28「プロは時間を守る」
ヴェロニカは長剣を水平に構えながらゴブリンナイトの脇を駆け抜けた。
鈍い金属音と共にゴブリンナイトの絶叫が流れる。
「どうした。あまりに遅いのであくびが出てしまう」
手にした長剣を握り直してヴェロニカは余裕の笑みを見せた。
駆け違った際に刃が深々とゴブリンナイトの脇腹を抉ったのだ。
怒りとも苦痛とも取れる雄叫びを上げながらゴブリンナイトは打ちかかって来る。
極大といえるグレートソードの一撃はまともに受ければ致命傷だ。
ヴェロニカは素早さを生かしてゴブリンナイトの攻撃を巧みにさけて距離を取った。
(浅い。もっと深く入れねば)
「愚か者が。痛みを恐れるな。敗北は死と同義ぞ!」
ゴブリンキングの叱咤を恐れるかのように、ゴブリンナイトは獰猛な吠え声と共に攻撃の苛烈さを増してゆく。
――速く、強い。
ヴェロニカはゴブリンナイトの強さを見誤りはしなかった。風車のように休みなく繰り出される攻撃はあてずっぽうではない。
経験に裏打ちされた技術のあるものだ。
ひゅんと異様な風切り音を残して頭の上を刃が通り抜けてゆく。
もはやナイトもキングもヴェロニカを生かして捕らえるということを前提に戦ってはいない。
全力だ。
全力で打ちあってそれで生き残っていたら次を考えるというやり方だった。
だが、ヴェロニカにとってはそちらのほうがよっぽど好ましかった。
美辞麗句でヴェロニカの容姿を褒め称え、汗もかかず肉体を手に入れようとする男に比べればゴブリンのほうがはるかに潔い。
顔面や、頭、腹部や首がときどきチリチリと燃えるように熱い。
これらはゴブリンナイトが剣を打ち込むと決めた場所へ強烈な殺気が叩きつけられ自然と皮膚が震えた結果だった。
ヴェロニカは平坦な地点で足を止めると真正面から唐竹割りに打ち込んで来るゴブリンナイトの一撃を迎え撃った。
「パワーで勝負か。だがこのヴェロニカ、撃剣で引いたとあってはエルフ剣士の名折れだ。存分に受けて立つ」
唇をすぼめてヴェロニカが鋭く呼気を吐き出しながら全身の気を集中させる。
剣に横溢した闘気が湯気のように刃から立ち昇り目視できるほどになった。
「はああっ」
気合一閃――。
ヴェロニカの剣は頭上から振り下ろされたゴブリンナイトのグレートソードを上方に撥ね上げると、素早く引き戻されて胴を薙いだ。
金属と肉とを切り裂く感触が手のひらに残った。
臓腑が流れ落ち滝のような血の飛沫を顔に浴びながらヴェロニカは剣を振り切った体勢で制止していた。
「見事。だが次は我の番だ」
ゴブリンナイトを討ち取ったことでヴェロニカの張り詰めた意識は一瞬だけゆるんだ。
その間隙を衝いて輿に乗っていたゴブリンキングが巨大な戦斧を引っ掴み頭上から打ち下ろして来た。
そのスピード、パワー共にヴェロニカの想定をはるかに超えていた。
回避が間に合わない。
咄嗟に長剣を水平にしてありったけの気を込めて防御に回るがゴブリンキングの一撃はヴェロニカの技術を超えていた。
ゴロゴロと地面を転がりながら巨木に身体を打ちつけた。
「ぐ――」
息が詰まって視界が真っ赤に染まる。身体の臓器すべてをシェイクされたような衝撃でヴェロニカは、一瞬、なにも考えられなくなる。
「どうした。ナイトを倒したのはまぐれだったのか」
横合いから強烈な薙ぎ払いが来た。
触れただけでヴェロニカの身体を両断しそうな斬撃だ。
痛みを気にしている暇はない。
本能的な動きでヴェロニカは身を反らした。
同時にスレスレを戦斧が通り衝撃波で再び転がされた。
ゴブリンキングの圧倒的な力に周囲のゴブリンたちが狂ったように騒ぎ出した。
「これが王たる我と貴様の実力差だ」
ドスドスと重たげな足音でゴブリンキングが距離を詰めて来る。
一歩一歩――。
