はあるかもしれない。だが、もしも想像のつかないような特殊攻撃を所持していた場合は倒すことは困難と思われる。

(……ならば、まずは見極める)

金髪の少女と少年を追いかけていた大蛇の速度と漣耶自身の身体能力を鑑みれば、素直な直線距離では相手にならないが、木々という障害物を利用すれば“追い掛けっこ”は成立すると思われる。

 一秒にも満たない思考の末、漣耶は決断した。


「――俺がこいつを引き付ける! お前たちは運搬部隊と“彼女たち”を学園まで連れて行け……!」


 言うが速いか漣耶は金髪の少女を地面に置くと、地面を文字通り噛みしめる大蛇に向かって飛び出し、その横っ面に槍の穂先を力一杯突き出した。


「……破ァッ!!」


 ザクッ、と勢い良く刺さる槍の穂先。


(ぐっ、やはり…………堅い!)


 しかし無銘とはいえ十分に業物である祖父から貰った槍の刃は、握りこぶし程度しか大蛇の皮膚を貫いていなかった。恐らく鱗一枚分ほど。大蛇の防御を貫くには圧倒的に速度と膂力が足りていない。

 両腕に痺れを感じて少しだけ眉を顰める漣耶。


 ジア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!


「――!?」


 刃物が刺さった痛み故か、それとも自身の肌に何かが触れた故の反射運動か。

 大蛇は漣耶の攻撃の直後、巨大な縄状の体を激しくうねらせた。

 電車程もある巨体をくねらせることで起こった衝撃は周囲の木々を薙ぎ倒し、大地をも大きく揺らす。

 そのうねりの勢いで槍は大蛇から抜け、漣耶は吹き飛ばされた。


「漣耶殿――!?」

「東雲!!」

「れ、漣耶君!!」

「…………っ!!」


 在らぬ方向へ水平に吹き飛ぶ漣耶に向かって十勇士三人が叫び、金髪の少女が息を呑む。


「――ふっ!」


 果たして漣耶は進行方向斜め右に立つ大樹へ向けて空中で槍を突き刺した。

 そして槍の刺さった大樹を軸として飛ばされた勢いでぐるりと半回転弱、木と突き刺さった刃の摩擦で勢いが殺され、ずぽっと槍が抜ける頃には勢いは完全に止まり、余裕を持って漣耶は着地した。

 その様子を見た十勇士三人と金髪の少女たちはホッと息を吐く。


 が、危機はまだ去っていなかった。


 ジア"ア"ア"ア"ァァア"ア"アァァ"ア"ア"ア"ァァ…………


「――!」


 黒い大蛇の金色の双眸は漣耶を見据えていた。

 自分の体に触れた者――漣耶を、完全にターゲットに見定めたのだ。


「…………っ」


 漣耶は弾けるように駆け出した。

 その後を大蛇もすぐさま追いかける。

 獅子之宮学園の正門があるのとは別の方向だ。

 自分が敵の標的になったことに気付き、漣耶は囮としての行動を開始したのだ。




   ◆◇◆◇◆




「――れ、漣耶殿!!」

「ちょお待ちぃジブン!!」


 黒い大蛇に追われていった漣耶を今にも追いかけようとするフォルティスを、朱鷺が肩を掴んで止めた。


「しかし――」

「東雲の言うたこと忘れたんか。うちらは一般生徒らを学園まで無事に送るっちゅう仕事を任されたやろ」

「あ……」


 朱鷺の冷静な指摘に、フォルティスは離れた場所で一連の出来事を見て唖然としている水運搬部隊の一同に視線を向けた。

 十勇士たる自分ですらあの化け物との遭遇に恐怖を感じたのだ。一般生徒である彼等がどう感じたかは推して知るべしだろう。


「……」

東雲(あいつ)実力(うで)は知っとるやろ? 逃げに徹っせば簡単にやられるっちゅうことはないはずや」


 朱鷺の言い分はフォルティスも十二分に理解している。

 しかし彼の性格上、自分が許せないという気持ちもまた存在していた。

 あれほどの巨体を持つ大蛇。驚いたのはフォルティスだけではない。

 だが、咄嗟に自らが囮となって全員を逃がすことを選択し、実際に行動に移したのは漣耶だけだった。


 同じ十勇士なのに自分は出来なかった、という嫉妬。

 級友を囮にしてしまった、という後悔。

 それらが混ざって自己嫌悪となることでの思考停止。


 そして、先程突き付けられた朱鷺の言う正論。


 責任感の強いフォルティスは自己嫌悪の念と自分の義務を天秤に掛け、長い沈黙の後に口を開いた。


「……………………了解(ヤー)

「おっしゃ! 頭の固いボッチャンも納得したことやし、ちゃっちゃと行ったろかい!」

「頭が固くて悪かったですね、朱鷺殿……」


 フォルティスと朱鷺の話が一段落したすぐ横では。


「え、えーとー…………だ、大丈夫?」


 真湖が話しかけたのは、大蛇に追われていた金髪の少年少女。

 見た感じ二人は年齢差はあるものの面影が似通っていた。恐らく姉弟なのだろう。

 座り込んで右足首を押さえている金髪の少年に、彼の姉と思わしき少女は寄り添いながらも自らの左腕を押さえている。


「――――――」

「え、え……?」


「――――――」

「ぁぅ……え、えーと」


「――――――」

「ふ、ふぇぇっ」


「何やっとんねん、マコっち」

「あ。と、朱鷺ぃ……」


 真湖たちに朱鷺とフォルティスの二人が近付く。

 何やら真湖は金髪の少女たちとコミュニケーションをとろうとして失敗したらしい。


「――っちゅーか、へ……?」

「これは……」


 金髪の少女らを初めて間近でじっくりと見た朱鷺とフォルティスは絶句した。

 というのも――。


 彼女たちの容姿は日本人のそれではなく、白人系に近い。

 十人に聞けば十人とも美形と答えるだろう彼女等だが、朱鷺たちが驚いたのはそれが理由ではなかった。

 彼等が驚いた理由、それは――彼女たちの“耳”だ。異様とも思えるほどに長い耳。


「…………“エルフ”……」


 フォルティスが無意識に呟く。

 そう。国際的に有名な彼の指○物語に登場する森の妖精に酷似した存在が、自分たちの目の前に居たからだ。

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