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第三話 異世界五里霧中

 静寂に染まる獅子之宮学園に朝日が差した。

 暗闇を切り裂くような陽射しが、学園に彩りを着ける。


「…………ぅ、ぅぅ……」

「ぅ……んぁ?」

「ぁぇ? …………あ、さ?」


 学園の至る所から生徒たちの寝ぼけた声が聞こえてきた。

 陽射しに視覚を刺激され、半覚醒状態の脳がやや時間を置いて覚醒状態に移行する。


「……え? ……廊下?」


 綾園美翅(あやぞの みはね)が気が付いたのは、第四校舎から第三校舎へ続く渡り廊下の中腹だった。


「んー? ……あ、あれ? えぇ!? れ、漣耶さん!?」


 自身に掛かる重みに視線を向けると、そこには自分に覆いかぶさるように気を失っている東雲漣耶(しののめ れんや)の姿が。


「れ、漣耶さん!? えと、この体勢はいささか見る者に誤解を生じさせる可能性がって、あ、その、べ別に嫌な訳ではないのですが心の準備的なものがですね、あ、あの、で、ですから――起きて下さい漣耶さん!!」


 寝起きに理解を超えた状況を見せられて混乱する美翅は、支離滅裂な口調で漣耶を起こしにかかった。


「……?」


 体を揺さぶられ、耳元で声をかけられた漣耶は、静かに閉じられた瞼を開く。

 焦点が定まらないのは数瞬。次の瞬間にはハッキリと意識が覚醒し、見慣れぬ周囲を見渡して現状の把握に努める。


「漣耶さん……あの、起きました?」

「…………美翅?」


 自身の下から聞こえる美翅の声で現状に至る経緯を思い出した漣耶は、特に焦る様子も見せずに立ち上がり、伏せる彼女に手を差し伸べた。


「あ、有難う御座います」


 漣耶の手を取って立ち上がった美翅は頬を朱に染めながら礼を言う。


「……ああ」


 彼女に特に怪我などを負った様子が無いことを確認した漣耶は、改めて周囲を見渡した。

 近くには渡り廊下の窓ガラスが幾つか割れ、床に破片が散らばっている。

 漣耶の最後の記憶では、大きな地震によって割れた窓ガラスから美翅を庇うようにして伏せた所までは覚えていた。


「…………」


 見た所、渡り廊下だけではなく第三、第四校舎の四分の一くらいの窓ガラスが割れていた。

 ここからは確認できない第一、第二校舎は分からないが、この様子では同じくらいの被害だろうと推測する。


「――れ、漣耶さん……!」

「……どうした?」


 突然、美翅が驚愕の声を漏らした。

 その様子を問う漣耶に答えるかわりに、彼女は窓の外を指差す。

 眼下の中庭や部活棟、グラウンドを越えて学園の敷地を囲う塀の更に向こう。


「…………ッ!?」

「あ、あれって……どういうこと、でしょう……?」


 そこに見慣れた光景は無かった。

 本来ならば高層ビルが幾つも立ち並び、その隙間を縫うように高速道路が存在し、遠くに小さい山が見える。そんな光景が見えるはずだった。

 しかし二人が見たものは、十数メートル級の樹木が隙間なく視界一面を覆った、文字通り――樹海だった。




   ◆◇◆◇◆




 漣耶と美翅の二人が驚愕した内容は、ほぼ同時刻に、学園に居た全員が認識した。

 獅子之宮学園の敷地を囲う石造りの塀を境に、全方角の景色が気を失う前とまるっきり変わってしまったのだ。

 まるで、獅子之宮学園の敷地ごとそのまま何処かのジャングルのど真ん中に移動させたかのような――否、そうとしか考えられない状況だった。


「……え? あ? な、なんだこれ……」


 塀の向こうの密林を見つめて唖然とする生徒たち。

 人は理解不能な状況に陥ると、まず茫然、そして次第に無意味に叫びたい衝動に駆られる。

 それは負の連鎖。叫び声は聞く者の負の感情を呼び起こして更なる混乱を招く。

 周囲全ての人間がパニックを起こせば、最悪人間同士の傷害すら起こしかねない。

