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第二話 学園渡界

“十勇士最強”東雲漣耶(しののめ れんや)と、“空手界の問題児”轟玄十朗(とどろき げんじゅうろう)の決闘があった翌日。

 獅子王祭を一ヶ月後に控え、生徒各自がその準備、または委員会や部活に精を出す放課後。

 獅子之宮学園部活棟でも端の端、他と比べると一際小さな部室から、女子生徒のおどろおどろしい声が微かに聞こえてきた。


「……エローイム、エッサイーム。我は求め訴えたりぃ~……エロロロゥイ~ム、エッサホイサゥゥゥ~ム……」


 その部室の内装は、簡潔に言えば――“サバト”会場だった。

 窓という窓には暗幕が隙間なく覆い、明かりは部屋の中央に置かれた十二本の蝋燭のみ。

 その蝋燭は地面に敷かれた白いシートに血色で描かれた六亡星の各頂点と線の交差点にそれぞれ置かれいた。

 六亡星とそれを囲う円を画く線の傍には、細かい字で何語かも解らない幾何学が幾重にも描かれている。

 見た者の殆どが、恐らく同じ感想を抱くであろうその模様はまさしく――“魔法陣”。

 その円の傍らに、フード付き黒色ローブを纏った三つの人影が在った。


「会長ぉ……なんか巻き舌すぎて呪文が面白くなってますよぉ……」

「ですです。雰囲気に酔っちゃうのは分かりますけど、酔いすぎてアル中酔みたいになっちゃってますますー」


 ローブ姿の二人がげんなりといった様子でもう一人に話しかける。

 対して、つっ込まれた方のローブの人――オカルト研究会会長“鈴木真代(すずき ましろ)”は両腕を振り上げて憤りを口にした。


「う、うるさいなぁ。こういうのはノリ――もとい心意気が大事なの! 心の底からの想像力が物を言うの! 求める心、願望成就を訴える心が大切なの!!」


 えぇぇぇー、と白い眼で真代を見つつ、会員二人は溜め息を吐いた。

 とは言っても、別に二人とも本気で呆れているわけではない。

 オカルト研究会などという部活をやっているのだ。会長の言う心意気というか、そういう有り得ない物を信じる心が大切なのは何よりも解っていたし、それが楽しいと感じてもいた。


「……で、お約束も終わったことだし話をもとに戻すけど、ふたりはちゃんと考えてきた? ――悪魔召喚の呪文を」


 憤慨していた真代が急に真面目な顔で、他人が訊いたら「アホじゃないの?」と言われそうな言葉を口にする。


「ああ、はい。考えてきましたよぉ」

「ですです。ワタシも考えてきたですー」


 ローブの懐からメモ用紙を取り出す二人。

 その様子を見て真代は満足げに頷く。


「よろしい。…………悪魔、天使――そして神と呼ばれるような超常的存在は、私たちの生きるこの世界、もしくは手を伸ばせば届くであろう場所に必ず……必ず居ます」

「はいぃ」

「ですです」


 突然語りだした真代に驚く様子も無く会員たちは相槌を打つ。


「……資料によれば悪魔召喚の儀の本場はヨーロッパ。それに使用する言語は新古様々にあるという。しかし悪魔と交信し、更に交渉する言語がその中に必ずしもあるとは限らない……!」

「ぶっちゃけあたしら日本語と簡単な英語くらいしか出来ませんしね」

「ですですー」

「そこ静かに。……こほん。そこで我らは考えた! 悪魔と呼ばれる存在が、歴史や伝書に語られるチカラを本当に持つのならば、もはやヒトの言語など関係無いのではないか!? いやさ関係無い!!」

