第四話 魔物来校
時刻は午後十一時。
とはいってもそれは学園内の時計が示す時刻で、辺りは陽に照らされて明るく、朝独特の冷たく澄んだ空気に包まれている。
獅子之宮学園生徒会長である北條紫夜が学内放送で全校生徒に指示を出してから、既に一時間以上が経過していた。
「――というわけで、学園に残っている三百三十六人で現存の食糧を分配した場合、一日三食なら通常の食事三日分と非常食七日分、合わせて十日分となります」
現在は、生徒会役員と文芸部二人で、農業委員所属の女子生徒の報告を聞いていた。
自分たちの今後を左右する食事に関する報告だ。皆――毒島含めて――同様に真剣な眼差しで耳を傾けている。
「“通常”で十日分ということは……そうね、最低限切り詰めて一日二食にした場合なら?」
「その場合ですと……二十日分となる計算ですが、体を動かす作業をする者にとっては食事の量的に厳しいと思います」
「……そうよね。けど、食事を切り詰めて、かつ効率も考えるとすると、特に体を動かす作業をする者には食事量を他の人よりも多めに出す措置をとることも考えたほうがいいわよね」
女生徒の回答に紫夜は思考するように眉を寄せる。
隣で聞いていた副会長――近江籐次朗が口を開いた。
「質問しても?」
「え、あ、はいっ。どうぞ」
「……確か、農業委員会直下組織の園芸部、畜産部、醸造部では各自で食材の栽培、家畜の飼育、調味料の製作を行っていましたよね? 先程の計算にはそれらは入っていたのでしょうか?」
「えと……園芸部で栽培されている野菜の現在収穫可能分と、醸造部で既に作製済みの調味料については計算に入っています。収穫がまだ出来ない野菜、作製中の調味料、そして家畜類については計算に入れていません。度会委員長の指示で、家畜に関しては生徒会と打ち合わせをして方針を決めたいということでしたので、現在飼育中の家畜の内容だけ纏めてきました」
「なるほど。ではそれは、後で各委員会、部活の長を集めて会議を行うので、そこで議題に挙げるとしよう。――じゃあ次に建設委員会、報告をお願いします」
議長役を務める藤次郎は一通り報告事項を確認すると、農業委員の隣に座って待っていた男子生徒にそう告げた。
「はい。では建設委員会で地震による学内施設の損害状況を確認した結果を報告します」
建設委員の男子生徒は声高に口を開く。
まず、紫夜が懸念していた発電施設と上下水道、貯水状況について。
園外の発電所との繋がりが遮断されたことで、地下に造られた非常用の発電施設が稼働中。しかしあくまでも非常用であるため、その発電量は少ない。学園内の区域ごとに配電制御が出来るパネルがあるので、冷蔵庫や放送機器などの必要性の高いものには電気を回すようにして、防犯機器や外灯などの必要性の低いものは出来る限りカットする応急対処をしている。
それでもかなり厳しいとのことだが、工業委員会の人員で自転車を改造した人力発電機を簡単に作れるということで、一時間毎に二十人ほどで交代しながら行えば、一日四時間以上で夜間分の電力を得ることが出来るらしい。発電施設と併用すれば、他に必要な時だけ人力発電を行えばいいとのこと。幸い部品となる自転車は駐輪場に売るほどあった。
「――では、工業委員会には一応三十人分の人力発電機を作るよう依頼をしましょう。発電要員のローテーションは他の作業を確認次第になるわね……とりあえず今日は運動部の何処かに頼みましょうか」
「わかりました。工業委員会の方にはウチから連絡しておきます」
建設委員の言葉に紫夜は頷き、続きを促す。
「次に上下水関係ですが、外部から給水はその一切を遮断されている状態です。というよりも、電線や水道管もそうですが、学園敷地外へ繋がる全てが切断されているようです。そのため、上下水ともに現在は貯水タンクからの給水に切り替わっています。今は普通に使えていますが、貯水量は既にタンクの半分を切っており、このままですと遠からず水道やトイレの水洗は使用できなくなります」
