第44話 心配
パパと家に帰ると、ママがリビングから玄関に飛んできた。そして、
「凪?パパと一緒だったの?」
と、ほっとした顔をして、私を抱きしめてきた。
「ママ?」
「空君が学校の帰りに寄ってくれたの。凪、頭痛がひどいからって先に帰ったけど、大丈夫ですか?って。まだ帰っていないって言ったら、空君もすごく心配そうな顔をして…」
「空君が?」
「凪、すぐに電話して安心させてあげたら?」
隣で話を聞いていたパパがそう言った。
「うん」
私は空君の家に電話した。携帯の番号はわからないから。でも、空君は電話に出なかった。
「家にいないのかな」
私はすぐに空君にメールしようと携帯を出した。
「あ、空君からメール来てた。それも、何件も」
>凪、頭痛大丈夫?
>家に着いた?
>凪、今、どこ?
>小浜先輩と一緒?
>家に帰ったらメールして。
空君、ずっと私のこと気にかけてくれていたんだ。
>帰りに千鶴に付き添ってもらって、水族館に行ったの。今、パパの車で帰ってきたよ。心配かけてごめんね。
そうメールすると、すぐに空君から返信があった。
>良かった。水族館に行ったこと、俺もさっき鉄から聞いた。
>谷田部君にもメールしたの?
>今、鉄の家まで来たところ。凪がちゃんと家に帰れたってわかったから、俺も家に戻る。
うそ。鉄の家まで私のことを聞きに行っていたのかな。そんなに心配してくれるなんて。
ママとパパに空君がメールをいっぱいくれてたっていう話をすると、
「夕飯、うちに呼んだら?」
と二人が言ってくれた。
>心配かけてごめんね。空君さえよかったら、うちで夕飯食べない?パパ、今日たくさんご飯作るって張り切っているの。
>凪、頭痛は?
>もう治ったから大丈夫。
>じゃあ、これから寄っても平気?
>うん。
良かった。
「空君、これからうちに来るって」
「そう。もしかして心配して、いろんなところ当たってみたりしていたのかな」
「携帯、ちゃんと見れば良かった」
「桃子ちゃんも心配した?俺が連絡入れたら良かったね」
パパがママに寄り添いながらそう言うと、
「もうちょっと待って帰ってこなかったら、聖君に連絡入れようと思っていたの」
とママはパパに答えた。
「みんなに迷惑かけちゃった」
私がぽつりとそう言うと、パパは、
「迷惑じゃなくって、心配したの。凪が大事だから心配するの。わかった?」
と頭を撫でながらそう言ってくれた。
10分後、空君が来た。
「空君、ごめんね?私、心配かけちゃって」
玄関に行って唐突にそう言うと、空君はちょっとびっくりした顔をしてから、
「いや…」
と一言だけ言って、家の中に入った。
「空、悪かったね。凪のことでいろいろと心配かけて」
パパも空君にそう言うと、空君は顔を伏せ、
「いえ…」
と一言だけ言って黙ってしまった。
「ま、のんびりしてて。これから夕飯作るからさ」
「空君、何か飲む?ジュースか、コーラか」
ママがそう言うと、空君はまた言葉少なに、
「いいです」
とだけ答え、黙ってしまた。
「桃子ちゃん、ここは大丈夫だよ。これから飯作っちゃうから、2階で休んでる?桃子ちゃんはサラダなら食べられるかな」
「うん。じゃあ、2階に行ってるね。空君、ゆっくりしていってね」
「はい」
ママは2階に行った。空君と私はぼんやりとその場に佇んでしまった。えっと、どうしようかな。リビングのソファにでも座って、テレビでも見ようかな。
「凪…。凪の部屋行ってもいい?」
「え?う、うん」
パパが何も言わなければいいんだけど。ちらっとパパを見ると、パパは料理を作るのに夢中になっていて、こっちを見ることもなかった。
空君と私の部屋に行った。空君はまだ無言で、私の部屋に入るとベッドにドスンと腰掛けた。
「あの…。谷田部君の家に行ったりしていたの?」
「うん。海沿いの道や、公園や、いろいろと探しているうちに鉄の家の方に出たから、それで…」
「そんなにいろいろなところを探してくれてたの?」
「…鉄に聞けばすぐにわかることだったんだろうけど、なんとなく電話もメールもしにくくて」
最近、話をしていなかったからかな。
「鉄が、凪なら小浜先輩と水族館に行ったって…。きっとお父さんに家まで送ってもらうんじゃないのって言ってたから、やっと安心できて…」
「ごめんね」
「俺こそ」
?なんで空君が謝るの?
