第76話 にぎやかな夏の予感
家に帰ってから、ママが一人でリビングでのんびりしていたので、隣に座り込んだ。
「ママ」
「どうしたの?なんかあった?」
「ママは、パパを男の人として意識していた?付き合っていた頃」
「……どうかな?そういうのって、考えたことなかったかな」
私はぴったりとママに寄り添った。
「じゃあ、ママからパパに、キスしたいとか、抱きつきたいとか」
「恥ずかしくって、そんなことできなかったし、したくても、勇気なかったし」
「……そっか。やっぱり、私が変なのかな」
「空君と何かあった?」
「うん。近づこうとすると、逃げて行っちゃうんだよね」
「え?空君が?」
「テンパっちゃってるんだって。無理だって言われた」
「無理って?」
「わかんないけど、私が近くに行くのがってことかな」
「…そうなんだ」
ママが返答に困ったのか、黙り込んでしまった。
「前は、空君、全然ハグしても隣にいても平気だったのにな。今は、ハグすると、凪は俺を弟と思ってるんじゃないかって。そんなわけないじゃんね?碧にハグなんかしたいって思わないもん」
「そんなこと言われたの?」
「うん」
「でも、前はそんなことで凪のほうが悩んでいたよね?」
「え?私が?」
「空君には何とも思われていないって。兄弟みたいに思ってて、女として意識されていないみたいな…。それで、凪、落ち込んでいたよね?」
「うん。あの頃、私ばっかりドキドキして、空君は全然そんなのなくって」
「くす。なんだか逆になっちゃったんだね、立場が」
「そ、そうか。じゃあ、空君、男として意識してないって私が言って、落ち込んだかな」
「さあ?どうだろうね?」
ママはそう言って、私の髪を優しく撫でた。
「恋すると、いろんな悩みが出て来るよね」
「ママもそうだった?」
「うん。気持ちが通じ合わなかったり、誤解し合ったり、そんなことあって、悲しい思いもしたことあるよ」
「パパと?」
「うん」
「でも、ずっと仲いいよね。羨ましいな」
「凪と空君も仲いいじゃない」
「距離取られちゃってるよ?」
「だけど、空君、凪のこと大好きじゃない」
「………そうかな」
「そうだよ。大好きだから、ドキドキして、どうしていいかわからなくなってて、つい、距離置いちゃうんじゃないの?」
「それでなのかな」
「あと…、大事に思ってくれてるんだよ」
「……私が贅沢なんだね」
そう言うと、ママは私の顔を覗き込んだ。
「何が?」
「だって、空君と一緒にいられる時間は毎日あるの。まりんぷるーでも顔を合わせるし。なのに、寂しがったりして贅沢だよね」
「う~~ん。そうねえ。でも、きっと、いろいろなんだね」
「いろいろ?」
「ママはどっちかっていったら、聖君に近づかれると、それだけでドキドキしてかたまってた。聖君とただ会ってるだけで、嬉しかった。だけど、聖君のほうは違ったと思う。どっちかっていったら、凪みたいに、もっとそばにいきたいとか、触れたいとか、そういうふうに思っていたかも」
「それでパパどうしてた?」
「え?どうって…。ママがガラス細工みたいに、壊れそうだからって、そうっと、大事にしててくれてたよ?」
「わあ!パパってば、そうだったんだ。今のパパじゃ考えられないよ。だって、いっつも何かっていうと、ママにギュッてしていない?」
「うん。でも、今でも聖君、大事に思ってくれてるって、心からそう思うけどな」
わあ。そのママの発言にも、こっちのほうが聞いてて照れる。
「じゃあ、私も、空君をガラス細工のように思っていたほうがいいのかな」
「う~ん。それもなんか、違う気が…。ママも聖君からそれを聞いて、そんなにすぐ壊れるほどやわじゃないし、大丈夫なのにな…って思ったりもしたけど」
「でも、近づくだけで駄目だったんでしょ?ママは」
「そうだよね。うん」
「……そっか。私ももっと、空君のことを考えて、空君の立場に立って、行動しないと駄目だよね」
「どうだろうね。あんまり凪があれこれ考えすぎて、変に距離を取っちゃうのもどうかと思うな。ただ」
「うん」
「空君のことをいつでも、大事に思っていたら、それは通じると思うよ?」
「……うん」
ママの腕に抱きついた。
「おなかの赤ちゃん、まだ動かない?」
「まだだよ~~」
「今度病院に行く時は、一緒に行くからね?」
「うん。頼もしいな。凪と碧がいてくれると。赤ちゃんのお世話、よろしくね?あ。凪が赤ちゃんの沐浴してくれる?」
「沐浴って何?」
「お風呂だよ」
「え?無理!赤ちゃんをお風呂にだなんて、怖いもん」
「そんなことないよ。大丈夫。聖君がいる時には、入れてもらえるけど」
「…わ、わかった」
頑張って、そういうのも協力しないとだよね。ママ一人じゃ大変だもん。
「何て名前がいいかな~」
ママは幸せそうな顔でそう呟きながら、お腹をさすった。
「凪は、何がいいと思う?」
「名前?そうだなあ。男の子だったらね」
空。
違う違う。空君の顔が今、浮かんじゃった。それも、子供の頃の。
あ、もしかして、空君と結婚して子供が生まれたら、空君そっくりの男の子が生まれたりする?それ、最高に幸せかも!
