第八話 エルフ少女の驚愕な一日
――“イーガ=ロウ樹海”。
大陸の西方に位置する、一国の領土並みの広さを持つ広大な樹海だ。
此処には複数の亜人種族が自分たちの領地領域を守りながら暮らしている。
“森の民”と呼ばれるエルフ族もその一つだった。
「――おはようございます、長」
「うむ。おはよう、アト」
イーガ=ロウ樹海中央部に位置するエルフ族領“イーオニ村”。
人口約百五十人程度の小さな村だが、ダークエルフ族以外ではこの樹海に住むエルフ族の全てと言える。
「今日は外に出掛けるのか?」
「はい。弟と一緒に野草や木の実を採りに」
――エルフは自然と共に在る。
古来よりの言葉通り、彼等は自然に手を入れるということはしない。
つまり、木を切って開墾をしたり、川を塞き止めて水を溜めたり、土を耕して作物を育てたりと、そういったことは一切しないのだ。生活の全ては在りのままの森の恵みから得ている。
材木が必要であれば落ち技を、石材が必要なら河原の石を用いる。
食糧は主に山菜や木の実、稀に狩りで動物の肉を食べたりもしていた。
エルフ族は激しく動くことが無ければ、水さえあれば一年は何も食べずに生きることが出来る。それゆえにあまり食には拘らないのだ。
歳若いエルフ族の少女“アトゥージネ=ノーティエ”は細蔦で編んだ網袋を村長に見せながら本日の予定を口にした。
「…………」
「長? どうかしましたか?」
それを聞いたイーオニ村の長である“ナトゥーラ=カルノ=イーオニ”はたっぷりと蓄えられた白髭を撫でながら思案顔をする。
「……一昨日の深夜に起こった地響き。あれから森が徐々に騒ぎ出しておる」
「森が、騒いでいる?」
成人したエルフは森の声が聞こえると言う。
しかし、村の中では年少に当たるアトゥージネは微かな違和感は感じつつも、そこまで気に留めてはいなかった。
「少し前にも同じような感覚があった。同胞らを襲った怪蛇“シャルヴァーリ”――――おぬしの両親を亡き者としたあの大蛇が現れた時じゃ」
「!?」
その名は少女も聞いたことがあった。
アトゥージネがまだ物心つかぬ頃、自分の両親は突如として現れた山を跨ぐほど巨大な黒き大蛇に襲われたらしい。
その大蛇に付けられた名が――“漆黒の災厄”。
「うーん。でも、そろそろ食糧が心許なくなってきたし、今日辺り採ってきたいなー……」
しかし、村長ナトゥーラの厳しい顔つきとは裏腹に、アトゥージネは軽い調子でそう言った。彼女にとって、顔も覚えていない生みの親と、その親を襲ったという大蛇は物語に出てくるような存在に近しい。実際には見たことも無い怪物など、実物が想像出来ないだけに恐怖心が生まれることも無い。
「しかしの……」
「大丈夫ですよ、そんなに遠くには行きませんからっ。じゃあ行ってきますね!」
アトゥージネは村長の忠告を振り切り、暢気に手を振って弟との待ち合わせ場所に向かった。
◆◇◆◇◆
森へ出て半刻ほど。野草や茸の群生地を廻っている時、アトゥージネの弟・アルモニが呟いた。
「……アト姉さん、何か聞こえない?」
「え?」
その言葉に、金糸の髪を掻き上げた少女はエルフ族特有の長い耳を澄ます。
「…………」
聴こえるのは目覚めたばかりの小鳥や動物の鳴き声、木々の葉擦れの音、近くにある小川のせせらぎ。
そして――――
「……なに、これ……?」
笹の葉のように尖った耳に聞こえてきたのは、大地が震える音だった。
何か――とてつもなく大きな何かが、木々を力尽くで押し退けて凄い勢いで此方に向かって来ている。
『…………ッ』
エルフの姉弟は二人とも動けなかった。
本能的な何かに足が竦み、されど視線は音のする方向をじっと見つめている。
まだ遠い。辛うじて遠い。
いや、もう直ぐ見える。かなり近付いている。
視界に異変があった。前方の森の上空に枝葉が吹き荒れ、空中に舞い散る。
木々の隙間に、黒く巨大な影が見えた。
段々とその影が更に大きくなっていき――――そして、“それ”は目の前に現れる。
「…………シャ……シャル、ヴァーリ……!?」
ジャァア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ア"ア"ア"ァァア"ア"ア"ァア"ア"ア"ア"!!
