(04)今のまま
義妹が高校生になってから、初めて一緒に下校した日の夜。
黒羽はあの後、俺に短く礼だけを言うとすぐに部屋へ戻っていった。
そして、いつも通り夕食の準備をしていた俺は、一人考え事をしていた。
(……学校に行く時以外の黒羽は、ほとんど部屋にいるんだよな。自分磨きをしたり、勉強もちゃんとやってるのは知ってるけど……それだって四六時中ずっとってわけじゃないだろうし)
黒羽は成績も良く、運動も並みの女子よりできる。
外出はしないが、家の中で軽い運動をしているのを見たことがあるし、何事にも努力を欠かさない子だということも知っている。
(……けどあれは、趣味とは少し違うような気がする)
自分磨きも運動も、趣味と呼ぶにはどこか作業的に見えた。
もっと何か、一心に情熱を注げるような――そう、そんな『好きなもの』が黒羽にあれば、それは間違いなく幸せだと言えるだろう。
(――そうだな。空いた時間に何をしてるのかを知れば、黒羽のことも知れるし……今の生活に満足しているのか否かも分かりそうだ)
俺は自分の思考がまとまると、丁度出来上がった料理を盛り付け始める。
それと同時に、二階にある黒羽の部屋に向かって声を掛けた。
「黒羽、夕飯できたぞ」
声をかけてすぐに黒羽が部屋から出てくる音がして、階段を降りる足音が一定で鳴る。
――うちはそれなりに立派な一軒家なので、一階のリビングから二階の部屋まではかなりの距離がある。
……しかし、何故だか俺が呼ぶと、声量に関わらず、すぐに反応して降りてくるのだ。
幼少期からの黒羽を思い返しても、そんなに聴覚がいいという印象はないのだが……。
短い思考が巡り終えた時、黒羽はリビングに入ってきた。
「……今日も用意してくれてありがとう。言ってくれれば私も手伝うのに」
「朝も昼も用意してくれてるのに夕飯の支度まで手伝わせるわけにいかないだろ。それくらいやらせてくれ」
「……でも、生活費は雪透さんが稼いでるのに……」
相変わらず冷たい声で、無表情ではあるけれど――本当に、律儀で思いやりのある子だ。
「そんなこと気にするな。いいんだよ、俺が好きでやってるんだから」
俺の言葉に、黒羽がぴくりと反応する。
「……、……うん。分かった」
どうやら納得してくれたようだ。
黒羽が好意で弁当を作ってくれるように、俺も自分の意思で黒羽を養っているだけだ。
(そもそも、他の家事は俺がやろうとしてもやらせてくれないしな……)
思い返せば、昔から黒羽は家のことをほとんど引き受けてくれていた。
洗濯も掃除も、黒羽がやる家事はどれも丁寧で、俺が手を加える隙などない。
――そんな、言葉少なに交わした会話と小さい納得があって、俺たちはようやく席に着いた。
「……いただきます」
「ああ、いただきます」
いつも通りの言葉を交わして、食事を始める。
両親がこの家を離れてから、もう五年間も続いた風習だ。
朝と夜の食卓に、どちらかが欠けたことは一度もない。
そして……いつもはここから黙々と食事を続け、ぽつぽつと会話をするくらいなのだが。
さっき考えていたとおり、今日は黒羽と話したいことがある。
(……さて、どう聞こうかな)
……。
「……黒羽って、趣味とかあるのか?」
特に他の言い方が浮かばず、そのまま口にしてしまった。
……まあ、この程度の内容ならそのまま聞いても問題ないだろう。
「……! ……趣味?」
(えええええええ!?!?!? 雪透さん私の趣味が気になるの!?!? さっき絶対バレないようにしなきゃって決意したばっかりなのにもうバレちゃったとか……!? えええ見られたとしたらどれ!?!? 雪透さんの妄想を綴りまくったノート?? それとも雪透さんを盗撮した大量の写真!? それとも、それとも……あぁもう前科がありすぎて全然わかんないよぉ……っ!! っていうかどれでもやばい!!!)
