(03)静かな放課後
大学が終わった俺は、義妹を迎えに例のお嬢様学校に向かっていた。
俺は高校時代、新人文学賞で史上最年少となる受賞を果たしたことをきっかけに、某国立大学文学部の『文学創作特別選抜』枠に招かれ、そのまま特待生として進学した。
特待生の優遇措置として、登校日数やコマ数も自由に選べる上、名目上は教授の研究協力であるため学びのレベルも高い。
もっとも、大学に通っている一番の理由は「一応大学は出ておくか」という建前的な理由であり、その大学を選んだのも家からそれほど離れておらず、執筆の妨げにならないという現実的な理由だ。
既に五年間プロ作家として活動を続けているから将来の見通しも立っているし、実際のところは通わなくても困らない。
俺としては、黒羽を養えて、無事に幸せな日常を過ごしてくれればそれでいいのだ。
「――」
ただ、一つだけ不安なことがある。
(今の黒羽は、果たして幸せだと思っているのだろうか)
少なくとも暗い悩みがあるような雰囲気はないし、不幸という事はないのだろうが――楽しそうに何かをする黒羽を一度も見たことがないので、時折心配になる。
友達を作らず、休日も出かけることはない。普段何をしているのかも分からないので、趣味も知る由がない。
(……今から知ろうと言ったって、年頃の義妹をじっくり観察するような、ストーカーのような真似をするわけにもいかないし)
そう考えると、やはり送り迎えの提案をしたのは正解だった。
――そう、今の俺に出来るのは。
こうして黒羽との時間を増やして、直接黒羽のことを知ることだけなのだ。
心配を脇に置いても、俺は『無口でクール』な黒羽の内心を知りたいと思っているわけだし。
――そんなことを考えながら歩いていると、目的地の高校に到着した。
先程黒羽から届いた連絡によれば、今が丁度いい頃合いだろう。
携帯のメッセージアプリを開き、履歴を見返す。
【15:30 もう少しで授業が終わります。】
【15:40 終わりました。】
【16:00 これから下校準備をします。】
【16:05 教室を出ました。】
……やはり、黒羽は文面でも冷たい。
だが、連絡の頻度だけはやけにこまめだ。
(……というか、最初のメッセージは授業中に送ってきてないか?)
俺は校門から少し離れたところに立って、黒羽を待つことにした。
下校のざわめきが近づき始め、制服の色が人波に交じる。
――それから五分と経たず、義妹らしき影が校門の奥の正面玄関から歩いてくるのを見つけた。見えやすいように軽く手を振る。
黒羽はすぐに気付いたようだが、そのまま歩く速度を変えずにこちらへ向かってくる。
せっかくここまで迎えに来たというのに、相変わらず反応が薄いものだ。
黒羽が玄関から校門までの道を歩いている最中――女子たちが、黒羽を見ながら何かを囁いていた。
いくつかの視線が黒羽の背を追う。
「……」
あれは周りの表情や空気からして、悪口のような悪意ではない。
むしろ、羨望や憧れ――どれも、好意的な目線に見える。
分かっていたことではあるが……俺は少しだけ安心した。
黒羽はいつもあんな調子だから、自信の有無も気の強さも、正直に言えばあまり分からない。
――だが、〝自分の容姿や能力をひけらかしたり、他人を見下したりする子じゃない〟ということだけはよく知っているのだ。
小さい頃から彼女のことを見てきたからこそ、学校でも女子に嫌われるタイプではないと思っていた。
――が、それでも。兄としては実際に見ると安心するものだ。
そして、黒羽が学校のお嬢様たちから人気というのも、納得の行く話だ。
なぜなら、俺の目から見ても、黒羽の立ち居振る舞いは上品に映る。
顔など元々の造形はもちろんのこと、黒羽は歩き方や服の着こなしにも品がある。
よそ見をすることもなくまっすぐに歩くし、スカートは常に指定通りの長さで保っていて、真夏であってもカーディガンなどでしっかりと肌を隠している。
……いや、今朝然り、一緒にいると稀に〝変な挙動〟をすることもあるのだが。
「……兄さん。迎えに来てくれてありがとう」
俺のところまで歩いてきた黒羽が、目を見ずに礼を言ってくる。
相変わらず、半歩分の距離は崩れない。
――やはり、俺の心配を受け入れてくれただけで、本心では「高校生にもなって兄と一緒に下校するなんて恥ずかしい」と思っているのだろう。
親しさや信頼に関係なく年頃の女子とはそういうものなのだと俺なりに理解しているつもりなので、それでも仕方ないと思っているが――妹を大切に兄としては、この距離感に対して寂しさを感じないでもない。
「ああ、それじゃ帰るか」
「……うん」
(きゃーっ♡♡ほんとに迎えに来てくれた!! 朝からずっと楽しみにしてたから嬉しすぎる……♡いや、いつもより早く会えるのを原動力に今日一日頑張ったから来てくれなかったら泣いてたけど!! う~、ほんとは全力疾走で雪透さんのところまで走って飛びつきたかったのに……!! 階段降りてるときから雪透さんの気配感じてたし、一階に降りた瞬間に匂いで確実にいるって分かってたけど、ギリギリまで気づかないフリしちゃったし……喜んでるのバレると思ったら恥ずかしすぎて走れなかったよぉ……)
(……けど、雪透さんいつも通り優しいし怒ってないよね……?? はあぁ、天使すぎる……)
(――あっでも、こんないい匂いを女子高の前でばらまかないでほしいんだけど!! フェロモンで皆が寄ってきちゃったらどうするの……!? そしたら私嫉妬で死んじゃうよ?! そうだよっ!! 雪透さんは完璧だけど、そういうところだけは配慮が足りてないんじゃないかな!!)
