19「エリクサー」
「おい、よく見たらとんでもないことになってるな。大丈夫か?」
エビルスパイダーを撃破したアタミは動かないヴェロニカに声をかけた。
地に仰向けで倒れているヴェロニカの四肢は欠損し、右眼は深く抉られている。
血とは違う液体が流れ出ていることで脳まで損傷していることが理解できた。
「右腕と左脚もないな。よし、ちょっと待ってろ」
アタミは素早くヴェロニカの切り落とされた腕と脚を拾って来ると欠損した部分の近くに置いた。
「えっと、確か、まだ残りがあったはずだけど。あった! 最後の魔王戦で結局使わなかったとっときのエリクサーだ」
アタミは腰に巻いてある巾着袋からクリスタルの瓶に詰めたエメラルドブルーに光る秘薬を取り出すとヴェロニカの口元に持ってゆく。
意識が混濁しておりもはや呼吸も止まりつつある。
自発的に飲むことは不可能だ。
「仕方ねぇな」
きゅぽんっと瓶の蓋を開けて中身を口内に含むと口移しで飲ませた。
たとえ身体が細切れになったとしても、異常な回復能力を持ってすべてを健常な状態に復元する神秘の秘薬はヴェロニカに対して劇的に作用した。
おそらくは臓器のほとんどに修復不能な傷を負っていたのだろうが、エリクサーは骨折や切り傷、毒などもまとめて回復させた。
「そんでもって手足にも、と」
アタミは綺麗に切り落とされたヴェロニカの手と足を切断面にくっつけてエリクサーを注いだ。
肉と神経がみるみるうちにくっつき傷跡も残らず再生してゆく。
奇跡の秘薬を使用して瞬きもしないうちに瀕死の状態だったヴェロニカは意識を取り戻した。
だが、これは驚くに当たらない。
日常的に凶悪な魔族と戦っていたアタミたちにしてみれば、たとえ仲間が死に類する大怪我を負ったとしても、時間をかけて治癒を行っている余裕はなかった。
反射的に高度の治癒魔術や回復薬を使用して即座に戦線へと復帰できなければ、回復中に五体を切り刻まれるシビアさが現実だった。
「ん、ここは……?」
「おう、気づいたか」
ヴェロニカは瞬間的に状況を思い起こしたのか、素早く起き上がって露出した胸をかくす仕草をした。
それから周りを見渡してエビルスパイダーの残骸である歩脚が転がっていることに驚愕し、目を大きく見開いたまま口をパクパクさせた。
「な、なぜあのX指定の魔獣が。まさか、シシンバが……?」
いいかけてヴェロニカはまったく見当違いだと悟った。
なぜなら自分が気絶したのち、この場でエビルスパイダーを倒すことができるわずかな可能性を持つのはシシンバのみであった。
だが、その張本人は未だ血塗れの状態で倒れている。
死屍累々とあちこちに転がるBC級の冒険者にその可能性はない。
となれば――。
「わずかだが、記憶がある。あれは夢ではなかったのか。まさか、あなたがエビルスパイダーを倒したのか?」
「ん、そうだ。てか、そんなことよりおまえ掃除がまだだぞ。待ってろっていったよな」
「そんなことって……掃除なんてどうでもいいだろう! ほ、本当なのか?」
「どうでもいいとかいうな、ホラ。ブラシ持って」
「身体の傷も痛みがまるで嘘のように消えている。切断された手足も」
「ん、ああ。さすがエリクサーはよく効くな」
「エリクサー! あの伝説の賢者の石を精製した奇跡の秘薬をなぜギルドの職員であるあなたが持ち合わせているというのだ!」
「え? いや、ラスボス戦まで使うかなってとっておいたんだけど、結局一発だったから使わなかったんだ」
「なんの話をしているのですか! 私の質問にきちんと答えてくださいっ」
「え、いや、怒るなよ。でも、廊下を汚したのはおまえなんだろ?」
「あの魔獣を倒して私の怪我を治してくれたのはあなたなのですか……?」
「そうだけど。それよりも掃除をだな――」
話はいつまでも平行線だった。
アタミはヴェロニカが話の通じない女なので無視してギルドに戻った。
一〇八番坑道を戻る際に、幾人もの冒険者やギルドの職員とすれ違った。
「おそらく、逃げ帰った冒険者の誰かがギルドに通報したのですね」
(コイツ。こっちが思いっきりシカトしてんのに平気で話しかけてくる。こえぇ)
アタミはヴェロニカの中に静かな狂気を感じ取り怯えた。
外套を被ったヴェロニカが当然のようにチョコチョコとアタミの背後をついて来る。
最初はぞんざいだった口調も敬語に変わっていたが気づかないふりをした。
「あのな。いつまで俺について来るんだ。どっか行けよ」
「これは……私としたことが気づきませんでした。高名なアタミさまの真の姿が愚かな世俗のニンゲンどもにバレてしまっては不都合ですよね。それではまた、あとで」
それだけいうとヴェロニカは微笑みながら素早く姿を消した。
「あととかねーから。なんなんだ、アイツは」
先端が折れてタダの棒になったデッキブラシを担ぎながらアタミは唇を尖らせた。
「ん?」
「アタミさんっ。いったいどこに行っていたんですかっ」
警報が解除されたロビーに向かうと髪を振り乱したフランセットが必死の形相で駆け寄って来た。
「いや、ちょっとだけクモの巣掃除をな」
「なにをいっているんですかッ」
フランセットは怒りと悲しみが混在した表情で睨みつけて来る。アタミはいつにない彼女の怒りに気圧され折れたデッキブラシの柄を担いだまま数歩後退した。
(ヤバ、これはめたくそ叱られるパターンだ)
白薔薇騎士団長ミモレットに毎度叱責を受けていたアタミは女性に怒られることがもはやトラウマ化していた。
「あ、え?」
だが、予想に反してフランセットは握った両の拳をスッと落とすと、わなわな肩を震わせてワッと泣きはじめた。
ほぼ同時にそれを見守っていた受付の女子職員が慰めながら、集団でジッとアタミを軽蔑した視線で睨んだ。
「そ、そんなに怒らなくても。ちょっとだけ避難所行くのが遅れただけじゃないか」
「アンタはどこまでスカポンタンなのよっ。フランセットはズーッとアタミが来ないアタミが来ないって青い顔して震えて待っていたのよっ。この子がアンタをどれだけ心配したか理解してそのセリフを吐けるっての!」
堪忍袋の緒が切れたアンジェルが火を噴きそうな口調でガーッと怒鳴った。
「う、悪い。マジで悪かった。心配かけてすまなかった」
「も、もうこれっきりかと。ホントに、ホントのホントに心配して……でも、アタミさんがご無事でよかったぁー」
それだけいうとフランセットはへなへなとその場に座り込んでしまった。警報は止まったのでギルドも日常業務を再開しはじめる。
ロビーには冒険者たちがやって来てアタミとフランセットのやり取りを物珍しいようにジロジロと見物し出した。
中には当然フランセットの熱烈なファンもいて、彼らは憎悪に染まった瞳で諸悪の根源たるアタミを射殺さんばかりに睨む。
「お、おいっ? 立てないのか」
「すみません、安心したら腰が抜けちゃって」
「わーるかったよフランセット。いやマジで」
「わかってくださいました?」
「今後は出かけるときは行き先をいってからにするよ」
「ホントにそうしてくださいよ」
「子供か」
アンジェルのツッコミが耳に痛いアタミであった。