アトゥージネの呟きの直後、大気を震わすほどの怒号が鳴り響いた。
鎌首をもたげた姿は見上げるほどの巨体。
大きく裂けた口腔は人の腕ほどもある長く鋭い牙が並び、先端が二又になっている紫色の舌が見え隠れしている。
尾は見えない。あまりにも巨大過ぎて全体が視界に収まらないのだ。
――金色の双眸を持つ黒き大蛇。
「に……にげっ、逃げて! アル!!」
「姉さんっ!?」
震える心と両足に喝を入れ、二人は必死に逃走した。
◆◇◆◇◆
「ハァ、ハァ……頑張って、アル!」
「姉さん、もう僕……」
大蛇からどのくらい逃げていたのか。
長い時間が経った気もするが、太陽の位置を見る限りそれほど経っていないようにも思える。
既にアトゥージネもアルモニも限界だった。
何度もあの巨大な顎に一飲みされそうなり、その度に生茂る木々の中で無理矢理に避け続けたせいで二人の体もあちこち擦り傷だらけだ。
大蛇の移動速度的に逃げ切ることは不可能。しかし村に向かえば仲間たちにも被害が出る。
だからといって簡単に諦める訳にはいかない。
――弟だけは……アルモニだけは助けなきゃ!
それが、圧倒的存在を前にアトゥージネが勇気を振るえられている理由だった。
(でも……このままじゃ……)
この状況を打開できる考えは浮かばない。体力が尽きれば自分たちはあの大蛇の腹の中だ。
『――大気に遍く在りし風の精霊達よ 私たちの身を包みその背を押せ “疾風護精”』
時間が経って効果の弱まった精霊の加護を再度強めるための霊言を唱える。
追い風が強まり、体が少し軽くなった。
アトゥージネは太い枝に体重を掛けて思い切り跳躍した。
(とにかく、なんとかして捲かなくちゃ……!)
そう考えたその時。
「って。えぇぇッ!?」
「……ッ!?」
アトゥージネの視界に――彼女の着地場所に、人が居た。
長槍を手に持った、見たことも無いようなピッシリとした白い服を着た、とても強い意志を感じる瞳を持つ青年だった。
◆◇◆◇◆
「ね、姉さん」
「な、なに、アル」
「僕、こんな大きな家、初めて見たよ……」
「そ、そうね、私もよ……」
エルフの姉弟が大蛇に追われる途中で遭遇した少年少女たち。
自分たちには解らない言語を話していたが、傷付いた自分たちを心配していることと、付いて来いと言っていることだけは理解できた。
何より、彼等の仲間と思われる青年の一人が、自分たちの代わりに大蛇に追われて行ってしまったのだ。
彼は何かを叫びながら大蛇へと向かってその手に持つ槍を突き出し、大蛇に眼を付けられてからはその場を直ぐに離れた。
恐怖心から逃げだした人の眼では無い。あれは戦いを決意した人の眼だった。
あの青年のことは何も知らないけど、何故かアトゥージネはそう感じた。
そんな彼の仲間だからこそ、姉弟は素直に付いて行くことにしたのだ。
「なんていうか……カクカクだね」
「うん。それに精霊の存在が全然感じられないわ」
それに、単純に好奇心もあった。
彼らは恐らく話に聞く“ニンゲン”という種族だろう。外見上は自分たちと耳の形が違うだけと聞いていたので間違いは無いと思う。
何かを積み上げたトゲトゲの大きな門の横を通ると、これまた巨大な白い建物が見えた。二人が今までに見たことも無いような建物だった。
木材や石材で造られたようには見えない。樹海から採れる素材ではないようだ。
建物の形も角ばっていてキッチリとし過ぎている。色も何処か違和感を感じる。
(……そうだ。此処にある全てが“不自然”なんだ)
