第29話 昔に戻る
6時になり、春香さんがやってきた。
「夕飯持ってきた。凪ちゃんも食べていってね」
「はい」
私と空君はダイニングテーブルについた。
「碧君はまりんぶるーに来てるから、夕飯食べていくと思うよ」
春香さんは、テーブルに持ってきたお料理を並べながらそう言った。
「碧、まりんぶるーに行ってるんですか?」
「うん。なんか目を真っ赤にさせてやってきた。聖とリビングで話してたみたい。聖はそのまま研究所に行っちゃったけど」
「パパと?」
「碧、ホッとした顔してたよ。何かあったのかな」
「……」
私は黙って空君の顔を見た。空君も私を見てから、
「碧って、お姉さん思いだよね」
とそう呟いた。
「凪ちゃんのことで何かあったの?」
「うん。あ、でももう大丈夫だよ」
空君が落ち着いた声でそう言うと、春香さんは私と空君を見て、
「そう?」
と優しく微笑んだ。
「でも、そうね。碧君、いつも凪ちゃんのこと心配してた。聖よりも心配していたかもね」
「え?パパよりって…?」
「聖は、人の持つ力を信じてるって言ってた。凪も空も、もともと持っている強いもんがあるから大丈夫だよって。そこを俺はとことん信じてるんだって」
パパがそんなことを?
「それに、聖、きっと凪には空がいるから大丈夫だなって、そんなことも言ってたのよね。凪ちゃんが空と仲良くすると怒ってたくせにね」
そう言うと春香さんはクスッと笑った。
「聖さんって、やっぱり計り知れないよね」
「え?」
「俺、絶対にいつまでたっても、聖さんには勝てないね」
「またそんなこと言ってる!でも、聖も同じこと言ってたけどね?」
「なんて?」
「俺は一生、空に勝てないって言っていじけてた。だって、凪ちゃん、聖といるより空といることを選ぶんだもん。伊豆に来ると、パパのことはほっておいて空にばっかりくっついていたから」
春香さんの言葉に、私は思わず顔が火照った。
でも、空君は目を丸くさせ、驚いている。
「え?そうなの?」
「そうよ。凪ちゃん、空が一番なんだもん。ね?」
「え?あ、はい」
うわ。いきなり聞かれて、はいって答えちゃった。うっわ~~~~~。
「そ、そっか」
空君ははにかみながらそう言うと、黙り込んでしまった。
「じゃ、お母さん、またまりんぶるーに行ってくるわ。櫂の分はキッチンに置いてあるから、仕事終わって2階に来たらそう言ってね」
「うん」
春香さんは、リビングを出て1階に行った。
「食べようか、凪」
「うん。いただきます」
まだ、空君と二人きりでいるのは、緊張する。ドキドキしちゃうけど、前よりも落ち着いてご飯を食べられるようになったかもしれない。
空君は、食べている箸を止め、私をじっと見た。
「なあに?」
「ううん」
空君は目を伏せ、それからまた私を見ると、
「なんか、凪がいてくれるのが嬉しいなって思ってさ」
と微笑んだ。
ドキン。嬉しいな。
「空君、一人でご飯食べるの、やっぱり寂しかった?」
「ううん。そういうのは感じたことない。一人の方が気を使わないで済むから楽だし」
「…」
「でも、凪は別…」
そう言うと、空君はまた微笑み、それから食べだした。
ドキン。
さっきから、空君、嬉しくなることをいっぱい言ってくれてる。
夕飯を食べ終わり、
「そろそろ帰るね」
と言うと、空君の顔が一気に曇った。
「空君、熱上がると大変だし、もう寝てね?」
「大丈夫だよ」
「…でも、疲れると悪いから」
そう言っても、空君の顔は暗い。どうしようかな…。と思っていると、
「凪~~~。まだいる?」
と1階からパパの声が聞こえた。
「あ、パパだ」
私は階段の方に行き、
「パパ?」
と大きな声で呼ぶと、
「ああ、いたいた!」
とパパが階段を上ってきた。
「今、研究所からの帰りでさ、まりんぶるーでおかずもらってきた。あ、なんだ。凪はここで食べちゃったんだ」
パパはダイニングテーブルにあったカラの食器を見て、そう言った。
「碧もまりんぶるーで食べるようなこと、春香さん言ってたけど」
「うん、食べてたよ」
パパはそう言うと、空君の方に行き、
「空、熱はもう下がった?」
と聞いた。
「あ、はい。もう大丈夫です」
「じゃ、明日学校いけそう?」
「はい」
「良かった。それじゃあさ、凪のことよろしく頼むね」
「え?」
「碧から聞いた。なんか凪、友達と揉めてるんだって?一応、空、気にかけてくれる?凪のこと」
「はい。それはもちろん」
空君がそう言うと、パパはにこりと微笑み、
「まあ、俺から頼まないでも、空、凪のこと守るって言ってたって、碧から聞いてるけどね」
と空君の肩をぽんぽんと叩きながら言った。
「あ…」
空君の顔が一瞬赤くなった。でも、
「はい。守ります」
と真剣な目をしてパパに答えた。
「それじゃ、凪、パパ、車をまりんぶるーに停めてきてるんだ。碧もパパの車で帰るから、凪も乗って」
「え?うん」
パパに言われ、私は急いで食べた食器をシンクに置きに行き、
「じゃあね、空君。また明日」
と空君に声をかけた。
「…うん。また明日」
空君もそう言って、私とパパを1階の玄関まで見送りに来た。
「じゃあまたな。空。うちにも今度遊びに来いよ」
「はい」
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ、凪」
空君に軽く手を振って、私は玄関のドアを閉めた。すると、パパがいきなり私を抱きしめ、
「凪~~~~!良かったね!」
と満面の笑顔で言ってきた。
「え?良かったって?」
「だって、空と仲直りできたんだろ?」
「仲直り?」
「昔みたいに仲良くなれたんだろ?」
…それ、碧から聞いたのかな。
パパは傘をポンとさし、私の肩を抱いた。
「凪は傘ささないでもいいよ。相合傘してまりんぶるーに行こう」
「え?うん」
「パパはちょっと寂しいんだ。空に取られちゃうの」
「え?」
「だけど、凪は空が一番だからなあ。でもまあ、パパといる時は、パパにべったり甘えててね?じゃないとパパが寂しいから」
「…うん」
私はパパと腕を組んだ。そして、
「早くに帰らないと、ママが寂しがってるよね」
とそう言った。
「だね。俺も早くに桃子ちゃんに会いたいし!」
あれ…。結局パパも、ママが一番なんだよね。
それにしても、仲直りか~~~。
空君は「おかえり」って言ってくれた。嬉しかった。
昔の私と空君に戻ったんだよね。だけどそれは、幼なじみとか、そんな感覚なんだよね?
