第118話 二人きり
バスに乗り、駅に着いた。駅前のビルで黒谷さんは、着替えの下着や歯ブラシを買った。空君はその間、おやつの買い出しに行っていてくれた。
空君と合流して、また私たち3人はバスに乗り込んだ。そして最後部の席に3人で座った。
「パジャマは私のを貸すね」
左隣に座った黒谷さんにそう言った。そのあとすぐに、
「あ、それとも、碧のパジャマのほうがいいかな?」
と聞くと、黒谷さんは真っ赤になって首を横に振った。
「そうなの?私だったら、空君のパジャマ、喜んで着るのに」
黒谷さんのほうを見ながらそう言うと、私の右隣に座った空君が、小さな声で「え?」と言っているのが聞こえてきた。
「ん?」
空君のほうを見ると、なぜか赤くなっている。
「お、俺のを着たいの?」
「うん。今度着せて」
「………え、えっと。う、うん。その、いつかそんな機会があったらね」
空君はなぜか、しどろもどろになっていた。
そしてバスは海沿いを走り、我が家の近くを通り抜け、バス停で止まった。
「まだ、碧は塾だろうなあ。そうだ。お昼は何にしようか」
そんなことを言いつつ、私はわくわくしながら歩いていた。空君は、黙ってただ歩いていて、黒谷さんはずっと顔を赤くして俯きながら歩いていた。
家に着くと、ママは家の掃除をしていた。
「おかえりなさい。あら、空君、文江ちゃん」
「お邪魔します」
「お母さん、今日入院したの?」
「はい。検査入院なんですけど、なんか、病院についた頃には元気になっちゃっていたから、きっとすぐ退院できると思います」
そう黒谷さんは嬉しそうに言った。やっぱり、お母さんが明るくなったの、黒谷さんも嬉しいんだな。
「そう。良かったわね」
「ママ、今日、空君と黒谷さん、うちに泊まっていってもいい?」
「いいわよ。まずはお昼ご飯ね、スパゲッティにする?」
「うん。私、手伝うね」
空君はリビングに座って、テレビをつけた。
「私も手伝います」
手持無沙汰だからなのか、黒谷さんもキッチンに入ってきた。そして、ママ、私、黒谷さんで4人分のスパゲッティを作った。そして、ダイニングテーブルを囲い、みんなで食べた。
「碧は、お弁当を持って行ったわよ。今日は午後まで塾があるんだって。受験、間近だからね~~」
ママはちょっと他人事のようにそう言った。
「そうですよね、もうすぐですよね。なのに、私泊まったりして大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫よ。碧の勉強みてあげて。きっと碧、頑張っちゃうから」
ママがそう言うと、黒谷さんはほっと安堵のため息をした。
お昼の後は、なんとなくみんなでリビングに移動して、のんびりとテレビを見たり、雑談をしていた。
そして3時過ぎ、息を切らしながら碧がバタバタと家の中に入ってきて、
「凪、帰ってる?!」
と叫びながらリビングに飛び込んできた。そして、ソファに黒谷さんがいるのを見て、目を丸くした。
「あ、あれ?」
「病院なら午前中に行って、すぐに帰ってきたよ」
そう私が説明すると、碧はまだ目を丸くしたまま、
「え?で?」
と、ここに黒谷さんがいることを不思議がった。
「今日文江ちゃんも空君も泊まるんだって」
ママが碧にそうにこにこしながら言うと、碧はもっと目を丸くして、
「まじ?!」
と驚いてしまった。
「碧の勉強、しっかりと見てくれるよう頼んでおいたから、頑張ってね?碧」
ママはそう言って、碧にコップに注いだ水を渡すと、
「さて。洗濯物でもしまおうかな」
と言いながら、2階に上がって行った。
ゴクゴク。水を飲み干すと碧は口を手で拭い、
「あ、空も泊まっていくんだ。凪、よかったじゃん」
と、締まりのない顔でそう言った。
「にやけているのは碧のほうだぞ」
空君がクールな表情で碧に突っ込んだ。碧はその途端、耳まで赤くなってしまった。
「う…。とにかく!先輩、勉強しっかりと見てください。よろしくっす!」
碧ったら、いきなり黒谷さんに頭をぺっこりと下げたけど、にやけた顔を隠しているな。
「は、はい。頑張ります」
