第90話 ママと碧と私
私、空君に今、胸、思い切り触られてるかも。
パッ。あ、手、離した。それから空君を見ると、みるみるうちに赤くなり、そして、
「ごめん!」
と言って、私から思い切り離れ、バツの悪そうな顔をして私を見た。
「え?うん」
「………な、凪?お、怒ってない?」
「……う、うん」
「なんで?」
「え?なんでかな」
空君に、胸、触られちゃった。っていっても、胸の上に手を重ねただけ…。もしかして、私の反応を見るためかな。私が空君のこと、男として意識してるかどうかの、確認かな。
じゃあ、怒ったほうが良かったのかな。きゃあって、恥ずかしがったり、嫌!って言って、ほっぺたくらいたたいたほうがよかったかな。
でも…。でもなあ…。
「凪?」
空君はまだ、私から距離を置いたところに立っていた。私はその隣にてくてくと歩いて行き、また腕を組んだ。
「え?凪?」
「なんでだかわかんないけど、空君だと私、怒ったりしないみたい」
「…な、なんで?やっぱ、男って見てない?最近、あれだよね。一緒にいてもドキドキしたりもしてないよね?」
「え?」
そう言えば。でも…。
「でも、こうやってくっついているのが、嬉しいし幸せなんだけど。それじゃ、駄目?」
「……う、う~~~ん」
空君はまだ、顔が赤い。
「ドキドキはしてるよ。でも、くっついていたいんだもん。それじゃ、駄目?」
「う、う~~~ん。わ、わかんないけど。凪って、俺のことどう思っているのかなって、ちょっと不安にもなったり」
「え?なんで?大好きなのに」
「うわ。わ、わかった。今、光がどわっと出たから、それだけでもわかった」
「……そうだよ。大好きなのにな…」
「だ、だよね。ああ、そういえば、さっきも、光が変わらず出てたっけ」
「さっきって?」
「凪、俺に引っ付いたときも、すごい光が出て、そのあと、俺が胸触っちゃっても、その光が消えなかった」
「…そ、そうなの?」
きゃ~~。それって何?なんか、触られて喜んでいるみたいじゃない?
か~~~。ああ、顔が熱い。
「あれ?今頃、恥ずかしがってるの?顔、赤いけど」
「は、恥ずかしいよ。私、嬉しいと光が出るんでしょ?空君に触られて喜んでいたみたいじゃない…。恥ずかしいよ」
そう言うと、空君までが真っ赤になった。
「ご、ごめん。もう、触りません」
え?
「いいのに。空君なら」
そう思わず口から出てて、私は慌てて口を閉じた。でも、私より空君のほうが何倍も慌てていた。
「し、しない。しないから」
そう言って、首をぐるぐると横に振っている。
そこまで、否定しなくても…。でも、そんな空君も可愛い。
ギュ!
「あ。だから、凪、む、胸が腕に…」
そう言って空君は固まった。
そういえば、パパに、空君を襲うなって言われていたんだった。これ、襲っているわけじゃないよね?
