第91話 赤ちゃんの名前
漢字一文字の名前は、けっこうたくさんあるもんだ。海と関係をなくせば、意外と出てくる。
たっくさんの例を紙に書き、夕飯が終わってからパパに見せた。
「出し過ぎ、出し過ぎ。もう、わけわかんないよ、パパは」
パパは全部に目を通してから、頭をボリボリ掻いてそう言った。
「海でいいじゃん。うみちゃん。うみくん。可愛いし」
パパ。なんていい加減なんだ。
「え~~~。私は雫がいいと思う。女の子なら、唯ちゃんとか、鈴ちゃんも可愛いな~~。響きが可愛くない?」
私がそう言うと、ママは、
「私はユキちゃん」
と言いだした。
相当、ハイジの山羊が気になるようだ。
「俺は、やっぱ、かっこいい名前がいいな」
「まずは、女の子だったらって考えようよ、碧」
「呼び方が可愛いのならなんでもOK。ユキちゃん、ユイちゃん、すずちゃん、いいんじゃない?」
「やっぱり、呼び方も二文字がいいのかな」
ママがそう言った。
「じゃ、男の子なら?」
私がそう聞くと、碧は、
「凛とかかっこよくない?航も捨てがたい。榎本凛、榎本航。響きは榎本凛だな~~」
と宙をみながらうんうんと頷いた。
「かっこいいね。じゃ、榎本マリンは?」
パパがそう碧に聞くと、
「却下。どうも、外人ぽくて嫌」
と、そう言ってしまった。
「ああ、そう~~」
パパが拗ねた。
「ママだったら、男の子、なんて言う名前がいい?」
「ママはね。颯君とか、かっこいいな。聖君はかな三文字だから、読み方はかな三文字もいいなって思うんだ」
「はやて、かっこいいね。榎本颯」
私がそう言うと、
「榎本ってやっぱ、なんでもあう名前だと思わない?ね?碧」
と、パパが碧に聞いた。
「榎本瑛とか、変」
碧、さっきから、パパの言うこと否定してばっかり。
「ああ、そういえばそうか」
あれ?パパ、意外と素直に認めちゃった。
「榎本文江も似合うかも」
「どわ!何を言ってるんだよ、母さん」
あ、碧が真っ赤。
「言ってみただけよ」
ママ。からかって遊んでる?まさか。
「そう?なんか言いにくくない?えっていう字が名前に来ると、言いづらいのかもな。榎本文江。インパクトにも欠けるし」
わ~~~~~~。パパ、なんつうことを?
「でも、どっかで聞いた名前。あ、なんだよ。霊感のあるあの子の名前だろ?あ、悪い。碧。榎本文江も変じゃないよ」
「うっせ~。俺は別に何にも言ってない。言い出したのは母さんだから」
「相川凪。あ、似合う。なんか、榎本凪より似合うかも」
今度はそんなことをママは言い出した。
「それは、ずうっとずうっとずうっと、先だから。いや。名前変えなくてもいいぞ?凪」
ほら、パパが焦りだしちゃった。
「榎本空ってのもありだよね」
碧まで、変なこと言ってる。
「何?婿養子にすんの?春香さんにも、櫂さんにも怒られそう」
パパ、本気にしてる。もう~。冗談なのに。
「悩んじゃう。ねえ、聖君、名前どうしよう~~」
「俺はさ、凪は波風のない穏やかな状態って言う意味がよくて、そうつけたんだ。碧も、水天一碧っていう熟語があって、空と海が一つなぎに青いことを言うんだってさ。碧天って言葉は、青空のこと。海だけじゃなくて、空の青さの意味もあるんだ。とにかく、俺の中のイメージでは、本当に綺麗な、透き通った青のイメージなんだよね」
「そうなんだ。なんか、空も関係してるって言われると、空のこと思い出すよなあ」
「だから、空君と碧、仲いいのかも」
ママがそんなことを言った。
「だからさ、そういった意味のある言葉がいい。確かに響きってのも重要だけどさ」
「じゃあ、なんだよ。アクアとか、マリンとかも、ただ、海ってだけだし。もっと他に考えてもいいんじゃないの?」
わあ。碧がまた、そんなこと言っちゃった。
「凛ってどういう意味?ちょっと、パソコン開いて、碧」
そしてみんなで、碧の部屋に移動した。
「冷たいとか、凛々しい」
「男ならいいね。じゃあ、颯」
「風の吹く音とか、きびきびした様子」
「ああ、きびきび。いいね。じゃあ、雫。って調べなくてもわかるか」