急ぐでもなく悠然たるその歩調は王を自称することだけはある風格さえ漂っていた。
長剣を杖に立ち上がろうとしたところで髪を鷲掴みにされた。
ゴブリンキングの膂力は凄まじくヴェロニカは目の高さまで吊り上げられた。
「ぐうっ」
「残念だったな。我は竜などよりも遥かに強い存在なのだ。しかし見れば見るほど美しい女よ。さあ、敗北を認めよ。おとなしくするのであれば、この場で契って我が妻と認めよう。さすれば、ほかの者には指一本触れさせはしない。ああ、それとそちらのメスは好きにするがいい」
ゴブリンキングは恐怖で竦んでいたニーナを無関心に見ると告げた。これには獲物の分配がなされるとわかったゴブリンたちが喜びを全身で表しながら踊る狂う。
幹部級のホブゴブリンたちが先口だといわんばかりに、ズイと前に出る。
「は、放せ」
「ククク、メスなど所詮我らの玩弄物に過ぎぬ。分を弁えればそれなりに余禄もある。生という最低限の、な」
ゴブリンキングが空いた片方の腕でヴェロニカの胸を鷲掴みにする。愛撫というよりも感触だけを楽しむ手つきだった。
ヴェロニカが未だ闘志の炎を消さずゴブリンキングを睨みつけた瞬間、ゴブリンの群れが突如として爆発した。
「あ、悪い悪い。ちょっとばっかり遅れたが迷子は回収したぞ」
アタミだ――。
砕け散った無数のゴブリンの死骸の山を踏み越え、アタミがクリスティーンを横抱きにしながら姿を現した。
これに反応した幹部級のホブゴブリンたちが八匹ほどまとめて襲いかかる。そのどれもがキングゴブリンほどではないとはいえ二メートルを超える巨体だ。
だが、アタミが手にした鎌を左右に振るとホブゴブリンたちの胴は真っ二つに割れてあたりを血煙で覆いつくした。
クリスティーンは目を回しているのか完全に気を失っている。周囲で騒いでいたゴブリンたちはあからさまに恐怖を露にしてあたりは悲鳴や怒号で埋め尽くされた。
「って、ヴェロニカ。エライことになってるな。待ってろ、今助けてやっから」
アタミは血糊がついて切れ味をが悪くなった鎌を投げ捨てた。
「アタミさま、なぜ武器を――?」
ヴェロニカは不意に虚空に投げ出されると、ゴブリンキングが戦斧を引っ掴んでアタミの頭上から異常な速度で振り下ろした。
ごおん
と大地が揺れるほどの音が鳴って戦斧はアタミの頭部に押しつけられたまま止まった。
離れた位置からでもゴブリンキングが全身の筋肉に力を込めているのがわかった。
巨木のように太い腕に無数の太い血管が浮き上がって筋肉の瘤が膨張している。
だが、アタミの頭部は鋭い戦斧の刃が当たっているというのに微動だにしなかった。
一滴の血も流れていない。
ヴェロニカは目の前で起こっていることが現実とは思えなかった。
「貴様。我が誰だかわかっているのか! 我はゴブリンキング! 我はこの地に棲まう万余を超える軍団を率いる最強にして無敵の王だ! いいのか、我に逆らうということは地上のゴブリンすべてを相手にするということなのだぞ!」
「こっちは定時であがりてーんだよ」
瞬間、ヴェロニカは奇跡をこの目で見た。
巨大な戦斧は斜めに撥ね上げられ同時にアタミが虚空に跳躍した。
五メートルを超すゴブリンキングの王冠の上からアタミの移植ごてが打ち下ろされる。
天地を揺るがす轟音が響き渡ってゴブリンキングの頭部が丸ごと胴体にめり込んだ。
クリスティーンを横抱きにしたままアタミが着地する。
頭部が胴にめり込んだゴブリンキングの身体は激しく震えながら――。
次の瞬間、爆散した。
それを見越してはるか後方に下がっていたアタミは剣先が弾けた移植ごてを放った。
「んじゃ、帰るか」
ヴェロニカはアタミに抱き起されながら、その異常なまでの強さにますます傾倒してゆくのであった。