パパにどこかで見られていたら大変…と思い、その場では空君から離れた。
あ、でも、パパは仕事中か。
また空君にひっつこうとしたけど、空君が真っ赤になっててくてくと歩き出してしまったので、ひっつくことができなくなり、私は空君を追いかけた。そして、空君の手をどうにか取って、そこからは手を繋いで歩いた。
「空君と手を繋いでいるのも、嬉しいんだ!」
そう言うと、空君は、
「それもわかってる。今も、光出まくってるから」
と、赤くなったまま、そう呟いた。
家まで送ってくれて、空君は照れながら、
「じゃ、また明日。まりんぶるーでね」
と言って、走って行ってしまった。
あ~あ。夕飯でもどう?って聞きたかったのに、その前に帰って行っちゃったなあ。
来週は、空君、ハワイなのに。ずっと会えないのに。だから今、思い切り一緒にいたいのになあ。
ちょっと寂しくなりながら、家の中に入った。リビングではごろごろしながら、碧がマンガを読んでいた。ママはソファで、編み物をしている。
「碧、勉強は?」
「ちゃんとしたよ」
「ほんと?黒谷さんに教えてもらったところも、ちゃんとわかったの?」
「………」
あれ?顔、膨れっ面だ。
「どうかした?碧」
「別に~」
「ずっと、碧、ふくれてるの。何かあったの?凪」
ママが聞いてきた。
「え?私が聞きたい。あ、彼女となんかあったとか?」
私は碧が転がっている隣に座ってそう聞いた。
「彼女とは、何日も話してない」
「それでむくれてるの?」
「いや。別に。逆に、ほっとしてる」
「なんで?」
ママがびっくりしてそう聞いた。
「だ、だってさ。今まで、ずっとなんとかしないとって、話しかけるタイミングをはかったり、彼女と同じクラスに入ろうと必死に勉強してたけど、一回、リセットしようと思ってみたらさ、すごく楽になったから」
「リセット?別れるの?」
私がそう聞くと、
「多分。でも、そういう話も夏休み開けてから、彼女とは話すから」
と、淡々と答えた。
「別れちゃうんだ…」
ママが、ぽつりとそう言った。
「じゃあ、何が原因でむくれてるの?」
私がそう碧に聞くと、
「ん~~~。黒谷先輩」
と、碧はぼそっと小声で呟くように言った。
「文江ちゃん?」
ママが碧に、不思議そうな顔をして聞いた。
「なんか、俺、嫌われてるよね?やっぱり」
「文江ちゃんに?何かしたの?碧」
「した覚えはないけど、避けられてるよなあって、今日も思った。勉強教えてもらってる時も、顔、思い切り遠ざけながらしゃべるし…」
「そうだった?でも、顔赤くして、一生懸命って感じだったよ?」
ママがそう言うと、碧は、私とママの顔を交互に見た。
「赤かった?それって…。単に赤面症だからとかじゃないの?」
「え~~~。そうかな。文江ちゃん、なんか、碧のこと気になっている感じだったけどな」
うわ。ママ、そんなこと言っちゃっていいの?!
「母さん、そんなふうに見えたんだ。凪は?どう思う?」
「私は…。わ、わかんないなあ。女心って複雑だから」
知っているからこそ、言えない。本当は言いたいくらいなんだけど。
「そうよ、碧。女心は複雑なの。好きだから、わざと避けたり、恥ずかしいから、顔遠ざけたり、ドキドキしちゃうから、近づけなかったり、目を合わせるのも、すっごく勇気がいったり。ママなんて、聖君に話しかけることすらできなかったんだもん」
「…。ふうん」
「だけど、嫌っているとしたら、まずうちになんて来ないんじゃない?」
ママがそう言うと、碧の表情がどんどん明るくなっていった。
あれ?黒谷さんに避けられてるかどうかって、そんなに碧には重大なことだったのかな。
「そ、そういうのってさ。どうしたらいいの?母さん」
「何が?」
質問の意味がわからず、ママがキョトンとした。
「だから、避けられ続けたら、俺、どうしたらいいの?」
「さあ?」
「さあって…。父さんはどうしてた?」
「聖君は…。ママの話す声が小さいと、ちゃんと近くに来て聞いてくれたり。聖君の方から、近くに来てくれたかな…」
「へ~~」
「ママが恥ずかしくて、一緒にいても話をするだけで精一杯だったり、近づかれるだけで、慌てたり、ちょっとパニくったりしてても、聖君、いつも、可愛いって言って、ムギュって抱きしめて来たり。手を繋いできたり、引っ付いて来たり…。聖君のほうからしてくれたからな~」
「パパのほうが積極的だったんだ」
「え?う、うん。積極的って言うか、素直に表現したり、行動しててくれてたって言うか。ママ、なかなか素直になれなかったり、恥ずかしがったりしていたから」
「ふ~~ん。じゃあ、凪から空に抱きついて、空が真っ赤になってかたまって、っていうパターンの男女が逆転した感じか~」
碧はそう言ってから、
「あ、じゃあ、俺から父さんみたいに、積極的に行けばいいのかな」
と唐突に言いだした。
ちょっと。なんで私と空君のことを例に出してくるの?