「れいんどろっぷすに、ちなんでいる名前よね」
ママがにっこりと笑いながら、碧のベッドからそう言った。
私はママの隣に座っていた。碧のパソコンは碧の勉強机にあるが、その前にパパと碧は並んで立って、調べていた。
「鈴の意味もわかる。あの、鈴だろ?じゃあ、唯」
「唯一っていうくらいだから、そういう意味なんじゃないの?」
碧が調べる前にそう言った。
「じゃあ…。あとなんだっけ?雪は、降ってくる雪だよな。あと、候補は?」
「ない」
くすん。私はちょっとすねながらそう言った。きっと、鈴なんて意味はないし、パパは嫌がるんだろうな。
「凪の時にはピンと来たんだ。この名前だって。ね?桃子ちゃん」
「碧の時は、生まれてから決めたし、また生まれてからピンと来た名前にしてもいいんじゃない?聖君、今、ぴんとくる名前ないんでしょ?」
「うん」
「私の名前、そんなに早くに決まったの?」
私が隣に座っているママに聞いた。
「うん。聖君がこんな名前どう?って言ってきて、すぐに決まった。男の子でも、女の子でもいい名前だし、お腹にいる頃から、ずっと凪ちゃんって呼んでたよ」
ママが優しい顔で私を見てそう言った。
「そうなんだ…」
ドスン。
反対側にパパが座って、私の髪を優しく撫でた。
「なんだか、懐かしいなあ。凪がお腹にいた頃が。ね?桃子ちゃん」
「うん。今ね、赤ちゃんのものを編んでいると、あの頃のことをよく思い出すんだ」
「やっぱり、こんな暑い日だったよね。桃子ちゃんが高校、退学になるかどうかもわかんなくて…」
「みんなにまだ、結婚したことも内緒にしていたよね」
「お祝いもしてもらえていなかったの、辛くなかった?」
私がそう聞くと、
「全然。幸せだったよ。だって、聖君と一緒に暮らせていたんだもん」
「俺も!超幸せだった。でも、早くにみんなにのろけたかったけどさ」
と二人はにこにこしながらそう言った。
「の、のろけ?」
「そう。桃子ちゃんと結婚したんだとか、毎日一緒に暮らしてて、すげえハッピー!とか」
「……」
今ものろけてるよ。
「碧がお腹にいる頃も懐かしいね」
「碧が生まれてからは大変だったね。特に動けるようになってからは、毎日いたずらばかり」
「クレヨン食べたり…」
「いろんなところに登ったり…。怪我したり。そうだ。パパは、病院も駄目だし、血を見るのも駄目だったのに、碧のおかげで、克服しちゃったよ。碧の怪我した時の血を見て、卒倒している場合じゃないし、病院にも連れて行かないとならないからさ」
「そうだよね。聖君、すっかり今は病院大丈夫だもんね」
「え?なんの話?それ」
碧が不思議そうに聞いた。
「聖君は大の病院嫌いだったの。なんでも大丈夫で、苦手なものがない聖君の、一番の弱点だったんだよ」
「桃子ちゃんに付き添って、産婦人科に行くのだって、かなり勇気いったし」
「そうなんだ。父さんにも弱点ってあったんだ」
いつの間にか、碧までベッドに座っていた。碧のベッドに4人で腰かけ、4人ひっついて話をしていて、なんだか、子供の頃のことを私も思い出していた。
本当に私たち家族って、パパが休みの日には常に4人でいたよなあ。
「まだ、お腹目立ってきてないね、桃子ちゃん」
「うん。そのうち、胎動感じるようになるかな」
「楽しみだね」
パパとママがそんな話をしている。ママは優しく自分のお腹を撫でた。
「女の子かな、男の子かな。どっちでも元気に生まれてきてくれたら嬉しいね」
「……桃子ちゃん、無理は駄目だからね?」
「わかってるよ、聖君」
「凪と碧も、ちゃんと桃子ちゃんの助けになってあげてね。重いもの持ったり、高いところにあるものを取ったり」
「うん。わかってる」
「任せろ!」
碧は、ウインクまでしてみせた。
パパって、ほんと、ママが大好きで大事にしているんだな。こんな夫婦になりたいな。
空君と結婚したら、どんなかな。きっと、パパみたいには口に出さないんだろうな。でも、やっぱり大事にしてくれそう。
ん?どうも、そういうイメージが湧かない。大事にしてくれるだろうけど、私が守りたい、って思ってしまう。なんでかなあ。