「鉄と帰るって聞いて、頭に来て。モヤモヤしてメールの返信もできなくて」
「え?」
「凪、どうして鉄と一緒に帰ろうとしたのかって、すごく気になって」
うそ。そうだったの?
「……偶然、会っちゃっただけだよ。千鶴と帰るつもりだったのに、谷田部君にばったり廊下で会っちゃったの」
「……そう」
空君はまた俯いて黙り込んだ。
「空君は部活に出たの?」
「うん。でも、1時間もしないで終わったから」
「先輩と二人だったの?」
「いや。新しく入りたいっていう人も一緒」
「それって、あの転入生?」
「うん。あれ?なんで知ってるの?」
「谷田部君が、そういう話を空君と転入生が話してたって言っていたから」
「…鉄が?」
「えっと、黒谷さんだっけ。天文学部に入るの?」
「うん。峰岸先輩も部員が増えるとすごく嬉しいって、大喜びしていたから。黒谷さんも断るに断れなくなったみたいで」
「そうなんだ」
天文学部に入っちゃうんだ。なんだか、すごく複雑な気分だ。
「凪、聖さんに会ったら、頭痛治ったの?」
「うん、それにイルカのルイちゃんにも会ったの。すぐに元気になれたよ」
「イルカ?」
「空君は会ったことない?」
「……ないかも」
「じゃあ、今年の夏はルイちゃんと一緒に泳がない?」
「え?でも、一緒に泳げるのは野生のイルカじゃなかったっけ?」
「うん。でも、イルカのプールで水族館のイルカとも泳がせてくれるんだよ。あ、パパが館長に頼んで泳がせてもらえるんだけど」
「え?知らなかった。そんなこと出来るんだ」
「調教師さんも一緒に泳ぐの。たまに、イルカの調教とかも教えてもらったりしてるの」
「俺もしてみたいな。そういうの…」
「じゃ、今年の夏、やってみる?」
「……」
あれ?黙り込んじゃった。嫌だった?
「凪、なんか元気だ」
「え?うん」
「イルカの話をすると元気になるの?」
「ルイちゃんからパワーをもらったのかも」
「そっか。なんか、子供の頃の凪みたいだなって、今、思った」
「子供の?」
「いつも元気で明るくって。好きなものの話をする時には、特に目がキラキラしてて。そんなだったよ、今…」
「そ、そう?」
「うん。凪が昔の凪になってくれて、嬉しいな」
「……」
自分ではわからない。でも、昔の私の方が元気だったんだね。その頃の私が空君はいいんだね。
沈み込んだり、悲しがったりしている私よりも。
「だったら、私、いつも元気でいるようにする…ね?」
そう言って笑うと、空君もにっこりと微笑んだ。
パパの言葉が浮かんできた。
「無理して変わろうとしないでもいい。今のまま、ありのままで」
きっとパパなら、無理して元気でいようとしないでいいよ。落ち込んでいる凪でも全然いいよって言ってくれるかも知れない。
でも、空君にもう心配かけたくないし、空君の暗い顔は見たくない。私が元気なら、空君もこうやって笑っていてくれるんだよね。
「何?凪」
「え?」
「なんか、じっと見てたから」
「あ、ごめん。なんでもないよ」
空君は、今日峰岸先輩に教えてもらった星の話を始めた。本当に星が好きになったんだな。すごく楽しそうだ。
「黒谷さんも星に興味があるの?」
空君が、一回話をやめてひと呼吸おいているので、聞いてみた。
「え?いや。特に興味はないらしいけど」
「じゃあ、なんで天文学部に?」
「…うん。俺と一緒だと楽なんだって」
「え?」
空君と一緒にいたいからだよね。それを空君もわかっているってことだよね…。
「俺は霊が見えちゃっても怖くないから、見えたとしても動じないけど、黒谷さんは見えると表情に出ちゃうらしい。で、周りにいる子が怖がったり気味悪がったりして、どんどん離れていっちゃったらしくて」
「…もしかしていつも一人だったとか?」
「うん」
そうか。
「俺だと、おんなじものが見えてるから、怖がってる理由もちゃんとわかるし、それに俺は怖くないから、黒谷さんが怯えてても、気味悪いこともなきゃ、怖いこともないし…」
「今までずっと一人で怖い思いをしていたのが、やっとわかってもらえる人に会えたんだ」
「うん」
「空君も?」
「え?」
「一人だけ霊が見えちゃって嫌だった?黒谷さんがいると理解してもらえて嬉しいの?」
「…そうだね」
空君はにこっと微笑んだ。
「よ、良かったね」
私も微笑み返した。すると空君は、笑っていたのにいきなり無表情になった。
