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すみません!月曜ですが……フライングで投稿します;
「グレイ…………どこまでも邪魔する気か」
氷のようにひんやりとしたブルーローズの声がルビーの耳に響いた。
グレイは眼光を鋭くさせてルビーを自分の背中へ回す。
「……ルビーは、現実に帰す」
「彼女は、はっきりと帰りたいなんて言ってない」
「ここにいたいとも言っていない」
二人の応酬は静かだった。しかし、傍から聞いているルビーとしては恐ろしいことこの上なかった。
ブルーローズの顔に怒りが滲む。
部屋中のものが浮き上がった。彼の金髪も逆立つ。
ポルターガイストだ。ルビーは表情が引き攣った。初めての体験だった。まさか、こうしてポルターガイストが起こっている現場に居合わせることになろうとは、露程も思っていなかった。
花瓶も、ルビーのバッグも、何もかもが巻き上がる。
グレイは強くルビーの肩を抱いた。ルビーがグレイの顔を見ると、彼は苦しげに眉根を寄せてブルーローズを見ていた。
「やめ……」
ごほっとグレイは咳込む。荒い呼吸音を立てて彼は口を押さえた。ルビーは彼の背中をさすった。
「……ルビーのためだった」
ブルーローズは言った。あまり感情を含ませない声が空恐ろしい。
ポルターガイストの音がうるさいにも関わらず、ブルーローズの声は、はっきりとルビーの耳に届く。
「辛い現実に返すくらいなら、ここにとどめた方がいいと思ったんだ」
「つらい、現実……?」
ブルーローズはルビーの呟きを拾い、頷いた。
「キミはボロボロに傷付いてここへやって来た。まだ、ここに来たことを偶然だと思っているの?」
「……偶然じゃないんだったら、何だって言うのよ」
情けなく震える喉を押さえてルビーはブルーローズを睨み上げる。
ブルーローズは儚げに笑んだ。
「キミがこの場所を呼び寄せた。自分の存在出来る居場所を強く望んだから」
ルビーの眼孔が開く。
「……耳を貸すな」
グレイはルビーに言う。
しかし、グレイの発言を遮ってブルーローズは言い紡ぐ。
「ルビー、キミは十分頑張った」
思いやりの言葉。
真っ直ぐ過ぎる想いは誰も理解出来ないかもしれないが、ルビーには伝わってきた。
ブルーローズは心からルビーを案じてくれている。痛いくらいの気持ちは時として狂気を生むけれど。
「もういいんだ。誰もキミを責めやしない。ここでボクとグレイと三人で穏やかに暮らそう」
その潔い程に突きぬけた――屈折しているようで真っ直ぐな想いに、ルビーの心は揺れた。
捻くれた自分に、ブルーローズの言葉はよく届く。思えば、ここへ来た時からそうだった。彼の言葉は何故かルビーの頑なな心の扉を開かせる。
ブルーローズが近づいてきて、彼の手がルビーに伸びた。
瞬時にグレイはその手を払った。
「やめよう、ブラウ。こんなの……間違ってる」
グレイは言うが、ブルーローズは一旦引っ込めた手を握りしめ、空間に浮いているものをグレイへ向けて放った。
(…………ブラウ…………?)
