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第68話 空君との微妙な距離

 ドキドキドキドキドキドキ。空君と二人きりで、私の部屋にいる。

 空君はベッドの前のカーペットに座り、私は空君からちょっと離れたところに座った。


 ああ、こんなに空君と二人きりになってドキドキしたのは初めてだ。

 なんでだ?!前は、2人で部屋にいても平気だったし、ベッドにだって平気で2人で座っていたのに、今じゃとてもじゃないけど、ベッドには腰かけられない。


 トントン。ドアのノックの音のあと、ママが空君と私の冷たいお茶を持って部屋に入ってきた。

「暑いわよ、凪。エアコンかけたら?」

「だ、だよね?」

 そうか。やたら暑く感じたのはそのせいか。私が勝手に火照りまくっているのかと思っちゃった。


「夕飯も食べて行かない?空君。聖君も碧も喜ぶと思うんだけど」

「あ、すみません。今日は帰ります」

 空君は恐縮そうにそう言った。

「そっか。残念だな。じゃあ、外涼しくなるまでのんびりしてってね」

 ママはそう言って、部屋を出て行った。


「……」

 ママ、2人きりで私たちがいても、なんとも思わないのかな。それもこの、ちょっと変な空気が流れている感じとか、なんとなく空君と距離感のある感じとか、この微妙な雰囲気、気が付かなかったのかなあ。


 ゴク…。空君は喉が渇いていたのか、大きな音を立て冷たいお茶を飲んだ。

「凪」

 そして、コップをトレイの上に乗せると、改まった感じで話し出した。


「なに?」

 ドキン。なんで、改まった感じなのかな。

「さっきの、続きなんだけど」

 続き?


「俺さ、聖さんにはあんなこと言っちゃったけど、今はちょっと自信がなくなってて」

「え?」

 自信?

「でも、凪のことは本当に大事に思ってて」

 

 ドキン。

 空君は一瞬私を見ると、照れくさそうに俯いた。


「なんか、今、かなり、微妙で」

 微妙って?


「凪、俺が離れると、霊が寄って来るよね?」

「う、うん」

「でも、凪にくっつくと、俺はやばいんだ」

 やばい?


「あの…。きっと、凪のドキドキと違うと思う。もっと…、なんて言うか…。抑えられなくなるって言うか」

「……」

 え?


「その…。それでもし、抑えられなくなったら、凪のこと傷つけるし、そんな俺知ったら、凪、きっと幻滅するし」

 幻滅?なんで?!


「男の人嫌だって、言ってたよね?健人さんが嫌だったって」

「うん」

「それ。きっと俺にも感じると思う」

「まさか」


「ううん。凪は、多分俺のこと、昔のまんまだって思っているよね?」

 そうかな。そんなことないと思うけどな。


「難しい距離感だよね」

「え?」

「俺も、凪からもう離れたくないよ。ほんとは、ずっとすぐそばにいたいけど」

「私も」


 思わずそう言うと、空君の顔が一気に赤くなり、私のことを見て目が合うと、またすぐに俯いた。

「あ~~~~~。ごめん!嬉しいんだ。そう言ってもらえるの。でも、戸惑う」

「……」

「どうしていいか、わかんなくなる」


「………」

「今日は、こういう話、桃子さんの前でできないから、凪の部屋に来たけど、もう来るのやめるね」

「え?」

「俺の家も、碧と一緒の時にしか来ないでね」

 ええ?


「なるべく2人っきりになるのは避けよう」

 え~~~~!!

「いつまで?いつまで避けてないと駄目?」

「いつまでって、それは…」


 空君は私を見ると、黙り込んだ。そして、しばらく見つめ合ってから、空君はまた視線を外し、

「俺がもうちょっと、大人になって…」

と言ってから、恥ずかしそうな顔をして、

「凪が…、男の人を嫌にならなくなるまで…かな?」

と首を横に傾げた。


 わかんないよ。それ、いつ? 

 それに、さっきから空君が言っていることもわかんないよ。私が男の人を嫌にならなくなるって、なに?


 きっと、この先も、私は健人さんとか、他の男の人は嫌かもしれない。

 でも、空君は違う。今だって嫌じゃない。まったく嫌悪感もない。それどころか、一緒にいたいし、今だってべったりくっついていたいし、ハグもしたいし、キスだってしたいよ。


 わかんないよ~~!


