第75話 近づきたいのに
翌日、まりんぶるーに現れた空君は、私と目が合うと、思い切り照れた。
昨日のキスで、照れたのかな。なんか、可愛いな…。
そして、また夕方、
「じゃあね、凪。また明日」
と言って、空君はさっさと自分の家に帰ろうとした。
「空君。明日はまりんぶるーの定休日だよ」
「あ。そうだった」
まりんぶるーを出てすぐのところで、私は空君を引き留めていた。すると、
「あれ?まさか、空君、もうアルバイト終わったの?」
と、可里奈さんがやってきた。
なんでここに来るの?海の家のバイトは?
「はい。終わりました。もう帰ります」
空君はぶっきらぼうにそう言うと、なぜか私の腕を掴んで歩き出した。
「空君。アルバイトいつ休み?サーフィンしようよ」
「……しらばく休みないです」
うわ。明日定休日なのに、思い切り嘘ついた。
「空君、去年は毎日のように一緒にサーフィンしたじゃない。どうしちゃったの?なんで今年はしないの?」
「バイトがあるから。去年は暇していたんで」
「……つまんない。空君に会いに伊豆まで来たのにな~~」
え?
可里奈さんは、空君の真ん前まで来てそう言った。それから、ちらっと私を見ると、
「知らない間に彼女できてるし。彼女とか作る感じじゃなかったのに、びっくり。空君からまさか、コクったの?違うよね?」
と聞いてきた。
「……」
あ。無言。それも、空君、すごく嫌な顔をした。
「今日、バイトは?」
空君は質問に答えず、そう聞き返した。
「もう終わったよ。4時までだから。終わってすぐにこっちに来たの」
可里奈さんはそう答えた。
「あ、そうなんすか。それじゃ」
空君、無愛想にもほどがあるってくらいに、ぶっきらぼうにそう答え、私の腕を引っ張って、どんどん空君の家に向かって行った。
あれ?私、空君の家に行ってもいいの?
ちらっと、可里奈さんのほうを振り向いて見てみた。まだ、こっちを睨むように見ている。
なんなんだろう。空君のことが好きなのかな。去年から?まさか、それで今年も会いに来たの?
空君は、玄関に入ると、
「凪。来てるからね、父さん!」
とお店に向かって大声で叫び、
「あがって」
と私には呟くようにそう言った。
「うん。お邪魔します」
空君の家に入ってもいいらしい。やった!昨日に引き続き、空君の家にお邪魔できちゃった。
「あ、いらっしゃい。凪ちゃん。バイト終ったんだ」
「はい」
「お腹空いてない?春香の試作品のパイが冷蔵庫にあるから、食べていってね」
「パイ?」
「うん。アップルパイ、昨日やっぱり店が暇だったらしくて、焼いたらしいよ」
「はい。いただきます」
わあい。春香さんが作ったアップルパイ。わくわくだなあ。
そんなことを思いながら、2階に行くと、すでに空君はキッチンで、コップに水を入れてぐびぐびとそれを飲み、冷蔵庫を開けた。
「これか。今すぐに食べる?凪」
「うん!」
私もキッチンに行き、お皿にアップルパイを切り分けて、それをダイニングに運んだ。
そして二人でダイニングテーブルに着いて、アップルパイを食べた。
「あ、美味しい」
「うわ。シナモン思い切りきいてる。やばい」
「え?」
「俺、シナモンって苦手なんだ」
「そうだったの?」
「母さん、知ってるくせに…」
空君が、悲しそうな顔をした。可愛い。本気で悲しがってる。
「あ、ごめん。飲み物出してなかった。何がいい?俺、アイスのストレートティ飲みたいから、それでいい?」
「うん」
空君はコップにアイスティを入れて、持って来てくれた。
「ゴクゴク」
空君はそれも飲み干した。
「ああ。ようやく消えた」
「何が?」
「シナモンの味が」
あ、そうか。口の中にまだシナモンの味が残っていたのか。
「じゃあ、今私とキスしたら、シナモンの味がして、空君、また悲しい思いしちゃうね」
