第125話 雪ちゃんのお世話
雪ちゃんとママが退院してきた。くるみママや爽太パパが、交代で雪ちゃんの世話をしに来てくれた。沐浴の係りはパパと爽太パパ。碧は、怖くてできないと言って、沐浴しているのを私と一緒に眺めているだけになった。
でも、一週間も過ぎると、体を拭いたり、着替えさせたり、オムツを履かせたり、白湯をあげるお手伝いを私も碧もできるようになった。
碧は抱っこをして寝かせるのが得意だ。これはパパも得意だった。
学校帰り、空君もよく家に寄ってくれる。時々、春香さんも来て、ご飯を作ってくれた。冬の間のまりんぶるーは、ほとんどお客さんが来ない。たまにお茶をしに来たり、ケーキを買っていくだけなので、誰か一人が留守番をしていたら大丈夫だ。だから、みんなして代わる代わる我が家にやってきた。
「空君も抱っこしてみる?」
いつまでたっても、ただ雪ちゃんを眺めている空君に聞いてみた。
「…う、う~~ん。じゃあ、ちょっとだけ」
空君は、ずっと尻込みをしていたのに、雪ちゃんが生まれて、一か月という時、ようやく雪ちゃんを抱っこした。
「そういえば、今日碧いないね」
「うん。デートだよ。ほら、今日ってホワイトデイだし」
「え?あ!」
空君、今、気が付いたんだなあ。そんなことだと思っていたけど。
「ごめん!凪。俺、何も用意していない」
「いいよ。それに、誕生日に指輪くれたし…」
私の左手の薬指には、空君からもらった指輪が光っている。
「…ごめんね、それも安物で」
「ううん!すっごく嬉しかったよ。空君、一人で買いに行ったの?」
「う、うん。すげえ、買う時恥ずかしかった」
そう言って空君は顔を赤くした。
可愛い。でも、私の腕には雪ちゃんがいるから空君に抱き着けない。
「あ、そうだった。はい、雪ちゃん、抱っこしてみるんでしょ?」
雪ちゃんは私の腕の中で、すやすや寝ている。
「起きないかな。大丈夫かな。俺が抱っこしたら泣いたりしない?」
「大丈夫だよ」
そっと空君の両手に雪ちゃんを乗せた。空君はこわごわ雪ちゃんを抱っこした。
「あ、あれ?けっこう重いんだね」
「そう?」
「わわわ。なんか、柔らかい」
「そう?」
「……。やべ~」
「え?」
「可愛い…」
「でしょ?」
空君は雪ちゃんを抱っこしたまま、かちんこちんに固まった。でも、雪ちゃんを見つめる目はすごく優しい。
「あれ…、空君、初抱っこ?」
「あ、はい。すみません。抱っこさせてもらってます」
2階から、洗濯物を干し終わったママが降りてきた。今日は土曜日で、空君は9時頃から我が家に来ている。
そして、ほとんど1日を我が家で過ごす。たまに、掃除の手伝いや、買い物にも行ってくれる。
「あ、ママ、洗濯物、私が干したのに」
「大丈夫だよ。そろそろ、動かないと体がなまっちゃうし。月曜は1か月検診で産院に行かないとならないんだから」
「一か月検診、パパと行くの?」
「うん。聖君、仕事お休みもらっているし」
「いいなあ。私も行きたかった」
「くすくす。ほんと、凪はなんでもついてきたがるよね。でも、自分が赤ちゃん産んだら、いろいろと経験できるんだから、楽しみにとっておいたら?」
ママが笑いながらそう言って、なぜか、
「ね?空君」
と空君に話しかけた。空君は、雪ちゃんを抱っこしたまま、
「え?俺?」
と、びっくりして目を丸くした。
「雪、可愛い?空君」
「あ、はい。可愛いです」
「でもきっと、自分の子はもっと可愛いよ。楽しみでしょ?」
「え?」
ああ。ママってば。空君がもっと赤くなってるよ。
「空君、立ってないでソファに座ったら?」
私がソファに座ってそう言うと、空君は私の隣に座った。そして、じっくりと雪ちゃんを眺め出した。
「小さいな~」
「そうだね」
