第66話 空君の落ち込み
着替えをしてから、空君のところに行こうとすると、その手前で健人さんに呼び止められた。
「イルカに悪戯された?凪ちゃん」
「え?はい」
そうだった。この人も海辺にいたっけ。
でも、見られていないよね。
「さすがにビキニで泳ぐのは駄目だよ、凪ちゃん。それに、君の親戚の空君だっけ?あのハプニングに、動揺おさまらずって感じだよ。聞いたら空君のほうが、一つ下なんだってね?」
「え?動揺?」
「さっきから、聖さんに必死に謝ってるけどさ。大丈夫?彼。真っ青だけど」
「……」
うそ。
「高校1年じゃ、多感な時だよね。凪ちゃん、もう、ビキニでは来ちゃ駄目だよ」
「はい」
「それじゃね。また、イルカのプールにも遊びにおいで」
「あの…」
「え?」
健人さんには見られてないよね。なんて、気になるけど聞いていいものなの?
「け、健人さんは、海辺にいたんですか?」
「ああ。さっきのハプニングが起きちゃった時?」
「はい」
「うん。あ、大丈夫。遠目だったし、見えてないよ」
そう言って健人さんは、はははと笑いながら水族館のほうに行ってしまった。
なんか、あの「ははは」という笑いがわざとらしい。見えちゃっていたのかな。
う…。嫌だ。なんか、ものすごく落ち込んできた。
ず~~~ん。と暗くなりながら、空君がパパと休んでいるところに行った。イルカのセラピーの時間は終わっていて、浜辺には数人のスタッフだけがいて、他の人はすでに更衣室に向かって行っていた。
空君とパパは、海から水族館に入ってすぐの、ベンチに座っていた。鼻血はもう止まったのかな。鼻にはティッシュをもう詰め込んでいないけど。
「あ、凪」
パパが私に気が付いた。空君も私を見た。でも、私の顔を見てもすぐに視線をそむけ、暗い表情を見せた。
それに、健人さんが言うようになんだか顔が青い。
もしかして、本当に具合が悪くなって、貧血でも起こしちゃったのかな。
「大丈夫?空君」
そう聞きながら近づいて顔を覗くと、
「え?!」
とものすごく空君が驚いて、こっちを見た。
なんで、そんなに驚いたのかな。
「な?空。大丈夫だって」
「?」
パパが空君にそう言ったけど、私が聞いたのは、空君が大丈夫かどうかなんだけどなあ。
「空君、顔色悪いよ。具合悪いの?ねえ、パパ。ここって、医務室みたいなところないの?」
「空は大丈夫だよ、凪。それより、お前もなんか、どんよりしていないか?」
「私?」
パパは私をなぜか、空君とパパの間に座らせた。空君の太ももに私の太ももが触れると、空君がびくっとして、ちょっと足をずらした。
「さっき、健人さんが…」
「健人?ああ、もうイルカのプールに戻ったみたいだけど。なんか言われた?」
「うん」
「何言われた?」
パパが心配そうに聞いてきた。
「さっき、健人さんは、海辺から見ていたみたいで」
「さっき?あ、凪が水着取れた時?」
「うん。それで、遠目だし、見えてないって言ってたんだけど」
「ありゃあ。どうかなあ。あいつ、視力やたら良かったはずだよ」
「ええ?!」
私が悲痛な叫びをあげると、パパも空君もびっくりして目を丸くした。
「あ、見られて落ち込んでたの?凪」
コクコクと頷くと、隣に座っている空君が、肩を落とし、思い切り俯いてしまった。
「若いスタッフさんもそばにいたでしょ?水着取りに行ってくれた」
「ああ」
「あの人にも見られたかな」
「う~~ん。どうだろ?あいつは、子供たちにイルカと触れさせることに集中していたと思うから、凪が叫んでから気が付いたんじゃないのか?」
「私が?」
「私の水着~~って叫んだじゃん。それで俺も気が付いたからさ。もう、空が凪を抱きしめてて、周りからは見えてなかったよ」
「ほんと?」
「うん。空がお前のこと、ちゃんと守ったんだろ?な?空」
パパがそう言っても、空君は俯いて黙り込んでいる。
「ありがとうね、空君」
「え?!」
俯いていた空君は、私の一言でいきなり顔をあげた。
「え?」
空君がびっくりしているから、私のほうがびっくりしちゃった。
「な?空。凪は別に怒ってないし、気にしていないじゃん」
パパがそう優しく空君に言うと、
「さてと。俺、今日イルカセラピー受けた子や、親御さんと話をしないとならないからさ。もう行くよ」
とそう言って、ベンチを立ち、浜辺のほうに歩いて行った。
「……私が、怒ってるって思ったの?空君」
「……ごめん。凪、前に着替えてるところと見た時、すごく怒ったから、今回も怒ってるかなって」
「私が?」
空君はまた俯いた。
「あの時よりもっと、大変なことをしたわけだし、凪、ものすごく怒っていたり、落ち込んでいたりして、また、俺と口きいてくれなくなるかも…なんて、思っちゃって」
「私が?」
「うん。聖さんは大丈夫だって言ってくれたんだけど」
「あ、それでもしかして、空君、青い顔していたの?」
空君は黙って頷いた。
わあ。そんなこと心配していたんだ。空君ったら。私、怒ってもいないし、そりゃ恥ずかしいって思ったけど、ちゃんと私のこと守ろうとしてくれたのは、本当に嬉しかったのに。
まだ、空君は俯いている。自分の手を見ながら、しゅんとしている。なんか、怒られちゃったクロみたいだ。
可愛い。
ムギュ!