「…………」
この報告には生徒会室に居る全員が顔をしかめた。
水は飲み物としても、不衛生を防ぐための洗浄水としても必要不可欠なものだ。
緑の茂る未知の樹林に多くの危険があるだろうことは想像に難くないが、少なくとも貯水タンクに水が残っているうちに川や湖などの水源を見付けなくてはならない。
地図もなく、GPSも使えないような危険な場所へあての無い探索をさせる。指示を出す側にとってこれほど重責を感じるものはない。
「あ、あと、これはかなり優先度が高いと思われる報告なのですが……」
「……お願いします」
これ以上まだ何かあるのかと溜め息を吐きそうになるのを堪えて、紫夜は男子生徒を促す。
「通常、トイレなどから流れる排水は下水道へ繋がっています。ですが、先程言いました通り、校外に通じる設備は全て遮断されていますので、ようするに下水管が伸びる先は土に埋まっていて塞がっている状態と思われます。このままですとトイレから逆流してくる可能性も……」
「なっ」
「それは、キツイですね……」
排泄も人間が生活する上で切っては切れない存在だ。
衛生問題の一つであることもそうだが、現代人である学園生たちにとっては、清潔なトイレで用をたすことが出来ないというだけでストレスのもととなりかねない。
「――つまり、校舎のトイレを使用禁止にして、トイレ設備を新しく作る必要がある……ということよね?」
「そうなります」
確かに優先度の高い事項だ。早急に対応する必要がある。
この一時間でもトイレを使った者は少なからずいるだろう。専門の業者を呼ぶことも出来ない状態で、しかも清掃用の水も満足に使えない状況で、トイレが詰まり逆流なんてことになりでもしたら、目も当てられない。
「あの……わたしも仮設トイレの早急な設置は必要だと思います」
「新庄さん?」
毒島の隣に座るセミロングの女子生徒――文芸部副部長の“新庄美加”が手を上げて発言する。
「あまり声に出して言いたくはないですが……正直に言って、いま現在わたしたちは元居た場所へ戻ることに全く目途が立っていない。つまりこの状態が何日続くかも分からない状況ですよね?」
「そう、ですね……」
改めて言葉に出されると、絶望的な状況という重圧が皆の心と体に圧し掛かる。
園外へ連絡をとれないどころか、この場所が日本かどうかも疑わしいのだ。
毒島たち文芸部が言う通り、もし“異世界”に来てしまったのだとしたら、もはや帰れない可能性さえある。
新庄は気落ちした様子の周りを諌めるように話を続ける。
「認めたくないのは分かりますが、そこをしっかりと認めないと先を見据えた行動がとりにくくなります。小説や漫画なんかでも、外部からの救援を信じるという“楽観的現実逃避”をして実際に犠牲が出るまでそれを認めない人が多いのです。――だからこそ! 比較的に切羽詰まっていない今のうちに! 犠牲者が出る前に! 今後を見据えた対策をする必要があるのですっ! それが重要っ! 楽観的現実逃避はダメ! 楽観的現実逃避はダメなのですっ!!」
「美加くん美加くん、熱くなり過ぎ。周りの皆さんが引いちゃってますよー」
「――あっと、これは失礼しました」
「…………」
自分の主張を人に話す、というか語る際に次第にヒートアップしてしまうのが新庄の悪い癖だ。毒島に注意されて普段の冷静さを“一時だけ”取り戻す。
「話を続けますね。……先程仰られていた仮設トイレの設置の件ですが、人間の排泄物にも使い道が幾つかあります。畑の肥料、家畜の餌、メタン発酵など。下水道が使用できない状況なのでしたら、早急に『排泄物を集めて利用できる機能』を構築するべきです。幸いにも、うちの学園はそれぞれの分野で高い能力を持つ生徒が揃っていますから」
食糧と、そして生徒たちの気力が比較的に充実している今のうちに、出来る限り未来への布石は打っておいた方が良い。
そう主張する新庄の言葉に、生徒会や各委員会の面々も頷かざるを得ない。