私も空君と一緒に雪ちゃんを見た。
「雪は、夜中も良く寝てくれるし、あまり泣かないし、本当にいい子よね」
ママが、私たちの横に来てそう言った。
「あ、ここ、座ってください」
「ううん。いいの。空君座ってて」
空君が慌てて立とうとしたけれど、ママはそう言うと、
「喉乾いたし、お腹も空いちゃった。おやつ食べちゃおうかな」
と言いながら、キッチンに入って行った。
「ママ、あんまり食べてると、太っちゃうよ」
「そうだよね~~。でも、おっぱいあげているとお腹がすいちゃって」
ママは、ミルクをあたため、クッキーと一緒にダイニングテーブルに持ってきた。
「あ、ごめんね。空君も凪も、何か食べるか飲むかする?」
「いいです。朝ご飯、しっかりと食ってきたから」
「空君、最近、どっちが家かわからなくなってるよねえ」
「え?す、すみません。入り浸ってて」
「いいの、いいの。空君、いろいろと手伝ってくれているし、今、猫の手も借りたいくらいなんだから」
そう言うとママは、ふうっと息を吐いた。やっぱり、大変なんだろうなあ。いくら、雪ちゃんがいい子だとはいえ、3時間おきに起きて、おっぱいをあげているみたいだし。
「ママ、2階で寝てていいよ。雪ちゃんは私と空君とで見ているから」
「うん。じゃあ、これ食べ終わったら、少し休ませてね」
「うん」
そして、ママが2階に行ってから、私と空君は二人でリビングで雪ちゃんをまた眺めていた。
空君はすっかり雪ちゃんの虜になったのか、ずうっと抱っこしたまま離さないでいる。ちょっと妬けちゃうなあ。
「凪…」
「え?」
「いつか、俺ら、結婚したらさ、こんな感じかな」
ドキン!
「こんなって…、空君が赤ちゃん抱っこして、こんなふうに二人で過ごすっていうこと?」
「うん」
「そうだね」
わあ。なんだかそんなことを言ってくれて嬉しい。
「雪ちゃんは、凪と一緒で、すごい光を放っているんだよね」
「今も?」
「うん。ずっと…。だから、こうやって抱っこしているだけで、すげえ癒される」
「それ、わかる。雪ちゃん見ているだけで、癒されるもん」
「凪もそうだったなあ。そばにいるだけで、俺、癒されてた」
「え?」
「今もだけど、子供の頃…。一緒の布団で寝ると、朝までぐっすり寝れた。幽霊も来ないし、変な夢もみないですんだし」
「変な夢見ていたの?」
「たまにね」
空君はそう言うと、私のほうを見た。
「今は?変な夢見ないの?」
「ああ。たま~~にね。幽霊はあんまり、寄ってこなくなったけど、変な天気だと、たまに部屋に来ることもある」
「霊が?」
「台風とか、嵐とか…」
「そうなんだ。じゃあ、そんなときは呼んでくれたら、私、添い寝してあげるのになあ。そうしたら、霊も来ないし、変な夢もみないですむよね?」
「え?」
「ん?」
隣で空君が真っ赤になった。
「添い寝…?」
「だって、子供の頃は一緒の布団で寝たら、ぐっすり寝れたんでしょ?」
「うん。でも今はきっと、寝れないよ」
「なんで?」
「な、なんでって、隣に凪がいたりしたら」
「え?」
「なんでもない」
空君は耳まで真っ赤になり、雪ちゃんのほうに顔を向けた。
あ、そうか。なんとなく、空君の言いたいことはわかった。
だけど、やっぱり私には、子供の頃のように空君とは、一つの布団に入ったとしても、ぐっすり寝ちゃうだけっていうイメージしか浮かんでこない。
きっとあったかくって、ほわほわしてて、安心してぐっすり寝るの。空君だけじゃなくて、私だって子供の頃、空君のそばにいたら安心できたもん。
今も、ほわほわあったかい。すっごく安心できる。
空君の肩にもたれてみた。空君は何も言わず、そのままでいてくれる。
「あ、凪。雪ちゃんが起きた」
「え?」
「なんか、泣きそう…」