 それ故に、こういう時にこそ人の上に立つ者の資質というものが試される。

 今、理解不能な事態の連続で混乱状態となった生徒たちにより、針を突き付けられた風船の如き危うい現状の学園を何とかできるのは、恐らく一人しか居ない。


 ……ピ、ピゴー……


「――え?」


 獅子之宮学園の敷地全域に、放送スイッチを入れた瞬間のハウリングが響いた。

 茫然状態だった生徒たちがその音で我に返る。


『えー……テステス。マイクテス、マイクテス』


 続いてスピーカーから落ち着いた女性の声が聞こえてきた。


『全校生徒、ならびに教職員一同。――私は、獅子之宮学園生徒会会長、北條紫夜(ほうじょう しや)です。……繰り返します。私は、獅子之宮学園生徒会会長、北條紫夜です』


 才高き者たちが多く集うこの学園で、彼らの頂点といえる地位に在る彼女こそが、現状を打開する可能性を持つ唯一の存在だ。

 それこそ、下手な教職員とは比べ物にならないほどの発言権を持つ生徒会長だからこそ、その言葉は重みが違う。


『既に皆さん、学園の異変にお気付きのことと思います。原因は未だ不明ですが、こんな時だからこそ慌てるわけにはいきません。毅然とした態度で、現状を正確に把握し、問題の解決に臨みましょう。――私たちは、誇り高き獅子之宮学園に所属する人間なのですから……!』


 不測のトラブルに見舞われた場合、上に立つ者が冷静だと、下の者は安心感を覚える。

 紫夜の優しくも力強い言葉は、それを聞く者全てを落ち着かせ、更にはヒトとしての最低限の誇り――慌てふためくのは格好悪いと感じる心――を皆に思い出させるに充分な効果を発揮した。


『……まずは、現状の把握を最優先とします。現在学園に残っている全生徒は自分の教室へ移動して下さい。――風紀委員は腕章を付け、生徒たちの誘導を行って下さい。くれぐれも慌てず、騒がず、徒歩での移動を心掛けるようにして下さい。

 もし、先の地震で怪我を負った方が居た場合、保健室へ向かって下さい。ただし申し訳ありませんが、消毒を必要とするほどの怪我ではないのなら、今は他の方と同じように自分の教室へ移動を優先するようお願いします。

教職員の方は職員室へ、その他の事務員の方たちは第一体育館への移動をお願い致します。

 移動後は追って指示があるまで各員その場で待機。軽はずみな行動は控えて下さい。

 ……もう一度繰り返します。現在学園に残っている――』


 人間なら誰しも、混乱状態から立ち直ってすぐには自分自身の次なる行動というものを考え付くのは難しい。

 そんな時に受けた立場が上の者からの指示には、たいして抵抗もなく聞いてしまうものだ。

 周りの者と現状について話し合いしながらではあるが、学園に残っていた全ての者が、自分の行くべき場所に向かって素直に歩き出した。




   ◆◇◆◇◆




「――戻りました!」


 獅子之宮学園の第二校舎四階、生徒会室の扉をノックもそこそこに勢い良く開いて、サイドテールの女生徒が慌てた様子で入って来た。息を切らせた 彼女の左腕には生徒会の腕章が付けられ、右腕にはノートを抱えている。


「御苦労さま。さっちゃん、さっそくで悪いけど報告をお願い」

「は、はい!」


 紫夜に促され、生徒会書庶務を務める二年生の“長谷川幸(はせがわ さち)”は、一度深呼吸をしてからノートに視線を落として口を開く。


「報告します。現在学園に残っている全人数は三百三十六名。(うち)、生徒が三百二十一名。教職員が十三名。その他、事務員が二名です。食堂や購買関係者は居ませんでした」


 幸は息継ぎと同時にノートのページをめくった。


「次に負傷者ですが、割れた窓ガラスで肌を切ったというような軽傷者は数名いましたが、幸いにも重傷者はいません。現在は全員治療を終えて自分の待機場所に移動されています」