そう思うと、やっぱり複雑だ。
家に帰ると、リビングにママがいた。
「桃子ちゃん、ただいま」
「おかえりなさい」
「寂しかった?」
「うん。寂しかったよ」
「ごめんね!桃子ちゃん」
ママの隣に座り、パパがママに抱きついた。
「何してたの?」
「凪と碧の赤ちゃんの頃のビデオ見てたの」
「へえ…。あ、赤ちゃんの頃を思い出すために?」
「うん。沐浴とか、すっかり忘れてるし」
「俺がまた入れるよ…。ってわけにはいかないのか。仕事あるもんなあ」
「あの頃は、お父さんが入れてくれたりしたからね」
「ああ、父さんまた、うちに来て風呂入れてくれるかもなあ。赤ちゃんの世話する気満々だったし」
「ええ?まじで?」
碧がそれを聞いて大きな声を上げた。碧は絨毯の上に寝転がり、漫画を読んでいるところだった。
「なんでそんなにびっくりしてんの?碧」
「だってさ、俺が赤ちゃんの世話できるって喜んでいたのに」
「え?まじで~~?!」
今度はパパがびっくりして大声を上げた。
「碧、赤ちゃんの世話したいの?」
「したいよ。めっちゃ俺、赤ちゃんや子供好きだもん」
「なんだ。桃子ちゃん、心配しないでも碧がいるじゃん」
「私も!私もいっぱいお世話したい」
私がそう言うと、パパは目を細め、
「じゃ、全然大丈夫だね。ね?桃子ちゃん」
とママの方を見た。
ママも私と碧を見てから、
「頼もしいね」
とパパに言ってにっこり微笑んだ。
「デへ。さすが俺らの子供たちって感じしない?」
「うん。する」
「なんか、俺、めっちゃ幸せ!」
そう言うとパパは、またママに抱きついた。
あ、始まった。私は、
「お風呂入ってくる」
と着替えを取りに2階にあがり、碧も、
「宿題思い出した」
と言って、私の後ろから階段を上ってきた。
「あ~~~あ。あの二人、ほんと、よくいちゃついてるよなあ」
「うん」
「でも、凪も空と抱き合ってたもんなあ」
「あれは!」
私の顔が一気に熱くなった。
「いいけど。俺もそのうち、彼女といちゃつくし」
「え?」
「でもまだ、みんなに付き合ってることは内緒だから、いちゃつけないけど」
こいつ。中学3年のくせに、何言ってるんだ。
「さ、彼女にメールでもしようかな~~」
にやけた顔でそう言うと、碧は部屋に入っていった。
私は着替えを持って、いちゃついているパパとママのいるリビングをそっと横切り、お風呂に入りに行った。
バスタブに浸かり、空君のあったかさを思い出した。
千鶴のことで胃がキリキリと傷んだのに、空君のぬくもりを感じると、それがすぐに消えていった。
空君って不思議な存在だ。隣にいるだけで、癒されてしまう。
でも、それだけじゃない。私にとって空君は、胸がドキドキしたり、キュンってしたり…。
いつからかなあ。空君を思うと切なくなったのって。
空君の姿を見るだけで、胸が踊ったり、話しかけられなくって、すごく悲しくなったり。
いつ空君に私は恋をしたんだろうか。
そして、空君は私に恋をしてくれるんだろうか。
そんなことをバスタブに浸かりながら、ぼんやりと思っていた。
碧、いいなあ。彼女にメール。空君にメールをしたのはいつだっけ?もう私、アドレスも変えちゃったし、空君も変えちゃったかもしれないよね。
なんて、明日になったら会えるのにね…。
「は~~~~~」
今日は、空君ともっと近づけて嬉しかった。でも、なんで心の奥でちょっとだけ寂しさも感じるんだろうか…。なんかどんどん贅沢になっているのかな、私。