黒谷さんも真っ赤になりながら、体をかちこちにしてお辞儀をした。
面白いなあ、この二人って、見てて飽きないかも。
「じゃあ、さっそく俺の部屋で勉強…」
「碧!ダイニングでしろよ。俺らは邪魔しないよう静かにしているから」
「そんなこと言って、空、凪と二人で凪の部屋に入り込む気だろ」
「そ、そんなことするわけないだろ!俺と凪はリビングで大人しくしてる!」
「……ふ~~~ん」
碧は横目で空君を見てから、ふてくされた顔でダイニングの椅子にドカッと座り、
「じゃあ、今日、塾でテストしてきたんだけど、わかんなかった箇所、先輩教えてくれる?」
とカバンから、ノートと筆箱、そして何やらプリントを取り出した。
「あ、は、はい」
黒谷さんも慌てて、碧の前の椅子に座った。
「そこでいいの?横に来たほうが教えやすいでしょ?」
私が黒谷さんにそう言うと、黒谷さんはほんの少し躊躇して、
「じゃあ…」
と碧の隣にちょこんと遠慮がちに座った。
そして、真っ赤な顔をさらに赤くさせながら、必死に碧に勉強を教え始めた。
碧も耳を赤くしている。なんだか、可愛いカップルだなあ。
私はリビングの絨毯の上に座り、すぐ横にいる空君の肩にぴたりと寄り添い座っていた。
「ね、あの二人って、初々しいね」
そう碧たちに聞こえないくらい小声で、空君の耳に口を近づけて言うと、空君は赤くなって固まり、
「凪、近すぎる」
と、困った表情で囁いた。
あ、こっちにも初々しい人がいた。
「ごめん」
私はほんのちょっとだけ、体を空君から離した。でも、結局空君の肩に寄りかかっちゃうから、あまりさっきと距離感は変わっていない。
「……」
空君は、そのあと何も言わなかった。でも、赤い顔はなかなか元に戻ることがなかった。それに、漫画を読んでいるのに、ページがなかなか進まないでいた。
私はそんな空君に、
「その漫画、どんな内容なの?」
とか、
「面白いの?」
とか、ぼそぼそと聞いてみた。
「え?あ、うん。これは…」
空君は焦ったようにページをめくった。
「あれ?違った。俺が読みたいのはこれじゃなかった」
本当に今空君、意識がどこかに飛んでいたんだなあ。漫画、まったく目に入っていなかったのかも。
「あのさあ、小声でぼそぼそ話されても、気が散るんだよね。俺と先輩が俺の部屋に行って勉強するか、そっちが2階に行ってくれない?」
ダイニングから、生意気な口調で碧が言ってきた。
「え?」
空君はびっくりしたのか、姿勢をいきなり正し、
「いや。でも…」
と、さっきのクールさがなくなってしまっていた。
「うん。じゃあ、空君、私の部屋に行こう」
「え?」
私は強引に空君の腕を引っ張り、どんどん階段を上りだした。
「凪?」
「碧、黒谷さんと二人きりになりたいみたいだから、邪魔しちゃ悪いよ、空君」
ちょっと大きな声でそう言って、私は自分の部屋のドアを開けた。一階から、
「そういうわけじゃないから!勉強の邪魔だから、追いやったんだよ!!」
という碧の焦ったような声が聞こえてきたけど、返事もしないで私は空君の腕をグンと引っ張り、部屋の中に入った。
「な、凪…。二人きりはやばいって」
「ドア開けておくし、ママが寝室にいるんだし、気にしないでも大丈夫だよ」
「…う、そうか」
空君は顔を赤くしながら、ぼけっと突っ立っている。
「その辺に座ってもいいし、寝転がってもいいよ」
そう言って私は、机から雑誌を取った。空君はなぜか片手に、漫画を持ったままだった。
「え?その辺?」
「ベッドの上でもいいし、絨毯の上でもいいし」
「あ、うん」
空君はベッドには腰掛けず、絨毯の上にあぐらをかいて座った。私はその隣に座って、雑誌をめくった。
「…凪、ちょっと離れてて」
「え?」
「すぐ隣は、危険」
「は?」
なんで?リビングではもっと私、べったりくっついてた。今はちょっとだけ、遠慮してくっつくのはやめているのに。
「凪、いい匂いするし」
「え?」
「今日の服、ちょっとやばいし」
え?どこが?丸首のセーターにジーンズなんだけど。露出度は控えめだし、色だって、病院の付き添いだから控えめにして、紺色のセーターに、ブルージーンズだよ?