「反語」

「ですです」

「……先程も言ったが、大事なのは心。大事なのは心!!」

「大事なことなので二回言いました」

「既に三回目じゃ?」

「……そこで我らは各自、悪魔に求め訴える言葉……“呪文”を己自身のシックスセンスにより考え出すに至った!!」

「要はテキトーに考えてきました。考えるのは結構面白かったねー」

「うんうん」

「……そして(とき)は来た……! 今こそ我らの研鑽を天下に見せつける時!! 同士諸君よ、さあ始めようではないか――我らが悪魔召喚の儀式を!!!」

「はーい」

「ですでーす」


 三人の声に、室内の明かりがユラリと震えた。




   ◆◇◆◇◆




「漣耶さん、まだ痛みますか?」

「……いや、問題無い」


 橙色に染まる校舎の廊下を、二人の男女が歩いていた。

 切れ長で冷徹な印象を受ける双眸が無表情をより際立たせる青年――東雲漣耶と、うなじと髪先で二度結いだ長髪を揺らしながら形の良い眉を八の字にして心配そうに漣耶に寄り添う少女――綾薗美翅(あやぞの みはね)

 漣耶はその頭に包帯を巻き、体の前に大きめのダンボールを抱えながら歩いている。隣を歩く美翅もまた両手に紙袋を持ちながら、決闘で玄十朗から受けた漣耶の頭の傷をずっと気に掛けていた。


「これを運び終わったら、今日はもうお帰りになって早めに休んで下さいね? 本当なら病院で検査を受けて頂いたほうが安心出来るのですが……」

「……それほどの傷ではない」

「ふぅ……そう仰ると思っていましたけど」


 ぶっきら棒に感じる言葉遣いはいつものこと。仕事で多忙だった両親よりも、厳格な祖父と居る時間が多かったため、自然と漣耶の口調も祖父と似通ってしまった。

 その事を知っている幼馴染である美翅は、人に依っては冷たいと感じるだろう言葉の中に漣耶の感情を読み取る。


(漣耶さんも無自覚にプライド高いですからね……)


 十勇士全員に言えることだが、彼等は自身の力量に絶大な信頼を置いている。

 要は負けず嫌いで意地っ張りなのだ。そんな危なっかしい所を美翅は心配しているのだが、同時に年相応の子供っぽさも感じて微笑ましくも思う。

 美翅は両手に持った紙袋を持ち直して話題を変えた。


「喜多見さんも忙しそうにしていましたね。情報部も人手不足なんでしょうか?」


 現在二人は、生徒会直下組織広報委員会――通称“情報部”に所属するクラスメイト“喜多見葎(きたみ りつ)”の手伝いで、獅子王祭で使用する資料を第二視聴覚室へ運んでいた。


「……喜多見が言うには、地方メディアと連携してかなり広範囲へ宣伝しているらしい。一般来客数の見込みも二ヶ月前より大幅に増えていると聞いている」

「皆さん普段よりも更に張り切っていると感じるのはそのせいでしょうか。放課後の遅い時間だというのに部活や委員会所属の(かた)は勿論、帰宅部の方も何人か残っているみたいですし」


 美翅の言葉通り、普段この時間には見かけない帰宅部と思われる生徒たちも獅子王祭の準備を手伝って奔走していた。

 獅子之宮学園では各クラスごとの出し物というのは基本的に無い。委員会や部活の数が多く、またそれらに所属している生徒も多いため、その方が予算と人手を集中させてより規模の大きいことが出来るからだ。

 何処にも所属していない帰宅部の生徒たちは、気に入った出し物を行う委員会や部活の手伝い、または有志団体として申請することで獅子王祭に参加している。


「……料理研究部の準備は進んでいるのか? 確か喫茶店をするのだったか」

「あ、はい。そちらのほうも着々と準備は進んでいます。喫茶店で出すメニューとお店の内装案はだいたい決まりましたので、今は食材の蒐集、味の向上を並行して(おこな)っています」


 美翅は料理研究部に所属している。それだけではなく、二人居る副部長のひとりでもあった。


「……今日も活動しているのだろう、参加しなくていいのか?」

「えと、私は農業委員会との交渉役に選ばれまして……先月、農業委員会が各組織へ融通する食材とその量を決定する会議に出席したのですけど、我が料理研究部は以前から農業委員会さんとは懇意にさせて頂いていましたので、そこそこの量を供給して貰えることになりました。そのため材料費を大幅に削減することが出来たので、そのご褒美というか、交渉お疲れ様でしたってことで、お店の内層準備までは自由参加ということになってるんです。……とは言っても出来る限り参加したいとは思っていますが」