「え?誰に?もしや、文江ちゃんに?」
ママが、私と空君のことはほっておいて、碧にそう顔を近づけ聞いている。
「え?うん」
碧も素直に頷いたぞ。
「それ、文江ちゃんが好きってこと?碧。好きじゃなかったら、碧からモーション掛けたら、文江ちゃん、勘違いするって言うか、あとで傷ついちゃうよ?」
「…え?」
一呼吸おいてから、碧は、顔を真っ赤にさせた。
「え?真っ赤だよ、碧。どうしたの?」
私はその顔を覗き込み、そう聞いてみた。
「俺、あれ?好きなの?え?」
うわ。自分でもわかってなかったんだ。
「でも俺、彼女とまだ、別れてもいないし」
相当、慌ててる。寝っころがっていたのに、いきなり起きて正座しているし。
「それに、ついこの前まで他の子のことで悩んでいたのに、すぐにまた別の子、好きになったりする?」
ちょっと顔が青ざめだしたぞ。
「するよ。聖君だって、最初、菜摘が好きで、血がつながっているのを知ってショック受けてたはずなのに、知らない間に、ママと付き合うようになって、その頃にはママのことも好きになっていたみたいだし…」
「あ、父さんも…。そんなに早く心変わりってあるんだ」
「だけど、聖君が言うには、菜摘に対しての気持ちと、ママに対しては違ったみたいだよ?」
「どう違ってたの?」
私が気になり聞いてしまった。
「女の子が苦手で、菜摘ともなかなか話せなかったらしいんだけど、ママにはそういうの、はじめっからなかったみたい」
「…女として見られていないとかじゃないよね」
「凪~~~。自分の母親に向かってそれはひどい」
あ。ママが落ち込んじゃった。
「ごめん!だから、女として見られていないとかじゃなくって、ママが特別だったんだよねって言いたかったの」
「……ママ、本当に女っぽくなかったし、マルチーズとか、ポメラニアンに似てるって言われてたけど」
「それだけ、可愛かったんでしょ?ママのこと。私、パパの気持ちわかるもん」
「え?わかるって?」
ママと碧がちょっとびっくりして同時に聞いてきた。
「だ、だから。私も、空君のこと、男としてみていないわけじゃないんだ。でも、可愛い!ってなっちゃって、抱きついちゃうの。隣りにいて、話をしなくても平気だし、隣にいるだけでいいの。幸せなの。きっと、パパもそうだったんだろうなって、そう思ったから」
「…パパの血を継いだんだね、凪は…」
ママにぽつりとそう言われてしまった。
「そっか。俺、そういうのはなかったかな」
「彼女に対して?」
「うん。隣りにいるだけで幸せとか、そういうのはないかな。可愛いなとは思ったりもしたけど…。でも、でもなあ」
「何よ、碧」
私がそう聞くと、碧は頭を掻いた。そしてまた、ゴロンと横になった。
「よくわかんない」
「え~~~。じゃあ、文江ちゃんのことはどうするの?碧」
ママが聞いた。
「…………。それもよくわかんない。でも…」
碧はまた、顔を赤くした。
「黒谷先輩とは、もうちょっと仲良くなりたいかな…って、ちょっと思ってる」
「え?」
「俺、高校は先輩と同じところ行く予定だし。だから、まあ、今すぐにどうにかしなくてもいいかなって」
「そんなこと言ってて、碧が入ってくるころまでに黒谷さん、他に好きな人ができたらどうすんの?」
「え?」
あ、碧の顔、青くなった。
「……」
「うそうそ。大丈夫だよ。受験勉強頑張って、うちの高校入ってね。あ、なんなら、天文学部入りなよ。空君もいるし、黒谷さんもいるよ」
「天文学?でも俺、バスケ続けようと思っていたんだけど。じゃなきゃ、軽音」
「じゃあさ、碧。なるべく黒谷さんをうちにつれて来たりするからね」
「え?」
「ね?」
「う、うん」
あれ?また顔が赤くなった。面白いなあ。
「あ、凪、明日ママ、パパが仕事休みだから、検診に行ってくるけど、一緒に来る?」
