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「君達が来ることは、ネイブから聞いていた。どうぞ……ゆっくり滞在してくれ」
「ありがとうございます」
マドレアはフリルがふんだんに使われたバルーンスカートの裾を持ち上げ、優雅にお辞儀した。ルビーも彼女の後ろでそれに倣った。
ベッドに横たえたままの老人は苦しげに咳をする。
視線をあげたルビーと、老人の目が重なる。彼の双眸は、後悔や優しさをない交ぜにして潤んでいた。
老人の寝室から出るやいなや、マドレアは上機嫌でクルッとその場でターンした。ふんわりとスカートが揺らめく。もっと足が引き締まっていさえすれば、鱗粉を放つ妖精のように煌めいて見えたことだろう。
マドレアは豚鼻をふくらませ、夢見心地に顔を綻ばせた。
「あたし調理場に潜入してくるわ。公爵家の調理場だもの。きっと珍しいお菓子があるはず! あたし、クリスマスにここへ来た時食べた、マフィンが忘れられなかったのよねぇ。と、いうことで。ネイブ、ルビーを頼んだわ」
「うん、わかった」
ネイブが頷いた拍子に、金のウェーブがかった髪がなめらかに流れた。深海色した大きな瞳が微笑することによって細まる。
「んじゃ、よろしくねー」
マドレアはすたこらとその場から立ち去った。
「……何が、『と、いうことで』よ」
ルビーはプラチナブロンドの短い髪を掻き混ぜる。彼女は、いきなり過ぎるマドレアの行動に、辟易していた。
招待状をもらったからカーティス公爵家へ遊びに行く。だからルビーも着いて来いとマドレアは言い出した。
結局、いつもどおり他人の意見など聞く耳持たずなマドレアに馬車へ押し込まれ、ここまで来たのだった。
大学の単位は平気かと聞きたくなったが、足りないと言われたところでルビーにはどうにもしてやれないため敢えて聞かなかった。
「ルビー、薔薇園に行こうよ」
ルビーのスカートをネイブが引っ張ってくる。
「ええ。そうね」
二人は薔薇園に向かって歩き出した。
「お久しぶり、ネイブ」
「うん! ねえルビー。ボク、十二歳になったんだよ」
「そっか……もうあれから二年経つものね」
「へへ。背だってもうすぐルビーを追い越しちゃう」
「まあ……」
ルビーが笑うと、ネイブは嬉しそうに口角を持ち上げた。頬を薔薇色に上気させて微笑するさまは、彫刻か何かのように作り物めいている。きっと、社交界でも噂の的だろう。
――カーティス公爵の次期跡継ぎは天使のように愛らしく、画家が描いたように色鮮やかな金髪青目と抜けるような肌を持ち、一流の彫刻家が作ったように繊細で整った面持ちをしている、と。
「ああ。ブラウ坊ちゃん! そんなはしゃいではお体に障ります」
年老いた使用人が杖をついてこちらに向かってくる。
ネイブは盛大に顔をしかめてみせた。
「じいや、ボクはブラウじゃない。ネイブだよ」
「はて……?」
老人は首を傾げながら、よろよろと通り過ぎていく。
ネイブはルビーの耳に囁いた。
「あのひと、すぐボクと兄を間違えるんだ」
年老いた使用人の気持ちが、ルビーにはわからなくもなかった。
ネイブは生き写しのように、ブラウと似ている。その目の色がもう少し明度が高ければ、まるっきり同じ人物に見えただろう。
そうこうしているうちに、薔薇園へ到着した。
景観は最高だ。艶のある薔薇の葉が真昼の強い陽射しを受けながらもしっかりと色を放っている。アイビーを這わせたアーチをくぐれば、真白い薔薇がいっせいにルビー達を出迎えてくれる。見事としか言えない造園である。最近は自分も薔薇園の手入れを手伝っているのだとネイブは少しだけ自慢げに言った。
グレイスとの一件以来、落ち窪んでいた気分が少しだけ浮上する。
ネイブは表情を崩した。
「良かった。やっと、ルビーの顔が柔らかくなった」
「あ、私……そんな怖い顔してた?」
「悲しそうな顔をしてた」
「そっか。あ、この度は招待して頂いてありがとうございます」
ルビーはネイブに対してちゃんとお礼を言っていなかったことを思い出し、丁寧にお辞儀した。ネイブは首を横に振った。
「ううん。……ボクは口裏を合わせただけだから」
え、とルビーは目を丸くした。ネイブは悪戯な光を宿した青い瞳を瞬かせた。
「昨日、いきなりグラン家から手紙が届いたんだ。グラン家に招待状を送ったことにしてくれって。……マドレアからね」
「マドレアが? でも、あの子……カーティス公爵から招待状が届いたって……」
「招待状なんて、送ってないよ。ルビーが落ち込んでいるから、どうにかしたいって、マドレアは考えたみたい。思い出深いこの館に来れば、ちょっとは元気になると思ったんじゃないかな。まったく、ボクが断ったらどうするつもりだったのか」
ネイブは苦笑し、金色の毛先をもてあそぶ。
「そっか……」
ルビーは薔薇園の中にある茶色いベンチへ腰かけた。湖の涼しさを内包した風がルビーの額にかかる前髪をあおる。
「――――何があったかは聞かないよ」
横を見れば、酷く純粋な目とぶつかった。彼の双眸には心配や気遣いの心しか浮かんでいない。
「ありがとう」
「ううん。ルビーの苦しみが一秒でも早くなくなりますように」
少しだけかすれた声で、ネイブは言った。彼のまとう雰囲気がルビーの心を慰めてくれる。
胸の奥は葛藤と戸惑いで満たされている。ルビーは混乱していた。
自分がどうしたいのかわからなかった。グレイスを許したいのか、既に許しているのかさえわからない。
「…………」
そんな彼女の横に、日がとっぷり暮れるまで、ネイブは黙ったまま寄り添ってくれていた。彼の瞳には白い薔薇達が映り込み、ステンドグラスから洩れる光のように神聖な輝きが、宿っていた。