「……そう、ですね。わかりました。建築委員会の方で、今、新庄さんが仰られた機能を持つ仮設トイレの開発と設置は可能でしょうか?」
「あ、えー……すみません。排泄物を溜めておけるようにするのは出来ますが、メタン発酵? などに最適なトイレ設備というのはちょっと解らないです」
現在、生徒会室へ報告に来ているのは各委員会の中でも広範囲の知識を持つ能力の高い者たちだ。その者が出来ないというからには、その委員会だけでは解決出来ないということになる。
「そうですか。では取り敢えず早急に仮設トイレの設置だけお願いします。数は出来れば男女で五十ずつくらいが理想ですが、本日は二十ずつを目安に。その後は化学部と連携して現状の機材で可能な排泄物の利用法を検討しましょう」
「わかりました。委員長に報告して直ぐに取り掛かります」
緊急な案件ということで、報告に来ていた建設委員二人の片割れが、今の案件を委員長に連絡するべく生徒会室を出て行った。
「では次に各施設の損害状況を――」
残った建設委員の男子生徒が報告を続けようとしたその時。
『キャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
耳を劈く叫声が窓の外から届いた。
◆◇◆◇◆
「――っ!?」
「え、悲鳴!?」
「正門の方から聞こえてきたぞ!」
生徒会室で聞こえたそれは、東雲漣耶の所属する2-3教室にも響いていた。
掃除を終わらせて教室に戻って来ていた生徒たちが悲鳴の元を確認するため、窓際へと殺到する。
第一校舎三階に位置する2-3教室の窓からは、獅子之宮学園の正門と、そこから続く幅広の桜並木の道、昇降口前の広場が眼下に見えた。
「あっ、あそこを見て!」
女子生徒の一人が声を上げながら指差したのは、四車線はあろう幅の並木道の中央。その場所に、女子生徒が二人、身を抱き合うようにして座り込み、正門の方を見ていた。
そして、女子生徒たちの視線の先、約二十メートルほどの所に、黒い影が七つほど確認できた。
「え……犬、か?」
それを見た喜多見葎は、自分の記憶の中でそのシルエットと最も一致したものを口にする。
「グルルルル……」
七匹の黒い犬のような何かは、腰を抜かしたと思われる女子生徒二人に近付いていく。
「お……おい、あれマズくないか……?」
「明らかにヤバい雰囲気バリバリだろ!」
「東雲っ、おいアレ! ……って何やってんだ」
喜多見が振り向くと、漣耶は掃除用具入れのロッカーから取り出した長柄の箒の先端部分を“折って”いた。
その意味不明な行動に面喰っている喜多見を気にも留めず、漣耶はただの長い棒と化した箒の柄を持って無言で窓に駆け寄り、そのまま――――飛び降りた。
「って、えぇぇぇぇぇぇ!?」
「なにぃぃぃぃぃ!?」
「おおおおおおお!?」
驚愕するクラスメイトを置き去り、三階の窓から跳んだ漣耶は校舎の外壁の凹凸に足や棒を器用に引っ掛けて勢いを殺しながら降り、タンッと昇降口前の広場に軽やかに降り立った。
「…………っ」
約七メートルの高さから飛び降りた余韻というものを感じさせずに、漣耶はそのまま女子生徒と黒い犬たちの方へと走り出す。
「グルルルル…………ガルゥ」
「ぁ、あぁ……」
「ひぃ……!」
黒い犬の一匹が女子生徒たちへと威嚇しながら迫る。
女子生徒二人は完全に腰を抜かしているようだ。
「……くっ」
急く漣耶だが、距離的に厳しい。
女子生徒と黒い犬との距離は十メートルもない。
対して漣耶と彼女らとは五十メートル以上離れている。
物理的に届かないのでは、今にも襲いかかろうとしている獣の群れから女子生徒たちを守ることは、流石の漣耶でも不可能だ。
「……グルァアア!!」
『キャアアアアア!!』
「……!」
未だ手の届かない距離に居る漣耶に構わず、痺れを切らした黒い犬が無情にも女子生徒たちに牙を剥いた。
…………ヒュッ!
「ギャウッ!?」
だが突如風切音と共に、女子生徒に襲いかかったはずの黒い犬が弾けるように怯んだ。
――矢!?
