第47話 無理していた空君
空君の背後から、黒谷さんの声がした。
「空君、部室に戻らないの?」
「…あ、黒谷さんにも今見えたよね?」
空君はそう言いながら、振り向いて黒谷さんの方を見た。
黒谷さんは空君のすぐ隣に来て、
「何を?」
と聞いた。
「凪から出た光だよ」
「ううん。見えなかった」
「え?本当に?」
「うん。全然見えなかったよ」
黒谷さんは空君の腕を引っ張り、
「ねえ、また部室の前の廊下にいたら嫌だから、空君そばにいてくれる?」
と空君に擦り寄った。
「……。本当に見えなかった?俺だけが見えるの?」
「光?見えなかったよ」
もう一度黒谷さんはそう言うと、空君の腕をさらにグイグイと引っ張って私から引き離してしまった。
空君は、黒谷さんの手に引かれながら歩きだした。でも、ちょっと私の方を見て、
「そっか。俺にだけしか見えないんだ。凪の光…」
と呟いた。
「凪、光なんて出してるんだ…。すごいね」
千鶴が私の隣に来て、びっくりした顔をして聞いてきた。
「初めて知った」
「え?」
「霊が成仏するときに出た光なのかと思ってた」
「…そういうの、空君は全部見えていたんだね」
「うん」
「空君って、謎。不思議君だね」
「うん」
「でも、霊が見えるくらいで、なんで怖がられたのかな?空君」
「誰もいないところを見て、話しかけたりしちゃったらしくって。どうやら、子供の頃は幽霊と人間の区別、つかなかったみたい」
「今はわかるの?」
「…さあ?」
「ふ~ん…」
千鶴と私、鉄も部室に向かって歩き出した。
「なんで、俺だとダメで、空だといいんだよ」
鉄がぼそっと呟いたのが聞こえた。鉄の方を見ると、思い切り膨れっ面をしている。
「当たり前じゃん。凪が好きなのは空君なんだから。ねえ?」
「……うん」
私は素直に頷いた。するとさらに鉄は、膨れてしまった。
「空のどこがいいんだよ。どこが…」
どこがって聞かれたって、なんて答えたらいいかわからない。好きなものは好き。理由なんてきっとない。
部室には峰岸先輩と先生がいた。二人でパソコンをつけて何やら話し込んでいた。
「あ、お前ら、さっさと夕飯食えよ。あと20分で観察を再開するぞ」
「雲の様子がおかしいから、今日は早めに切り上げようと思ってるんだよ。だから、夕飯早くに食べて、屋上に行こうね」
先生と先輩がそう言って、またパソコンで何やら調べだした。
「雨でも降るんですか?」
空君が聞いた。
「うん。曇ってきているしね」
先輩がそう言うと、
「じゃ、今日はもうおしまいにしたらいいじゃん」
と鉄がぼそっと呟いた。
「だから!今ならまだ星が見えるから、とっとと食えって言ってるんだよ」
先生が鉄の髪をクシャクシャにしながらそう言った。
「へ~~い」
面倒くさそうに鉄は答えると、持ってきたおにぎりを食べだした。
他のみんなも、各自持ってきたものを食べ、急いでまた屋上に上がった。
「あ、だいぶ雲が出てきているな」
先生がそう言いながら、望遠鏡を覗いた。
「でも、月はまだ隠れていない。すごく綺麗に見えるぞ。さっきはモヤがかかっていたけどな」
「へえ!見たい。先生」
千鶴が望遠鏡を覗き込みに行った。
空君の隣にはまだ、黒谷さんがいる。時々私を見ると、パッと視線を外し、空君に話しかける。
モヤ~~~~~。う。私の心にモヤがかかり始めた。ダメだ。ダメ。また霊を呼んじゃうから。
他のこと考えないと…。
「凪。凪も見てみたら?」
突然空君が私を呼んだ。そして、私の手を引き、望遠鏡のところまで連れて行った。
望遠鏡を覗くと、月のクレーターまではっきりと見えた。
「わあ…」
「クス」
あれ?今、空君に笑われた?
空君の方を見ると、空君は私を優しく微笑みながら見ていた。
「な、なんか変だった?私」
「ううん。興味津々で見ている姿とか、素直に驚いている顔とか、昔と変わんないなあって思ってさ」
「え?」
「凪、月とか星とか、雲とか海とか、夕焼けとかさ、子供の頃から見て喜んでいたよね」
「そうだった?」
「うん。いつも新鮮って感じで、喜んでた。そういうの隣で見てて、俺も喜んでた」
「そ、そうだったんだ」
「もしかすると俺が、海とか星に興味持ったのって、凪の影響かも」
「私の?」
「うん」
空君はにっこりと可愛い笑顔を私に向けた。ほっこりとあったかい空気を醸し出しながら。
うわ。可愛い。この笑顔は久しぶりに私に向けられた気がする。しばらく見なかった笑顔。
「空君、私も見たいな」
空君の横から、黒谷さんがそう言った。
「あ、ど、どうぞ」
私は望遠鏡から離れ、その場を黒谷さんに譲った。
黒谷さんが空君の隣に並び、望遠鏡を覗き込み、
「すご~~い」
と声を発すると、
「でしょ?」
と空君が答えた。
そんな空君の後ろを通り過ぎ、千鶴や鉄のところに行こうとすると、空君から全く違った空気を感じた。
あれ?