自然界には有り得ない物のオンパレードに、今まで樹海しか知らなかったエルフの姉弟は面喰っていたのだ。
「―――――」
アトゥージネとアルモニはこれまた不自然な白が印象的な部屋に案内された。
薬草を煎じた物を更に凝縮したかのようなキツイ臭いが二人の鼻を突く。
「え? 此処に座ればいいの?」
「臭いよー……。うー」
何処か小動物的な印象受ける背の高い少女に促がされ、丸い椅子に座る姉弟。
「――――」
「? 腕を見せればいいの?」
目の前の少女の身振り手振りから伝えたいことを読み取る。
アトゥージネは擦り傷だらけの腕を出した。
「あぅ! 沁みるぅ……!」
「アト姉さん! 大丈夫!?」
傷口を水で洗浄された後、何やら赤黒い物を綿に付けて傷口に押し付けてきた。
キーンとした痛みに顔をしかめるアトォージネを心配するアルモニ。
「――! ――!?」
押し付けた側の背の高い少女も、自分達の反応にあわあわと動揺しているようだ。
「こ……これ、セミラの葉の搾り汁に似てる……くぅ!」
「え? セミラの葉って、消毒用の?」
「う、うん。そんな、感じ……っ」
そんなアトゥージネの言葉により、ようやく自分たちは治療を受けているんだとアルモニは認識した。
そのうえ、ペコペコと頭を下げながら申し訳なさそうに自分達を治療する少女に、アトゥージネたちは「なにをするんだ!」などという文句を言う事にも罪悪感が生まれ、成すがままにされることとなった。
◆◇◆◇◆
「アル、足は大丈夫?」
「うんすっかり。すごいね、この真っ白な布紐。マロリハの葉で包むより痛くないし、動き易いよ」
治療を終えた二人は全身包帯だらけの姿となっていた。
彼等にとってはこの場所で見る物全てが新しい。治療に用いる道具ひとつとっても珍しく、途中で遊んで怒られたりもした。
治療してくれた背の高い少女とは既に別れた。
今は別の黒髪の少女が二人を先導するように前を歩いている。
「――それにしても、たくさん居るわね」
「うん。さっきからかなり見られてるよ」
「私たちがニンゲンを見たことがないように、彼等もエルフ族を見るのが初めてなのかしら?」
「そうかもしれないね」
黒髪の少女の後を歩きながら他愛ない会話をする姉弟。
好奇の視線に晒されているという自覚は二人とも持っていた。
しかし、彼等の視線に悪意が無い事もなんとなく感じていた。
彼等は姉弟を拘束したり、武器を突き付けたりもしていない。
なんというか、至って気安い雰囲気なのだ。
「でも、みんな同じ服装なのね」
「うん。それに僕等の服とは全然作りが違うよね」
エルフ族の服はロッコの葉という布のような肌触りの大きな葉っぱを、木綿から作った糸で繋ぎ合せたものだ。
見た目は薄緑色の布の服と見分けがつかない程の作りだが、流石に此処のニンゲンたちが着ている服と比べると、縫製や細かな装飾など全く出来が違う事が解る。
「う~ん、珍しくて面白い!」
「そうだね」
エルフの姉弟は、自分達が何故この場所に来ることになったのかも忘れて、深緑の瞳の瞳を輝かせた。
「――――!」
「!? ――」
「うん? どうかしたの?」
姉弟が我を忘れて楽しんでいる時、突然慌てた様子で男子が駆けてきた。
自分達の前を歩いていた黒髪の少女と何かを話してアトゥージネに視線を向ける。
「――――!」
黒髪の少女が真剣な顔で話しかけてきた。
やはり何を言っているのかは解らないが……。
「何かあったのかな……」
「分からないけど、ついて来てって言ってるのかな?」
「たぶん、そうみたいね」
切羽詰まった様子に急かされて、アトゥージネとアルモニは黒髪の少女の後を早足でついていった。