「うわ!?凪?!!」
あ。思い切り空君、のけぞってびっくりしちゃった。
「ごめん」
私はすぐに空君から離れた。
「な、なんで今、抱きついてきたの?凪」
「だって、空君、可愛いから」
「俺のどこが?」
「ごめんね。でも、私、空君に胸見られたくらいで怒らないし、落ち込まないし。ちょっと、恥ずかしかったけど、守ってくれて嬉しかったよ?」
「………」
あれ?空君、顔が赤くなっていってる。
「俺が見ても怒らないの?落ち込まないの?でも、健人さんって人に見られたかもって、落ち込んでたよね」
ドス~~ン。思い出しちゃった。
「見られたかなあ。嫌だな~~~」
私が沈み込むと、空君は隣で慌てだした。
「あ、いや。遠いし、一瞬だったし、大丈夫だよ。いくら視力良くたってさ」
「……そうかな、だったら、いいんだけど」
「見られてたら、嫌?」
「嫌だよ。絶対に嫌だ!そんな、男の人に胸見られちゃうだなんて」
「………。え。でも、俺も、男…」
そう空君は言ってから、
「あ、俺、まだ、高1だし、問題外?男として見られていなかったり…とか?」
と、小声で聞いてきた。
は?
なんだ、それ。
でも、かなり真剣に聞いてきたみたいだ。今も真面目な顔して、私の返答を待っている。
顔赤くして。下向いて、膝を両手でこすったりしながら。
やっぱり、可愛い。空君。
男の人として見ていないわけじゃない。
でも、別に空君に見られたのは嫌じゃない。ただ、こんな小さめの胸、見てどう思ったのかが気になる。
うん。そっちの方が気になっちゃう。なんでかなあ。
黙っていると、空君はちらっと私を見た。目が合うと空君は、パッと視線を外し、また俯いた。
「変なこと聞いてもいい?空君」
「え?何?」
「鼻血、暑くてのぼせたの?」
「…え?!」
「私の胸見たからじゃないよね」
「ごめん!本当にごめん!!!」
うわ。平謝りしてきた。なんで?!
「情けないよね。聖さんにも謝った。凪の胸見て鼻血出すなんて最低だよね。俺、まじで、最低だよね」
「ううん」
「ああ…。それに、恥ずかしい」
「え?」
「穴があったら入りたいくらいに」
なんで、空君のほうが恥ずかしがってるんだ?胸を見られたのは私の方なんだけどなあ。
「えっと、空君」
「え?!」
空君が慌てた顔をして顔をあげた。
「聞きたいのは、その…」
「な、なに?」
空君の顔が引きつってる。
「………胸、小さくて、がっかりとか」
「は?!」
「気持ちが冷めちゃったとか、ない?」
「え?え?え?」
空君の目が点になった。
「あ、あのね?今、Bカップなの。でも、ちょっときつくなってきてるの。だから、もしかすると、まだ成長するかもしれないの」
「は?」
「だから、あんまりがっかりしないで。これからもしかしたら、もうちょっとは大きくなれるかも」
「………う」
「え?」
「鼻血、また出た」
そう言うと空君は慌てて、ティッシュケースからティッシュを引っこ抜き、それを鼻に詰め込んだ。
それから空君は、しばらくまっすぐ向いて、鼻の上のほうを押さえ、鼻血を止めようとしているようだった。
「ごめん」
謝っても空君は、まっすぐ向いたまま。
「変なこと、私、言ったよね?」
「うん」
まっすぐ向いたまま、空君は答えた。
「ごめん。でも、そこだけが気になって」
「………え」
「あ、怒ってないし、落ち込んでもいないから。でも、空君が私の胸見てがっかりしていたら、落ち込んじゃうけど」
そう言うと、空君は顔を真っ赤にして、
「が、がっかりなんか、がっかりなんか、するわけない」
と言いながら首を横に振った。
そして、
「う…。なんか、頭痛い。思い切りのぼせた」
と、今度は頭を押させていた。
「ご、ごめんね?」
ものすごく変な質問をしたのかもしれないなあと、私は真っ赤になったり慌てたり、ふらふらしている空君を見て、そう後悔した。
それから、何十分も、私も空君も黙って座っていた。そこに、またパパがやってきて、
