母艦発進巨人風呂
浴場はぼくが地球で入ってきたものと大差なかった。
洗い場はタイルばりで、湯船は鈍い色の金属。湯は微かに黄色みを帯びている。湯気からは嗅ぎ慣れた匂いが漂っている。
〝このお湯って〟と、彼女。
ぼくは同意の念をおくった。
〝ああ、巨人用の再生液だ〟
この共同浴場が格納庫と隣接しているのは、湯を再利用するためなのだろう。
先に入るのはどちからだろうか。
巨人か、人か。
リガが積まれていた桶を手にした。
〝これはなんでしょう?〟
〝桶だよ。まず、それを持って洗い台に行くんだ。後ろにある蛇口が並んだやつだ〟
リガはぼくの指示に従って、置かれていた石鹸を使って頭、胸、腰、足と順番に洗っていった。
石鹸の洗浄力はたいしたもので、リガの体についていた垢が一挙に落ちた。リガは白い二の腕を鼻にくっつけ、〝すべすべだし、いい匂いがします〟と驚いた。
泡を完全に洗い流したら、足先から湯船に浸かる。
リガが深いため息をついた。
そして、ぼくも彼女と同じ気分を味わっていた。
といっても、精神感応で彼女と感覚を共有したわけではない。
ぼくの巨人の肉体もまた、湯に浸かっていたのだ。
リガが格納庫から連れ出されたあと、整備士の〝先生〟は助手十人と共にぼくをざっと洗うと、空だった再生槽を温かな再生液で埋めた。
ぼくは全身の筋肉がほぐれていくのを感じた。
再生槽を囲む通路の上で、〝先生〟がいった。
「お前、いったい、どんな身体の使われ方をしてきたんだ? どうやったら、ここまで筋肉が傷むんだ?」
思い当たる節はある。
ぼくはただ自意識通りに動ける巨人というだけではない。巨人脳の処理能力を使うことで、ぼくが人間だったころを遥かに超える挙動を行った。
当然、身体にかかった負荷も大きくなる。
先生が頭をかく。
「しかし、治りも早いな。お前さん、本当になんなんだ?」
それはぼくが聞きたい。
日本の製薬会社に勤めるただのサラリーマンだったのに、気づいたらいきなり巨人に宿っていたのだ。
つくづく意味がわからない。
ぼくは事故か何かで死んで、魂のようなものだけが時間を超えて、この世界に降り立ったのか?
しかし、宿るならせめて人間だろう。
なんで、巨人なんだ?
身体を休めているせいか、巨人脳はいつにも増してよく回る。
もし、ぼくが死んだなら、ぼくの家族はどうなったのだろうか。父さんは、母さんは。それに二人の妹たち。
もし、ここが何万年も先の未来だというなら、当然、全員、はるか昔に亡くなっているだろう。
もう二度と家族に会えない。
その事実がずっしりと心にのしかかる。
ぼくは泣いていた。
いや、泣いているのはぼくではない。
リガだ。
誰もいない風呂場のなかで涙を流している。
ぼくが引っ張ったのか、それともぼくが彼女に引っ張られたのか。
水面を、落ちた涙の水滴が叩いた。
波紋が広がっていく。
ふいに、母艦が揺れた。
微かに聞こえていたエンジンの駆動音が大きさを増す。
リガのいる浴室の窓の外で、雪山の山肌が左から右へと動いていく。
母艦が発進したのだ。
リガが目をつむった。
めいっぱい息を吸って湯に頭まで浸かる。
そして、ゲホゲホむせながら立ち上がる。
彼女が人生において湯に頭をつけるのは、これが初めてだったのだ。
じっさい、この極寒の世界において「泳ぎ方」ほど不要なものはないだろう。
リガが涙をぬぐった。
〝わたし、なんなんでしょうか。姉さんの仇もとれないまま、その仇に湯に浸からせてもらうだなんて〟
〝それはぼくも同じだ〟
恩人の仇の部下に、身体を手入れしてもらっているとは。
リガが自分の後頭部に触れた。
少しだけ皮膚が盛り上がって感じられる。
人造生命の〝枷〟が張り付いているのだ。
〝ヤズデギルドが念じたら、わたしは本当に死ぬのでしょうか?〟
〝たぶんね。はったりじゃないからこそ、君をこうして一人きりにもできるんだと思う〟
〝では、人が念じるには、どれくらいの時間がかかるのでしょうか?〟
〝0.1秒、つまり、瞬き一回分くらいだよ〟
リガが右手を握りしめた。
〝では、現状、わたしが生身で彼女を討つのは難しそうですね。信用を得て〝枷〟が外されるのを待つか、枷を無効にする方法を自力で見つけるほかありませんね〟
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リガは風呂からあがるとタオルで身体を拭き、兵士ウルから支給された服を広げた。
肌着、パンツ、シャツ、ジャケット、軍団マーク入りの防寒コート。すべて真っ白だ。
帝国式のボタンに四苦八苦しながらとめる。
兵士ウルがリガを見て、目を丸くした。
たしかに、リガはちゃんとした格好をすれば、たいそうな美少女だ。
「じゃ、団長室に行くよ」
「ヤズデギルドさんのところに?」
「これから食事時だからね。君が毒見係なんだろう?」