 苦笑しながら答える美翅に、漣耶は短く「そうか」と返す。

 真面目な美翅のことだ、会議のために喫茶店で使用する食材の量や料理研究部の活動実績などを纏めた詳細な資料を作成して討議に望み、時間に余裕が出来た今は準備の進んでいる料理研究部よりも、あまり準備の進んでいないところを手伝う気なのだろう。と、言葉には出さず漣耶は思考した。


「それにしても……広いですよね、この学園は」

「……疲れたか?」


 片方持とうか、と美翅の持つ紙袋に視線を向ける漣耶。

 美翅は慌ててふるふると首を振った。


「あ、そ、そういう意味じゃなくてですねっ、そのままの意味でこの学園は広いなと。正直一年以上通っていますが、未だに迷いそうになりますし」

「……ふむ、理事長による学園政策の弊害だな」


 校舎を増築したはいいが、数が多すぎて今もまだ割り当てがされていない空き教室が多々残っている。あと四、五年も経てば生徒数も増えて全ての空き教室が何らかに使用される見込みだが、現状では部活と見なされない“同好会”にすらも部室を与えられ、それでもまだ未使用の教室が多数存在した。

 特に現在二人が歩いている第四校舎は正門から一番遠い校舎で、生徒会直下組織の委員会が使用している教室以外はほぼ倉庫代わりとして使用されているため、人通りは全くと言っていいほど無い。


「この辺りは静かですね……。さっきまで居た第一校舎の喧騒が嘘の様です」


 何処か寂しげに言う美翅に、漣耶は視線を前に向けたまま言った。


「……早く、これを置いて第一校舎に戻ろう」

「あ……は、はいっ」


 僅かに歩く速度を上げた漣耶に置いて行かれぬよう、美翅はその背中を小走りで追いかけた。




   ◆◇◆◇◆




『押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍ッ!』


 獅子之宮学園の運動施設が集合している区画に、空手部のみ使用している道場がある。

 夕日により一層濃くなった二十二の人影が、一同声を揃えて虚空を打っていた。


「ぅおら! どぅら! シャッ! チェァ! んだぁッ! うぅらッ!」


 そんな中、一人だけ道場の隅に吊下げられた大きなサンドバックを滅多撃ちにしている者が居た。――昨日、決闘で漣耶に敗北を着した轟玄十朗だ。


「うへぇ、荒れてんなぁ玄十朗の奴」

「仕方ないって」

「まぁなぁ……しかも獅子王祭が終わるまで決闘禁止を喰らったんだってよ」

「そりゃ荒れるな」


 正拳突きを放ちながら、ボソボソと部員の一部が口々に呟いた。

 本来は全員揃って行う練習なのだが、部内で一番強く、また重度の問題児でもある玄十朗だけは特別メニューということで偶の別行動が許されていた。

 決して集団行動が出来ないという訳でもないし、部の仲間を見下しているという訳でもないのだが、玄十朗は苛立ちや怒りという感情の制御に難があり、ふとしたことで暴力に及ぶことが少なくない。

 そのため部員たちも玄十朗に対して仲間意識はあるのだが、彼があからさまに不機嫌な時は近付かないようにするという暗黙の了解が出来ていた。


「んでも、問題児とはいえ空手部(ウチ)の最強を相手にもしないって、やっぱ東雲はヤベェな」

「実質、昨日の決闘で東雲が攻撃したのって一発じゃん? なんつーか、格が違うっつうのを感じさせられたよなー」

「バーカ。二人とも全然本気じゃなかったっての。本気だったらあんなもんじゃねーよ。東雲は武器を使うだろうし、玄十朗だって血塗れになっても戦いを止めなかっただろうな……」