淡々と箸を進めていた黒羽の手がぴたりと止まり、わずかに顔を上げた。
……そして何故か、そのまま黙り込んでしまった。
「いや、黒羽が普段何やってるのか気になっただけだよ。ずっと一緒に住んでるけど……黒羽が何かを楽しそうにやってるのを、あまり見たことがなかったから」
「……」
(ああ、そういうこと……!? 良かったぁバレてなかったんだ!! ……って、趣味? 趣味かぁ……うーん……私、そもそも雪透さん以外のものに一切興味ないしなぁ……。でも雪透さん関連の趣味なんて言えるわけないし、一つもないって言ったら心配かけちゃうよね……? 嘘はつきたくないし……うーん……あ、そうだ……!!)
少しの沈黙の後、黒羽が静かに口を開いた。
「……髪の手入れとか、スキンケアとか。部屋の中でもできる運動をして体型維持したりとか……そういうのは毎日やってる」
(……嘘じゃないからいいよね!? 趣味とは違うかもだけど、雪透さんに可愛いと思われたくて欠かさず真剣に頑張ってるもん!!)
「確かに、黒羽は自分磨き頑張ってるよな。肌も髪も綺麗だし、普通に食べるのに細いし」
「…………、……ありがとう」
(っ、……っ! えっ……私いま褒められた?? 褒められたよね?? ……『綺麗』って。『細い』って……!! きゃーー♡♡雪透さんのために頑張ってることを褒められちゃった……!! あっわかった今日は私たちが結婚する日なんだ……指輪とかはいいから誓いの言葉と雪透さんの唇が欲しいな…………♥)
(……って違う!!! 頑張ってるねって褒められただけ!!! そう、まだ交際が始まっただけで結婚は早……ってそれもちがう!!!)
短く礼を言った後、黒羽は箸を進めることなく一点を見つめている。
――心做しか、黒羽の顔が少しだけ赤い気がする。
(……いや、真顔だし気のせいか)
さておき。
今黒羽の口から出たのは、全て一人で完結できる趣味だった。
俺が本当に知りたいのは、「黒羽が満たされているかどうか」――その一点だ。
そして、今の答えではそれが分からない。
(……よし)
――どうやら、今日の俺は少し欲張りらしい。
たとえ強引でも、もう少しだけ黒羽の心に踏み込んでみようと思った。
「そのさ、黒羽はあんまり友達とか作らないだろ。学校の女子から好かれてるのに、黒羽は誰も相手にしてないみたいだし。
……もしかして、友達と遊ぶと金がかかるとかそういうことを気にしてるのか? もしそうなら、必要な分だけ出すから遠慮なく言ってくれ。黒羽はまだ学生なんだから遠慮しなくていいんだぞ」
言いながら、黒羽の顔を窺う。
箸の先が止まり、眉がわずかに動く。
沈黙の後、いつもと変わらない声音で、
「……別に、いらないから作ってないだけ。
……いつも言ってるけど、お金とかいらないから」
いたって冷静に返してきた。
普段からそうだが、黒羽は黙ったりはぐらかすことはあっても、大事なところで嘘はつかない。
だから、これは気を遣ってるのでも何でもなく、黒羽の本心だ。
「……そうか。余計な心配をして悪かった」
「……そんなことない、けど」
一言そう言って、黒羽は箸を置いた。
そして、顔を上げ、俺をじっと見つめている。
視線の奥で何かを考えたあと――、
その言葉を続けた。
「……私は、今のままが一番いい」
その声はいつも以上に真剣で、目線はいつも以上にまっすぐだった。
その言葉に込められた意味が、温度が、俺の中にじわりと広がっていく。
「……そうか」
「……うん」
(……っあああああまってまって!!! なんかいま凄いこと言っちゃった気がする!! なんかお兄さんが私のこと心配してくれてる感じで嬉しくて、勘違いさせて悩ませたらやだな……と思ってたらつい口から出ちゃった!! 言い方は遠回りだけど、いまの『一緒にいればいい』って意味でしか聞こえないよね!? だって私お兄さんとしか喋ってないのに、今のままが一番いいって言ったら……そういうことじゃん!! うんだってそういう意味で言ったし!! ……うぅ~、でもお兄さんを悲しませるような嘘なんてつけないし……せっかく素直に言えたのにいまさら否定なんてしないもん……♡)