「凪?どうしたの?にやけて」
「え?な、なんでもな~~い」
私は顔をママに見られないようにして俯いた。
「海に関する名前がいいかな。女の子なら…何がいいかな」
まだ、ママは名前を考えている。
私はすっかり空君のことばっかりになってた。申し訳ない。
でも、赤ちゃんが生まれてくるのは楽しみだから、元気に生まれて来てね?
しばらくして、碧も塾から帰ってきた。
「俺もう、受験嫌だ」
と言いながら。挫折早っ。
「彼女と同じ高校行くんでしょ?頑張って」
と、私が言うと、隣でママはちょっと顔を引きつらせた。
「その彼女がやたら優秀なんだよ。すげえ、落ち込む」
そう言いながら、とぼとぼと碧は2階に上がって行った。
それからママと一緒に、夕飯の準備をした。そして8時ちょっと前にパパが帰ってきて、4人そろって夕飯だ。パパは今日も、超ご機嫌。もしかすると、食卓にママがいるってだけでも、ご機嫌なのかな。
「そろそろ、杏樹一家が伊豆に遊びに来るな~。また、舞花と遊べるな~~」
「あ。ママも水族館に行くんだよね?だから、パパはママのお世話係だよ」
私がそう言うと、
「凪、お世話係ってひどいよ」
と、ママが沈んだ顔をした。
「まあね。桃子ちゃん、よく迷子になるしね」
パパはにこにこしながら、そう言った。
「大丈夫。だってあの水族館はさすがに、わかるもん。どこに何があるか」
「そう?久ぶりなのにわかるの?」
「聖君もバカにしてない?私のこと」
あ、ママ、ふくれた。ママのふくれた顏、可愛いんだよね。パパも可愛いなって顔でママのこと見てる。
「してないよ。心配なだけ。でも、そっか。俺は桃子ちゃん係りか。じゃあ、舞香は碧に任せるか」
「俺は行かない。俺、受験生だよ?ずうっと塾だよ」
「お盆休みは?ひまわりが来るよ。ひまわりの子供の元気君、碧に会うの楽しみにしてると思うけどなあ」
ママがそう言った。
「お盆も塾なの」
「大変だなあ。お盆くらい休んだっていいじゃんか、なあ?」
パパのほうが、呑気なんじゃない?
「元気君、今、何歳だっけ?」
私がママに聞くと、
「えっと~~。4歳になったかな?幼稚園の年中さんだよ。ヒーローものが大好きで、戦いごっこに夢中らしいよ」
と、ママがにこにこしながら答えた。
「顔はかんちゃん似だよな」
「でも、性格はひまわりそっくりで、元気で陽気なの」
ママとパパが嬉しそうにそんな話をしている。
ひまわりお姉ちゃんも、いっつも明るくて元気だよね。
「杏樹たちとこっちで落ち合うんだろ?」
「うん。でも、あの二人はしょっちゅう子供連れて、遊びに行ったり来たりしてるみたいだよ」
「仲いいよな」
「うん。ひまわりも鵠沼海岸に越してきたし、家が近くなったからね。さらに頻繁に行き来してるんじゃないかな」
「かんちゃん、フリーになったんだっけ?それで、海の近くがいいって、引っ越してきたんだろ?だけど、新百合の家から遠くなって、お母さんとお父さん、寂しがってない?」
「そうなんだよね。お父さん、そろそろ定年だし、定年になったら、新百合から引っ越そうかって話をしてるんだって」
「え?まじで?どこに?」
「…江の島とか、鎌倉とか、藤沢とか?」
「お母さんはエステの仕事どうするの?」
ママのお母さんか。エステシャンだもんね。
「うん。引っ越した先でやるつもりみたい。古い民家を買って、そこを改装して、エステをするのもいいかもって、そんなこと前に言ってたよ。お母さん、エステだけじゃなくて、アロマセラピーの資格も取ったし、そういうお店を開くのも夢だったみたい」
「へ~~」
「それでね?お父さんは、今、コーヒーを美味しく入れるために、そういうスクールに通ってるの」
「え?初耳!」
「でしょ?私もお母さんから聞いて、びっくりしちゃった。内緒にいてるみたいだから、会っても言わないでね」