「うぇぇぇ……そこまでいくと、もはや“死合い”っすね」

「そうだ。まさに死合いなんだよ。十勇士同士の本気の戦いってのはな」


 十勇士による群雄割拠とも言える去年一年を経験した二年生の重みを感じる言葉に、新入生が息を飲み込んだ。


「そこ! 稽古中の私語は慎めっ! 全員、拳立て伏せ三百回!!」

「!?」


『お、押忍ッ!!』


 本日、空手部の顧問と主将は練習試合の打ち合わせにより近隣の高校に出かけており不在だった。そのため今は二年生の副主将が部員のまとめ役している。

 副主将に怒鳴られる部員を横目で眺めながら、玄十朗は渾身の八つ当たりをサンドバックに放つ。


「ぅぐらぁぁあああ!!!!」


 ……ドゴォッッッ!!


 百キロを超える重量のサンドバッグが“くの字”に曲がるほどの強烈な上段回し蹴り。

 それを見た部員たちが思わずギョッとし、次の瞬間戦慄が体を駆け抜ける。


 ――これほど常人離れした力の持ち主でも、敵わない者が居るのか……。


 百二十畳の道場に、二十二人の規則的な掛け声と、一人の苛立ちの籠った叫び声が響き渡った。




   ◆◇◆◇◆




 時を同じくして、獅子之宮学園の第一校舎四階に位置する生徒会室では、生徒会役員たちが縦横無尽、右往左往と奮闘していた。


「――ほのか、広報委員会にテレビ局と地方新聞社との打ち合わせ結果を報告するように言って」

「は、はい!」


「――千早(ちはや)ちゃん、経済委員会から提出された予算草案に不備があったから指摘して再提出してもらって」

「わ、わかりましたっ」


「――近江(おうみ)くん、各委員会に依頼していた提出物その他の進捗状況は?」

「纏めてあります。……今送信しました。進捗状況は七割完了。あとは美化委員会に依頼中の各種ゴミ箱の増量とその配置図提出、保健委員会に依頼中の祭当日の各保健室在中シフト表提出、風紀委員会に依頼中の祭当日の校舎見周り経路と時間割シフト表提出くらいですね。最後の以外は今日明日中には全て集められると思います」

「ありがとう。いつも通り丁寧な仕事ね」

「恐縮です」


 各役員へ指示を飛ばし、状況を確認しながらも、生徒会長である北條紫夜(ほうじょう しや)は自席のノートパソコンでの作業にも手は止めない。

 組織のトップに求められるのは仕事そのものの処理能力よりも、全体管理能力である。目標のために行わなければならない作業とその期限の全てを把握認識し、それらを委員会、部活、個人などの適所に割り振ってスケジュールを組む。都度進捗状況を確認して、設定期限に間に合わなそうな場合は増員と作業の細分化を検討する。

 組織を構成する人員が多ければ多いほど、組織の長が管理するべき項目が増えて大変なのだが――そこは優秀な人員が揃っている獅子之宮学園だ。生徒会役員は勿論、各委員会の長も“仕事がデキる”生徒ばかり。当然のように発生する作業進捗度の遅れに対するリカバリーも完璧だ。


「一番の心配事は……やはり当日外部から来る一般客かしらね」


 紫夜は広報委員会から提出された来客数の見積もりを映すディスプレイを眺めて呟いた。


「風紀委員会、武道系部活連に指示して当日の警邏は増員しています。彼らの連携についてはまだ詰める必要はありますが……」

「十勇士たちには?」

「個々人には依頼してはいます」

「ならたぶん大丈夫でしょう」

「大丈夫……なのでしょうか?」

「半年前ならいざ知らず、今は獅子王祭という同じ目標があるのだから表立って問題を起こそうとはしないと思うわ。そこまで子供というわけでもないのだし」

「……」

「不安?」

「そうでないと言えば嘘になります」

「まあ、そうよね」


 実際、半年前までは決闘という制度を考え直した方がいいのでは、というほど十勇士たちの仲は険悪だった。今でこそ落ち着いているように見えるが、半年前の状態を知っている者ならば心配するのは同然だ。