◆◇◆◇◆
二人が案内されたのは階段を幾つか上った所に在る大きな部屋だった。
何処も似たような造りなので、建物内の構造が把握しづらい。
部屋の中には一人用の小さなテーブルやイスらしき物が所狭しに置かれていて、入口の反対側の壁には透明な板――そこに壁があるというのは分かるのだが外の景色が綺麗に見える――が一面にはめられていた。
既に部屋に居た四人のニンゲンの男女は外を眺めているようだったが、アトゥージネたちが来たことに気付いてこちらを向いた。
「――――」
声を掛けながらにこやかに近付いている少女を見た瞬間、姉弟は何故か村長と対峙したような雰囲気を感じた。
「――アト姉さん」
「ええ。たぶん、彼女が此処で一番偉い人……なんでしょうね」
それは責任を背負う者が醸し出す独特の雰囲気。
穏やかで優しげな印象を受ける女性だが、その中でも吸い込まれそうな深い輝きを持つ瞳が目立つ人物だった。
「――――」
アトゥージネたちは促がされるままに透明な壁の近くまで寄った。
透明な壁の向こう、高い場所から見下ろしている光景。
彼女たちの眼下には土肌の広い更地が白い壁に覆われていた。
「――――」
「――」
「――――――」
「……――――」
姉弟の後ろでは慌ただしく人が出入りしており、先程の女性と何か話をしてからまた出て行く。
これから何が始まるのだろうと不安になりかけたその時。
「――!!」
一人の少女が大声を出しながら駆けこんできた。
ニンゲンたちの長と思わしき女性が何やら黒い筒を二つくっつけたような物を眼に当てて外を向く。
「―――」
女性が呟いた。
無意識に樹海――女性の視線の先を見るアトゥージネたち。
「あれは……!」
樹海に根付く太い木々を易々と薙ぎ倒しながら進む圧倒的なあの姿は、一度見たら忘れることなど出来ない。
「シャルヴァーリ!!」
巨大な黒き怪蛇は真っ直ぐに此方へ、眼下に見える土肌の更地へと向かって来ていた。
「――――!」
近くに居る男女たちも声を上げる。
怪蛇が更地へと侵入してきたのだ。
「姉さん、あれ! あの人!!」
「……えぇ!?」
木々の無い場所へと出たためにその姿を露わにした怪蛇の鼻先にひとつ、人影が見えた。
それは、自分達の代わりにシャルヴァーリに追われていった、槍を持ったあの青年だった。
◆◇◆◇◆
「………………」
「す、すごい」
エルフの姉弟の前で繰り広げられたのは、まるで御伽話を実写で見ているかのような戦いだった。
――凄まじいまでの巨体を持つ漆黒の怪蛇シャルヴァーリ。
――それに対するは十人の少年少女からなる戦士達。
比較することも愚かしい程の体格差を物ともせずに、勇敢なる戦士たちは怪蛇へと立ち向かう。
その光景は、古よりの伝承、まだ人間族と亜人族が互いに共存出来ていた時代の共通の敵――“魔神”との戦いを想い起こさせた。
しかし。
「ああ! あぶない!」
「頑張れー! そこだよー!」
怪蛇と戦士達の力の差は歴然。
幾度となく攻撃を受けようとも、怪蛇はその動きを止めるどころか怯むことすらしない。
逆に戦士達は、一度でもシャルバーリの攻撃を受けたら終わり。
状況は絶望的だった。
自分達も助太刀に、と考えたりもしたが、武器も無いし足手纏いになりかねない。
それに、この場所に連れて来られたということは、恐らくニンゲンたちは自分達を保護してくれているのだろう。
意志疎通の満足にできない自分達が下手に動いて彼等に余計な手間を掛ける訳にもいかない。
(お願い、どうか勝って……!)