巻藁用鏃の弓矢が地に落ちる。
「梓か……!」
それが丁度時間稼ぎとなり、漣耶は素早く女子生徒と黒い犬たちの間へと体を滑り込ませることが出来た。
◆◇◆◇◆
「ふん」
2-4教室の窓際で和弓を携えているのは、武道十勇士の一人、奏島梓だ。クラスメイトたちは空気を読んで彼女から一定の距離をとって窓の外を見ている。
制服に和弓というミスマッチとも思える組み合わせは、しかし悠然と佇む彼女に違和感はなく、寧ろどこか神聖ささえ感じられた。
「後方支援を務めるは我の仕事。さあ、我が番いよ遠慮はいらぬ。穢れし獣を打ち払えぃ……!」
何処かこの状況に笑みを浮かべる彼女は、傍らに置いた矢筒から指の間に挟むように三本の矢を抜き取り、その一本を弓に番えて窓の外、眼下の黒い犬に標準を向けた。
◆◇◆◇◆
正門を正面に見据えた場所に立つ漣耶は、背後の女子生徒を庇うように、前方の黒い犬たちに向けて半身で棒を構えた。
――援護は梓がしてくれる。他の十勇士が援軍に来るのもそれほど時間はかからないだろう。
それまで自分が一般女子生徒を死守する。と漣耶は覚悟を決める。
「グルルル……」
「…………」
漣耶は改めて黒い犬を見る。が、近くで見ればそれは犬とは全く違うことが分かる。
骨格は犬に酷似している。だがその容姿、遠目から見ただけでは全体が黒いということしか認識できなかったが、その体表は黒い鉛色の鱗に覆われ、その顔と尾は蜥蜴か蛇のそれに近かった。
容姿からして明らかに普通ではない――否、地球上でも在り得ない生物。
それらが今、漣耶の目の前で牙を剥いている。
(……殺生は極力避けたいが、最悪そうも言っていられない、か……)
明らかに漣耶たちを獲物と認識して狩ろうとしているのが、その雰囲気からありありと窺えることが出来た。
「……おい」
「え? あ、は、はいっ」
漣耶は蜥蜴犬たちを視界から離さずに、座り込んだ女子生徒に話しかける。
「……二人とも動けそうか? 出来れば校舎まで自力で避難してくれると助かるのだが」
「あぅ、えと、ごめっ、ごめん、なさい……腰が、抜けちゃって……」
「その……わたっ、わたしも……」
予想通り、女子生徒二人は動けそうにないようだ。
しかしそれも仕方が無いと言える。目の前の生物は自分たちの常識外の存在――“怪物”なのだ。
普通の蛇や蜥蜴でも忌避する者が多いというのに、それが大型犬の形を成している。気の弱い者ならば見ただけで気絶しかねない異形だ。
「……そうか。では出来るだけ身を屈めて寄り添っていてくれ。その方が守り易い」
「わ、わかりました……!」
「は、はい!」
漣耶たちの会話が一段落した瞬間、それを待っていたとばかりに蜥蜴犬の一匹が動き出す。
「グルァア!!」
「……っ!」
「キャアアッ!?」
咆哮と共にジグザクに距離を詰めた蜥蜴犬が漣耶たちに跳びかかってきた。
本来なら攻撃は受け流すか避けるのが漣耶の戦闘スタイルだが、今回はそうも言っていられない。自身の背後には動けない女子生徒たちが居るのだ。
「…………フッ!」
漣耶目掛けて宙を跳ぶ蜥蜴犬の突き出された前足の片方に棒の先を引っ掛けて体勢を崩し、漣耶は一歩踏み込みながら棒の逆端で蜥蜴犬の横っ面に思い切り殴打を加えた。
「ギャウッ!」
崩れた体勢のまま横にそれた蜥蜴犬が地面に叩き付けられる。
すかさず漣耶は他の蜥蜴犬たちの動向を確認。――既に次は動いていた。
今度は三匹の蜥蜴犬が漣耶たちへ距離を詰める。動きの速さは猟犬のそれと変わらないように思えた。
その程度ならば漣耶ほどの手練なら問題にはならない。だが、それは一匹の場合ならだ。同時に対処出来るのは、自分の技量や武器の間合いから考えても二匹まで。
「疾ッ――――」
漣耶は迷わず、襲いかかる三匹の内の二匹へ牽制の棒突きを放った。
「ゲッ!?」「グュガ!?」
二匹の蜥蜴犬が、頭部を弾かれた衝撃に動きを止める。
威力こそ大したものではないが、その突きは正に神速。突く速度は勿論のこと、何より引く速度が速い。当たったと思った瞬間には既に次発への構えをとっている。
しかし勿論それにも限度がある。攻撃を行う対象の間隔が開きすぎれば自然と次発の出は遅れる。
故に――
ヒュン!