冗談でそう言うと、いきなり空君は真っ赤になってしまった。
変なこと言っちゃったかな。
「あ、あの。可里奈さんとは去年よくサーフィンしたの?」
話題を変えようと、私は必死にそんな話をした。
「別に。一緒にいたわけじゃない。俺は俺で勝手にしていたし。あの人は父さんに習っていたし」
「あの人?」
「え?うん。だって、どう呼んでいいかもわかんないから」
そうか。なるほど。
空君はなぜか、ダイニングの椅子ではなく、リビングのソファに腰を下ろした。
「あ、俺の残りだけど、食べれたら食べていいよ」
「え?アップルパイ?さすがにもう、お腹いっぱいだよ」
「そっか。じゃあいいや。父さんに食べさせる」
「…でも。空君が食べたところを食べたら、間接キス?」
「え?!」
ハッ。また変なことを口走ったかも。
「いや。俺、フォーク使ったし、俺のフォークで食べたら間接キスだけど」
空君はそう言ってから、真っ赤になった。
「い、今のは気にしないで。っていうか、それ、そのままそこにほっておいていいから、凪」
「うん」
ああ。なんだって、さっきから私は変なことを口走っているんだろう。まさか、欲求不満と思われていないよね。そんなに俺とキスがしたいのかよ…なんて、ドン引きしていないよね。
「……」
ダイニングから、ソファに座っている空君をじっと見た。空君はテレビをつけて、リモコンでチャンネルをあれこれ変えている。無理やり、見たい番組を探しているみたいだ。
「…何もやってないな」
やっぱり。空君はそうぽつりと言うと、テレビを消した。
し~~~~~ん。いきなり静まり返ってしまった。
「寂しいから、そっちに行ってもいい?」
唐突に私の口からそんな言葉が飛び出した。
「え?……うん」
そう言うと、空君は座っている位置をずらした。
やった!隣に行ってもいいんだ。
私は喜びながら、空君の隣にすっとんでいった。
ピョコン。空君の隣に座った。
「えへ」
空君のほうを見た。すると、空君は、
「クス」
と笑った。
「凪、子供の頃のままだね、ほんと…」
「え?そう?」
「うん。そうやっていつも、俺の隣に飛んできて座ってた」
「そうだったっけ」
「……凪は、変わらないんだな」
空君はそうぽつりと言うと、私にわかるかわからないかくらいの溜息をした。
あれ?なんか、顔が沈んだ?
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
「…そう?なんか、落ち込んでるように見えたけど」
「え?俺?落ち込んでないよ。ただ」
「うん」
「ただ、俺だけ舞い上がってて、バカみたいだなって思っただけで」
「え?」
「凪は、昔のままで、あどけないっていうか、無邪気っていうか」
「私?」
「うん。それなのに俺だけ、テンパってて…。ちょっと、それで…。あ、やっぱり落ち込んだかな」
「私も、ドキドキしたりはしてるよ?」
「そうかな」
「え?そう見えない?」
「うん。見えない。キスも…。子供の頃と同じようにしてるんだろうなって、そう最近は感じる」
「……」
え?
「俺だけ、空回りをしているみたいだよね」
「なんの?」
「なんのって…。なんかいろいろと」
え?え?
わかんないよ、何を言ってるのかな。空君は。
「凪、男の人が嫌だって言ってたから、俺も嫌になるのかなって思ったけど、そういうのなさそうだし」
「え?うん」
「男として見られてないんだよね。なのに、俺、いろいろとなんか、凪に近づいたら怖がられるかもとか、嫌がるかもとか、勝手に思ったりしたし」
「……」
「でも、凪、全然そう言う感じないし」
「う、うん」
駄目だったのかな。もっと、空君を男として意識しないと駄目だった?
ママがだんだんと意識するようになるって言ってたけど、そうなの?