アトゥージネは両手を合わせて彼等の無事と勝利を祈った。
その祈りが届いたのかは分からない。
しかし、絶対絶命の境地に彼等は決して諦めなかった。
それは十人以外のニンゲン達もだ。
飛び交う大声。それらは恐らく声援。
直接怪蛇と対峙する者達も、それらを支援する者たちも、建物から応援している者たちも。
ニンゲンたちはまさしく、“全員”で怪蛇と戦っていたのだ。
そして――――
「姉さん!!」
「アルモニ!!」
エルフの姉弟は抱き合った。
無意識に涙が溢れ、しかしお互い口には笑みが浮かんでいた。
「勝った! 勝ったよ!」
「やったわ! 彼等がやってくれたのよ!!」
眼下には、頭が潰れ動かなくなった怪蛇シャルヴァーリ。
伝説に謳われた怪物の最後だった。
「ありがとう……」
どうしてか、アトゥージネは感謝の言葉を紡いでいた。
怪蛇の死体の周りには十人の戦士達。
彼等を称賛するように建物内に居たニンゲン達が次第に彼等の下に集まっていっていた。
◆◇◆◇◆
その夜は盛大に宴が開かれた。
普段、日の入りと共に寝床に入るアトゥージネ達だったが、今日ばかりは先の興奮もあって素直に寝られなかったこともあり宴へと参加することにした。
松明の炎や陽の光、夜光苔とも違う眩い明かりに照らされて、ニンゲンたちは騒ぎ、踊り、歌い、そして笑い合った。
「わあ、これおいしい!」
「もぐもぐ。うん!」
アトゥージネとアルモニは広い空間を持つ建物へと案内された。
いくつものテーブルが置かれ、その上には多くの料理が運び込まれた。
二人が今まで見たことも無い料理に唖然としていると、いつの間にか大勢のニンゲン達が建物の中へと入って来た。イーオニ村の総人口よりも多い人数が一同に期す中、長の女性が高いところから何かを言った後、爆発したかのような大盛り上がりを見せて、勝利の宴は始まった。
周りの皆が美味しそうに食べる姿に誘われ、姉弟も恐る恐る料理に手を付ける。
固唾を呑む周囲のニンゲン達に見守られながら一口目を頬張った瞬間、あまりの美味しさに二人はまさにパァァっと花開くような笑顔を浮かべた。
そのことで更に盛り上がりを見せるニンゲン達。
気付けば怪蛇と戦っていた戦士達も各々宴に参加しており、アトゥージネは一言お礼をと思ったが、自分や彼等に群がるニンゲン達の壁に断念した。
そして、暫らく続いた宴も料理が尽きると同時に終わりを告げる。
皆が片付けをしている中、手伝おうとしたアトゥージネ達は再び別の場所へと案内された。
壁や床が不思議な光沢を放つ、水の臭いが強い場所だった。
何故かアルモニとは別れさせられ少し不安になったのだが、一緒に来た少女達が衣服を脱ぎ始めたことで、何をしようとしているのか薄々感づいた。
「――!」
「――♪」
「ちょ、やめっ、くすぐったいって! アハハハ!」
小川や湖での沐浴には慣れているアトゥージネだったが、流石に温かい水を浴びるという体験は初めてだった。
それに、こんなにも同じくらいの年頃の少女達と洗いっこすることも。
エルフ族がそんなにも珍しいのか、ニンゲンの少女達は競うようにして自分に触れようとしてくる。
このようなじゃれ合いも、イーオニ村には彼女よりも若いエルフが居ないこともあり久しぶりだ。
何人もの少女達に泡立つ柔らかい物で体中を洗われて、笑い死にそうになりながらその場を後にした。
◆◇◆◇◆
「ねえ、アル」