「――ギャゥン!?」
自分で対処が間に合わない残り一匹は、梓の援護に任せたのだ。
絶妙なタイミングで飛来する矢に額を撃たれた蜥蜴犬。
「ウゥゥ……!」
漣耶と梓、二人の攻撃に怯む三匹。しかし、牽制で軽く打っただけの漣耶の攻撃を受けた蜥蜴犬は兎も角、もう一匹の蜥蜴犬も梓の弓矢による攻撃を頭部に喰らったにしてはダメージが少ないように見えた。
梓の和弓は女性用にしてはかなり強い竹弓の一八キロ。矢の速度は秒速約五十メートルは出る。普通の人間に当たれば、例え巻藁用の鏃とはいえ肌を貫くことは容易。骨折も在り得る。
「…………?」
漣耶は蜥蜴犬たちの足元にぽろぽろと落ちるものを見た。
一円玉サイズの黒く平べったいそれは、蜥蜴犬の体表を覆う“鱗”だった。
どうやら蜥蜴犬の体表は爬虫類のそれではなく、どちらかというと魚のそれに近い。打ち当てた感触からして、表面は金属質で滑らか、堅いゴムのような弾力も持つ材質だろうと漣耶は推測する。
打撃を弾き、斬撃を滑らせ、衝撃に耐える。中々に厄介な鎧だ。
「グル……」
「ぐるるぅ……」
「ガゥゥ……」
女子生徒二人を背後に庇う漣耶が動けないのをいいことに、七匹の蜥蜴犬たちは連携するように彼等を囲んでいく。
二度の攻防で漣耶の力量を思い知ったのであろう。だからこそ次は七匹が一斉に仕掛けてくるに違いない。
十四の眼光が漣耶を睨む。
「…………」
少々自分が傷付くことを許容すれば七匹だろうが守る自信は漣耶にはある。
だがしかし――――
「ぉおおおおおおおお!!」
「……ハァッ!」
背後から迫り来る二つの裂帛の気合が、漣耶を包囲する蜥蜴犬たちを両端から切り崩した。
援軍の到着。漣耶は既に、他の十勇士が動くのに十分な時間稼ぎは出来ていたのだ。
◆◇◆◇◆
『――緊急連絡、緊急連絡です! 学園敷地外の森から害意ある獣が数匹侵入しました! 校外に居る一般生徒、教職員は危険ですので至急校舎内へ避難して下さい! 風紀委員、武道系部活所属生徒は一般生徒の護衛、誘導を行って下さい! 繰り返します――』
漣耶と蜥蜴犬の攻防を生徒会室の窓から確認した紫夜は、非常事態と判断し、即座に校内放送にて全校に注意を促した。
「生徒会長!」
次の瞬間、ガラララと扉を開け、勢いよく生徒会室に入って来た男子生徒。左腕には風紀委員を示す腕章が付けられている。
「十勇士が各配置へ向かいました! 正門へ四人、裏門へ三人、第一グラウンド側出口門に三人! 更に風紀委員から四人ほど各配置へ連絡役兼見張りとして回しています!」
害獣が侵入してくるのが正門だけとは限らない。
獅子之宮学園はその敷地を二.五メートルの高さのコンクリート塀で囲まれている。外へと通じるのは先の三ヶ所の門だ。
「報告御苦労さまです。あと、建設委員へ連絡して正門以外の外門を封鎖させて下さい。空き教室の机や椅子でバリケードを作る感じで」
「了解しました」
「あ、それから屋上からの見張りも増員します。風紀委員会の人員で足りますか?」
「……正直、足りないですね」
既に風紀委員は一般生徒の誘導、外門の見張り、各所への連絡係として様々な場所に出払っている。これ以上は流石に人員を割くことは難しい。
「そう、ですか」
風紀委員ばかりに負担を強いるわけにはいかない。
更に今回の事件で、人間を襲うような獣が森に生息していることが判明した。