「?」
そして顔をそむけてしまった。
何かな。今、無理して笑ったのがばれちゃったかな。
「あ、あの…。でも、黒谷さんが言うように、私が一緒だと霊が寄ってきちゃうから、一緒にいない方がいいのかもしれないよね」
黒谷さん、なんか怖がっていたしなあ。
「え?!」
空君が、すごく驚いた顔をしてこっちを見た。
「えっと…」
なんでそんなに驚いたのかな。
「なんでそんなこと言うの?」
空君?顔、青ざめちゃった。どうしてかな。
「黒谷さんが、私がいると怖がっていたから。あ、昨日も私に寄ってきてたんだよね?それ、黒谷さん、見えちゃったんでしょ?」
「俺は怖くないよ」
「え?うん」
「だから、別に一緒にいたって平気だし」
「…私と?」
「そう。それに、俺が一緒にいなかったら、霊が寄ってきてるのにも気づける人いないし。だから、凪を守ってあげられない…」
「今日もそれで頭痛がしていたのかな。でも、さすがパパだよね。ギュってハグしてもらったら、頭痛もだいぶよくなったの。ルイちゃんに会ったらもっと元気出た。イルカもパワーがあるのかな」
「……」
「あ、この前の雨の日、やっぱり気分が悪かったの。でも、碧に抱きついてみたら、ふわって軽くなった。碧もそういう力あるよね」
「俺がいなくっても大丈夫ってこと?」
「え?ううん。そうじゃなくて…」
空君?また顔をそむけちゃった。
「今日はごめん。俺、気づけなくて。食堂で凪、もう気分悪くなってたよね」
「…うん」
「黒谷さんが異常に怖がっていたから、安心させてあげるのに必死で、凪のことに気づけなくて」
え?そうだったの?
「ごめん」
「……」
「凪?」
空君がこっちを見た。あ、笑って大丈夫って言わなきゃ。でも、言葉も出ないし、笑顔にもなれない。
「凪…?」
ダメだ。気持ちが今、一気に沈んだ。黒谷さんに嫉妬しているのかな、私。
笑顔が作れない。また空君が心配しちゃう。でも、無理だ。心の中にモヤモヤと黒い雲が立ち込めてくるよ…。
「凪?」
空君が私の顔を覗き込んできた。
「み、見ないで」
私今、きっと醜い顔してる。
「どうしたの?気分悪い?」
「違うの」
「凪?」
う…。泣きそう。
それに、気持ちがどんどん重くなっていく。
ゾク…。寒気?
ギュ…!空君が私の肩を抱きしめた。
「あ…。まさか、また?」
「うん」
「…家の中にも来ちゃうの?」
「凪、大丈夫?また頭痛する?」
ドクン。空君の顔近い。耳に息がかかる。うわ。空君の鼓動も聞こえてきた。じゃあ、私のドキドキも聞こえちゃってる?
バクバクバク。心臓がもっと高鳴りだした。どうしよう。
「あ…」
「え?!」
「消えた」
「……ほんと?」
「うん。一瞬にして…」
空君に抱きしめられると消えちゃう。
「空君も、霊を消しちゃう力があるんだよね」
「ないよ」
「でも、いつも空君がいると消えちゃうんでしょ?」
「俺じゃないってば。凪の力だよ」
「……じゃあ、空君がこうやって抱きしめてくれると、霊が消えちゃうのは」
「…凪の気持ちが一気にあがるからじゃないかな」
ドキン。それって、抱きしめられてると、嬉しいから?安心するから?ドキドキするから?
「俺には、碧や聖さんやイルカみたいな力ないよ」
「…空君?」
空君の声がちょっと沈んだ。
「でも、俺がいることで凪の気持ちがあがるなら、俺、少しは凪の役に立っているよね?」
「え?うん」
少しなんてもんじゃない。本当はいつでもそばにいて欲しい。
「じゃあ、凪、そばにいないほうがいいなんて言わないでくれないかな」
「え?」
「俺、凪にとってもう、用済みな存在かもしれないって思っちゃった」
用済み?何それ?!
「でもさ、俺がそばにいたいから」
「え?え?」
「いさせてくれるかな」
「……空君。私こそ、霊が寄ってきちゃうような変な奴なのに、そばにいてもいいの?」
「……うん。いて欲しいよ」
う、うわ~。嬉しいよ、その言葉。嬉しくて泣きそうだ。
「凪?」
「あ、違うの。これは、悲しいとかじゃなくて」
本当に涙出てきた…。どうしよう。きっと鼻の頭も赤いかも。
「あ、あの、う、嬉しくて」
そう言って空君を見ると、空君は私の顔を見てなぜか目を丸くして、後ろを向いてしまった。
え?どうして?
それから暫く空君は、後ろを向いたまま黙っていた。