「でも、比較的常識人の東雲くんも居ることだし……私たちは最善を尽くしましょう。――我が校の理念、何よりも私たち生徒会の誇りに懸けて、ね」


 自然な口調。しかし獅子之宮学園のトップたる自信を感じさせる凄味(すごみ)を持つ紫夜の言葉。

 生徒会役員たちは無意識に聴き入り、深く頷いた。




   ◆◇◆◇◆




「……彼方(かなた)に存在しうる者、此方(こなた)の声を聞き入れよ」


 暗く昏いその場所で、蝋燭の火影(ほかげ)に照らし出されるは床に描かれた六亡星の魔法陣とそれを囲む妖しげなローブ姿の三人。

 声音からして女子と思われるその一人が、ゆらゆらと謎の手振りをしながら謎の言葉を紡いでいた。


「渦巻く星河……混じる影……振り下ろされる赤光(しゃっこう)……。


 ()は繁栄にして災禍、光にして影、在にして無。


 ()を知り(よろず)を成す()の力……(にえ)と換えに貸し給え。


 ……契約は鎖。自らを縛る戒めの茨。契りを(つづ)めて檻と成さん。


 現世に在らざる其の御身を、我が眼前に顕し給え…………ハァ!!」


 気合と共に突き出された両の掌。

 十二本の蝋燭の火が一瞬だけふわりと歪んだ。


「……………………」

「……………………」

「……………………」


 生み出されるは静寂。

 当然とばかりに何事も起こる気配は無い。


「…………どう、でしょうか?」


 掌を突き出したままの姿勢で、ローブ姿の一人が目の前の二人に自信無さげに問いかけた。


「……ふむぅ」


 腕を組んで難しげに頷く真代は、オカルト研究会会長として口を開いた。


「オーソドックスな呼びかけ呪文ね。とはいえ雰囲気は出ていたわ。――呼びかける対象の表現に、反対の性質を持つ二つの言葉を使ったのには何か意味が?」

「あ、はいぃ……本来ならば“悪魔召喚”ということで、“闇”や“影”のような悪魔の性質を表現する言葉で“呼び掛ける対象”の概念を明確にさせるのですがぁ――」


 本日のオカルト研究会の活動は、会員たちが個々に考えてきた悪魔召喚の呪文を発表し、その出来について評論することだった。

 既に一人が発表を終え、二人目の評価に入るところだ。


「――“悪魔”と我々は呼んではいますけどぉ、悪魔とは天使と対をなす存在で、もっと簡単に言えば光と闇の概念化と言っても良いですよねぇ? わたしの言う“悪魔”はそうではなく、光や闇という属性に囚われない“力を持つ何か”と解釈しましたぁ」


“力”は存在するだけならば意味は無い。それを使う者が居るから善や悪に変わる。とすれば“力を持つ何か”を表現する言葉は“変化する性質”ということになる。

 それ故に反対の性質を表わす言葉を使ったのだと、その女生徒は説明した。


「なるほどね。聖書に書かれた悪魔ではなく、どちらかと言えば“神”の概念に近いと考えたのかしら」

「あ、言われてみればそうですねぇ」


 人に依って考えは違えど、基本的に“神”とは人外にして、人知を超えた力を有するという考えに相違は無い。そう考えると、悪魔という存在も神と呼べなくもない。


「ちなみに日本語だったのはどうしてですです?」


 手を上げて質問したのは一番最初に発表した女子生徒だ。彼女はギリシャ語で自分の考えた呪文を唱えていた。

 理由としては、天使や悪魔を語っている聖書がギリシャ語で書かれていたからということだった。

 実際には時代や旧約新約に依って書かれる言語は違うのだか。


「えーとぉ、さっきも言いましたけど、わたしの言う“悪魔”は聖書に書かれたそれとは違って“力を持つ何か”という意味で言っていますぅ。……で、ましろ会長に言われてハッとしましたけど、それって“神さま”のようなものなんですよねぇ。なので、神さまみたいな超常的存在だったら言語の違いなんて関係無いのでは? 日本語だとしても、そこに求める心があれば、ちゃんとした手順を踏まえれば問題は無いのでは? と思いましたぁ」

