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「……うーん」
ルビーは大きな館の前を、腕を組んで行ったり来たりしていた。彼女の眉間には深い皺が寄っている。
入りづらい。いや、むしろ入れない。
幼い頃の記憶を手繰ってみても、ここまで豪勢な館に住んでいた覚えはさらさらない。
(どれだけの財力を持っているっているのよ。ワエブ伯は)
心の中で悪態を吐きつつ、ツタの這った黒い格子越しに中を覗いた。
館の周りには、鬱陶しいくらいの薔薇達が植えられている。ルビーが育てている小さな薔薇など比較にもならないくらい、館を彩る薔薇達は華美で煌びやかだ。
瑞々しさよりも、豪華さを全面に押し出した、大輪の薔薇――。
ルビーがいつもグレイスからもらっていた薔薇の花束とは違う、人工的な改良種。
「綺麗でしょう?」
後ろから声をかけられ、ルビーは肩を跳ね上げた。
振り返ると、そこにはニコニコと笑顔を浮かべた美少女が佇んでいた。黒いエプロンドレスを着た少女が抱えている紙袋の中には、零れんばかりの果物が入っている。
「あ……はい」
ルビーは、館を覗いていたところを少女に目撃されたことがたまらなく恥ずかしくて、俯き加減で答えた。
ふふっと少女は笑みを零す。
「伯爵のご子息様が開発した薔薇なんですよ」
「そう……なんですね」
「はいっ。若旦那様は素晴らしいですわ。この町で近頃、彼が開発した新種の薔薇が流行しているんでしょ? わたくし、誇らしくてたまらないわっ」
頬に手を当てて夢見る瞳を輝かせる少女を前にして、ルビーはウッと後ずさる。
若旦那様、という言葉を発したのだから、彼女はきっとワエブ伯のところの使用人だ。
ルビーは本来の目的を思い出し、意を決して少女に尋ねる。
「グレイス……いえ、若旦那様は今どちらに?」
「え? 多分、研究室にいらっしゃいますわ」
「連――――」
……連れて行って。そう喉元まで言葉が出かけたが、寸でのところで言葉を呑み込む。この少女に言ったところで、不審がられるのがオチだ。
グレイスの友人なんです。
そう言えば、まだ会わせてもらえる余地はあるだろうか。しかし、その一言が、今のルビーには絞り出せない。はたしてグレイスは、今もルビーのことを友達と思ってくれているのだろうか。あんな露骨に話すことさえ拒絶したルビーを。
ルビーはここまで来て、尻込みした。自然、足が後ろへ下がる。
そんなルビーを見て、「ああ」と使用人の少女は手を打った。その拍子に紙袋から果物が飛び出る。彼女は慌ててそれを拾いつつ、ルビーに頷いてみせた。
「ああ、若旦那様のお知り合いですか?」
「は?」
「そうなんでしょ? いいですわ。若旦那様に言伝でもありまして?」
「ちょ……っ」
使用人はウインクして、コソリと囁く。
「あなたもグレイス様のファンなんでしょう? 言伝なら、ちゃんと届けますから」
どうやら、少女は勘違いしているようだった。しかし、言伝を届けてくれるというのならありがたい。
「じゃあ……お願いしようかしら。『最近、忙しくてきちんと話せなくてごめんなさい』と――」
「えっ……もしかして、あなた……」
パッと使用人の顔が華やぐ。彼女は戸惑うルビーの手を握ると、勢い込んで館へ続く門戸を押した。
「わたくし、若旦那様を呼んで参ります! 少々お待ちを!」
「……は、はあ……?」
果物が紙袋から飛び出すのを気にも止めず、美少女は館内へ駆けて行ってしまった。
一人、ぽつねんと取り残されたルビーは、手持無沙汰で整然と植えられた薔薇を見つめる。夕焼けに沈む美しい赤い薔薇。その中に一輪、淡い色の薔薇があった。くすんだ色のそれは、何故かルビー自身を思わせる。咲き誇る周囲に置いて行かれた、旬を過ぎた薔薇は何ともみすぼらしい。
なんだか、そわそわしてきた。この館で働く者すべてが、自分を見て嘲笑しているような気がしてくる。自意識過剰だと自分に言い聞かせてみるも、足音が聞こえる度にルビーはびくりと身を竦ませた。
「ルビー!」
数分後、聞き慣れた低い声が響いた。
黒髪を乱して駆けてきたグレイスは、ルビーのところに辿り着くなり、腰を曲げて膝に手をやった。彼の肩が大きく上下する。
長い前髪の隙間から見え隠れする目もとは、とても暗かった。寝不足気味なのか、くっきりと青黒いクマをこしらえている。
「あ……お久しぶり」
それしか言葉が出てこなかった。
「……久しぶり」
館の扉付近に、満足顔で微笑む使用人の少女がいた。
「取り敢えず、紅茶でも淹れるから……中へ」
彼からの申し出を断るのは、気が引けた。
館から入り口までは結構な距離がある。豪奢な庭を一直線に突っ切ったって、数十分はかかるに違いない。
取り澄ました服装をした彼の姿はない。
ただ、よれた白シャツをだらしなく着て、黒いズボンをブーツに押し込んだ――どこにでもいそうな青年の姿があった。
はあ、とグレイスは髪を掻き上げた。彼のこめかみに汗が光る。
「……ええ……」
ルビーは首肯した。