「…………」


 幸の報告した内容を、生徒会書記を務める二年生の“佐々木ほのか”が無言でホワイトボードに書き記す。


「重傷者が居なかったのは幸いだけど、思ったより教職員――大人の人数が少ないわね……」

「そうですね」


 それを見た紫夜は内心で舌を打った。

 生徒の権限が強い獅子之宮学園といえども、自分たちが未だ二十歳に満たない子供というのは変わらない事実だ。

 こういう不測の事態に、大人が居ることで安心感を覚える生徒も少なからず居ることだろう。


「さっちゃん、教頭先生や学園長は居た? 今、先生方をまとめているの誰だった?」

「あ、えーと……今現在職員室で待機中の先生方で一番偉いというと、恐らく二年生の学年主任“真柴朱子(ましば あかね)”先生だと思います。学園長先生、教頭先生、三年生の学年主任、生徒指導の三田先生など、発言力の高いほとんどの先生は、それぞれ別の学校での会議に出席なされていたため、地震があった当時は不在だったようです」

「……そう」


 教職員の中での責任者たちが尽く不在。つまりは現在学園内で一番の発言権を所持しているのは、やはり生徒会長である紫夜ということになる。


「…………」


 紫夜は自席の机上に置いた携帯電話を見た。

 電波は先程確認したときと変わらない圏外のまま。人工物が一切確認できない外の様子を見れば一目瞭然だが、文明の利器で助けを呼ぶことは出来ないようだ。

 時刻は午後九時二十四分。普段なら既に夕食を食べ終えてゆっくりと湯船に浸かっている時間だ。

 地震があったのは昨日の午後五時十五分頃と記憶しているから、だいたい三時間近くも気を失っていたことになる。

 だけど窓の外は、夜の闇色でも夕暮れのオレンジでもなく、今まさに暁光が夜空を差し染め、朝が訪れた直後といった様子だった。


 紫夜たち生徒会の面々が目を覚ましたのは、現在より約三十分前のことだ。

 まず認識したのは朝日に似た光が窓から差し込んでくる様子。そして自分たちが生徒会室の床に寝ているということ。呆けた頭で次に部屋の壁にかけられたアナログ時計を見た。時間を認識することが出来たのなら、現在の自分たちの状況を認識するのも早かった。

 大地震で気絶する前後で異なっている学園敷地外の光景。

 全員の携帯電話と壁時計はほぼ一致していた。しかし指し示す時間と空の色とが不一致しているという不可思議な状態。

 携帯電話の電波は通じず、パソコンのインターネットも使えない。

だが一応電気は通っているらしい。地下に造られたという非常用の発電施設が稼働しているのかもしれないが詳細は不明。

 現状で分かっていることは、理解不能な状況に自分たちが置かれているということ、そしてもしかしたらこの状況に巻き込まれたのが自分たち以外にも居るかもしれないということだけだ。


『何をするにしてもまず、学園に残った全員の人数と状況の把握が先決』


 早々にそう結論を出した紫夜たちは、生徒会室に設置された放送機器が動くことを確認し、先の放送を行ったのだ。


「会長。まずは腹が減っては戦は出来ない、と考えます」


 堅い口調でそう進言してきたのは、生徒会副会長を務める二年生の“近江籐次朗(おうみ とうじろう)”だ。七三分けの黒髪に銀縁の眼鏡、冗談の通じなそうな難しい顔が相まって生真面目な印象をより一層際立たせている。


「そうね。人数も確認できたし、次の指示を各員に通達しましょう」


 如何な方法によってかは不明だが、獅子之宮学園がその敷地ごと何処かもわからない森の中に移動させられたことは――信じたくは無いが――覆らない事実だ。

 最初に、学園の一番高い位置にある屋上の貯水タンクの上から周囲を確認したが、見渡す限り森と山が続いていた。つまりは、家にも帰れず、その辺のコンビニエンスストアで食べ物を調達する、なんてことを気軽に行えないばかりか、食堂で調理するための食材も配達して貰えない――現存する食糧に“限り”があるのだ。


「不味い状況ね……」


 人間は、三大欲求の一つである“食欲”さえ満たせば残り二つはどうとでもなる。しかし、それが満たせない状況になると何が起こるか分からない。

 食べ物を求めて生徒や教師たちが暴動を起こしでもしたら、いくら権力のある生徒会長といっても抑えることは出来ないだろう。


(…………いいえ)


 紫夜はその考えに首を振った。

 獅子之宮学園は才能に富んだ生徒たちが集まる学園だ。当然、能力の高い者ほど自尊心も高い。

 自尊心とは、“誇り”だ。紫夜も勿論それを持ち合わせている。

誇りとは、悪く言えば“格好付け”だ。“武士は食わねど高楊枝”の精神を僅かばかりでも持っているのならば、暴動やパニックなどという“格好悪いこと”を起こす可能性も低いと考える。

