視覚と思覚
ぼくは斜め前方に転がると、熊とのすれ違いざま、完璧な角度、力、速度で相手の腹部を突き刺そうとした。
さきほど、熊の毛皮はギレアドの一撃を防いだが、この突きが刺さらないはずはない。熊の質量とぼくの質量すべてが、剣の先端に集中するのだ。
ところが、熊はひょいと身体を傾け、簡単にかわした。
どんな反射神経だ。
熊は雪煙をあげながら急停止すると、二本の前足で次々と斬撃を繰り出してきた。
熊の腕の太さは、巨人のぼくの三倍はある。
おまけにぼくの装甲は、アリシャがゴミ捨て場で回収したものだ。爪がかすっただけでも致命傷になりかねない。
腹を狙ってくる右フックをかわし、目を狙ってくる左腕をかわし、肩への噛みつきをかわす。
ぼくの巨人脳はフル回転していた。
熊の身体の動きを観察し、腕の軌道を予測して、回避行動をとる。
熊の攻撃は、驚異的なスピードとパワーだが、ボクシングでいう〝テレフォンパンチ〟なのだ。腕が動く前に肩の筋肉が盛り上がるし、そのさらに前に胸筋が動いている。動作の〝おこり〟が丸見えなので、ぼくは熊の手が伸びてくる前に、かわし始めている。
こいつは恐るべき生物だが、どうやら、ぼくの方が、わずかに上だ。
あとは、的確なタイミングで反撃するだけだ。
ぼくは熊の左胸部分の毛並みが動くのを確認した。
次は左のフックが来る。
頭を下げると、いまさきほどまで頭があった空間を、死の一撃が通り過ぎる。
ぼくは隙だらけの熊の脇腹目掛け、相手の死角から剣を突き出した。
が、熊は身体を捻ると、この突きもかわした。
ぼくは目をむいた。
いま、熊の左足の太ももは〝ぼくが突きの動作〟に入る前に、回避行動の〝おこり〟を見せた。
ぼくはまだどの筋肉も動かしていなかったのに、熊は、回避行動に入っていたことになる。
そんなバカな。
熊は未来を読んでいるとでもいうのか。
熊の攻撃をぼくがかわし、ぼくの攻撃を熊がかわす。
超人的な応酬が幾度となく繰り返される。
ギレアドが「な、なんなんだ?」とつぶやくのが聞こえた。
熊が雪原に爪を立て、大量の雪を巻き上げた。
目隠しか?
ぼくは横っ飛びに飛んで、視界を確保した。
ぼくのなかでリガが悲鳴をあげる。
コクピットは柔らかな肉に包まれており、信じがたいレベルで衝撃を吸収するが、さすがに限界を超えたらしい。ハーネスがなければ、リガは座席から放り出されていたろう。
彼女はとっさに、それまでの片手ではなく、両腕で操縦桿を握った。
「ごめんなさい!」といって、すぐに放す。
一瞬だが、彼女と精神が完全同化したために、ぼくの思考が乱れた。ぼくはバランスを崩し、雪原に片膝をついた。
とんでもない隙をつくってしまった!
いますぐリガに握り直させるか!? ぼくは思った。一体化すれば、判断力、身体操作力はさらに向上し、攻撃をかわせるはずだ。
だが、それをすれば、病み上がりのリガの脳にまた負担をかけることになる。リガがどれほど持つかもわからない。
ぼくが逡巡したことで、熊にとってのチャンスはさらに広がったが、不思議なことに相手は攻撃を手控えた。
それどころか、ぼくとの間合いを広げている。
どういうことだ? ぼくが膝をついたことに何か意味を感じたのか?
いや、違う。巨人脳が推測した。やつが感じたのは、一体化による、ぼくの思考の乱れだ。
ギレアドがいっていた。
〝熊は獲物の思念を感知する〟
熊が、視覚や聴覚のような「思覚」を備えているなら、目の前の敵が、一瞬、別の存在に変わったように感じたろう。
そう、思覚なのだ。ぼくはようやく気づいた。熊のこの異常な回避力は未来予知ではない。思覚の産物だ。
相手の思考が見えるなら、ぼくが筋肉の〝おこり〟を捉えるように、思考の〝おこり〟を感知できるだろう。
ぼくの視覚と熊の思覚が釣り合っていることで、この奇妙な膠着が生まれているのだ。




