ティアラ 2
――何でこんなことになったのだろう。
ティアラは窓から射しこんでくる陽ざしをぼんやりと見つめた。ブルームと婚約を解消してから3か月になる。心配した両親と兄によってすぐに領地に送られ幼い頃療養していた屋敷で過ごしている。
慣れ親しんだ使用人たちは皆「ゆっくりお休みください」と傷ついたティアラを労わってくれ、両親や彼らに甘えてゆっくりと心の傷を癒している。けれども、時折悪夢のように鮮やかによみがえる王妃やブルームの「ティアラが悪い」と冷たく詰る声に無性に泣きたくなる。
「私はがんばっていたわ。それなのに、裏切ったのはブルームじゃない!」
ある日、ブルームは「いつも私を支えてくれる頼もしい友人なんだ。ティアラも困った時には頼るといい」とチヘル・フェイド伯爵令嬢を連れてきた。チヘルは最初こそは大人しくしていたが、だんだんとティアラに見せつけるようにブルームに媚びはじめた。
しかし、ティアラがいくらチヘルを注意しても「彼女は私の側近だ。妙な疑りはやめてくれ」とブルームは顔をしかめるばかりで。しまいには、王妃教育が進んでいないと顔を会わせるたびに詰り「休憩するための理由に使われたくないから」とティアラを避けるようになった。
そんなブルームの態度を見た生徒たちもティアラを蔑むようになり、焦ったティアラは元凶のチヘルと話しあおうとした。しかし、狡猾なチヘルはわざと階段から飛び降りてティアラに責任をなすりつけた。怒り狂ったブルームは長年の婚約者である自分よりも嘘つき女を庇い、口汚く罵って婚約破棄を突きつけてきたのだ。
あの時の怒りと悔しさがこみ上げてきて震えるとノックの音が聞こえた。と、返事も待たずにドアが開き、慌てたメイドの制止の声を振り切ってプラチナブロンドの髪をした青年が入って来た。紫色の瞳にティアラを映すと呆れたように肩をすくめる。
「また部屋に引きこもっているのか。ごろごろしていると太るぞ」
「余計なお世話よっ!! それより、勝手に入って来ないでって言っているでしょ!」
「はいはい、気をつけるよ。……そんなことより、王都から新しい知らせがきたぞ。聞きたいか?」
ひょうひょうと言ってのける乱入者――父方のいとこで幼なじみのソレイユ・ディケル侯爵令息をにらみつけたが無駄だと悟り、せめてもの抵抗でツンと顎をそらして尋ねた。
「いいわ、ちょうど退屈しているし聞いてあげる」
「王太子が突然眠ったまま起きないらしい。父上曰く、先の騒動のこともあるから、このまま病を得たことにして廃嫡になるかもしれないらしい」
「……そう。まあ、ざまあみろってところかしら」
ブルームへの愛はツタのように腕をからませたチヘルを「私の王太子妃」と愛おしそうに呼んだ彼に婚約破棄された時に砕け散った。それでも長い時間を共に過ごした彼にすべてを否定された傷はじくじくと痛む。
こみ上げてくる苦い思いを押し殺すようにそっと唇を噛みしめると、ソレイユが口元をゆるめる。
「あの甘えんぼうで泣き虫のティアラが、誰もが恐れるあの王妃様の下で2回も王太子妃教育をこなしたなんてな。見直したよ」
「何よ、記憶があるなんて信じるの?」
「ああ、もちろん。ティアラは正直だからな」
一番荒れていた頃にうっかり口をすべらせただけなのに。自分をあっさりと信じるソレイユにぼろぼろの心がじんと熱くなる。それにつられるようにずっと心を捕らえ続けている呪いの言葉が滑り落ちる。
「……私、がんばったわ。1回目と同じようにしていた。それなのに何で失敗しちゃったんだろう」
――健康な身体を手に入れて、今度こそ愛するブルームとともに生きる。
人生をやり直したティアラはそう望んでいて、幸せだった1度目と同じ未来になるように努力した。でも、王太子妃になるための努力は否定され、愛するブルームには裏切られ、自分の将来も壊してしまった。
――なぜこうなったのだろう。
それがわからないと先に進めない。
「そうだな。これはあくまで俺の想像だけど、言ってもいいか?」
「……うん」
「夢を叶えようとがんばりすぎたのかもな」
「え?」
目をしばたたかせるとソレイユは生真面目な顔で続けた。
「ティアラは身体の調子が良くなってから、急にデビュタントを迎えたご令嬢みたいにしっかり者になって驚いた。その後も努力していて俺はすごいと思っているよ。
でも、いつからか『王太子妃になるため』だって言いだしてからは、王太子や王妃様の期待に応えようとして無理をして苦しんでいるように見えた。
……それは、自分が心から幸せだと思った前の人生とは違うんじゃないか」
ソレイユの淡々とした、けれどもどこか悲し気な声がティアラの心の澱を溶かしていく。
(そうだわ。私、ちっとも楽しくなかった……)
前の人生は初恋を叶えるために、厳しい王太子妃教育も進んで身に着けた。
今回は違う。自分を見るブルームの目からはだんだんと熱が冷めていき、それを認めたくなくて必死に彼に認められようとして。いつからか”彼が自慢する立派な王太子妃になることが、彼に愛されることなのだ”と思いこんで、執着していた。
でも、どんなに頑張っても認められないことに怒って王太子妃教育をやめて、自分の手でブルームとの関係を壊してしまった。
「……そう。私が幸せを捨てたのね」
「違う。ティアラはあいつのためにがんばった。ここで一緒に育った俺は信じる。ティアラ・エヴェニース公爵令嬢はこのロンハート国一番の淑女だ」
(そうだ。私、そう言ってほしかったんだ……)
幼い頃から寝込む自分を見舞って励ましてくれたソレイユの温かい言葉にやっと本当の願いを思い出して、ひび割れた心が震える。
涙がこぼれるとソレイユが無言でハンカチを差し出し、それを受け取ったティアラは幼い頃のように声を上げて泣いた。
――叶わなかった幸せの残骸をすべて捨てるために。
それからしばらくしてティアラはソレイユと婚約した。
ずけずけと物を言うソレイユとは時にはケンカになることもあったけれど、それもまた楽しいとティアラ新しい幸せを見つけた。