 紫夜は――楽観的な考えと理解はしていたが――獅子之宮学園の生徒たちが持つ誇りに賭けることにした。


「さっちゃん。生徒も教員も、全員待機場所で大人しくしているのよね?」

「は、はい! 色々と疑問や不安はあるようでしたが、見回ったときには皆さん大人しく待機していました!」

「そう……解ったわ」


 体育館のような全員が集まることの出来る場所ではなく、個々の教室へ移動させたのには勿論理由がある。

 この意味不明な状況に誰かがパニックになった場合、それは周りに伝染する可能性がある。体育館のように一同に集まる場所で全員がパニックになったら、最悪の事態もあり得るからだ。

 更に言えば、体育館に学園関係者全員が集まるというのは言ってみれば特別なこと、逆に自分のクラスに居ることは日常的なことだ。

 気を抜けば直にでもパニックに陥りそうな状況なのだ。少しでも日常を感じる場所に居た方が落ち着くだろうと紫夜は考えた。

 そして、そのやり方が功を成したのかは分からないが、幸の報告を聞く限り、比較的生徒たちは落ち着いているようだった。

 しかし、混乱が落ち着くのは結構なことだが、待機状態を長引かせて生徒たちが“余計な考え”を思いつきでもしたら面倒だ。一刻も早く次の指示を与えて行動に制限をかけなくては。

 紫夜は生徒会室の一画にある放送機材のマイクの前に移動し、放送スイッチを入れた。




   ◆◇◆◇◆




 ピーン ポーン パーン ポーン


『――全校生徒、ならびに教職員一同。私は獅子之宮学園生徒会会長、北條紫夜です』


 クラスメイトや教職員同士で現状を話し合うも、理解不能な状況に疑問や不安ばかりが積もっていき、しかも空腹も追加されて徐々に苛立ちの募る者も増えてくる状態。

 そんな時、ようやく全員が待ちに待った人物の声がスピーカーから流れてきた。


『大変お待たせ致しました。現在学園に残っている全員の人数を把握することが出来ましたので、次は学園の状態把握のために各員への指示を行います。――各員、メモの準備をお願い致します』


 ざわついていた生徒たちも皆一様に沈黙し、ノートや手帳を開いて生徒会長の指示を待つ。そんな生徒の一部は、その雰囲気に異様とも言えるほどの必死さを滲ましていた。


『まずは農業委員会。委員長が中心となり食材の在庫を確認して下さい。その後、料理研究部と協力して食材と人数で割った食糧の日数計算をお願いします。

 それが終わったら料理研究部は食事作りに取り掛かって下さい。大がかりな作業となることが予想されますので、人員が足りなければ委員長、部長の判断で他に増援を要請しても構いません。作業完了後は生徒会室へ報告をお願いします。お腹が空いているは分かりますが、重要なことなので各員焦らずにしっかりと確認をお願いします。

 ……あ。あとつまみ食いはしちゃダメですよ? わかりましたか? ――では農業委員会、料理研究部の皆さんは行動を開始して下さい』


 その言葉で、待機中だった各クラスの農業委員、料理研究部部員が教室を飛び出す。生徒会長の最後の注意に何人かは苦笑し、また何人かは自分たちの食事がかかっていると必至だった。


 しかし、紫夜は冗談ぽく言っていたが、『つまみ食いはダメ』という言葉の重みをどれだけの生徒が理解しているだろうか。

 食糧の調達が困難と思われる今の状況では現存する食材は貴重。故につまみ食いという普段ならば軽い悪戯でさえ、暴動の引き鉄になりかねない。

 だからといって重々しく『つまみ食いは絶対にするな!』と言えば、皆が疑心暗鬼になる可能性もあり、協力して問題解決に臨むことも難しくなる。

 どちらにせよ紫夜には、冗談めかした言い方でしか注意を促すことは出来なかった。




   ◆◇◆◇◆




「それでは行ってきますね、漣耶さん」

「……ああ。まだガラスの破片も片付けられていない。気を付けて行け」

「はい」


 自分たちのクラスである第一校舎三階の2-3教室へ戻って来ていた漣耶たち。

 生徒会長の指示を教室に設置してあるスピーカーで聞き、クラスの農業委員一人と料理研究部である美翅は教室を出て行った。


 現在、漣耶の所属する二年三組のクラスは、先ほど出て行った二人と、恐らく地震当時には学園に居なかったのであろう帰宅部の八人を除いた二十一人が揃っていた。


『――次に、建設委員会は学園施設の損害状況を確認して下さい。優先確認事項は、地下発電施設、ガスタンク、上水施設、下水施設、各所水漏れ、各建物の破損状況、学園を囲む塀の破損状況です。では、建設委員会の皆さんは行動を開始して下さい』