「え?でも、バイト…」
「午前中で終わるよ。11時半には帰ってこれると思うよ?」
「じゃあ、行く!」
わあ。嬉しい。エコーで赤ちゃん、見れるんだ。
「俺も行きたい」
「碧は塾でしょ?」
「ちぇ」
ママに言われて、またふくれちゃった。でも、
「凪、今度はいつ、黒谷先輩うちに来る?」
とすぐに顔を赤くした。
「じゃ、またすぐにね」
「う、うん」
黒谷さん、また呼んじゃおう。もう来ないって言ってたけど、どんどん呼んじゃおう。
来週は空君いなくって寂しい思いをするかもって思っていたけど、ちょっとわくわくしてきちゃった。あ、他人事だからって、ワクワクしちゃ悪いかな。でも、恋をするって、なんだか人のことでもドキドキしちゃうよね。
自分の恋もだけど、黒谷さんの恋も、うまくいくといいなあ。
そして、碧も…。
ママを見たら、ママは優しい目で碧を見ていた。そして、お腹を優しくさすった。
「ねえ、赤ちゃんの名前、どうする?」
私が突然そう言うと、
「まだ、考えてないの。聖君はいろいろと考えているみたいなんだけど」
と、ママは優しく自分のお腹を見て答えた。
「どんな名前考えてるの?パパは」
「海にちなんだ名前をあれこれ。マリンとか、アクアとか」
「え~~。なんかそれって、俺は嫌かも」
碧がそう言うと、
「じゃあ、何て名前がいいと思うの?碧は」
とママが聞いた。
「海にこだわらなくてもいいじゃん。凪、碧って、漢字一文字なんだから、次の子も漢字一文字でいいんじゃない?あ、こうなったら、海。榎本海」
海に思い切り、こだわっている名前じゃないか。おい。
「うみ?かいって呼ばせないの?」
「だって、櫂さんと同じになっちゃうから」
「そうだよね」
ママはそう言って、
「うみ…か~~」
と呟いた。
「女の子でも、男の子でも?」
私が聞くと、碧は首をかしげた。
「まあ、別にうみにしないでもいいし。他には…。いつだっけ?2月だっけ?生まれるのは」
「うん。2月」
ママがにっこり微笑みながら答えた。
「2月。じゃあ、冬だから…。その日に雪が降っていたら、雪っていうのもいいかも」
「雪ちゃん?可愛いね」
「うん、女の子ならその名前もいいな!」
ママの言うことに私も碧も喜んだ。
「アルプスの少女ハイジの山羊みたいで可愛いよね、ユキちゃん」
ママ。例えがとっても少女チック。
「男の子だったら?」
碧が聞いてきた。
「雪君はおかしいか。じゃあ、せつって呼ばせる?」
「え~~。凪、変だよ」
「じゃあ、碧が考えなさいよね」
「もうこうなったら、陸とかどう?」
「海から陸?でも、パパがどう思うか。パパ、海好きだから」
「陸君、かっこいいけどね?」
ママがそう言うと、碧は、
「だろ?ほらな!」
と、ドヤ顔を私にした。
「でも、パパが…」
「航海の航ってかいて、こうって読むか、わたるって読むのもいいかもよ」
「それなら、海のイメージかもね、碧」
ママがまた碧の言うことに賛同した。
「雫とかも可愛いな。女の子でも男の子でも。雫ちゃん、雫君」
「れいんどろっぷすにちなんで?」
私の言葉にママがそう聞いてきた。
「うん!」
「なんだよ。なんか、いっぱい候補が出てきたじゃん。マリンやアクアよりも、いいよね」
「それを言ったら、聖君、落ち込みそう」
「もっといろいろと考えちゃおうよ。なんか、楽しくなってきた」
「俺もだけど、最近、凪もお気楽になってきたね」
「そうかな。碧には負けるよ」
「ふ~~んだ。俺より凪だろ、お気楽人間」
「碧のほうだよ!」
「まあ、まあ。それより、名前」
ママにそう言われ、私と碧はまた、考えだした。
来年の2月には生まれてくるんだ。なんだか、不思議な感じがする。でも、すごく楽しみだ。
赤ちゃん、元気に生まれて来てね!みんな、待ってるからね。