ひいては学園周辺の見張りの強化と維持は優先度を上げなければならない。
「分かりました。では、クラス単位で見張りのローテンションを組みましょう。とりあえず今は……三年一組の皆にお願いしましょうか」
落ち着きのない一年生よりは、比較的落ち着いている三年生を、更に紫夜自身が所属している一組ならば問題なく引き受けてくれるだろうという考えだ。
「それならわたしが三年一組の皆さんへ連絡してきます」
生徒会会計の錦織千早は立ち上がりながらそう言うと、紫夜の頷きを確認して足早に生徒会室を出て行く。
「では僕も。失礼します」
次いで風紀委員の男子生徒も生徒会室を後にした。
彼等を見送った紫夜は再度窓の外へと視線を移す。
「――さて、何はともあれ。東雲くん達があれを撃退しないことには始まらないわね」
大地震。学園の転移。孤立無援。そして異形の獣の襲撃。
不運は重なるというが、困難を楽しむ癖のある紫夜でも流石にこれ以上は重なってくれるなと切に思った。
◆◇◆◇◆
所変わって正門の並木道。
七匹の蜥蜴犬に相対す漣耶の援軍として、二人の十勇士が駆け付けた。
「オォォォ―――打ラァッ!!」
極限まで鍛え上げた二メートル近い巨躯を以って、一撃一撃が必殺の威力を持つ空手界の問題児、轟玄十朗。
襲い来る大型犬並みの体躯を持つ蜥蜴犬を、自慢の剛腕から繰り出される強烈なる打突にて吹き飛ばした。
幾ら打撃を緩和する鱗の鎧を身に纏おうと、立っていることも耐えられないほどの衝撃を受ければダメージは骨にまで達する。百キロを超える体重を十分に乗せた拳が蜥蜴犬の躰を押し潰し、その敵愾心をも削り取る。
「ふぅぅ……セッ!」
漣耶を挟み、玄十朗の反対側で蜥蜴犬を投げ飛ばしているのは、小柄な体に白の道着、紺の袴を着た合気道の神童、加羅谷輝莉だ。
力みを感じさせない自然体での体捌き、蜥蜴犬の突進の勢いが輝莉のゆるりとした動作に巻き取られ、あらぬ方向へと飛ばされていく。
「っかし、何だァこのバケモンはっ……オラァ! 蜥蜴なのか!?」
ローキックで蜥蜴犬の両前足を薙いで倒れさせた玄十朗が、トドメの一撃を頭蓋に振り下ろしながら言った。
「分からん……! だが、私の知る限り地球上にこんな生物は存在――ハッ! しないはずだがなッ!」
背後から迫る蜥蜴犬の咬み付き攻撃を、頭を押さえつけるようにして体重を乗せ地面へと叩き付けた輝莉が、幻十朗に応える。
『ギャウッ!?』
「……それを考えるのは後だ。今はコイツらを無力化させるのが先決だ……!」
未だ背後に女子生徒二人を庇う漣耶が、牽制の棒突き連打を蜥蜴犬たちに浴びせながら二人に言い放った。
「わーってるよ!」
「了解だ」
劫火の如く激しく敵を打ち砕きながら、清流の如くなだらかに敵を翻弄させながら、二人の十勇士は普段の調子で応答した。
◆◇◆◇◆
四匹の異形の獣たちが、正門を抜けて樹海へと遁走する。
「――フンッ、口ほどにもねぇ」
漣耶、玄十朗、輝莉の三人の足元には絶命した三匹の蜥蜴犬が横たわっていた。
「口ほども何も、こやつ等は何も言ってないだろうが」
「五月蠅ぇ。ノリだ」
玄十朗たちの軽口を聞き流しながら、漣耶は足元の死体を見下ろした。
「……」
改めて見ても、間違う事なき“異形”。
顔は蜥蜴、しかしその大きさは大型狩猟犬並み。
口は裂け、顎は細いが牙は鋭く長い。もしかしたら毒も持っていたのかもしれない。