「ぅん? ふぁあ……なに、アト姉さん?」
行水を終わらせた後はまたアルモニと合流した。
聞けば弟も大勢の男子と例の温かい水を浴びていたらしい。
その後、此処に来て一番最初に入った薬草臭の強い白い部屋に再び案内され、この場所の寝床で横になるように言われた。
臭いはともかく、こんなにも肌触りが良くふかふかで気持ちのいい寝床は初めてで、二人とも最初ははしゃいでいたが、アルモニは直に眠気が来たようだ。
無理もない、とアトゥージネは思う。
「今日は……色々あったよねー」
「うん」
二人とも既に寝床に横になっていた。
未だ興奮冷めやらぬといった感じのアトゥージネが、明かりの消えた天井を見つめながらアルモニに話しかける。
「びっくりすることが多すぎる一日だったわ」
「……そうだね」
「伝説の怪蛇と、それを倒した噂でしか知らなかったニンゲン、大きくてヘンテコな建物、見たことも無い美味しい料理、心地の良い寝床……」
「…………うん」
エルフの姉弟が今日一日で体験したことは、静かな森で暮らしていた今までからは想像もつかない驚愕の連続だった。
命が危ぶまれる場面もあった。
「明日、村に帰って今日のこと長に話さなくちゃね。あのシャルヴァーリを倒したなんて聞いたら……アハハ。みんなどんな顔するかな?」
それでも姉弟は無事生き伸びた。あのニンゲンたちのお陰だ。
自分の代わりに怪蛇を引き付け、その上なんと災厄とまで言われた相手を倒してしまった。怪我の手当てもしてくれたし、美味しい料理も食べさせてくれたし、肌がつるつるになる不思議な行水も体験させてくれたし、更にはこんなに良い寝床まで用意してくれた。
イーガ=ロウ樹海の外にはニンゲンの国があり、自分達エルフ含む亜人種族はニンゲンに迫害されてきたと村では聞かされてきた。
しかし、此処のニンゲンたちは自分達を拘束するどころか、色々と世話を焼いてくれ、この部屋にだって気配を探る限り見張りの一人すら置いていない。
アトゥージネはこれを、ニンゲン達が自分達に対して信頼してくれているからと捉えた。
――此処のニンゲン達に対して、大恩が出来た。
この恩には必ず恩で報いらねばならない。
長寿であるエルフ族だからこそ、他者との繋がり、とりわけ“義”を重んじなければならないと常々教えられてきた。
エルフに限らず、亜人種族は皆閉鎖的だ。逆に言えば、同じ顔を見ながら毎日を過ごさねばならないのに、傍若無人に振る舞っていては友人も出来ない。長い時を生きるエルフならば尚更孤独に過ごすのは辛いだろう。
だからこその義。他者に優しくあれ。恩には恩で返せ。それが最終的には自分のためになる。“生きるため”に、それは必要なのだから。
「…………うにゅ」
ふと隣を見る。
いつの間にか、弟は可愛い寝顔を見せていた。
死なせなくて良かった。お互いに無事でホッとした。
ふぅ~~と安堵の溜め息が出る。
「ふああ……むにゃ」
そのせいか、少し眠気も出てきたようだ。
もう一度アルモニをチラッと見て、アトゥージネは掛け布団を直した。
「おやすみなさい」
まずは村長に報告してからだ。
そう考えた瞬間、前置きも無く意識がストンと落ちた。
興奮によって誤魔化してはいたが、彼女に溜まった疲労値は既に限界だったのだ。
「…………ぐぅ」
「むにゃむにゃ」
こうして、エルフ姉弟の驚愕通しの一日が、ようやく終わったのだった。