「ものすごく地味な格好だと思う…けど?」
私は空君の顔を覗き込みながら聞いてみた。すると空君はちらっと私の顔を見て、すぐに視線をそらし、まったく関係のない方向を見て、
「そのセーターの色、凪の肌を白く見せるし…、ちょっと見えてる鎖骨とか、うなじとかやばいし、それに体の線にぴったりしているから、胸の形がもろわかる…」
と、ぼそぼそとそう言ってから、顔を真っ赤にさせて俯いた。
「あ、俺、何言ってんだろ」
うわ~~~。そう言った空君の顔、湯気があがりそうなくらい赤い。
そうか。そんなふうに見ていたのか。もっとぶかぶかのセーターとか、タートルネックのほうが良かったのかな、もしや…。
私まで、顔が火照ってきた。それに、あんまり空君が真っ赤になって困っているから、ちょっとだけ離れてあげた。
でも……。
危険っていうのは、空君が私を襲ってくるっていう可能性があるってこと?
それ、まったくと言っていいほど、想像できないんですけど。
なんて言ったら、空君がまたへこむかもしれないから、言わないけど…。
「ああ。だから俺、あんまり凪の部屋には来たくなかったんだ」
「え?!」
空君は俯いたまま、ぼそぼそと話しだし、私がびっくりすると、ちらっと私の顔を見た。
うわ!その顔が、なんだかちょっと、情けないような顔つきで可愛い。寂しげにしている時のクロみたいだ。
「俺のボロが色々と凪にばれるから…」
「ええ?」
私は、そんなことを言う空君が思い切り可愛くなって、抱き着きそうになった。でも、また空君が困惑するだけだから、必死に我慢した。
だけど、光で思い切り包んじゃったから、空君には私の気持ちがバレバレだ。
「あれ?こんな俺のこと、呆れたりしないの?」
空君は自分の周りをぐるりと見回しながらそう言った。多分、自分のことを包み込んでいる光を見ているんだろう。
「呆れるわけがない。空君、可愛いんだもん」
「………」
あ、空君のほうが呆れたかもしれない。思い切り困ったっていう顔をしている。
「情けないと思うんだけど、可愛いじゃなくって」
空君は鼻の頭をぼりっと掻きながらそう呟いた。
「ううん、可愛い」
そう言って空君に微笑むと、
「そ、そうかな」
と空君は思い切り照れくさそうな顔をした。
「その顔も可愛い!」
ギュム!
あ、いけない。我慢できなくて抱き着いちゃった。
「わあ。凪!離れて!」
空君は真っ赤になって、体中硬直させた。
「ごめん」
私はさっと空君から離れた。空君も、私が離れると、その場から1メートルくらい離れて座りなおした。
「む、胸当たってたし…。やばかった」
ぼそっとそう言うと空君は、私に背を向けておもむろに漫画を見始めた。
「……」
避けられたようで寂しい。でも、そんな空君の背中も可愛い。後ろから見ても耳が真っ赤なのがわかる。
可愛い~~~~~~~~~~~~~~~~。
「う…」
空君は顔を上げ、ほんのちょっと周りを見渡し、また下を向いて漫画を読みだした。
ああ、きっと今も、思い切り光で包んじゃったんだ、私。
空君はそのあとも、無言で漫画を読み、私はそんな空君の背中を眺めながら、ぼけっとしていた。
空君と一緒の空間っていいなあ。あったかいなあ。嬉しいなあ。でも、もっと近寄りたいなあ。なんて思いながら。