「じゃ、俺、帰るね」

「え?もう?」

「うん。これ以上いても、なんかやばいし。また、明日まりんぶるーでね」

「うん」


 寂しい!せめて、最後の、軽くでいいからキスくらい。そういうのも駄目なのかな。


 ドアノブを手にしてから、空君は突然振り返り、私のことを見た。そして、

「ああ。凪…」

と目を細めて言って来た。


「なに?」

「あんまり、寂しそうな顔しないで。それから、寂しがらないで。凪、気が沈むと家の中でも寄って来ちゃうよ」

「霊?」

「うん」


「だったら、もうちょっとそばにいてくれても」

 そう言うと、空君は困ったという表情を見せた。

 あ、困らせてるんだ、私。


「はあ…」

 溜息までしてる。


「じゃあさ、リビングでテレビでも見よう。桃子さんも一緒にさ」

「え?」

 2人きりじゃないのか。


 空君は先に下におりて行き、私も後ろから続いた。リビングのソファでは、ママが編み物をしていた。

「あら、帰るの?」

「ううん。ここで、テレビでも見ようかなって思って」

「じゃ、ママ、部屋に行っていようか?」


「いいです。ここで、編み物しててもいいです」

 空君が慌ててそう言うと、ママは不思議そうな顔をして、

「そう?」

と、一言言った。


 私と空君は、絨毯の上に座った。それも、かなり離れて。

 テレビは特に面白いものをしていないので、DVDを見ることにした。パパの持っている海のDVDだ。


「綺麗な海よねえ」

 それを見て、ママがそうぽつりと言った。

「うん」

 私も頷くと、空君もにこにことした顔で私とママを見た。


 あ、空君、ママも一緒で安心しているのかなあ。


「だけど、ママ、やっぱり邪魔じゃない?二人のほうが良くない?」

 またママがそう言って来た。

「いいえ。全然大丈夫です」

 空君がぱっきりと言い切ってしまったので、私は何も口を出せなくなった。


「ママって、パパと高校生の頃、よくデートしてた?」

「してたよ。江の島と新百合ヶ丘だったから、ちょっと離れてたけどね」

「どういうデート?」

「江の島にママが来ると、海に散歩や、江の島水族館にも行った。ゲームセンターにも行ったり、ご飯も食べに行ったり…」


「あとは?」

「花火にも行ったし、海やプールにも泳ぎに行ったし。でも、れいんどろっぷすに行って、パパの部屋にいることも多かったかな」


「それ、2人っきりで…ですか?」

 空君がちょっと聞きづらそうにママに聞いた。

「うん。2人きりで。あ、たまにクロもいたかな」


 ママはそう言って、遠い目をした。

「なんか、懐かしいなあ。あの聖君の部屋、もうないんだよね」

「れいんどろっぷす、改装しちゃったもんね」

「古くなっていたからね。あの家も…」

 ママは懐かしそうにそう言って、それから私たちを見た。


「空君と凪はいいよね。家も近いし、高校も同じだし、しょっちゅう一緒にいれて」

「ママもパパとよくデートしていたんでしょ?」

「週に一回とかだよ。受験の前は、2週間に一回とか、3週間に一回だったもん」


「え?そんなに会えなかったの?」

 私が驚くと、ママは私の顔を見て、くすっと笑った。

「受験勉強の邪魔はしたくなかったの。ママ、風邪もひいたりしていたし。でも、聖君、会えなくて寂しかったみたい」


 なんだ。思い切りのろけ?そう思って空君を見ると、空君も私を見た。

「聖君の勉強の邪魔になると思ったら、逆効果だったみたいで、ママに会えないと聖君はパワーダウンしちゃうんだって。ママが聖君の原動力になるって、そう爽太パパに言われたことがあったっけなあ」