「お腹すいたのかな。2階に連れて行くね」
私は空君から雪ちゃんを受け取り、2階のママのところに連れて行った。
「ママ、雪ちゃん、泣きそうなの。お腹すいたのかも」
「うん、わかった~~」
ベッドにママが起き上がって座った。ママの腕に雪ちゃんを抱かせ、私は1階に戻った。
空君は、ぼけっとしながらソファにまだ座っている。私はその隣にドスンと座って、空君に引っ付いた。
「凪、近すぎ…」
「ちょっとだけ。だって、ずっと雪ちゃんに空君を取られていたんだもん」
「え?」
「ちょっとだけ、妬けちゃった。いいなあ、雪ちゃん、空君に抱っこしてもらってって」
「え?」
「私も抱っこしてもらいたいなあって」
「抱っこ?!」
「うん。でも、抱っこは無理でしょ?」
「む、無理」
「だから、こうやって引っ付くだけで我慢する」
「が、我慢って…」
空君は硬直して赤くなった。でも、そんなのおかまいなしで私は空君の腕にしがみついた。
「ママが時々、パパが雪ちゃんのこと可愛がっていると、やきもち妬くのわかる気がする」
「……そ、そうなんだ」
空君は、コホンと咳ばらいをした。可愛い。照れているのかなあ。
「もうすぐ、空君、高校2年だね」
「凪は3年だ。もう受験生だね」
「ああ。そうだった。嫌だなあ。塾とか通わないとならないかも」
「じゃあ、俺も、通おうかな」
「え?」
「俺、今から頑張らないと、大学行けないかもしれないし」
「…じゃ、一緒のところに通う?」
「うん」
デヘ。嬉しい。空君の腕に腕を回した。
「あと、1年したら、凪と離れちゃうんだなあ」
「え?」
「……信じられないね。今、年中一緒にいるから」
「……うん」
わあ。いきなり、寂しくなってきた。ギュウ。空君の腕にもっと力強くしがみついた。
「空君、私と離れている間、浮気とかしないよね?」
「は?しないよ。するわけないじゃん」
「うん…」
「じゃあ、凪も。大学行ったらいろんなやつに会うだろうけど、浮気しないでね」
「しないよ。それに私、男の人苦手だし。ああ、大学って、むさくるしい人もいるよね。なんか、嫌だなあ」
「凪の場合、聖さんも碧も爽やかだから、むさくるしい男が苦手なのかな」
「空君も爽やかだしね?」
「俺?そうかな」
空君は思い切り首を傾げた。
「うん。爽やかだし、可愛いし…」
「子供なだけだよね?」
「ううん、きっと空君はずっとこのままだよ」
「…そのうち、髭とかもっと生えるし、むさくるしくなるかもよ?」
「そんなの、想像つかない」
「わかんないよ?」
「……」
私はじっと空君の横顔を見つめた。空君は見つめられているのに気が付きながらも、真ん前を向いたままこっちは見ない。
「こんなに可愛いのに?」
「へ?」
あ。こっちを向いた。ほら、可愛い。
「やっぱり、想像つかないよ」
そう言って私はまた、腕にがっちりとしがみついた。
「………俺、ちょびっと不安」
「なんで?」
「そのうち、空君なんて臭いし、嫌だって言い出さない?」
「何それ~~」
あははと笑うと、空君は暗い顔をして私を見た。
「笑い事じゃなくて。俺がもっと、男くさくなったら、凪、嫌がって近づかなくなるかもよ?」
「ないよ。そんなの、想像つかないよ」
「わかんないよ。俺だって、もうちょっとしたらさ…」
そうかな~。空君はやっぱり、空君だと思うんだけどなあ。
このほわほわしたあったかいオーラ。子供の頃と変わらない空君のオーラが、これから変わるなんて思えない。
なんて、そんなことを思いつつ、私は空君の隣にいるのを満喫していた。
だから、その時は気づかなかった。空君は空君なりに、悩んだり、戸惑ったりしていたことを。
私はただのほほんと、こんなふうにずっと空君のすぐそばにいられるものだとそう思っていた。