 直後、ガラララと教室のドアが開く音と、「行ってくるー」という生徒たちの声が聞こえてくる。


「たーいへんな事になったなぁ、オイ」

「……喜多見」


 教室を出て行くクラスメイトを見送りながら机の上に腰を下ろした男子生徒――喜多見葎(きたみ りつ)は漣耶に話しかけた。

 肩まで伸ばした明るめの茶髪、右耳の三連ピアス、だらしなく着崩した制服がチャラ男のような胡散臭さを演出している。


「……お前は今回の件、何か掴んでいないのか?」


 目の前の青年に漣耶は問う。


「いやいやいやいやぁ……! 広報委員会切っての情報通とも名高いこのオレ様でも、流石にこの状況には全くと言っていほど情報(ネタ)が無いんだなぁこれが。――大地震で気絶しましたー、起きたら学園の周りが都会から樹海になってましたー、時間は夜九時なのにどう見ても外は朝ですー、ケータイも圏外で助けも呼べませんーっと。それ以外はまだ一切わかってねーよ」

「……そうか」


 普段、必要以上に誰よりも情報を集めている喜多見の言葉だ。彼が知らないのならば、学園の誰も知らないということになる。


「ま、今は生徒会の言うことを聞いとくってのがお利口だぁな。勝手の知らない場所での独断行動ほど怖いモンはないって」

「……そうだな」


 何処か軽薄な口調だが、喜多見の言っていることは正しい。

 教室の窓からは学園の校門とその向こうに生い茂る背の高い森林が確認出来た。

 樹木の高さは漣耶の教室がある三階よりも高い。それらが周囲一帯を埋め尽くしているのだ。普通の――自分たちの常識が通用する事態ではないと、頭の中で警報が鳴っている。

 漣耶は喜多見の言葉に頷きながら、静かに自分への指示を待った。




   ◆◇◆◇◆




『――次に、バードウォッチング部と天文部は協力して屋上から学園周囲の確認をして下さい。望遠鏡、双眼鏡など部活道具の使用を許可します。一度、第一校舎屋上に集合し、分担を決めて各校舎の屋上へ移動して下さい。最低でも連絡要員は二人として、何か発見した場合は速やかに生徒会室へ報告して下さい。――では両部活の皆さんは行動を開始して下さい』


 第一校舎四階に位置する3-1教室では、武道十勇士が一人“天童宗壱(てんどう そういち)”と、同じく十勇士の“蘇芳朱鷺(すおう とき)”が放送を聞きながら話をしていた。


「……っていうか蘇芳、キミ自分のクラスに居なくていいの? また北條に怒られるよ?」

「かまへんかまへん。どーせ指示があったらそっちに向かうんやし」

「ふむ、それもそうか」


 朱鷺の本来のクラスは隣の3-2教室だ。

 三年二組は生真面目な生徒が多く、ノリが合わんと言って彼女が一組へ遊びに来ることはままあった。


「てかブッシー、さっきからそと見ながら黙ってどしたん? 心なしかちょいピクピク痙攣してへん?」

「さぁ?」


 朱鷺のいう“ブッシー”とは、文芸部部長を務める“毒島紀夫(ぶすじま のりお)”の渾名だ。刈り上げ君ヘアーにグルグル眼鏡の彼は、宗壱とは級友であり、その関係で朱鷺ともよく話す知り合いだった。


「…………ぁ」

「ほ? なんかゆーた?」

「うん?」


 不意に、毒島が声を漏らした。

 朱鷺と宗壱が眉をひそめる。


「…………来た」

「は? 何が来たって?」

「来たんですよ……」

「せやからっ、ナニが来たんだっちゅーねんッ!!」


 毒島のじれったい言い方に、朱鷺は適度にダメージを与える手刀ツッコミを彼の後頭部に喰らわせた。

 しかし――。


「ふはっ……ふはははっ、ふははははー!! キッ、キキキッ、キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!」