(……あっけど、ほんとは今のままで全然よくないです!!! 撫でてほしいし抱きしめてほしいし、お兄さんと二人でできることは全部したいです……!! そう!! それで最終的にはお嫁さんになって……♡)
黒羽の言葉に、俺は小さく微笑みを返して、
「なら、良かった」
そう、心のままを続けた。
……黒羽が何を考えてそう言ったのかまでは、やはり分からない。
けれど、さっき伝えようとしてくれたことだけは、はっきりと分かった。
(良かった。やっぱり、黒羽も同じなんだな)
黒羽の答えに満足して、食事に戻る。
満足したのは「何か暗い理由があって友達を作らないわけじゃなかった」というのもあるけれど――もちろん、それだけではない。
交わす言葉は少なくとも、俺たちはずっと家族として一緒に生きてきて、これからもそうやって生きていく。
互いにかけがえのない存在である――このことだけは、何があっても変わらないのだと。
それが分かっただけで、今日は十分だった。
「……」
(えええええええ!? なに今の反応!? 『良かった』ってなに!? 私の気持ち伝わったってこと!? 私が好きなのばれちゃった!?!? それで『良かった』ってことは……え、もしかして雪透さんも私のこと好きなの!?!? ちなみに私は好きだよ?!?!)
(……ってちがう!! お兄さんが真剣に心配してくれてるときに私のばか!!! ……あっでもお兄さんの顔なんだか嬉しそう……♡♡誤解させずに済んだうえこんな顔見れるなら絶対言ってよかった……♡♡ありがとうさっきの私!!)
(……ああもう、幸せすぎてこのまましばらく時間止まってほしい……あっでもなんかお兄さんが喜んでくれた反応見てたらちょっとだけ素直になれる気がしてきたかも……♡……このまま『撫でて♡』とか言っちゃおうかな……??♥)
「……あの、兄さん」
「ん? どうした黒羽」
「……えっと」
「うん」
「……」
……。
(っあああああむりいいいいいい!!!!! こんなの無理すぎる!!! 待ってさっきなんで言えると思ったの!?!? なでなでのおねだりするなんて無理に決まってるじゃん!! 『ありがとうさっきの私!!』じゃないよ、なに考えてるの過去の私は!! ていうか『撫でて♡』ってなに!? これまでずっと照れて逃げてきた私がそんな直球に甘えるセリフ恥ずかしくて言えない!!! それに普段無口な私がいきなりそんなこと言ってきたらお兄さんが固まっちゃうよ!!)
(…………うぅ、でも甘えたいよぉ……)
「……?」
また黒羽が黙ってしまった。
やっぱり、黒羽の考えていることはまだまだ分からない――そう思う雪透だった。
一方、この時の黒羽の思考は――
(うぅ……素直になりたい……私に優しいお兄さんならきっと撫でてくれるのに……!! 恥とか全部捨てて感情全開で甘えまくりたい……全力の猫なで声で『ゆきとさんすきすきすき♡お兄ちゃんの大きい手でくろはのこといっぱい撫でてほしいな~♡』とか言いながらお兄さんの胸に頭擦りつけたい……そのまま私の手でお兄さんの手を引っ張って誘導して、あわよくば『かわいいね』とか言われながら撫でられたい……そうだそのシチュエーションは私の妄想ノートの96冊目の18ページに書いてあった気がする…………こうなったらもう、今日このあとお兄さんがお風呂入ってる間に、お兄さんの枕に頭こすりつけまくって撫でられた気分になるしかない…………あっ、それ妙案かも♡♡)
――相変わらず、脳内で暴走していた。
ふわりと満足した気分になりつつも黙々と食事を続ける雪透に、脳内で花を咲かせながらも変わらぬ無表情を貫く黒羽。
今日も氷川家は、クールな二人(?)によって平和な一日を終えようとしていた。