さっきまで、ほっこりあったかかったのに、一気に空君の周り、微妙に硬くなったっていうか、緊張が走ったっていうか。
空君の顔を見てみた。口元は微笑んでいる。でも、さっきの笑顔とは全然違う。
笑っているのに、どこか無理しているみたいな…。
「空君も見た?」
「俺?まだ」
「じゃ、次見てみる?」
「ああ、うん」
空君はそう答えると、黒谷さんと場所を交代して望遠鏡を覗き込んだ。
「見えた?」
「うん」
黒谷さんは空君の腕に触れた。
と、その時、空君が一瞬、カチンと固まった。表情もなくなった。
「クレーター、そんなによく見えるんだね」
「え?あ、うん」
空君は顔をあげ、口元にまた笑みを浮かべて黒谷さんにそう答えた。そして、
「先輩…」
と峰岸先輩のほうに行き、空を指差しながら、何やら話しだした。
先輩も話に乗り、一気に二人は星の話で花を咲かせだした。その中にはさすがに黒谷さんも入り込めないようで、ほんのちょっと離れたところから、黒谷さんは二人を見ていた。
空君の表情、和らいだし、星の話をしだしたからなのか、目が輝きだした。でも、黒谷さんと話をしている時は、なんだか緊張している感じだったな。
もしかして、今までもそうだったのかな。優しい口調だったし、微笑んでいたから、他の女の子と接するのとは違って見えたけど、いつでも緊張しながら話していたのかな。
黒谷さんが一人でいるのが辛いだろうって、その気持ちが俺にはわかるんだって言ってたけど、だから人ごとと思えないって言ってたけど、もしかして黒谷さんと関わるのに気を使っている?
どこかで、優しくしなきゃとか、理解してあげなきゃとか、そう思いながら接してる?
もしかして、もしかすると空君、かなり無理しているの?
先輩の話を嬉しそうに聞いている空君が、黒谷さんと話している時とは全く違って見えて、そんなふうに感じ取れた。
私、黒谷さんに嫉妬しちゃって、見ないようにしてきたから、空君が無理しているのをわからなかったのかな。ちゃんと、空君のこと見ていなかった。
そのあと、どんどん雲が広がり始め、私たちは望遠鏡を急いで片付け、部室に戻った。
「雨が降らなくて良かったな」
片付けが終わると先生はそう言って、
「さあ、気をつけて帰れよ」
と部室を後にした。
「パパに電話しよう」
千鶴は携帯を出して、お父さんに迎えに来てくれるよう電話した。
「黒谷さんも、電話したら?」
空君がそう言うと、
「空君は送ってくれないの?」
と黒谷さんが聞いた。
「俺は凪を送っていくから」
空君が答えると、黒谷さんは明らかにがっかりした顔をして、携帯を取り出し電話をした。
それを横で聞いていた千鶴は、ムスっとした顔で黒谷さんを見ていた。あ、怒ってる。
みんなで一緒に部室を出た。廊下の奥のほうが何やら暗く見えたけど、気にしないで千鶴と一緒に私は昇降口に向かった。でも、後ろから、
「空君!」
と黒谷さんの助けを求めるような声がして、振り返ると、黒谷さんは空君に抱きついていた。
「また、あの子…」
千鶴が横で怒りをあらわにした。
「大丈夫だよ。ほっておいて、さっさと帰ろう」
空君は優しく黒谷さんにそう言った。
でも、優しく微笑みを作りながらも、空君の笑顔、微妙に緊張している。黒谷さんが抱きついて、空君、腰が引けてるっていうか、体が固まっているっていうか…。
「黒谷さん、昇降口に急ごう」
空君はそう言って、黒谷さんの肩にそっと触れ、自分の体から黒谷さんを離した。黒谷さんが空君から離れて歩き出すと、空君はホッとしたのか、小さな溜息を吐いた。
それから、私のほうを空君は見た。
「ほ…」
あれ?今、思い切り私を見て安堵の顔を見せたけど、なんで?
「凪、大丈夫だったね」
「え?何が?」
空君が私の方に近づきながらそう言ってきた。
「霊、また凪の方に行っちゃってるかと思ったんだけど」
あ、ああ。それで安堵の顔を見せたのか。
「空君、もしかして無理してるの?」
「え?」
「なんか、無理してる?気疲れしてる?」
「そんなふうに見える?」
「う、うん。ちょっと…」
空君は、思い切り力が抜けたっていう顔をして私を見た。
「はあ…。凪にはわかるんだね。そういうの」
「え?」
コツン…。空君が私の肩に頭を乗せた。
「めちゃくちゃ…」
「え?」
「癒されるんだよな。凪って…」
「え?」
「霊まで癒されるのがわかる」
「……?」
「あ…」
「何?」
空君が顔を上げ、私のほうを見た。っていうより、私の後ろを見て、それから天井を仰いだ。
「すげ…」
「何が?」
「光に包まれて、霊が消えた」
「え?今、寄ってきてたの?」
「うん。寄ってきたと思ったら、一気に消えた。凪、今日は力すごいかも」
そう言うと、空君は私をハグした。
ドキドキ。うわ。空君の温もり…。
「あ、あの。まだいるの?だから、空君、抱きしめててくれてるの?」
「いないよ。さっき、浄化されちゃったみたいだし」
「じゃ、なんでハグ…?」
「俺が癒されたいから」
ドキン。
そ、そうなんだ。
私はしばらくそのままでいた。空君からはあったかい空気。あったかい温もり。
パパが前に言ってたっけ。お互いが出し合っているのかもよって。
パパが私をハグすると、一気に安心して楽になる。でも、パパも私にハグすると一気に元気になれるって言ってた。
空君に抱きしめられると、一気に安心してあったかくなる。それ、空君もなんだ。
私から出る空気、空君を癒すんだ。私の温もりは空君を安心させるんだ。
そっと空君の背中に腕を回して、そっと抱きしめてみた。
キュン!
空君が思い切り愛しくなった。
そして、その瞬間、思い切り優しくてあったかくって、幸せな空気に包まれた。