このまま、男として意識しないってことはないのかな。
そもそも、男として意識するって、どういうことかな。
「空君」
「え?」
空君は隣でびくっとした。
「お、男の人として、意識しないと駄目?」
「え?ううん。それは、えっと」
「そもそも、男の人として意識するって、どういうことかな」
「それは、だから」
空君、黙り込んじゃった。
「………」
じいっと、空君の横顔を見た。空君は俯いているけど、どんどん耳が赤くなっていく。
「だから…さ。なんて言うのかな。怖いって感じたり…とか」
「空君が怖い?」
「怖くない…よね?」
「うん。まったく」
「だろうね。そんな感じしないもんね、凪」
「うん。あ、駄目なの?怖がらないと」
「いや、そういうことを言ってるんじゃなくって。だから、えっと」
「うん」
「…凪って、俺のことどう思ってる?」
「へ?」
空君は私を見た。目、真剣だ。
「好きだよ?」
「うん。それは知ってるけど。幼馴染?親戚?弟?家族?そんな感じで好き?」
「え?違うよ。だって、胸がドキドキしたり、キュンってなったり、切なくなったり。って、前にも言ったよね?」
「…うん。聞いた」
「空君のほうが、その時ドキドキすることがなくって、びっくりしていたでしょ?」
「あ。うん。あの時はね」
「今は?」
「え?!」
あ。空君、声裏返っちゃった。
「い、今は、ど、ドキドキしてる。…けど?」
顏を真っ赤にさせて空君はそう言うと、俯いた。
「私も」
「え?!」
あれ?また、声裏返ってるよ。
「見えないよ。そんなふうには」
「そう?でも、ドキドキしてる。だけど、空君がすぐ隣にいてくれて嬉しい。今も、空君顔が真っ赤で、可愛くて、むぎゅって抱きしめたい」
「!!!!」
あ、もっと赤くなった。
「抱きしめてもいい?」
「駄目!」
「やっぱり、ダメなんだ。寂しいな」
「だから、そういうとこ!」
「え?どういうとこ?」
「そういうところ。平気で抱きしめてこようとするけど、それ、本当に俺が好き?男として好き?弟みたいなんじゃないの?あ、碧みたいに」
「碧、抱きしめたいと思わないけど。可愛くもないし」
「……でもっ。意識してたら、そう思わないよね?」
「そうなの?空君は私を抱きしめたくなったりしないの?まったく?」
「す、するけど」
「……どういう時?」
「え?た、たとえば、なんか、可愛い時とか」
「他は?」
「え?」
「今は?」
「今も。あ、いや。抱きしめたいとは思うけど、しないよ」
「なんで?」
「え?だって、凪、怖がるかも」
「怖くないけど」
「…でも、やっぱり、その」
「………じゃあ、キスは?」
「え?」
「したくないの?本当は」
「したいよ。今だって」
「え?今も?」
「あ。でも、しないけど」
「なんで?」
「だから。キスしたり、抱きしめたりすると、俺、もっと欲張りになって、凪のこと……」
か~~~~~~っ!!!空君が首まで赤くなった。
「聖さんとの約束、破るかもしれなくなるから。だから、抑えてるんだってば」
「それだけ?それだけの理由なの?だから、キスも、ハグも駄目なの?」
「……凪が俺を男として意識してくれないのは、正直寂しいような気もする。でも、男として意識して嫌われたり怖がられるのは、もっと…嫌なんだ」
「……」
「それが本音かも…」
そう言うと、空君はまた俯いた。
「………」
私は黙って、空君を見ていた。
「あ~~~~。今も、いっぱい、いっぱい」
「え?」
「いや。なんでもない」
「……空君が本音言ってくれたから、私も言っていい?」
「え?!うん」
空君が一瞬、びくっとした。でも、覚悟を決めたように黙り込んだ。
「正直に言うね」
「うん」
「私、空君と今、2人きりでこんなに近くにいられるのがすごく嬉しい」
「う、うん」
「空君が離れると寂しい。キスができないのも寂しいし、ギュッて抱きしめられないのも寂しい。空君がそばにいてくれないのは、本当に寂しいの」
「う、うん」
真っ赤だ。空君。私もかな。耳まで熱いから…。
だけど、こうなったら、全部言っちゃえ。
「私、いつまで待てばいいのかな」
「え?!何を?!」
「空君、なんか、私を遠ざけようとしてるでしょ?近づけないようにって」
「……」
「それ、いつになったら、近づいてくれるようになるのかな」
「…。それは、今までは、俺が凪のこと、あんまり意識していなかったから、大丈夫だっただけで」
「え?」
「これからは、もう、しばらくは…無理」
「ええ?」
私が思い切り、悲しそうな声を出すと、空君が焦ったように私を見た。
「ずっと?」
「いや。ずっとってわけじゃ」
「じゃあ、しばらくっていつまで?」
「いつって言われても。あ、だから、凪が怖がらなくなるまで」
「私、怖がったことなんか一回もない」
「じゃあ、俺をちゃんと男として意識するまで」
「そうなったら、嫌だってさっき、空君言ったよ」
「ああ。そうか。じゃあ、凪がそういう気になるまで」
「そういう気って?」
「だから、お、俺に」
「うん」
「………」
あ。空君、今度は冷や汗かいてる。
「やっぱ、ごめん。俺が無理」
「え?」
「なんか、無理」
「………」
「凪に、今も、意識しまくり。頼むからわかって!」
そう言うと、空君はソファから飛び降りて、床に座り込んだ。それも、私から思い切り離れたところに。
あ。もしや、逃げた?
また、空君が離れて行っちゃう。いったい、いつすぐ隣に戻ってくれるのかな。
寂しいよ~~。