「そういうこと……つまり、あなたの言う“悪魔”は言葉――単音の組み合わせを意味として捉えるのではなく、そこに籠められた想いとしての意味を重要視するだろうと考えた、ってことよね?」


 言語とは、所詮人間が自分たちの口から発する音声に勝手に意味を持たせて、社会的に常識化させただけのものだ。人間以外の他の生物からすれば単なる鳴き声に他ならない。

 女生徒の今回の“呼び掛け対象”は神的な超常的存在なので、言語はどうあれ、自分たちの意思が籠っていればそれをちゃんと汲み取ってくれるだろうという考えらしい。


「はいぃ、そんな感じですぅ」

「ほほー」


 真代の考察に女子生徒は頷き、もう一人は感心する。

 オカルトというものは個人に依って解釈や理解が異なる。それを自分とは違うと異端扱いするのではなく、様々な方向からアプローチ出来ると前向きな考えをするのは真代の良いところであり、会員たちも話合いの幅が広がるということでその考えに賛同していた。


「――それじゃあ最後は私ね」


 フフンと胸を張る真代。会員二人は無意識に真代の顔の下方に視線を移し、勝った負けたと胸中で呟いた。


「私の考えは今のとは逆よ。私が“呼び掛けようとしている対象”も悪魔というよりも“神”に近しいという認識という点では同じだわ。でも、だからと言ってこちら側の言葉の意味を、あちら側で汲み取ってくれというのは勝手な考えだと思うの」

「え……じ、じゃあどうするんですぅ?」

「私たちは“彼ら”に求め訴える側よ? だったら“彼らの言語”でお願いをするというのが基本でしょう」


 普段英語しか話さない立場的にも上の外国人に、例え知っているのだとしても立場的に低いこちらが日本語でお願いしても聞き入れてくれる保証は無い。

 その場合、礼儀的にも英語でお願いするのが普通だろう。


「いやいやいやいやっ。会長ぉ、その“彼らの言語“が分からないから困ってるんじゃないですかぁ……」


 会員二人が揃って首をブンブンと振る。


「だーかーらー! 最初に言ったでしょう? 自身の“シックスセンス”で考えてくるって!」

「ぇぇぇぇぇ……」

「それってテキトーに言語を作ったってことですかぁ?」

「適当って言葉の意味をちゃんと辞書で引きなさい。本来は文字通りに目的に適している、という意味なのよ? まあ、形式として使われ過ぎたせいで今は逆の意味で使われることがほとんどだけど……」

「今回の会長はどっちの意味なんですかぁ?」

「え? 後者」

「テキトーなんじゃん……」


 白い眼で見てくる会員たちを軽くいなし、真代はバッと両手を広げた。


「はいはい静かにー……じゃあ、はじめるわよ」


 こういう時の真代の瞳は真剣だ。他者から見ればふざけているとしか思えない活動にも真面目に取り組む。それは真代が本気でオカルト的なものを信じているからに他ならない。

 短くなった蝋燭を取り換え、新たにマッチで火を付けて、三人は改めて魔法陣を囲んだ。


「…………」


 厳かな雰囲気が三人を――否、部室全体を包む。

 部活動の範疇を超えた真代の真剣さが会員二人に伝染して、不可解な神聖さを感じさせた。


「――ローア」


 何語にも属さない音の組み合わせを発しながら、真代はローブの裾から出した色白の細腕を天に突き上げる。



 テ ファルタメール イーニムラガ レヌゥ パージェンルータ



 それは不思議な音の流れだった。

 滅茶苦茶にも思えるが、韻を踏んでいるのか何処か耳触りは良い。



 キシェトゥ マー フェニユールデ シャン “モルジェリーテシア”