「あ。空、また鼻血出した?凪、まさかお前、抱きついたとかしてないよな?」
とそう聞いてきた。
「してないよ」
あ、したか。でも、その時には鼻血出さなかったもん。
「ほら、空。ポカリ買ってきたぞ。これで、頭でも冷やすか?」
「あ、すみません」
空君はポカリを受け取って、本当におでこにあてていた。頭痛、酷かったのかなあ。
「凪にはこれ」
パパは私には、冷たいミルクティを買ってきてくれた。
「ありがとう。パパ、仕事は終わったの?」
「うん。凪は元気になったね」
「うん」
「そっか。良かった」
パパはそう言うと、私の横に座り缶コーヒーをプシュッと開けた。それをグビっと飲んでから、
「ああ、空の気持ちが、なんかわかるなあ」
と呟いた。
「え?」
空君がびっくりしている。
「高校生の頃を思い出すなあ。まだ、桃子ちゃんと付き合い出したころとか」
「……聖さんも、鼻血出したこと…」
「ないよ」
「あ、そ、そうなんですね」
そう言って、空君はまた落ち込んだのか、俯いてしまった。
「だけど、桃子ちゃんに、今の空みたいに嫌われたかも!って、思い切り落ち込んじゃったことはあった」
「ママに何したの?!」
「ここだけの話だよ。桃子ちゃんに俺から聞いたって、絶対に言うなよ、凪」
「うん」
「…胸、触っちゃったんだ」
「ママの?」
「うん。俺の部屋で、キスしてて。ちょっと、我慢できなくなって」
え?そういうのって、我慢できなくなってしちゃうものなの?!
「そ、それで、桃子さん、怒ったんですか?」
空君がパパのほうを向いて聞いてきた。
「怒ったていうか、駄目!っていきなり言われて、俺、その時我に返って。あ、やべ~~~!って、真っ青になって」
「そ、それで?」
空君、すごく聞きたがってる。興味津々だ。
「それで、もしかして、絶交よ!とか、もう別れる!とか言われたらどうしようって、真っ白になって」
「それで?」
「でも、桃子ちゃん、怒ってなかったみたいで」
「ママ、怒ってなかったら、なんで駄目って言ったの?あ、怖くなったとか」
「うん。俺もそう思ったんだけど、まったく俺の予想を超えた、突拍子もない返事が返ってきたんだよね」
「なんて?」
「胸がぺたんこなのがばれたって、落ち込んでた」
「ママも?」
「え?ママもってことは、凪も?」
うわ。さすが親子。なんて言ってる場合じゃないか。
だけど、ママもそういうこと気にして落ち込んだんだ。
「…も、桃子さんも、触られたのが嫌とかじゃなくて…」
私の隣で空君までが、ぽつりとそう呟いた。
「ん?さっきから何?凪も、空に触られちゃったの?」
「違うよ!パパ!空君はパパと違うもん!」
「なんだよっ。そんなに怒鳴んなくても」
「そっか。桃子さんもなんだ」
「だから、なんなんだよ、空!」
「いいの。パパは知らないでも」
そう言って私は、ミルクティを飲み干した。
「さて。空、着替えてきたら?そろそろ昼にしようよ。凪、昼は食べられる?」
「うん。お腹ペコペコ」
私はパパにそう答え、ベンチを立った。
「あはは。お前、こんな時でも腹減るわけね」
パパに笑われたけど、こんな時って何?
「空君、鼻血止まった?更衣室行こう」
私はパパのことは無視して、空君の腕を引っ張った。
そして、空君と腕を組んで歩こうとすると、
「凪!む、胸が当たってるから、腕、外して」
と真っ赤になって言って来た。
「え?うん。ごめん」
そう言うと、パパが私たちのほうを見ていて、
「凪。あんまり空に引っ付かないようにしてあげなさい」
と注意してきた。
う~~~~。そう言われても~~~~~!空君とは付き合ってるんだから、いいじゃん!
でも、空君は隣で真っ赤になって、かたまっているし。やっぱり、あんまりくっつかないほうがいいのかな。
腕を組むのもやめて、ちょっと離れて私は歩いた。空君はこっちも見ようとせず、照れくさそうにして歩いている。
なんか、寂しい。
また、空君と距離ができちゃうんじゃないよね。なんて、私はちょっと不安になっていた。