「あ、それはわかる気がする」

 私がそう言うと、ママはどこか遠くを見ていたのに私のことを見た。

「そういうのって、言ってもらえないとわからないよね。ママはあの頃、そこまで聖君にとってママが大きな存在だってわからなかったから、遠慮しちゃってたんだよね」


「…そうだったんだ」

「やっぱり、思っていることって言わないと伝わらないよね。ママと聖君って、けっこうお互いが誤解していたりして、それで悲しんだり苦しんだりしていたこともあったし」

「そんなことあったの?でも、今はなんでも言い合う仲だよね?」


「今はね」

「そっか」

「聖君もわかったみたい。自分が考えていることと、ママが考えていることはまったく違うって」

「どういうようなこと?」


「う~~ん。いろいろと。たとえば、ママは聖君にすっごくドキドキして緊張していただけなのに、ママが聖君を嫌がっているんじゃないかとか」

「え~~~。それはないでしょ。ママがパパを嫌がるなんてありえないよ」

「でしょ?でも、聖君は真剣にそう思って悩んでいたことあったんだよ」


「そうなんですか。なんか、今の聖さん見ていると、信じられないですよね」

 空君もびっくりした顔をしてそう言った。


「だから、凪も、空君も、お互いが思っていることをちゃんと、心開いて言ったほうがいいと思うよ」

「はい」

 空君はすぐに真剣な目をして頷いた。


「で。私はいないほうが良くない?いていいって、さっきから空君言ってるけど、本心じゃないよね?遠慮していない?」

「え?!いいえ!」


「そうなんだ。男の人でもいろいろあるんだね」

 ママがそう言うと、空君はまた目を丸くして、

「え?どういうことですか?」

とママに聞いた。


「聖君は、れいんどろっぷすに行くと、すぐに自分の部屋に私を連れて行っていたから。なんか、他の人に邪魔はされたくなかったみたいで」

「え?」

 空君は、今度は目を点にした。


「ママはその時、ドキドキしなかったの?2人きりでしょ?」

「ドキドキしたよ~~~。いっつもドキドキしてた!なんか、懐かしいなあ。あんな時もあったっけ」

 また、ママは遠い目をしてそう言うと、

「あ、でも、今でも聖君にはときめいちゃうけどね。凪も思わない?聖君、この前研究発表があって、普段は着ないスーツを着て行ったの。めちゃくちゃかっこよかったよね」

と頬を染めた。


「は?」

 私まで目が点だ。

「今日、聖君、イルカセラピーの時水着だった?」

「うん」


「かっこよかったでしょ?聖君のこと、うっとりとして見ている職員さんとか、いなかった?大丈夫だった?」

「あ、いた」

「やっぱり?!ああ!そうなんだよね。聖君、水着姿もかっこいいの。10代、20代の頃より、男っぽくなって、筋肉もたくましくて、ほら、体鍛えているし。かっこいいんだよね。ああ、心配!」


「…大丈夫だよ。ママ。今日もパパにべったりくっついて、娘の私がいるんだってことアピールしておいたから」

「ほんと?凪。いつもありがとうね。本当はママが行って、聖君の腕にしがみついて、他の女性を誰も寄せ付けないようにしたいんだけど」


「あ、行って来たら?今度。そうだ。夏休みなんだし、ママも水族館に行こうよ。そこでパパにべったりくっついて、ママの存在をアピールしておこうよ」

「そうだね、凪」

 ママときゃっきゃとしている横で、空君が困ったって言う顔をしていた。


「あ、空君も一緒に行こうね?」

 ママがそれに気が付きそう言うと、空君はもっと困ったって顔をしたけど、はいと頷いた。


 そしてそのあと、空君はぼそっと、

「本当に聖さんと桃子さんは、仲いいんですね」

と呟いた。


「うん。仲いいよ。凪と空君もでしょ?」

 ああ、またママが明るくそう言っちゃった。この微妙な二人の空気、わかんないかなあ。


「あ…」

 ほら。空君、かたまったし。

「だからやっぱり、ママは部屋に行くよ。お邪魔虫は消えるからね」

 そう言ってママはソファから立ち上がり、編みかけの赤ちゃんのベストを持って、階段を上って行ってしまった。


 ああ。違うの。遠慮していたわけじゃなくて、2人きりにならないようにしていたの。でないと、空君は家に帰っちゃうんだよ~~~。


「凪…」

「え?」

 帰るの?!

「凪は俺と、2人きりになると、ドキドキする?」


「う、うん。するよ」

「………。緊張はしないよね?」

「え?うん。しないかも」

「安心する?」


「うん」

「安心しているのに、ドキドキするの?」

「うん。する。でも、空君がすぐそばにいると、幸せで嬉しくて、ほわわんってなるよ」

「…ほわわん?」


「うん」

「そっか」

 空君はまた俯いてしまった。あれ?変なこと言ったかな。


「俺、帰るね」

 やっぱり帰るの?

「なんで?」


「その、ほわわんっていうのを、ぶっ壊しそうだから」

「え?どういうこと?」

「凪が安心できる俺じゃなくなりそうで…」

 え?


「帰るね。また、明日ね」

 空君はそう言うと、足早にリビングを出て、私が見送りに出る前にすでに玄関も出て行ってしまった。

 ああ!


 ママ~~~。気を利かしてくれたんだろうけど、違ったんだよ~~~~。

 がっくり。


 ほわわんがぶっ壊れるって、どういうこと?空君。わかんないよ!


 碧がやたらハイテンションで家に帰ってくるまで、私はリビングで暗く海のDVDを見ていた。

 寒気と、頭痛がしていたから、霊が寄って来ていたかもなあ。


 碧が帰ってきたら、すぐにあったかくなったけどね。


 


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