ルビーはグレイが言った、ブラウという単語に引っ掛かりを覚える。
記憶を霞める笑顔。
野原を駆けるルビーを木の下で読書をしながら見守っている人影が脳裏に浮かんだ。
『ルビーを見てると、ボクも風を切って走ってる気分がして嬉しくなるよ』
『まあ、本当っ? だったら、もっと走って来るわ。あの湖まで行って、しろつめ草を摘んでくるから、ちょっと待っていて』
『ああ、そんなに急いで転ばないでね』
(これは――……)
ズキズキとこめかみが締めつけられる。胸が圧迫されて、苦しくなる。
『ひっく……どうして? 私、青い薔薇はあると思ってたのに』
『大丈夫。この白い薔薇を絵の具で青く塗ってしまおう。そしたら、ここは一面の青薔薇園だ』
ルビーは呼吸を忘れて自分の記憶の海を泳いでいた。頭が酷く痛む。
「ルビーっ」
はっと我に返ると、飛んできたイスにぶつかるところだった。直前にグレイが手を引っ張って避けてくれたので難を逃れることが出来たが、非常に危ないところだった。ルビーは冷や汗を浮かべた。
「ボーっとするな!」
グレイは声を荒げた。焦燥感を滲ませた顔で怒られたルビーは頭を下げる。
「ご、ごめん」
「…………行くぞ」
グレイは毒の回った体を押して、足許に落ちた枕をブルーローズに投げつけた。
ブルーローズが怯んだ隙をついて、グレイはルビーを窓から外へ押し出して自分もその後に続く。
二人は走った。
走りながらも、ルビーはまだ記憶の海から逃れられないでいた。
寄せては引いて行く、もどかしい記憶達がルビーの頭の中を縦横無尽に蠢く。
ちりん、ちりん、と規則正しく鳴る鈴の音がまた、ルビーを過去に捕らえて離さない。
『私、もうここには来られない』
『え……どうして?』
『家にね、知らない人達がいっぱい来て、私達のもの全部持って行っちゃって。今度お引っ越しするの。そしたら、こうして遊びに来られないってお父さまが言ってた』
『そんな』
ルビー達の眼前には果てなく続く青薔薇の花園が広がっており、全てが圧巻の薔薇に覆われている。風に舞う青い花弁は大きな満月に照らされていた。
嫌でも目に映り込んでくる青薔薇の花弁とともに、段々ルビーの記憶が蘇って行く。
物言わぬ美しいだけのはずである薔薇は、棘をルビー達へ向けて襲いかかって来る。一つ一つに、ブルーローズの意志が宿っているのだろう。
襲いかかってくる薔薇をバタフライナイフで払いながら、グレイは懸命に血路を開く。しかし、一向に薔薇園の果ては見えない。
「グレイ」
ルビーは前を行くグレイを呼び掛ける。
グレイは何も言わない。しかし、彼がルビーの次の言葉を待っていることはその雰囲気からわかる。
「どうして……さっき、ブルーのことをブラウって呼んだの?」
「それが彼の本名だから」
グレイは答えた。
どっと、ルビーの目に、いつか見た風景が流れ込んでくる。
『ルビー、お姫さまみたい』
『あなたは王子さまみたいだわ』
色彩鮮やかな過去の断片が頭を回る。
『ボク……ボク、絶対キミを迎えに行くから。だから、それまで挫けず頑張って』
『ええ、任せて! 私、物語の主人公みたいに優しくて心の綺麗な女の子になるから、迎えに来て』
『…………うん』
『あ、お父さまが呼んでる。もう行かなくちゃ』
『ルビー!』
『どうしたの?』
『すぐに助けてあげられなくて……ごめん』
『いいのよ! 待つこともロマンチックだわ』
『キミは、今でも十分優しい。出来ることなら、ボクにそれだけの力があったら、今この場からキミを救ってあげるのに』
『ブラウ……。私、待ってるわ。ずっと、ずっと、待ってるわ』
ルビーの足が止まる。
静止したルビーの足に、薔薇の蔦は絡みついてきた。棘がルビーの素足を傷つける。しかし、ルビーは何も感じなかった。
「……っ。何をしてるんだ……走れ」
グレイは咎めの声を上げた。ルビーは自らの記憶に戸惑い、その場から一歩も動けない。
苦しげに息をしながら、グレイはルビーの手を引く。
「待って、グレイ。私……ブルーに聞きたいことが……」
「何を言ってる。お前には一刻の猶予も残されてないんだぞ。ブルーはお前を見つけたらすぐに殺す気だ」
ルビーは緩く首を振った。
――違う。ブルーローズはルビーを殺さない。
妙な確信がルビーの心に宿る。
ルビーの導き出した答えが正しいならば、ブルーローズはそんなことを出来るような人間ではない。
ルビーは肩を揺さぶってくるグレイをなだめ、ブルーローズが現れるのを待った。
すぐに、ブルーローズは瞳を揺らして現れた。彼は悲壮感を湛えた目でルビーを見る。青い薔薇はブルーローズによく似合っている。
「あなた、もしかして――ブラウ=カーティス?」
ルビーの言葉にブルーローズの目が見開いた。
グレイもひゅっと息を呑んだ。
二人の様子に、ルビーは自分が口にしたことが真実なのだと確信を持った。
ルビーを拘束していた薔薇の蔦が力なく離れる。それは意志を失って、普通の薔薇として地面に滑り落ちた。
ルビーはブルーローズの方へ一歩踏み出した。反対にブルーローズは一歩後退する。
「カーティス伯爵家のブラウでしょ?」