「正に化け物だな。少なくとも日本――否、私の知っている世界には存在しない生物だ」
漣耶の隣に来た輝莉が真面目な顔で呟く。
「そういや、クラスの奴が未来だか異世界だかに来てしまったんだー、とか騒いでやがったな」
「未来……異世界……」
「どちらにせよ、やはり此処は私たちの知りうる場所ではないようだ。……どうやら、そう簡単に帰ることは出来なさそうだな」
学園の敷地外に見える樹海が元居た場所ではないことは一目瞭然だが、この正体不明な未知の生物の出現によって、此処が地球なのかすら怪しくなってしまった。
「けっ、意味分からねえぜ」
玄十朗が忌々しげに吐き捨てた。
それも当然だろう。学生の――いや人間の理解の範疇を明らかに超えている。
物理法則を超越した“何か”によって引き起こされたとしか思えない現象。
「これが、小説や映画のようなSF的な事態が本当に起こってしまったせいなのだとしたら、学園に残っている者たちで解決することは相当に難しいと思うが……」
元の世界では、ファンタジーはフィクションだった。
現実に存在していないものを理解することなんて出来ないし、理解していない人間がファンタジーな事態に対処できるなんて考えられない。
「……どちらにしろ、俺たちがやるべきことは限られている」
全員で協力して生き残ること。
そして、帰る方法を探すこと。
漣耶は学園を見上げながら、自分に言い聞かせるように断言した。
「ハッ」
「そうだな」
玄十朗と輝莉が頷く。
健全な肉体には健全な精神が宿るというが、彼らのような強靭な肉体を持つ者たちには、どうやら一般人ではパニック必至な状況にも平静で居られる強靭な精神が宿っているのかもしれない。
「おーい! 十勇士の御三方っ!」
昇降口の方から三人を呼ぶ声が聞こえた。
左腕に風紀委員の腕章を付けた男子生徒二人を先頭にして、その後ろに約十人ほどの男子生徒を連れて駆けてくる。
「お疲れ様です! ここの見張りはわたしたちが引き継ぎます!」
風紀委員の一人がピシッとした直立姿勢で言い放った。
「これから生徒会主導で、委員会と部活の長、そして十勇士を交えて緊急会議を行うそうです。お疲れのところ申し訳ありませんが、第二校舎の第一会議室へ向かって下さい」
「……分かった。それと、あの娘たちを頼んでもいいか?」
風紀委員に応えた漣耶は、安堵の溜め息を吐いて未だ座り込んでいる女子生徒二人に視線を向けた。
「了解しました。あの二人は念の為、保健室へ連れて行きます」
漣耶は頷くと、玄十朗と輝莉に視線を送り、校舎へと戻ろうとした。
「――あっ、あの!」
昇降口へと向かう三人の背中から不意に声が届いた。女子生徒の声だ。
漣耶たちが振り返る。
「あ、ありがとうございました!」
「助かりましたっ!」
深々と頭を下げて感謝を告げてくる女子生徒たち。
それに漣耶は無表情のまま片手を上げて応え、輝莉は静かに微笑み、そして玄十朗は「ハッ」と嘲笑した。
三者三様の反応だったが、三人とも同様に胸に温かいモノがあった。
そもそも、今まで武術を学んできた中で、身体能力ではなく、"武力”そのものを行使して人助けをしたことなんてほとんどなかった。
彼女らの感謝の言葉は、彼らにとっては新鮮で心に残るものだったのだ。
言葉に出来ない高揚感を秘めながら、三人は第二校舎へと向かったのだった。




