after scene
「博士ってさ、慧と仲良くなかったの?」
管理局の屋上に1人いた卯月の前に、ふらっと現れたのはカアナだった。
なんの脈絡もなく聞いてくるものだから、「……なんだ、唐突に」としか卯月は答えようがなかった。
慧が主となっても、カアナの生活ががらりと変わるわけではない。なにがそう思わせたのか、次の言葉を待った。
「パスケースの中、見ちゃったの」
軽い口振りなわりに、真剣な表情だった。
卯月は白衣のポケットから、例のパスケースを取り出した。
そして、
「これは杉浦のだ」
そうなった経緯と、慧との関係性を教えてくれた。
*
仔猫の件もあって卯月に対して物怖じしなくなった慧だが、実は同じクラスだと分かっても、親しげに接することはなかった。
『ここ、いい?』
『あぁ』
なので、紙袋片手に慧が屋上にやってきたときも、それ以上の会話はなく。
卯月の隣に座ると、紙袋から白と黄色のシンプルなたまごサンドを取り出して、黙々と頬張り始めた。
一瞬、フェンスを乗り越えるのではないかと思ったのは、ここだけの話。
周りと距離を取っていた卯月がそう感じるくらい、当時の慧は黒髪だったこともあって、非常に暗い印象だった。
仔猫を助けようとハッタリかました時の慧はどこに?
覇気も生気もない、濁りきった瞳のせいで、とても食事をしているようには見えず――――小動物のように頬が膨らんでいくのを、卯月はただただ見つめていた。
その視線に気づいて、ごくん、と詰まらせることなく飲み込んだ慧は、サンドイッチを卯月に勧める。
『いる?』
『いや……』
屋外だからか。
慧の瞳に光が射し、生気を垣間見る。
サンドイッチ越し僅かなそれに、卯月は断りかけていた言葉を飲み込んだ。
少しだけ、興味が沸いた。
『それでいい。くれ』
『もう1個あるから……』
食べかけ、しかも半分以上口をつけているものをあげるのは……と、慧は紙袋をあさった。
その間、卯月の目の前で食べかけのたまごサンドが揺れる。おあずけをくらっている犬みたいで、とっさに慧の腕を引いた。
1口……のはずが、柔らかい具と多さに、かじった端から玉子が飛び出てくる。
それを落とすまいと、もう1口。別の方向からかじると、また。を繰り返せば、慧と同じように、頬張ることになってしまった。
『……美味いな』
『うん』
『食べにくいけど』
『うん』
動物が絡んでいないと感情の起伏が乏しい慧が、ふわりと表情を崩した。
口角が三角のホクロを押し上げる。
『一緒に食べてるから、もっと美味しい』
『――そうだな』
つられて、卯月も微笑んだ。
『ここ自販機ねーから。次来るときは飲み物忘れんなよ』
いくら玉子が美味しかろうが、パンがしっとりしていようが、口の水分はもっていかれる。
飲みかけのカフェオレを受け取り、慧はストローに口をつけた。
『ありがと、卯月くん』
それからというもの、ちょくちょく顔を出すようになる。
週1が週2、週3――――と、大半の昼休みを屋上で過ごすようになったある日だった。
慧が、あの3人組のひょろいのに絡まれ、刺された。
殴られても、頑なに卯月を呼ばない慧に苛立って、やってしまったと。
“ちゃんとタイマンしたら、おもしろそーだなーって思ったから、呼んでほしかっただけなんだよー”と、悪びれもせず。慧のケータイから連絡してきやがって。
――お前のせいで慧が危険な目にあったんだ。
――は?
原因は卯月にあるかもしれないが、慧に責められるならまだしも、その友人に。しかも全くの初対面なヤツにとやかく言われる筋合いはなかった。
――そんなに大切なら、ずっとそばにいればいいだろ。
取っ組み合いの末、卯月の擲った言葉が慧を苦しめることになろうとは。
ルームシェアをするようになって、ヤツの束縛に耐えられなくなったのだろう。
『もしもし』
『……うづき、くん』
『杉浦?』
進学して、2ヶ月後。
震えた声で助けてほしいと連絡を受けたものの、義行みたいにすぐ行ける立場でもなければ、卯月はその時AR研究のごたごたに巻き込まれていて、動ける状態ではなかった。
共同開発中の試薬を中立都市に届ける、という強行手段を使って、駆けつけたのが6月のあの日。
周りが白砂化していく中、慧の意識も遠退いていく。
『――カ、アナを』
慧は自分のことよりもカアナを。
卯月はただそれに応えただけのこと。
*
「杉浦に過去が必要なら、義行にとっくに回収されてる」
慧を縛り付ける人間も、試薬を打った挙げ句カアナをARにした人間も、今の慧には不必要だから、こうして卯月の手の中にあり続けている。
思い出すことで影を落とすのであれば、なおさらだと、卯月はパスケースをしまい込んだ。
「博士は……慧との思い出をなかったことにできるの?」
「あぁ」
その表情に、一抹の寂しさはない。
慧を見守る親友そのものなことに、本人は気づいていなかった。