「お腹の子、きっと喜んでるね。うちの家族になれること」
ママがそうぽつりと言った。
「そりゃそうさ。だって、うちの家族になりたくて、桃子ちゃんのお腹に来たんだから」
パパがそう言った。ああ、こういう考え方をするパパが好き。
「私もパパとママの子になりたくて、来たんだよ」
「俺も」
「凪~~、碧~~~。可愛いな~~、お前たちは!」
そう言って、パパは交互に私と碧の頭を撫でた。
「大好き!」
ママはそう言って私と碧と腕を組んだ。
「やべえ!桃子ちゃん、俺、めっちゃ幸せ!」
「私も!」
ああ。ママもパパも嬉しそう。そんなママとパパが大好き。
「お風呂は誰がいれる?」
「俺!」
「碧に入れられるのか~~?」
「大丈夫だよ。任せろって」
「赤ちゃんの物、買いに行きたい」
「そうだな、凪。そろそろ見に行ってもいいな。3人目が生まれるかどうかもわからないから、おもちゃもベビーベッドもベビーカーも処分しちゃったし。なんにもないもんなあ」
「わあい!いつ見に行く?パパ、ママ」
「まだ気が早いよ。凪も聖君も~」
「とりあえず、明日検診だね」
「あ~~。俺も行きたい。赤ちゃん、エコーで見たいよ」
私たち4人はしばらくそんなことを話しながら、碧のベッドの上で、きゃっきゃ、きゃっきゃと、はしゃいでいた。
夜、空君と電話をした。
「赤ちゃんの名前か~」
「空君、何かいい名前考えて」
「え?俺が?」
「空君だったら、どんな名前がいいと思う?」
「え、えっと」
あ。黙り込んじゃった。
「ごめん。凪の妹か弟だよね?それはあんまり、考えられないな」
「そうか~」
「自分の子だったら、考えられるかもしれないけど」
「え?本当?どんなの?」
「……あ。内緒」
「なんで~~?」
ハッ。まさか、私以外の女性と結婚するから、教えてくれないとか?なんて、思ってしまい、それをそのまま空君に言うと、
「まさか!凪としか考えていないのに」
と慌てふためきながら、空君が言った。
私としか?うわ。結婚って言うことだよね。嬉しいかも。
「相川凪って、いいなって思うし」
「ほんと?空君もそう思う?!」
「うん。合うよね」
「うん!」
きゃあ。嬉しい。
「夕日とか、太陽とか、でなきゃ、星にちなんだ名前とか、そういうのいいなって思っててさ」
「さすが、天文学部」
「いや…。なんか、俺、夕日が沈んでいく海とか好きだし、あとは、穏やかな海と星空っていうのも、結構好きだからさ」
そうか。海は海でも、青い海じゃなくて、夕日が染まる海や、星空の下の海なんだ。
「いいね。なんか、ロマンチック!空君らしい」
「え?俺って、ロマンチック?」
「うん!」
なんだか、2人で浜辺で夕焼けを見たり、星空を見ているっていうのを思い起こすような名前かも。
ああ、子供ができたら、
「パパとママがね、よく浜辺を散歩してて、夕焼けや星空を見ていたんだよ」
なんて、説明したりして。
「それで、あなたの名前は、この名前になったの」
なんちゃって!
「何がいいかな。どんな名前が、星や、夕日を連想させるかな。えっと」
私がそう夢中になりながら言うと、空君は電話の向こうで笑った。
「おかしい?」
「ううん。嬉しい」
「え?」
「凪までが考えてくれて、嬉しいよ」
わあ。そんなふうに思ってくれるの?こっちこそ、嬉しい。
「じゃ、宿題ね?凪。俺は来週、ハワイで海見ながら考えてくるよ。凪も伊豆の海見ながら考えて」
「うん」
「それじゃ、また明日。おやすみ」
「おやすみなさい!」
空君、大好き!
宿題か~~。いったい、いつ生まれて来るかもわからない、私と空君の子供の名前。
でもきっと、いつかは空君と結婚して、赤ちゃんを産んで…。
ああ、それが現実になったら、最高だなあ。
そんなことを思いながら、バルコニーに出た。
「今日は星が綺麗~~」
夜空を見ながら、さあて、どんな名前がいいかなあと、ママとパパの赤ちゃんではなく、自分の未来に生まれて来るであろう名前を考え出してしまった。