「うわっ、()ぃとらん!? てかキショっ!!」


 恐らく極度の興奮状態でアドレナリンが過剰分泌されたことによって痛覚が麻痺しているのであろう毒島は、朱鷺のツッコミを物ともせず、突然奇声を上げながらその場でクルクルと回りだした。


「天童ぉ……ブッシーが、ブッシーがついにラリってもうた……」

「介錯、したほうが良いかな……?」


 天童が自席の横に置いてある居合い用の刀が入った竹刀袋に手をかける。

それを見た毒島が慌てて止めに入った。


「ちょちょちょっ、別にラリってないですって! 正常っ! 毒島正常ですって!」

「ラリった人間は皆そう言うねん……」

「ラリってない人だってそう言いますよねっ!?」

「ハァ……結局、なんでいきなり笑い出したの?」


 二人のやり取りに溜め息を吐いた宗壱は脱線した話を元に戻す。

 毒島はコホンと一息吐いてから話し始めた。


「……ワタクシ共、文芸部ライトノベル作家志望者は常々考えておりました。いつか自分たちも、叶うのならば経験したいと――――そう! “異世界への召喚”というものをッッッ!!」


 拳を握って力説する瓶底メガネの男。

 それを見て唖然とする武道十勇士の二人、だけではなくクラスメイト全員。


「ネット小説などではかなりメジャーというか、既に使い古された感が強いですが、それでも今なお根強く残っているのはそこにロマンがあるからっ! 未知の世界を冒険する――誰しもが持っている子供心をくすぐるそれはまさに、禁断の果実が如き甘い誘惑! チート能力貰って英雄になるなんてのは邪道です! だけど自分だったらやりたいと思ってしまう! 悔しい……! でも逆らえない! ビクンビクン!」

「…………っ」


 自身を抱いてビクビク痙攣している毒島を見て、教室内の全員が死んだ魚の目をして引いていた。


「窓の外をご覧あれ! 昨日まで学園の周りにあったコンクリートジャングルが一夜にしてモノホンのジャングルに変わってしまったあの様子を! 時刻を示す時計は夜中の九時過ぎ、しかし我らの眼に映るはまごうことなき日の出の光! ――学園ごと異世界転移? それとも過去へワープ? はたまた人類が滅亡した未来へ来てしまった? 個人的には異世界転移が好みだけど、どうせだったら転生&チート能力付加がよかったですねー。物語的には邪道と思いますが、実際に異世界に来てしまったのだとしたらチート能力でもないとやっていけないでしょうし……ぶつぶつ」


 先程と打って変わって、毒島はあごに手をやり俯いて思考に耽ってしまった。

 その様子に、ブッシーなら仕方ないなと呆れるクラスメイトたちだったが、宗壱は別の考えを持っていた。


『――最後に、いま手の空いている全員で学園の片付けを行います。これは本日中、遅くとも明日中を目途とします。広い学園なので、まずは自分たちの普段の清掃担当場所を片付けて下さい。その間に美化委員会の皆さんは学園全体の清掃分担を決めて下さい。午後はその分担に則って行動して貰います。各自、窓ガラスの破片で手を切らないように気を付けて下さいね。――料理研究部が行っている食事の準備が終わり次第、一旦作業を中止しますのでその時になったら放送でお知らせします。それでは各員、行動を開始して下さい』


 ブツッと放送スイッチが切れた音を合図に、皆は行動を開始した。

 あーだこーだ言いつつも、普段通りに自分たちの担当する清掃場所へ向かって行く。

 そんな中、宗壱は未だぶつぶつと独り言を呟きながらも机を運ぼうとしている毒島に声をかけた。


「毒島、ちょっと」

「……だいたいフェ○トの世界観とエウゲ○の世界観じゃ神とか魔力的な意味合いからして違うだろクソがックロスさせるならもっとそこらへん練り込んどけっつー……って、え? 天童君呼んだ?」