「うん。もしかして、カフェでもするの?」
「そうなの!お母さんがエステで、お父さんがカフェ」
「いいじゃん!それ。楽しそう」
「ひまわりも、今専業主婦だけど、アロマセラピーの資格はあるから、お母さんのお店の手伝いをしたいって、言ってるみたいだよ」
「へえ。いいな。伊豆に来てしないかな。そういうの。そうしたらみんな一緒で楽しいのにな」
「でも、お客さん減っちゃう。伊豆って、観光シーズン以外、人いないし」
「だよな…」
そんな会話をママとパパは繰り広げていた。
「たまには、江の島に顔を出そうか。碧も、向こうの友達に会いたいだろ?」
「うん。会いたいな」
「凪は?」
「私は…」
正直、特に会いたい人はいないけど。
「れいんどろっぷすもなくなっちゃってるし、私はいいや」
「まあ、そうだなあ。れいんどろっぷすは改装して、今、杏樹家族が住んでるし。でも、外観はそんなに変わってないし、懐かしさは十分にあると思うけどな」
「……うん」
「凪は、伊豆のほうがいいんだよな?空がいるから」
碧に言われた。
「そうか。凪は空に夢中だもんな。ああ、そうだったね」
いきなり、パパがふくれてしまった。
「そうだ!そうだ!聖君。それから、碧に、凪。ビックニュースがあるの!」
「何?赤ちゃんが双子だったとか、そんなこと?」
パパがそう言って目を輝かせた。
「それはない。赤ちゃんには関係していないんだけど…。でも、びっくりすることだよ」
「なんだよ~~。もったいつけてないで、さっさと言って」
碧がじれた。
「なんと、お忍びでこの夏、籐也君と花ちゃんが、伊豆に遊びにきま~~~す」
「ええ?!」
碧が目を皿のように丸くした。
「ウィステリアの籐也だよね?!」
さらに、そう叫んで、碧は椅子から飛び上がって、
「やった~~!やった~~~!」
と大喜びをした。
「そうなんだ。籐也さんに会えるんだ」
私も嬉しい。
「2人で来るの?」
パパがママに聞いた。
「うん。2人だけで。こっそりとお忍び旅行。それでね、聖君、もう一つニュース」
「何?」
「花ちゃんも今、妊娠5ヶ月何だって!」
「ええ?じゃあ、とうとう籐也も、お父さんになるのか」
「そうなの!」
「うわあ。花お姉ちゃんもおめでたなの?すご~~~い」
私はまた浮かれた。
花お姉ちゃんは、ママの親友で、江の島にいる頃はよく遊びに来ていた。花お姉ちゃんの彼の籐也さんは今をときめく、ウィステリアのメインボーカルで、パパの友達でもあるから、子供の頃からよく曲を聞いていたり、コンサートにもみんなで行ったことがある。
碧は、そんな籐也さんの大ファンで、もう碧にとってはカリスマの存在だ。
そんなビッグスターの籐也さんと、ママの大親友の花お姉ちゃんが結婚をしたのは、つい3年前のこと。長い長い交際を経て、結ばれた。
できちゃった婚か?とも騒がれたが、そういうわけではない。事務所の社長が、30歳過ぎたら結婚してもいいと、ようやくお許しを出してくれたらしい。
長い交際を経て、ようやくゴールインした2人は、ものすごく幸せそうだった。
式は内輪だけで挙げ、私と碧は、2次会のライブに呼んでもらえた。その時も、碧ははしゃぎまくりだった。
その頃よりさらに、碧は籐也さんを崇拝し、高校に入ったら、軽音部に入って、コピーバンドをするんだと、張り切っていた時期もあった。
今は、高校でもバスケをすると言い出したけど。
私も、ずっとウィステリアのファンだ。あ、そういえば、千鶴も、籐也さんの顔は好みだと言ってたことがあったっけ。パパの友達なんだってことは、なんとなく言えずじまいになっていたけど、伊豆に来るって言ったら、驚くだろうなあ。
こうなったら、サプライズにしちゃおうかな。なんて。
空君はどうかな。喜ぶかな。
それにしても、いろんな人が伊豆に来て、にぎやかな夏になりそうだ。