家までの道を、無言で歩いていく。
ふと黒羽の方を見ると、鞄の肩紐が少しずれて、指先でそっと引き上げる動作が目に入る。
そこで、黒羽が持っている鞄が膨らんでいることに気付いた。
「鞄持つよ。結構重いだろ、それ」
……。
黒羽が俺の言葉に反応し、こちらを向いて――何故か、固まった。
「…………え」
(やばいやばいやばい!! この中には雪透さんグッズとか雪透さんとの妄想を描いたノートが入ってるのに……!! 何かの間違いで中身が見られたりしたら私の気持ちが全部バレちゃう!! ……あっでもそれはそれで興奮するかも……♥けど、それでもし引かれ――るのはまだいいとしても、雪透さんに拒絶されたら本当に生きていけない!! そう、だから私の趣味は絶対バレないようにしなきゃいけないの!!)
(……あぁ、でも……迎えに来てくれたうえに鞄まで持とうとしてくれるなんて……雪透さん紳士で素敵すぎる、好き……♡♡)
謎の間があったあと前を向き直った黒羽は、肩ひもを指先できゅっと整え、
「……大丈夫。見た目ほどは重くないから」
俺の申し出は断られた。黒羽は昔から遠慮がちで、こういう気遣いは断られることが多い。
だからこそ、今朝の「毎日送り迎えする」という提案を即了承されたことは意外だったわけだが。
「……」
ちらりと、横を歩く黒羽を見る。
彼女は今、この無表情の奥で何を考えているのだろうか。
俺は、それが知りたい。
「…………」
(そういえばさっき私の周りにいた女の子たち、絶対雪透さんのこと見てたよね……!? やだやだやだ!! いくらかっこいいからって見ないで、私のお兄ちゃんなのに……!! どうせ見るならせめて私と一緒にいるところを見てよ!! そう、それなら抱きついて私のものですってアピールするのに……いやそんな勇気あれば苦労してないけど!!)
(……うぅ、私の意気地なしっ……でも、小学生の頃から8年も想い続けてるのに今更アピールなんて恥ずかしくてできないよぉ……っ。だって、出会った瞬間に『この人は私の王子様だ♡』って思って一目惚れで初恋したうえに、一緒にいればいるほどもっともっと好きになって…………♡いつの間にか、もうこれ以上なんてないくらい好きになってたんだもん……っ♡)
いくら見ても黒羽の表情は変わらないままで、今日も、彼女の真意を知ることはできなそうだ。
……けれど、焦りは特になかった。
黒羽とは小さい頃からずっと一緒に生きてきたし、それはこれからも変わらないと確信している。
黒羽のことを知る時間は、これからいくらでもあるのだ。
それに俺は――黒羽と過ごす静かな時間も好きだった。
(……よし。夕飯の時に趣味でも聞いてみるか)
そんなことを考えながら、小さく笑った。
雪透が物思いに耽っている、その横で――
(はあぁ……雪透さん相変わらず横顔も素敵……♡何か考え事してるみたいだし、今のうちにたくさん見て焼き付けておかなきゃ……♥あっでもお兄さんが何考えてるのか気になる……! え、まさか他の女の子のことじゃないよね……?? はぁ、そうだったら死にたい……。いっそお兄さんの考え事が私のことだったらいいのにな…………なんて、そんなわけないよね)
(……あぁけど、お兄ちゃんの顔見ながら一緒に帰れるなんてしあわせだなぁ……♡あーもう……すきすきすき……大好き!!!いますぐ結婚したい♡)
――惚けた表情と熱のこもった視線で兄の顔を眺めている義妹に、やはり彼は気付かなかった。