 空気が震える。

 静かな印象なのに、体の奥に痺れにも似た錯覚が会員二人を襲う。


 

 ンテーラ ペルテロー キユラ “レーヴジオン” ジューポムリオ



“イーガ=ロウ” ライリォ アゼーディガ シェンテ ピア



 声を発してはいけない。この朗読を邪魔してはいけない。

 そんな無意識の脅迫観念が存在した。



 ブーサ エルローテ ウォンデーテ ヴィンサーガ リッサ



 彼女らにとっていま正にそれは、儀式だったのだ。



 ――――“デウシリャン・テローア” エテャ  



 その言葉を最後に、真代の口から紡ぎだされる音が止んだ。

 三人は放心したかのように暫し沈黙する。


「…………」


 五分以上もの充分な残心の後、三人は互いに視線を交わして苦笑する。


(やっぱり、何も起こらないわよね……)


 それが当然。当たり前。

 雰囲気は出していたといっても、あくまでも雰囲気だけで呪文なんて意味すら考えていないほど適当なのだ。そんなんで“何”を呼び出そうというのか。

 しかし本人的には真面目に取組んでいた真代は、やや落胆したことを否めない。

 何度も味わった感覚だが、いまだに慣れる様子は無かった。


「……んっ」


 気を入れ直した真代が、会員二人に向き合った。

 その時だった。



『――承った(オティーロ)



 この場に居る誰でもない声が、頭の隅で聞こえた気がした。




   ◆◇◆◇◆




「――!?」

「な、なんだっ!?」

「きゃあ!」


 突如、学園全体がガクンと縦に揺れた。

 自然と地震という言葉が思い浮かぶ生徒たち。



 ゴゴ……ゴゴゴゴッ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ……!!!



「うわああああ!!」

「ゆ、ゆゆ、揺れてる! てか揺れ過ぎィ!?」


 次第に揺れ幅が大きく、そして小刻みになっていく地震に、全生徒が疑問符を頭に浮かべた。

 今まで経験したこともない巨大な地震。誰もがまず感じたのは、死ぬかもしれない恐怖よりも、何が起こっているのか分からないという混乱だった。


「で、でけぇ! おい! 机の下に隠れろ!」

「でもっ、作った獅子王祭の飾り付けを守らないと……!」

「命の方が大事でしょ! 早く!」


 教室、特別教室、廊下、屋上、グラウンド、体育館、食堂。

 学園の至る場所で委員会活動や部活動、獅子王祭の準備に勤しむ生徒たちが、皆一様に混乱の渦に巻き込まれる。



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ……!!!



「のああああああああ!!」

「キャアアアアアアア!!」

「どおおおおおおおお!?」


 駆動中の巨大なエンジンの上に居るかのような凄まじい振動。

 様々な物が倒れ、幾つもの窓が割れ、遂には誰も立っていられなくなる。

 既に数分が経過しているというにも関わらず、地震は収まる気配すら見せない。逆に、今なおその勢いを強めているようにも感じた。


『うぉあああああああああああああああああああああああああああ!!!』


 現在学園に残っている全生徒と教師、一人の例外もなく全員の視界が――――文字通り、暗転した。




   ◆◇◆◇◆




 ズゥゥゥ…………ン……!!


 一帯を深い緑に覆われたその場所。

 青々とした葉の茂る背の高い木々が、見渡す限りを埋め尽くしていた。

広大な樹海とも言えるその場所に、突如途轍もなく重い何かが落ちてきたような震動が走った。

 暗き夜の(とばり)が降りる森に、無理矢理起こされた獣や鳥の鳴き声が木霊する。


 例えるならそれは、凪いだ水面に放られたひとつの石。


 その石が、果たして全てを呑み込むほどの大波を起こす巨大な岩石なのか――。


 それとも瞬きの間に収まるほどの小波しか起こさない砂粒の如き小石なのか――。


 まさにそれは、神のみぞ知る――というやつだった。

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