38「おいでませ真魔王軍」
モジャコ連合王国は密かに滅亡の危機に瀕していた。
理由は、ただひとつ。
魔王軍の再編成が地下において着々と進められていたのだ。
真魔王は勇者によって討伐された前魔王の遺志を受け継ぎ人間界に対する反撃のときを待ち望んでいた。
「刻、至れり」
無数の巨大な触手を持つ真魔王の身の丈は一〇メートルをはるかに超えており、軽く身震いするだけでドラゴンも怯えて逃げ出すほどの巨体である。
頭上には支配者たる証の王冠を被り二本からなる巨大な角はぬらぬらとぬめって黒く輝き、気が弱い者が目にしただけで卒倒するほどの威圧感を発していた。
「待った。我は待ちに待ったぞ」
意外にも声は落ち着いた艶のあるテノールだ。
その声は聞く者に自ずと姿勢を正させるようなカリスマが備わっていた。
真魔王はかつての魔王軍における中枢の生き残りが散発的に暴発を繰り返すのを、静観しながら軍勢が整うのを静かに待った。
これには真魔王軍の軍事参謀のレイハンと内政の天才と呼ばれたショーブンのふたりの力があってこそだった。
レイハンはトカゲの魔人――。
ショーブンは髑髏が特徴的なアンデッドの魔人であった。
レイハンは軍政と軍令における天才であり、真魔王が彼を用いるとたちどころに人間の軍をことごとく破った。
ショーブンもまた天才的な行政手腕を生まれつき備えており、各地に散らばった魔王軍の残党をことごとく集め軍団を再構成し、また軍需物資を前線に滞りなく輸送することにおいてはピカイチであった。
「長かった。余はこの日をどれだけ待ち望んだことか」
「真魔王さま。決戦の日における作戦は私どもにお任せを。ただ、この一戦でニンゲンどもを残らず屠ってみせます」
トカゲの魔人レイハンはゾロッとした長い衣服の袖を揺らしながら自信満々に答えた。
「レイハンか。我は自らの力に自信はあるが過信はせぬ。消えた勇者という不確定なファクターがある限り、ほんのわずかな驕りも控えておる。だが、貴様の手腕は頼もしい限りだ。集めた真魔王軍五十万の指揮はすべて貴様に委ねる。我に勝利を捧げよ」
「は。この命に代えましても」
真魔王の言葉にレイハンは感激に打ち震え碧の瞳を輝かせ、赤い舌をチロチロ動かす。
「真魔王さま。なんとご立派になられて。爺はうれしゅうございますぞ。先代も冥府で我が君の成長を喜んでおりましょうぞ」
「ショーブンよ。いつまでも我を子ども扱いするな」
真魔王は呆れたようにふーッと息を長く吐き出した。ショーブンは先代魔王から仕える家令であり真魔王の世話係であった男だ。
「これは。爺としたことが礼を失してしまいましたな」
ショーブンがカラカラと真っ白な髑髏を揺らすと、一同に和やかな空気が流れた。
「――だが、我らがここまで再び軍勢を集められたのも、ひとえにすべておまえの力だ。みなに成り代わり感謝いたす」
巨体を折って真魔王がショーブンに対し素直に感謝の言葉を送る。たちまちショーブンはへりくだって後方に後退り、涙ながらに言葉を紡ぐ。
「真魔王さま。もったいのうお言葉でございます。爺はこの老骨に鞭打って、生ある限り輸送輜重を途切れさせることはないと、邪神に誓いますぞ」
「それでだ。レイハンよ。作戦要綱を話せ」
「は、真魔王さま。我が軍五十万は五つに分けます。ひとつは真魔王さま率いる直属軍十万。残りは、四手に分かれてまずモジャコ連合王国の首都ロムストンを東西南北四路から一斉に攻め寄せます。ニンゲンどもがロムストンに籠めている兵は三十万と増強されているとはいえど、先の戦いで跳ね返りのボーグマンが半ばを打ち倒しておりますので、所詮は寄せ集め。数は多けれども質は以前よりはるかに落ちますゆえ、十日もあれば殲滅できるかと」
「ふむ、続けよ」
「だが、万が一戦線が膠着状態になりニンゲンどもが耐えうることがあらば、島の各都市から兵が駆けつけて来ぬとも限りませぬ。そのために、真魔王さま自らが示威の意味も込めて、御自ら王都の西にあるストラトポンを踏み潰していただきたい。ここにニンゲンの兵はせいぜい二万程度。我らが魔族の恐ろしさを見せつければ、籠城するニンゲンどもの戦意をたやすく挫くことができましょうぞ」
「これ、レイハンよ。おまえがいくら軍事総督であろうと真魔王さまに指図するなどと」
「よい、ショーブンよ、我はレイハンを全軍の指揮官として任命した。作戦に我の力が必要であるのならば自ら武威を示そうぞ」
「ショーブン殿。ご心配することはありません。ストラトポンには地底の魔族どもにも援軍十万を寄越すよう同盟を締結しました。真魔王さまが正面から武威を示していただければ、そやつらが内より攻め寄せまする。まず、万が一にも心配はござりません」
「地底の魔族。さてはサザンフランネルか! あやつはタダの土竜の癖に地底魔王を名乗るおこがましいやつよ……」
「ショーブン殿。これも軍略でござる。実際は、ストラトポン近郊のゴブリンキングも眷属十万を率いて、実際は三十万余の兵を用意する予定であったが……」
「だったがどうしたというのだ」
「先日、ニンゲンどもに討たれたと聞き及んでおりまする」
「なんと……! あのドラゴンをも片手で打ち倒す剛力の猛者をだと? これは――」
「まあよい爺。心配することはない。ゴブリンや土竜程度頼みにせずとも我独りでニンゲンの軍団など平らげてくれよう。これは驕りではなく、当然の自身だと思って欲しい」
真魔王がニヤリと笑うと、レイハンをはじめとした魔族の幹部たちはその場に平伏した。
「待っていよニンゲンども。この真魔王たる我がこの世を地獄に変えてやろうぞ」
地下の奥底で真魔王の高笑いがどこまでも木霊した。