「あ、ああ」


 ダークサイドの片鱗を見せた毒島に、武道十勇士の一人ともあろう者が一瞬ひるんでしまっが、宗壱は気を取り直して話しかける。


「えとさ……文芸部であるオマエは、普段からこういう――異世界? に来てしまった時のこととか考えてるのか?」

「フム。いつも、というわけじゃないけど考えることは多いよ。小説の題材としても、ただの部員たちとの雑談としてもね」

「それってつまり、この状況への対策を多少なりとも持っているって考えてもいいのか?」

「対策……というか、しなければいけないことはいくつか思いつくけど……?」

「天童ぉ? さっきからブッシーにナニ訊いとんの?」


 宗壱の質問の意図が分からず、毒島とそれを横で聞いていた朱鷺が首をかしげる。


「――うん。この状況ってさ、俺らには正直何が起こってるか解らなくて意味不明だけど、それは北條たち――生徒会も同じじゃないかと思って。だから普段からファンタジーなことを考えてるオマエなら、生徒会と一緒に対策とかも考えることが出来るんじゃないかって」


 現生徒会には学園を纏めるほどの権力と、学生たちや教師陣からの厚い信頼がある。

 しかし、予想を超えた事態に混乱しているのは、いち生徒でもある生徒会役員たちも同じだろう。

 そして、普段から非日常を想像している文芸部ならば、こういった状況に対処する方法も持ち合わせているのではないかと宗壱は考えた。


「――というわけで、対策を持つオマエは、実行する権力を持つ生徒会に行ったほうが良いと思うんだ」

「うーん……確かに今まで色々と異世界転移とかについて考えては来たけど、学園の今後を左右するかもしれないと思うと、ちょっと身がすくむよ……」

「そこは大丈夫だよ。オマエはただ意見を言うだけだ。それを実行するか否かは生徒会が決めてくれる。要は、生徒会の考えの幅を広げたいんだよ」

「ブレインストーミングっちゅーやつやな」

「そう、意見を出すってことが重要なんだ。それがオマエのような普段から様々な状況を考えてる奴の意見なら尚良い」

「むむむぅ、納得のいく理由ですね……確かに、生徒会役員のようなカタギの方たちにはこの状況はいささか荷が重いかもしれません」

「カタギて……いったい何者なんやジブン……」

「――わかりました。不肖、この文芸部部長の毒島紀夫、これまでの人生で培ってきたイマージネィションをフルに使って学園に貢献致しましょう!」


 朱鷺のぼやきを無視し、毒島は胸を張って宣言した。


「もしあれだったら部員の一人か二人なら連れて行ってもいいと思う。そういう話題に強い奴とかいるだろう?」

「そうですね。なら副部長も連れて行こうと思います。いま彼女は異世界転生モノの小説を書いていますので」

「そこら辺は任せる。生徒会室へ行ったら俺の名前を出せば話を聞いてもらえると思う」

「あ、そうゆうことならうちの名前も出してえぇで」


 学園の象徴でもある十勇士の二人に言われて来たと言えば、いくら生徒会でも無碍にはしないだろう。


「了解です。じゃあ早速行ってきます」

「ああ、よろしく」

「ほなな~」


 ビシッと敬礼して教室を出て行く毒島。

 ぴこぴこと手を振って見送っていた朱鷺が、不意に鋭い眼を宗壱に向けた。


「なんや、随分気が利くやんジブン。なーんか企んでんとちゃうか?」

「……フフッ、人聞きが悪いな。企んでるって……一体何を?」


 朱鷺の急な物言いに宗壱は苦笑する。


「質問に質問で返すなや」

「……いいから掃除しようよ。っていうか、自分の教室に戻りなよ蘇芳」

「話ぃ逸らしてからに……ま、ええわ。なんにしても、うちの敵になるよーなら排除するだけやさかい。ほなな」

「こわいね。気を付けるとするよ」


 はぐらかすような宗壱に、朱鷺は己で結論付けて自分の教室へ戻っていった。

 それを見送った宗壱は、教室の掃除を行いつつこれからのことについて考える。


(現状を鑑みるに……恐らくこの先、半年前以上の騒乱が学園を襲うだろう……)


 その時に、騒乱を治める側にまわるのか、それとも更に火へ油を注ぐ側にまわるのか。

 成るようにしかならない現状で、一番“自分の目的”に沿う行動を取る。

 まずはそのための下準備から始めようと、彼は思った。

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